たまごかけごはん

地方の宿にいくと,「こんな田舎だからなにもない」というのが,どうやら全国共通の感覚らしい.しかも,かなり「本気」なのだ.

列島改造論に冒されている

日本経済の高度成長は,1973年の第一次石油ショックでおわったという「定説」があるが,かつて経済企画庁の『文豪』といわれ,いま日銀の政策委員である原田泰氏はその著書で,月次統計データをつかって否定している.第四次中東戦争がきっかけで発せられたのが,アラブ産油国の「石油戦略」である.この戦争は1973年10月のできごとだ.じっさい,わが国経済だけでなく世界に大激震をあたえたが,その「効果」は翌年,1974年の1月になって統計データにも顕著になる.ところが,原田氏は,日本経済は1973年の「6月」に中折れしているとデータで示した.

そして,これは,田中角栄内閣の「地方バラマキ」による不経済が原因と分析している.原田氏は,もし中東戦争が起きなかったら,田中内閣の明確な経済政策の失敗が糾弾されていたろう,と主張している.明治の文明開化からはじまる富国強兵のための工業化は,地方の農村が人材供給源だった.戦後も同様で,「集団就職」のそれは「金の卵」ともてはやされた.

井沢八郎の『あゝ上野駅』が発売されたのは1964年,ステレオ版が1976年にでている.

田中角栄は,幹事長を辞任した後,1968年に党の都市政策調査会長として「都市政策大綱」を,佐藤派から分離独立した1972年に『日本列島改造論』を発表している.

地方からやってきた金の卵たちが産み出した「カネ」を,「なにもない」地方へ還元して,せめて地方の県庁所在地は「東京のように」しよう,という発想だ.これは「票」になる.だから,いまも,批判のおおい公共事業のかわりに「ふるさと納税」で継続している.

「ない」のではなく「ある」を探す

これは,(なにもない)「地方はかわいそうだ」という感情をよんだ.まるでアメリカ人のアイルランドへの郷愁のようだ.

その地方に「ある」もの,といえば,「自然」だというのも,全国共通のようだ.かつて国鉄時代に,「ディスカバー・ジャパン」と銘打って,さまざまな「旅」がもてはやされた.「『愛国』発『幸福』行き切符」が大ブームになったのは,1973年だ.

それが,JRになったら,ピカピカのガラス張りコンクリートの駅が増殖した.日本建築学会は,いまだに「ポスト・モダン」追求がとまらないらしい.地方の駅前で,記念写真を撮る気が失せてひさしい.京都駅の「無残」も典型例だろう.その京都で,フォー・シーズンズ・ホテルが採用した「竹垣」は,伝統的技術の結晶でもある.外国資本が,日本の伝統を守ってくれた.ここは絶好の撮影スポットだ.

整備された田んぼや畑をみて,「自然がいっぱい」というセリフを発する旅番組のナンセンスはさておき,なぜか放置された「耕作放棄地」を「自然がいっぱい」とはいわない.完全に人力によって設計・管理されている「日本庭園」が,「自然」だとおもうのが日本人なのだ.

だから,棚田や千枚田をみると,たまらなく美しいと感じる.その「労力」を想像するだに感動し,ときには涙をながす.

たまごかけごはんが象徴するモノ

どのように育てられた鶏が産んだのか?どのように育てられた米なのか?どのように育てられた醤油なのか?

たまごかけごはんには,その土地のストーリーがつまっている.だから,わたしは,地方の「なにもない」という宿を指導するときは,朝食にたまごかけごはんをすすめている.

たまごかけごはんには,当然,なまたまごが必要だ.それで,案外,「保健所からの指導で当館では生卵の提供はしておりません」と,張り紙する宿泊施設はおおい.まちの牛丼チェーンにはかならず生卵の提供があるから,じぶんたちは生卵の管理ができません,と言っているにひとしい.管理ができていない状態だから,保健所から指導されているのに,その理由すらわからない,ということだ.

すると,ほかの食材の管理もおざなりのはずだ,とみることができる.これも,たまごかけごはんをすすめる理由になっている.

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