教育勅語を否定したら

否定するだけ否定したのはいいけれど、それに代わる「柱」をかんがえられなかったら、とうとう本体の「教育」が溶け出した。

予定どおりである。

みごとな「腐食」。
これまでいろいろペンキを塗ってはきたが、もう間に合わない。
そろそろ建て替えをしないといけないけれど、こんどは「国家百年の計」がわからなくなっていたことに気がついた。

これを「末期症状」という。

お正月、初詣でもっとも参拝客が賑わうのは「明治神宮」である。
もちろん、明治天皇と昭憲皇太后(~大正3年)をお祀りしているのだから、できたのは明治ではなく大正9年11月1日である。
ちょうどいまから99年前のことで、来年は百周年だ。

神社としては、あたらしい。
いまはファッションの街となった「表参道」だって、読んで字のごとく明治神宮参拝のための参道だ。

「天皇制」なることばも、あたらしくできた「左翼用語」だったものがふつうに浸透して、一般国民の脳を腐食させている。
「立憲」をなのる政党が野党第一党ということになってはいるが、このひとたちも「天皇制」といい、「立憲君主制」とは口が裂けてもいわないのである。

わざと「ねじれ」をつくっている。

「保守」を標榜していたはずの政権第一党も、いつのまにか左傾してしまったから、教育勅語にだって厳しい態度をとるのが「正式」になっている。

圧倒的多数で、なにを畏れているのか?
ひょっとして、政権第二党のことなのか?

明治神宮HPにある『教育勅語現代語訳』を以下に転載する。

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~

これが、いま、日本国民がその題名「教育勅語」と聴いただけで拒絶反応し、忌み嫌うようになっている文章の全文である。

おそるべき「パブロフの犬」状態ではないか?

しかして、だれも『五箇条の御誓文』は批判しない。
いうとすれば、『御誓文』なのか『誓文』なのかの議論があって、後者を正規とする主張が、教育関係者のなかでは通っているらしい。

なにがあっても、皇室や天皇を見下したい。
それこそが、主権在民だということなのだろう。
そして、こんな程度の議論を延々とやるひとたちが「護憲」を叫びながら、第一条を無視して恥じないのである。

つまり、論理をよそおった「情緒の発散」であって、まさにひとつの「宗教」をなしている。

学校の不祥事はたいがいが生徒の非行だったものが、とうとう教師たちの不祥事となりはてた。
成長期の子どもたちの価値観を溶解する役目を、学校がおこなう倒錯が現実となった。

これは、「革命」である。

一昨日、27日投票の参議院埼玉補選の投票率は「20.81%」。
有権者の5人にひとりしか投票しないで、選挙が成立していいものか?「主権」を放棄しておいて何様か?
すくなくても、埼玉県人は、参議院での議論に文句をいってはならない。

さまざまな議論はあるものの、本来ならば「罰則つき義務投票制」を導入してもいいくらいだ。
これをやらない理由とはなにか?

適切な候補者がいないこと。
適切な政党が存在しないこと。

どうしてこうなったのか?をかんがえれば、国民の共通基盤をなす価値観が、教育勅語の否定によってなくなってしまったからである。
けっして、価値の多様化ではすまされない、ひととしての根幹が問われているのだ。

いまさら教育勅語を復活させることもできないのは、革命勢力の間違いない「成果」である。

わが国は左旋回しながら、落ちるところまで落ちるしかなく、とうとうそのルートにのって、落ちだしたのである。
この国は、物理法則が効く体制となった。

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