中国の古典をつなぐと「ブランド」理論になる

利によって行えば怨み多し。(論語、里仁)
義は利の本なり。(春秋左氏伝、昭公)
利は義の和なり。(易経、文言伝)
利益だけを追求して行動すれば他人からうらまれる.
義理をはたせば利益のもととなる.
すなわち,利益とは義理の積み重なりでできるものだ.

個人でも法人でも

この「義理」を,「約束した価値」にするとわかりやすくなる.顧客になんとなく接するのと,自分たちは何ものかを定義して,何をお客様に販売し,そのことはどんな価値なのか?を決めてから商売するのとではまったくちがうことになる.

もちろん,最初はおなじ「開業」というスタート・ラインからはじまる.しかし,はじめてのお客様が何度か購入経験を積むうちに,だんだんと「差」がうまれるだろう.お客様がお金を支払っているのに,ここは気に入った,という感情がほのかに生まれ,それがだんだんと積み重なっていくと,ここしかない,というほどのファンになる.これが,ブランド形成のプロセスだから,そのプロセスを確実に,しかも早くゴールに導くには,仕掛けがいる.その仕掛けこそが,自社における「義」すなわち「お客様に果たすべき『約束した価値』」にほかならない.

経営理念の役割

本来,『約束した価値』を文字や文章で規定したものが「経営理念」になるのだが,おおくの企業で「経営理念」がただの「理念」や「お題目」あるいは「先代の作文」になってしまっているのが残念だ.経営理念は,一度決めたらめったに変更できない,というのは,ちゃんと練られた『約束した価値』を見つけ出せたことを前提としているから,そうでなければ書換はいとわないしなるべく早く変更したほうがいい.とくに業績が思うようにならない企業の場合は,たいがい『約束した価値』があいまいだから「経営理念」が従業員だけでなく経営者にも希薄である.また,業容が拡大したり,多角化をすすめた場合,もとの経営理念とあわなくなってしまうことがある.この場合も,すみやかに書換を要するだろう.

経営理念→経営ビジョン→中長期経営計画→短期経営計画(予算),というように,一直線でつながっている.矢印を逆向きにしたら,日常業務の積み重ねが経営理念の追求になると理解できるだろう.

つまり,経営理念は,日常行動を規定する哲学,という役目がある.

ひとが動くからニンベンがついて「働く」になる

経営理念を軽視する経営者は,人間を理解していない.最近のパワハラ事件の数々を,他人事としてはいけないのは,これら事件の当事者たちの未成熟さをみればわかるだろう.部下は「命令」して動かすモノだ,と発想しているのである.確かに,一見すれば,部下は命令で「動く」のだが,おおくの場合,その部下は割り切って行動しているだけだろう.マネジメントの名手は,命令ではなく「使命」をあたえるから,部下は「働く」のだ.この「使命」の根幹をなすのが「経営理念」であり,それが『(お客様に)約束した価値』である.

マンサー・オルソンという学者に「集合行為論」という著述がある.このなかで,6人程度で議論するのがもっとも効率がよい,とある.小学校のクラスにある「班」がこれを証明している.すると,10人も集まるとバラバラになってくるのだ.これを一人の経営者が,それぞれに命令していたのでは,仕事にならないだろう.従業員数がもっと増えれば,経営者の目が届かなくなるのは誰にでも想像できる.だから,経営者は従業員それぞれに「使命」をあたえるしかなくなるのだ.ところが,経営理念をないがしろにしていると,この「使命」自体がバラバラになる.そうした組織の効率は,当然に低くなるから,業績もかんばしくないのだ.

とくに,ひとをたくさん雇用しなければならない,人的サービス業(飲食業,宿泊業)では注意したいことだ.

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