帰りの駅弁考

JR秋田駅。
城下町だった地方都市の典型で、駅が中心部の外にある。
そうかんがえると、城下町をつくった大名たちの都市計画は、鉄道をつくった政府の都市計画の上をいく。
それが悔しかったのか、たいがい城を破壊して県庁にしているものだ。

その典型の変形が秋田市で、県庁も市役所も、城址とは別の場所に隣接して建っている。
全国のどちらも地方最大の産業が、「お役所」になっているから、衰退はまぬがれない。

お役所産業が、全産業を支配して命令し、その見返りが補助金を与えるやり方だからだ。
タコがじぶんの脚を喰らう姿になっている。
だから、役所ががんばればがんばるほど、その地方は衰退する。

秋田県のイメージが全国的に悪化したのは、秋田杉をつかった住宅の販売だった。
県の公社が売ったものが「欠陥住宅」で、訴訟となって広がった。
おそれをなした県は、公社を切り捨てて逃げたから、より一層の「悪質さ」が知れ渡ったのであった。

けれども、秋田県は「教育県」である。
小中学生の学力は全国一。
なのにそれからは、急速に減速して伸び悩むことがしられている。
どうしてなのか?どなたかおしえてほしい。

県立大学は、ふたつあって、「秋田県立大学」と「国際教養大学」。
どちらも「優秀」。秋田県人比率はいかほどか?
国際教養大学は、悪名高い偏差値で東大を抜き去っている。
そんなことから、国立の秋田大学が妙に地味だが、こちらは「国内唯一」の鉱物学を中心にした「国際資源学部」がある。

鉱物学で有名なのは、アメリカのスタンフォード大学である。
こちらの卒業生には、大恐慌のときの大統領だったハーバート・フーバーがいる。
彼は、入学を一度断られたが、個人教授で猛勉強の末に入学したという逸話がある。

日本の「入試制度」は、世界的には珍しいものだ。

スタンフォード大学は、鉱物資源の学問的成果だけで有名なのではなく、鉱物資源によってどうやって「儲けるか」までをカリキュラムにおいている。
実際、これで、彼は若くして財をなす。

さらに、コロンビア大学から『アメリカ史上二人の偉大な技術者』として表彰されたひとりで、もうひとりはトーマス・エジソンである。
フーバーの表彰理由は「工業の規格化」であった。
「規格化」こそが、現代生活をささえる工業の真髄である。

そんなことをおもいながら、秋田駅に着いた。
帰宅予定は5時間後だから、夜の10時をまわる。
つまるところ、駅弁を買わないと空腹になること確実だ。
けれども、やっぱり出発時刻までの時間がすくない。

秋田駅は立派な売り場をかまえるビルと連結している。
それでまず、こちらに飛びこんだが、土産物はあっても「弁当」がない。
どうなっているのか?

それで、ここを出て通路を改札横まで移動したら、「駅弁」の看板をみつけた。
なんだ、やっぱりあるじゃないか。
ところが、店内には土産品がたくさんあって、どこに駅弁があるのかわからない。

一周してみたら、ちいさな手書きのポップで、駅弁は店内奥の左側にあります、と書いてある。
どこだ?
すると、仕切りのない「待合室」側に向けた冷蔵ケースがあった。

なので、店内側からだと「裏側」になっていて、そのまま手にすることができない。
待合室の椅子の裏にまわってみたら、なんと残り二個しかない。
はたして、早い者勝ちである。

出発時刻20分前に、無事駅弁をゲットした。
残り一個だ。
お店のひとは、補充する様子がぜんぜんないから、タッチの差での争奪戦になるのだろう。

しかし、この待合室の先に、コンビニがある。
どんな弁当があるのか?余裕があるこころで見にいった。
すると、いつものおにぎりとサンドウィッチが置いてあった。

せっかく秋田にきて、帰りの一食がこれでいいのか?
あぶないところであった。
なにせ、新幹線だけでも東京まで4時間も乗るのだ。

そして出発すれば、例の放送である。
ワゴンサービスはあっても弁当の販売はない、と。
「みなさま、どうぞご利用くださいませ」が白々しい。
このアナウンスをさせられる従業員が気の毒だ。

きっと、汚い言葉をあびせられることもあるだろう。
なにせ、腹が減ってしまっていれば、冷静さをうしなうこともある。

それでもJR東日本は動じない。
へんてこな「規格」が社内にあるにちがいないのは、嫌がらせが得意なひとたちが経営しているにちがいないからだ。

秋田にある大学をでたひとたちではないはずだ。
すると、思い浮かぶのは、やっぱりこの鉄道会社の幹部たちは、鉄道をつかって移動なんてしておらず、「社用車」の後部座席にふんぞりかえっているにちがいない。

自分がこのシチュエーションにおかれたら、一体なにを感じるものか?
人間ならおなじだろう。
すると、社用車にのっているひとたちは、乗客のシチュエーションを「想像もできない」のだと告白しているも同然だ。

こんなひとたちなら、秋田の弁当屋にも、小数発注しかしない。
あまった弁当が、「コスト増」になるとだけかんがえているのだろう。

秋田新幹線は全席指定である。
当日の販売数のデータから、どのくらいの需要があるかを予測できないことも告白している。

弁当屋がわるいのではない。
鉄道会社に愚か者がたくさんいるということである。

ここに宿でのビジネスチャンスもひそんでいる。
朝、荷物を預かって、弁当の注文をとればいい。
駅であわてることがなくなるのは「ざまー」である。

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