創造の定義

「日本創造学会」という日本学術会議の登録学会がある。
この学会のHPに、「創造の定義」があって、味わい深い。

人が (創造的人間/発達)
問題を (問題定義/問題意識)
異質な情報群を組み合わせ (情報処理/創造思考)
統合して解決し (解決手順/創造技法)
社会あるいは個人レベルで (創造性教育/天才論)
新しい価値を生むこと (評価法/価値論)

こうやってかんがえるものだ、というお手本である。
文章にすると、
「人が、問題を、異質な情報群を組み合わせ、統合して解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」
あえて句読点で区切ったが、さりげない文章である。

しかし、区切りごとに「()書きのなかにある『領域』」としてどんなことを指しているのかとリンクさせているから、対照してみると、説得力のある「定義」として完成しているのがわかる。

自社の存在意義をこのように「定義」すると、おおくのメリットが生まれることがわかるだろう。
・それはなんだろう?とあらためてかんがえることのメリット。
・おもいついた単語や文章が適正なのか?をチェックすることのメリット。
・完成したときの「すっきり感」をえることのメリット。
・それを、従業員や取引先と共有することのメリット。
を、すくなくてもえることができる。

この「すくなくとも」のしめす意味は、すくなくない。
経営の「根幹」を意味する「すくなくとも」だからである。

日本人の生活は「欧米化」したとよくいわれる。
これをあらためてかんがえてみると、じつは恐ろしいことがみえてくる。
わたしたちの生活で、日本のオリジナル発明品が、ほとんど「ない」からである。

箸や茶碗、急須といった食器類に一部、畳の部屋が消失したから座布団もない。
それでも、冬場はこたつがあるけれど、赤外線ランプが熱源だから、発明となればエジソンにたどりつく。
インターネットもパソコンも、最重要のICも、ぜんぶ発明となると外国人だ。

かつて、「猿まね民族」と揶揄されたことをすっかりわすれて生活しているが、根幹をたどるとオリジナルが確かに「ない」のである。
しかし、だから日本人を卑下しよう!というのではない。

創造の定義に「異質な情報群を組み合わせ」とあることに注目したいのだ。
「異質な情報群」とは、「既存の」ということがかくれている。
オリジナルの発明という既存を、「組み合わせ」たら、あたらしいものになる。
かつてのソニーの世界的大ヒット、トランジスタ・ラジオがそれだ。

新発明のトランジスタをながめて、発明者はさてどうしようとかんがえていたら、日本人がラジオをつくってしまった。
「家具」になっていた高級真空管ラジオが、ポータブルになったのは、のちの「ウォークマン」を彷彿とさせる。
高分子吸収体にも似たはなしがある。
とにかく「水を吸着する粉」ができたが、なにになる?
これで、使い捨ての紙おむつができた。

紙おむつの功罪は、発達心理学の議論になって、旧来のおむつの不快感がない、ということがいかなる影響を乳幼児の発達にあたえるかが論じられたが、それがどんなに「悪いこと」であろうが、便利さという親の都合がまさった。

むかしのテレビコマーシャルは、「新発売」のオンパレードだったが、いまでは目立たない。
日本の停滞は、あたらしい製品やサービスが生まれていないことにあると警告されている。
だからこそ、創造、が必要なのだが、これがうまくいかない。

モノのおおくが中国製などになったが、もはやアップルの製品がしめすように、どの国製なのかが重要ではない時代になっている。
むしろ、アイデアや設計がどの国だったのか?が問われるのは、「権利」という価値がおカネを生むからで、「製造」という価値が低下してしまった。

これが、ものづくりの国を自負する日本を落下させている。
そして、さらに悪いことに、この落下を阻止しようと行政が強力にうごいて、結果的に落下を加速させている。
まさに、余計なお世話なのである。

どうしてこうなるのか?は「統計不正」とおなじで、公務員のえらいひとは共通して法学部出の「文系」だから、じつは技術のことがわからないし、相手へのリスペクトがそもそもない。
でも、えらいから「わからない」とはいわないし、かえって受験でしたように「勉強熱心」だから、「わかったつもり」のお山の大将になるのは、まわりの技術者が面倒だからおだててその場をつくろうからだ。
なにせ、この坊ちゃん「大将」は予算をもっている。

そんなわけで、会社のえらいひとも文系だから、国や自治体のえらい文系のひとと、はなしが合う。
中途半端な知識同士で、技術開発を語り合うから、トンチンカンになって落としどころが補助金の額と期限になるのだ。
この期限がくせ者で、技術の限界を勝手に超えてきめるから、あとになって「できない」とわかると、投じた予算をどうしてくれるに変容して、責任逃れのムリがムリをよぶ。

文系のえらいひとは、「異質な情報群を組み合わせ」るだけでできるんだろう?
簡単じゃないか!
できないなんて、おまえらはバカか?
ああ、やんなっちゃう、こんな偏差値ひくいやつらと組んだ自分がなさけない。

しかし、悪いのはやつらで自分じゃないから、ちゃんとお仕置きをしないといけない。
さてさて、どんなお仕置きがやつらに一番痛手になるかをかんがえないと、自分のせいにされてしまう。

まるで、ゲーテの『ファウスト』の悪魔、メフィストフェレスとおなじ発想をしたものだ。

これが、わが国の「創造」になってしまった。

 

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