夏休み 城崎から その1

京都といっても府内は美山が目的地である.いま美山町は,京都府南丹市に吸収されている.
途中,綾部市のグンゼ綾部本社の博物苑に立ち寄った.
ここは以前「京都府何鹿(いかるが)郡」の郡役所があった地で,波多野鶴吉が地域産業振興を目的として明治29年に設立したのが郡是製絲株式会社である.社名を「グンゼ」にしたのは昭和42年だと社史にある.

とにかく貧しい地域をなんとかしようとした,が創業者の原点である.

それが「絹」だったわけで,養蚕に関しては西高東低の歴史があるから,あとからすれば起きるべくしておきた事業だった.
「東低」の群馬県の富岡製糸場が明治5年に開業しているのは,「西高」の標準化だから,「国土の均等ある発展」という昭和高度成長の象徴「全国総合開発計画(全総)」の思想は明治からある.その国営冨岡製糸場は明治26年には三井に払い下げ民営となったから,「郡是」創業は時期として遅れていたのではないだろう.

有名な「女工哀史」はプロレタリア文学ではないと前に書いた.
郡是では創業の翌年だから明治30年に「夜学」を開始して女工の人財教育をはじめ,大正6年には学校を設立するにいたっている.それで,「表から見れば工場,裏から見れば学校」と世間から評されたというから本物である.

「働く本人のため,当社に信任しておられる父兄に報いるため,自分の娘としてよく面倒を見て立派な人にしなければならない」というのが創業者のかんがえであった.
いま,こうした発想の企業がどれほどあるのか?

長野県伊那市にある伊那食品の本社工場と資料館も同様で,「いい会社」にはちゃんとした施設がちゃんとつくられて,ちゃんと運営されている.
「いい会社」とは,「ちゃんとしたかんがえがある会社」だとわかる好例である.
だから,「まぁちゃんとしてる」が「Merchant」になったのではないか?と本気でおもいたくなるのだ.

昨今の「ブラック企業」という言いかたや「働きかた改革」の薄っぺらさの正体がここにある.
あのチェスター・バーナードが,名著「経営者の役割」を書いたのが昭和13年だから,グンゼ経営者の先進性がわかるというものだ.
つまり,資本主義にあっては経営者と労働者は対等で「労働契約を結ぶ」という概念こそが基本であって,これを現代の政府も日本企業のおおくも忘れているということの証左なのである.

その政府のトンチンカンぶりが,地方政府としての綾部市広報にみつけることができた.
日本が独立を回復したのが昭和27年であるから,占領中の昭和25年に,綾部市は「日本初となる『世界連邦都市宣言』を行いました.」と大書していまだ今日まで自慢している倒錯がある.
まさにGHQによる「War Guilt Information Program」そのものではないか.

いわゆる「財閥解体」指令によって,グンゼも免れることができなかったから,市の産業保護政策が,グンゼを解体消滅からまもるためにゴマをすったのかもしれないと邪推する.
もちろん,綾部発祥の「大本教」という宗教もわすれてはならない.ちなみに,大本教が生まれたのは明治25年である.

さらなるトンチンカンは,商店街にいくつもはためく幟旗にみつけた.
縦書きに「ライバルは東京です」とある.
だれがこれを考案したのかしらないが,どうしてこうなるのか?
グンゼという世界企業があるから,ライバルが東京になるという理屈なのか?としても,解せない.

そもそも,東京への憧れじたいがそうとうに古くないか?
グンゼを産んだ綾部こそ,独自の価値感があるとする「世界連邦都市宣言」を貫けば,「ライバルは東京」などという陳腐な標語は発想の外のはずだから,この一言をひねりだしたのは東京のひとではないかとうたがうのだ.

つまり,「世界連邦都市宣言」というトンチンカンと,「ライバルは東京です」というトンチンカンで,トンチンカンの二乗になっている.
この証拠物件が,綾部グンゼ博物苑のなかにある,「あやべ特産館」という施設である.

あたかもグンゼ商品の展示即売場かとおもったらさにあらず,管理・運営は「綾部商工会議所」だから,内部は推して知るべしであって,じっさいそのとおりだった.
ということで,これでトンチンカンの三乗になったから,「惨状だ」とおもわず苦笑するしかない.
館内には,申し訳程度のグンゼ商品があって,あとは魅力に乏しい地元商品と他地域の商品の混在である.

グンゼにおんぶに抱っこしてもらいながら,じつは蹴飛ばして自己主張してはばからない.
「自然」「手作り」「ぬくもり」などのお決まり表現で,逆に商品の陳腐さを演出するのは,俳句の夏井いつき先生ならなんと評するものか?絶望的な「才能なし」だと言われるだろう.
この人たちは,ほんとうに商品を売りたい,とかんがえているのだろうか?

このセンスが,ほとんど全国の商工会議所・農協・漁協に蔓延している.
まるで,ソ連のコルホーズの印象になるのは,原点の発想を同じくしているからだろう.
そういえば,この光景,どこかで見たような?
それは、豊岡の「じばさん但馬」という一般財団法人但馬地域地場産業振興センターがやっているショップだ.

かんがえ方が狂うと,結果がちがう.
こんなことに気がつかないひとたちが,この国にはごまんといる.

いや,そうではない.
さいしょから,売りたい,とかんがえてはおらず,商品の展示をすれば補助金がもらえるのだ.
つまり,補助金がほしいのであって,地元のどーでもいい物品に興味はない.
だから,店番の半分お役人風情のひとたちは,つまらなそうにレジ前に立っているだけだ.

「じばさん但馬」では,観光客にとってどーでもいいローカルラジオのトークが大音量でラジカセから流れていた.
ブルガリアの首都ソフィアの目抜き通り一等地にある,かつての国営デパート「グム」をおもいだした.

もっともグムは商品も入居する商店すらなく広大な空間があるだけだが,消費者がほしい商品がないままに多数展示してあるだけなら,むしろなにもない方がいさぎよい.
グムはいちど入れば二度と行かないが,日本の公共的特産館は,なにかありそうだとしてかならず裏切られるから,たちがわるい.

グンゼのすばらしい展示がかすんで,トンチンカンだけが印象づけられた綾部であった.

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