さっき買ってくれたひと

いまさっきのことが記憶できないと、集中力の欠如とか、加齢やもしやの病気をうたがうはめになる。

1971年にアメリカからやってきたので、まもなく半世紀になるハンバーガー・チェーンは、例によって日本的サービスを展開しているものの、それは、世界の店舗におけるサービスが、あまりにズサンだからの比較結果でもある。

高級な接客サービスを目論むひとたちからすれば、まるで悪の根源のようないいかたをされるけど、ファストフードというビジネスにおけるスタイルとして完成されているという評価をしないから、はなしがもつれるのである。

しかし、どんなに日本的な丁寧で迅速な対応をしようとも、そして、その結果として、アメリカ本国や他の先進国からの外国人客がその対応を「絶賛」しようとも、さっき買ってくれたひとを記憶しないふりをする、だから、やっぱり「記憶しない」ということにおいて、まったく世界共通なのである。

誤解しないでほしいのは、この会社のビジネス・モデルとして、「記憶しない」ということを前提としていて、それを世界で実行しているということをいいたいだけで、「良し悪し」をいいたいのではない。

つまり、さっき買ってくれたひとを記憶していても、記憶していないふりをする、あるいは、ほんとうに記憶しないとしても、ビジネスがなりたつように設計されている、ということだ。

おおむねどんなひとでも、従業員になれる、という特徴があって、客側からすれば「どうして覚えていないんだ?」ということが全世界で共通の話題になっても、これを「無視できる」強靱なモデルになっているのである。

これが、やっぱりアメリカからやってきた、「コンビニエンス・ストア」という業態でも採用されたのは、「便利さ」という「機能」を切り取って強調し、町内の知り合いがやっている個人商店と棲み分けるためだった。

阿部寛が好演する『結婚できない男』におけるコンビニでの買いものシーンの「おかしさ」は、いま放映中の続編『まだ結婚できない男』でも採用されて「定番シーン」になっているのは、視聴者の無意識の共感を得るための重要性があるからだろう。

阿部演じる「桑野」が異常者なのではなく、だれにも日常の「店の異常」をもって、じつは「桑野」は悲しき被害者にもなるのである。

すると、これら「さっき買ってくれたひと」を無視できるビジネス・モデルをもって、はたして「接客の理想」あるいは、「ファン作り」としての普遍性を見いだせるのか?と問えば、「真逆」こそに真実がある。

それは、かれらがもともと選んだ「棲み分け」を実現するための「機能」を、一般的な商売につかってはならない、ということである。
一般的な商売とは、「顧客創造」のことだ。

もちろん、ファストフード・ビジネスも、コンビニエンス・ストアも、「顧客創造」をしているが、そのプログラムの「特殊性」が一般的ではなく、またそれがこれらビジネスの成功要因になっているとしれば、かんたんにまねのできるものではない。

さっき買ってくれたひと、嵩じれば、昨日買ってくれたひとを、どうやって覚えるのか?
そして、なにを買ったのか?ということにまで遡及できれば、おどろくほどのビジネス・チャンスが、買ったくれたひとからやってくる。

それは、かつての新幹線の社内販売のカリスマ「斉藤泉」さんが体現したと前にも書いた

購買者である客の心理で、もっとも重要なことは、「じぶんのことをしっている」ということの「確認」ができた瞬間だ。
この瞬間に、客がかってに「全面的信頼」を開始していて、さらに、もっとじぶんをしってほしいという気持になるからである。

パーサー不足で、JR東日本は新幹線の社内販売を終了するとニュースになった。
これを決定したひとたちは、列車で旅をしたことがないらしい。
高級乗用車の後部座席に身を沈めて、鉄道管内を高速道路で移動しているにちがいない。

パーサーに情報を提供する方法をかんがえない。
パーサーの個人的記憶力や集中力に依存しながら、時給を「高い」と断定している。
それに、売れたときの「歩合」もあるのか?つまり、インセンティブのことだ。

こうした「欠如」をしているのに気づかないのが、「幹部」という「患部」なのだ。
はたして、「斉藤泉」さんを、教育指導員にしておきながら、こうしたことができるのは、ぜんぶ彼女に依存したからにちがいない。

この会社の「元国鉄」だった官僚主義のDNAが、民営化で消失したのではなく、確実に保存されたことがわかる。

ようやく支払方法に交通系ICカードが採用された。
検札にこなくなった理由は、電子的処理を車掌の端末でしているからだ。
ならば、せめて号車と席番号による購買記録をなぜとらぬのか?

駅の売店で乗車前購入しようが、足りないこともあるし、車内限定品だってある。
スマホから切符が買えて、どうして車内販売の物品(駅弁などの)予約ができないのか?

それを受け取るときに、別の商品だって購入できる。つまり、販売チャンスがふえる。

「駅ナカ」ばかりに夢中のようだが、「車ナカ」こそ価値がある。

さっき買ってくれたひとを覚えさせる方法ぐらいかんがえろ、というのはわがままなのか?

とかく鉄道会社は「私鉄」でも、客を「流体」としてしかみない傾向がある。鉄道管理局がそうさせるからである。
だから、子会社・関連会社での鉄道以外の事業における「客」も、たんなる「流体」として認識されてしまうのは、本社からくる3年交替のエリートたちが、「流体」だと訓練されているし、そうでなければ「社内」でエリートになれないからである。

この「応用力のなさ」は、自分たちの「事業構造」を客観的に分析できていないことの証拠だ。
客は、安全に流せばよい、とする国の管理に依存しているだけなのだ。

他のサービス業界のひとは、けっして真似てはいけないよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください