自治会と自治体

むかしながらの「町内会」のことを,あたらしく開発された住宅地だと「自治会」という.もちろん,現代的立体長屋である団地やマンションも,「自治会」がある.
「自治会」は,「任意団体」だから,入会も任意だし,規約も任意である.
それで,入会したくない,といったらご近所からゴミ出し禁止や回覧板からはずされたりしていじめられる.

たまらんと訴えたら,最高裁が「任意」だと決めてくれた.
だから,自治会に入らなくてもいいし,いじめはいけないということになった.
それでは,会費だけ取られてバカバカしいから自治会になんか入らない,というひとも確実にふえているらしい.

ところが,定年して自治会なんてぜんぜん興味なかったひとが,あんまりヒマでやることなくて,自治会に集まってくる,という現象もある.
それで,むかしからの面倒なしきたりが改善されることもあるから,あんがい結構なことである.
じっさいに,自治会の役員というボランティアをやると,役所がぐっと近くなる.

もちろん,役所から近づいてくるのではない.
動くのは自治会の役員の方である.
こまごまとしたことが,とにかくたくさんあるものだ.
どうしてここまで住民のボランティアがいるのか?とさえ思うことがある.

もっといえば,自治会がないと暮らしにくい.
さすれば,自治会活動こそが自治体の重要な活動だとわかる.
ところが,すでに役員が高齢化しているから,回覧板のデジタル化なんてできっこない.
会費の徴収も,自動引落ができないから,相変わらず各戸をまわって現金で集金する.
それで,金銭トラブルになる自治会があとを絶たない.

これらの困ったをどうやって解決しようかとかんがえれば,役所の仕事が肥大化して,自治会を支えることとは別のしごとにずいぶんな資源が使われていると気づく.
あきらかに,パーキンソンの法則が有効になってしまっている.

これからの人口減少で,いかに役所のしごとを減らすか?ではなく,役所のしごととはなにか?から見直さないと,通常生活が厳しくなるだろう.
まっさきに,産業政策にかかわる部署は廃止して,資源の組換えにつかうとよいだろう.
商工会があれば十分.経済活動にとって,役所のからみこそ,邪魔でこそあれ役に立たないものはない.

ちなみに,商工会に農業者をいれないのは,幕府による「士農工商」の伝統でもあるのか?
「農商工会」にすればスッキリするのではないか?
そうすれば,日本型「コルホーズ」である「農協」から逃げてこられる可能性もある.
農業と商業・工業のつながりが,ないことのほうがおかしい.

住民は生活者であるのだから,地元の「農商工会」の活動が,自治会の活動とリンクすることで,より「地元」を理解できるようになる.
組合員に逃げられてはたまらんと,「農協」もなにかをはじめるだろうから,役所が余計な介入をしなければ,いいことずくめだ.

70年代に,東京の中野区役所が当時として画期的なシステムを運用した.
戸籍係の窓口番号が,ぜんぶ「1」番になった.
戸籍にかかわる手続きなら,どの窓口でも全部できるようにした.
これで,謄本も,印鑑証明も,転入も転出も,学校の転入学も転退学も,一箇所に一回並べばすむようになった.

これらの手続きが,番号で振り分けられていて,それぞれに並ばなければならなかった当時,全国の自治体から見学にやってきたというはなしがある.
住民からすれば,下手をすると,半日しごとになっていた.最悪なのは,順番待ちでお昼になると,容赦なく一斉に昼休みになったから,追加で一時間のムダもうまれた.それで食堂にいけば,フライングの職員の最後尾に並んでまた待たされた.

このときのシステム設計思想は,「なぜ住民は役所にやってくるのか?」ということからかんがえたのだった.
もちろん,この問いのこたえは,「そこに住人がいるから」である.

つまり,住人からの目線でシステム設計をしたら,ぜんぶ「1」番窓口になったのだ.
すると,全国の役所が見学にきたのは,それまでが,「役所の効率」という目線でシステム設計されていた,ということの証左でもある.
さらに,大挙して見学にはきたものの,中野区のシステムを真似た自治体は,しばらくの間この国のどこにもなかったのである.

住みやすい町は,自治会が最小単位になるから,自治会にとってのハッピーという目線がなければ,じつは自治体が自治体である必要をうしなう.
すると,おどろくほどのムダが見えててくる.

ヨーロッパの地方議会には,議員は無報酬,議会の開催は金曜夜8時からというところがふつうにある.
これは,そのへんのどこにでもある町内会・自治会の役員会に似ているではないか.
原点回帰という問題が,突きつけられている.

経営も,原点回帰レベルでの見直し作業が,おもわぬ発見をみちびくことがある.
数年に一回つくる,経営ビジョンなどは,まさにそのための手法である.
成功と失敗の分岐点に,誰のため?という自問があるのだ.

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