多賀大社の御利益

古事記と日本書紀のさいしょの記述のちがいは、伊邪那岐命(イザナギのみこと)と伊邪那美命(イザナミのみこと)による日本列島をつくり出したあとの「神産み」で、さいごに火の神を産んだことで伊邪那美命の局部がやけどして、これが原因で黄泉の国にお隠れになったのを、けっして来るなという約束をやぶった伊邪那岐命が、ほうほうのていで逃れた場所にある。

古事記は近江の多賀で、日本書紀は淡路島になっている。

どうしてちがうのか?ということは、どうして古事記のあとに日本書紀が書かれ、これら両書とも今日まで保存されているのか?ということにも通じるから、よくよく調べてみることをおすすめしたい。
なお、古事記をもって最初とされているが、ぜんぜんちがう伝承(口伝)があって、これらはみな廃棄され、伝承を強制的に禁止したという説もある。

世界の「神話」研究でわかったことは、文字による伝承がもっとも脆弱であることだ。
古代エジプトの象形文字解読に重大な役割をしたロゼッタ・ストーンのような、同じ話を複数の言語で書いたものがないと、後世に「解読できない」のが文字の特徴なのである。
むしろ「口伝」による伝承の方が、正確に伝わるとかんがえるのが「神話」なのだ。

さて、多賀に降りたイザナギのみことが、その後どうしたかはわからない。
けれども、この地に多賀大社ができたのは「事実」なのである。
その社は、忽然としてあらわれるから不思議だ。

豊臣秀吉が参拝してうんぬんという逸話も、現代人にして秀吉との近親感を得るのは、その時間差が大社創建時からと秀吉から現代までの時間とで、はるかに長いのが創建時からの時間だからである。
エジプトのピラミッドをみると、クレオパトラやナポレオンの存在と現代人が近親感を得るのににている。
おそろしく古いものとは、そこに「あるだけ」で、人間がかってに意味をもたせるものなのだ。

そうした「意味」と、存在していることの「意味」とが一体にならずに分裂しているのが日本の観光地の特徴で、門前町の風情のなさは、単純に町の衰退をあらわすだけでなく、参拝客からの「掠奪」によってなん百年も喰ってきたという貧困の絵姿になっている。

すなわち、「まちづくり」という行為が、行政に依存して、とうとう「権利」と共存できないために、住民による破壊が果てなく続いた結果なのである。
そして、価値がその場だけにかぎられると分裂して信じるがゆえに、たとえば多賀大社なら、境内の内側における静寂と、門前町の歯抜けがより鮮明なイメージとして参拝客の記憶にのこることが、ぜんぜんわかっていないのだろう。

ときに「強制」がよい結果をつくるのはヨーロッパ人の常識で、「グランド・デザイン」という価値を追求すれば、おのずと地価も上がることをしっている。
かつての日本人の歴史的支配者がもっていたはずの「グランド・デザイン(町割り)」が、現代人にない、ということこそ、都市衰退の原因なのである。

都市計画の「なまやさしさ」は、東京の旧汐留駅再開発にあたって、おなじ国鉄駅敷地再開発に取り組んでいたドイツ・ケルンを訪問した都の職員がみせたグランド・デザインに、ケルン市役所の職員からきっぱりと「これをわたしたちは都市計画とはいいません」といわれたが、その計画どおりに再開発したのがいまの汐留地区である。
日本の役人は、海外出張の成果を発揮しないなら、自腹で出張すべきである。

彦根城の天守からみえる街並みが、西の方向に特徴あるスカイラインでおなじ色の瓦屋根の連続をみることができることで、町割りが「保存」されていることがわかる。
こうした街並みが、天守に上がれたことの価値をつくっている。
かつての城主たちは、この景色からさまざまなことを想像したにちがいなく、現代人とてもおなじ感覚になれるのは、ひとつのよきことにちがいない。

しかし、残念なことに、彦根城にこの街並みの解説がないのである。
城の保存だけをすればいいとかんがえる「分裂」の症状が、ここにもある。

日本神話における「アダムとイブ」は、聖書の創世記でいう宇宙と地球誕生を命じた「神」の一週間にわたる仕事を、二人で実行する。
そのため、多賀大社は夫婦の神をまつっている。
はたして、この周辺の人々の離婚率は低いのかはしらないが、縁結び、ということにたけてはわが国一番のはずである。

東京の帝国ホテルが、わが国で最初のホテル婚礼をはじめたという「歴史」がある。
宗教をそのときの目的にそって選ぶのが、日本人の特徴ではあるが、最初のホテル婚礼は「神式」にかぎられていた。
信者でもないのにキリスト教式の婚礼をあげるのは、おそらく日本人だけではあろうが。

その帝国ホテルの神式場の主神は、多賀大社の分祀なのである。
まいねん、担当者が多賀大社に出張して、ご神体をあたらしくしている。

もう29年前になるが、わたしたち夫婦も帝国ホテルの神式場で挙式した。

これはこれで、御利益があった、ということだ。
そんなわけで、今回の参拝はお礼参りでもあった。

記念にもとめた夫婦守りは、わが家で鎮座ましますことになる。

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