屋上屋の政府統計官資格創設の姑息

「国家統計」の信憑性が疑われた一連の不祥事対策として、やっぱりでてきたのが、統計にかかわる役人に、統計専門家の資格(「統計データアナリスト」)を持たせる、という手前味噌な方法だ。
政治が機能しない、わが国の絶望が、またひとつ露わになった。

もちろん、かたちのうえでは、「関係閣僚」で構成される「統計改革推進会議」で決定するというから、政治が決めたことにしてはいる。

人間社会には、社会的地位という架空の立場があるけれど、この架空の立場が「架空である」あるいは「仮のすがた」ということを忘れてしまうと、あたりまえだが本末転倒が起きるものだ。

たとえば、国会議員として活きのいい発言をしていたひとが、入閣して大臣や政務官になると、とたんにトーンダウンすることがあるが、これは「公職に就いた」から、めったなことはいえない、という「常識」がはたらくかららしい。

しかし、国会議員そのものが「公職」なのであって、国民からすれば「何をか言わんや」というはなしになる。
あげあし取りの野党や報道機関に、おかしい、といえないのは、その背後の国民を信頼していないからだ。

「無職」のときに積極的発言をしていて、それが妥当だから、入閣するように要請されたのであるから、よりはっきりと自らの政見を述べるのが本来の「立場」であろう。
これが、逆転するのが「常識」とは、いかにも日本的だ、といいたくない。

役人に対して政治家が存在する理由は、「ビジョンの提示」なのである。
それにしたがって、「行政」をするのが「行政府」のはずが、「ビジョン実現の方法」を役人がかんがえる立場になっているから、おかしくなるのである。

政党政治が日本で機能しないのは、政党内に「ビジョン実現の方法」をかんがえる事務局が存在せず、議会内にも議員を輔佐する事務局が存在しないためだ。
これでは、行政府が一方的に肥大化するのは当然である。

けっきょく、「統計改革推進会議」というのはなにを議論してきて、どんな「ビジョンの提示」をしたのか?
おそらく、役人に「丸投げ」したのだろう。
であればこその「結論」ではないか。

そもそも、各省庁で重複するような「統計」だってある。
本来は、総務省「統計局」が政府統計をすべて統括すべきなのだろうが、例によって各役所が自前の仕事を手放さないにちがいない。
各役所からでてきた役人だけで「会議」をするから、こうなる。

それで、飲み屋の注文のように「とりあえず」、総務省統計局の「権威」をつかって、役人と民間両方に開放する「資格」をつくって、この資格保持者に統計をあつかわせれば、不正がなくなる、ということにした。

そもそも、どうして「不正」が「継続的に」何年もおこなわれていたのか?
数年で異動するキャリア「上司」による指示はなかったのか?
あるいは、キャリアに忖度する部下はいなかったのか?

いわゆる「官僚=キャリア」とよばれる上級試験合格者と、「幹部」とよばれる「中級試験合格者」、それを現場でささえる「初級試験合格者」とによって役所の組織は構成されている。

どちらの役所も似たようなものだが、たとえば財務省に入省すれば、20代後半で県を代表する税務署長に就任するし、警察庁なら、どこかの県警に派遣されて、巡査から交番勤務をしたとしても、半年で警部補になる。

このくらいのスピードでなければ、本省の局長以上になるための「階段」つまり「キャリア形成」が間に合わないのである。

そんな事情をかんがえれば、いったいこの「資格」とは、どのような位置づけなのか?
さらに、民間人でもこの資格保持者なら各省庁に新設される「統計監理官」のポストに起用するという。

まさに現代の「令外の官」だ。
わが国は、平安時代とおなじ発想で運営されている。

国家統計が信用できない、というのは、近代国家として由々しき問題ではあるが、「縦割りの弊害」もあいかわらずである。

すでに「貧困率」で、先進国二位になったわが国では、「貧困」の実態がわかる調査として、3年に一回の国民生活基礎調査(厚労省)と、5年に一回の全国消費実態調査(総務省)のデータを「加工」しないとわからない、と専門家が指摘している。

ようは、なにを知りたい。
が欠如していて、それでどうする?
も、曖昧なのである。

やっぱり「ビジョンの提示」がないことが原因だろう。
おそるべきことである。

政治の「貧困」が、国民生活を「貧困化」させているのだが、だからといって「金をくれ」といいたいのではない。

むしろ、国家の統計データがぜんぜん信用できない国が、高度経済成長を遂げたように、かえって国家の介入がなかったことが結果オーライをつくった。
国営企業群の不振がいっそう顕著なのは、国家の介入のおかげである。

民間は、国家に依存してはならないけれど、国家は、民間の役に立つ情報提供が義務なのだ。
わが国の凋落は、国家が、経済や国民生活に直接介入したがるだけでなく、現実に介入するからである。

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