よけいな政府の景気判断

景気を「判断」して経営をするのは、民間だから、政府は正確な統計データの提供という「行政」を、粛々とすればいい。

日本政府という「開発独裁」のDNAをもった組織は、なにかとしゃしゃり出ることがだいすきで、「経済主体」は政府だとおもいこんでいるふしがある。
このとてつもない勘違いを、だれも正すことができない。

これは、裏返せば民間が政府の景気判断に「依存」している実態が、おかしいということである。
つまり、日本の経営者は、経営者の役割をじぶんで果たそうとせず、政府にゆだねてしまっているのだ。

だから、政府の勘違いを正すどころか、むしろ民間がいきすぎた政府機能の「維持」を要望してしまっている。
むずかしくてわからないなら、民間のシンクタンクが提供する情報をつかえばいい。

民間のシンクタンクが、特定会員向けとして、詳細情報を有料にしても、それを買えばすむのである。
そうすれば、政府の情報は必要なくなって、役人を民間に振り替えることもできるから、税負担も軽くなると思考すべきだ。

民間のシンクタンクはいくつもあるから、ちゃんと当たるところに人気があつまるだろう。
読みがはずれるシンクタンクには、淘汰の波がやってくる。
これは、有料になればなおさらだから、ただしい競争原理がはたらく。

いまは、民間のシンクタンクまで、政府の動向次第というエクスキューズがあって、業界のどちらさまも「救われている」から、競争にならない。
民間を見下す政府と、政府に依存したシンクタンクという、中途半端のダブルパンチで、救われないのは、おおくの民間企業なのである。

つまり、みごとなピラミッド型になっていて、政府を頂点に中間を民間のシンクタンク、そして最下層が民間企業群になっている。
その民間企業群のなかで、さらに大企業と中小企業、その下に零細企業と個人事業主がいる。

以上は、景気判断という「情報リテラシー」のことである。
けれども本当は、零細企業と個人事業主が、もっとも景気に敏感である。
だから、このピラミッド型は、ひっくり返したほうがただしい。
ところが、社会も政府も、そんな「転覆」はみとめない。

政府はなんでもしっている、ことにしないといけないとおもいこんでいるからである。
まさに、ここに「ソ連型社会」が垣間見えるというものだ。

そんなことだから、「実体経済の構造」とほとんどおなじにすることにしている。
ここでいう「実態」とは、人為的につくるものになっている。

さて、このピラミッド型にある民間のシンクタンクの位置には、金融機関もふくまれる。
それは、おおくの国内シンクタンクは、金融機関系だとおもえば納得できるだろう。

国内金融機関の能力が国際的に低く保たれているのは、系列シンクタンクの政府依存でもよくわかる。
政府の発表を「分析」すれば、ことたりるようなシンクタンクを、シンクタンクというひとは世界にいない。

国民にとって理想的な「行政」とは、どにいっても「おなじ」サービスをえられることだから、「機械的な行政」がもっとものぞましい。

しかし、日本国政府という行政機関は、法の下にある「施行令」、「省令」、「施行規則」、「通達」、「告示」といった、さまざまな手法で、役人が恣意的に命令できる権限をもっている。

だから、ぜんぜん「機械的な行政」ではない。
いったん「発令」されたら、機械的に世の中が「発令どおり」になる、という意味で「機械的」なのであって、意味がまったくちがう。
こんな「機械的な行政」を、この国では「法治主義」といっている。

しかし、こうした「法治主義」が、通じなかったのは、たとえば「原発事故」で、「法令」によって「安全が確保されている」ということが、現実の物理世界では歯が立たないどころか、イソップの寓話のようなことが現実になってしまった。

処理におカネがいくらかかるのかもわからない状態で、「兆円単位」の議論がされているが、この議論には「期間」すらも不明のままなのだ。
だから、われわれ日本人が、いったいいつまで、いくらの負担を背負っていかなければならないのかがわからない。

こうして、原発事故処理は「他人ごと」になっている。
それを意図してかしらないが、「安全が確認された原発」として、国内どころか外国にも輸出しようとして、こないだは英国で日立が大損を計上した。

勉強しすぎておつむのネジが数本どころかほとんど崩壊しているのではないかとおもわれる「頭脳」をもって、「判断」しているというのは、わるい冗談だとすますことができない。

政府は、機械的『に』行政をするのではなくて、機械的『な』行政をすべきだ。
だから、役所の統計不正は、根幹にあたる重要な問題なのである。

これは、機械的『に』行政をやりたくて、都合のよい統計結果を欲するという、統計学の初歩で最大注意される、よくある「誘惑」なのだ。

政府が景気判断をして、その結果、実体経済に政府がコミットすることが「あたりまえ」だとする20世紀型の発想をつづければ、政府は政府に都合がよい「統計」を発表するようになる。
それは、実体経済を歪めるという、まったくもっての「猛毒」が社会にまかれることにひとしい。

もし、政府の景気判断が「必要」だというのなら、それは、じぶんで判断力をうしなってなお、きがつかない「麻薬中毒」である。

規制緩和をぜんぜん進めない政府にして、政府機能の縮小はもはや望むべくもないのか?
それは、国民が麻薬中毒になったことの証拠でもある。

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