強欲な役人がカジノを逃がした

世界的なコロナ禍にあって、アメリカはラスベガスにある世界最大のカジノ業者が日本進出を断念すると発表したのは5月、続いて8月にも別のアメリカの事業者がつくった日本駐在事務所を閉鎖した。
これで、残る候補事業者は、中華系だけになっている。

「カジノ反対」を掲げる住民団体にとっては、まさに「コロナ福」となっている。

また、横浜市では、住民投票をもとめる「カジノの是非を決める横浜市民の会」や、市長リコールの「一人から始めるリコール運動」の二系統で「阻止」をはかっている。

住民投票をもとめるハードルとしての必要署名数は約6.3万筆で、市長リコールだと約50万筆を必要とする。

あつめた筆が目標を達成すると、住民投票なら市議会で審議され、可決をもって住民投票となる。ただし、住民投票での「反対」が多数でも、結果についての「法的拘束力の有無」が問題になって、結局は「政治決着」というシナリオになっている。法的拘束力が「ない」からである。

一方リコールだと、市の選挙管理委員会が行う投票となって、こちらは「賛成多数」となれば、市長のリコールは成立する。
リコール運動の主旨が、「カジノ反対」だから、それで市長を失職させれば、市はカジノを断念するはずだ、という論法である。

だから、迫力があるのはリコールで、なんだか妥協的(やることに意義がある)運動なのが住民投票請求なのである。
それにしても、横浜生まれ横浜育ちのわたしの記憶には、物心がついて以来、「市長リコール」とか「住民投票請求」という事態は初めてであるとおもう。

この点で、横浜市民も民主主義の制度を活用してこれを実行しようというのだから、なかなかなものである。
しかし、一方で、市長の「カジノ推進」に賛同するひとたちが、沈黙しているのが気になる。

そんななか、つい先日、市長が「カジノ見直し」を発言した。
まるでリコールに怯えたかのようだけど、カジノ誘致のための「予算」が足らないらしい。

市当局の説明によると、現時点で来年度に970億円の収支不足が見込まれているという。
これは、コロナの影響で、特に法人市民税が大幅に落ち込んで、市税収入全体が本年度当初比460億円減と、戦後最大の減収額になる見通しだと発表があった。

これに、以前書いた個人市民税が「ふるさと納税」に流れていることもボディーブローのように効いているはずである。
それで、従来組まれた予算の内、住民直結のサービスを除いて、その他の予算をすべて「見直す」ことの必要性が生じた。

まったく情けない姿を横浜市(役所)は、さらしている。

卵と鶏の順番のような議論だけれど、情けない横浜市(役所)のために、納税なんかするものかとかんがえた横浜市民が、ここぞと「お得」なふるさと納税に飛びついて集団乞食になったのが先か?それとも、市民が集団乞食になったから横浜市(役所)が困窮したのか?

お役人には残念ながら、横浜市民にだって記憶力はふつうにある。
社会党の牙城だった横浜市は、飛鳥田一雄氏の長期政権で開港以来の本社を東京に転出されてから、上場企業の本社が皆無になった。
これに、経済成長に乗った行政の肥大化で余計な業務が拡大したのである。

その証拠が、巨大な市役所を必要とする。
役所の巨大な面積は、「ムダ」の集合体なのだから、本当は「恥の巨塔」なのである。

歴代市長の熱心な箱物づくりとバブル崩壊で、市財政も傾いた。
この緊急事態に対処したのが、若き中田宏市長だったのに、へんなことから退任してしまって、信頼度が地に落ちた。

女性だからという理由をかんがえたことはないけれど、いまの市長の経歴にある民間大企業で役員をはれたのは、「女性だから」という理由ではなかったかと疑うのは、残念だけれどその「無能さ」が顕著だからである。
経営者としての力量も、政治家としての力量も、微塵もみえてこない。

その意味で、最近の「無表情」がお気の毒なのである。

さて、カジノの話にもどろう。
わが国で「カジノ」が営業できるのは、「カジノ法」ができたからである。
ところが、この法律は、いつものように「細則」が決まっていない。
「いつも」、というのは戦前からの伝統をいう。
「国家総動員法」のやり方と同じだとは、前に書いた。

しかしながら、外国の企業には何が何だかわからない、ローカルな「やり方」にうつったにちがいない。
カジノからの「あがり(ピンハネ)」がいくらかは、国家と誘致した自治体とで「折半」するとは「法」に書いてある。

けれども、それが「いかほどか?」は、「細則」に書くことになっている。
「細則」とは、「法令」の「令」にあたるもの(政令、省令、条例)から、「通達」まである。

「法」は国会、「条例」は地方議会が決めるけど、その他は役人が作文する。
これが「当然」とされるのは、アメリカ人には「文化のちがい」ではすまされない。どこに民主主義があるものか?

広く国民が負担する「有料が義務化されたレジ袋」は、「省令」でやったのだ。
少なくても、国会で「法」として決めるのがアメリカ人の常識だろう。そして、次の選挙での投票行動のために「賛成した議員の名前」を覚えておくのだ。

今年1月7日にできた「カジノ管理委員会」は、「3割(国と自治体あわせて)」と、「入場料」それに、カジノ管理委員会の「経費」もピンハネすると要求しているのである。
しかも、この比率や額は将来にわたって「固定」ではなくて、いつどういう理由で変更されるかわからないから、投資家には「リスク」でしかない。

そんなわけで、勝手な皮算用をしていたら、管理委員会の発足4ヶ月後に肝心の事業者に逃げられた、というお粗末である。
アメリカ人には、わが国「カジノ行政」の複雑な仕組みが、ぜんぶセルフ・コントロール不能の「リスク」にみえたはずである。

「コロナ禍」を撤退の理由にできたのは、事業者にとっては「コロナ福」にもなった。
「うまい逃げ口上」だ。

だから、「カジノ阻止」にもっとも有効な方法は、国の管理のより複雑なやり方と委員会経費の肥大化、そして国と自治体のピンハネ分をもっと増額させればよいのである。
そうすれば、世界のカジノ事業者のだれもが見向きもしない「誘致条件」となるからである。

社会主義計画経済が、直接資本投資を逃す、という教科書通りがここにある。

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