新幹線は「エコ」ではない

「エコノミー」といえば、経済性があるという意味だ。
やっかいなのが「エコロジー」で、ほんらいは「生態系」のことだった。
紀州が生んだ大天才「南方熊楠」が考案し、そのまま「英語」になったともいう。

熊楠は、明治政府による「神社合祀」への反対運動がきっかけで、いわゆる「鎮守の森」の保護を訴えた。森の保護が海の保護につながると、さいしょに主張したひとだった。
和歌山県田辺市にある無人島「神島」の自然保護に尽力したのは有名で、いまでは立ち入り禁止の島を訪問した、植物学者でもあった昭和天皇の歌碑がある。

特定の人物の名前を御製歌にこめる、ということは、「お立場上」めったにないが、昭和天皇には「熊楠」をうたったものが二首もある。
この歌碑は、そのうちのひとつが刻まれているが、立ち入り禁止だから一般人の目に触れることはない。「神島保護」の成果を褒めたものだ。

とにかく、いまだにあらわれない「大天才」だから、なにをしてもすごいひとで、森羅万象につうじたといっても大袈裟ではない。
最後に、その意味が不明な「南方曼荼羅」を書いて、壮大な宇宙空間に思考がおよんだのであった。

 

しかして、熊楠は科学者であった。
ここが彼の一大特徴なのである。
科学と民俗学、はては、、、と続くから、なに学者といえない。
それで、「知の巨人」というしかないのだ。

日本が「貧しく」なったのは、経済でいうGDPが減ったからということもあるが、精神が貧しくなってしまったのが、もっとも痛い。
経済性をこえて「コスパ」という価値観を最重視しているうちに、経済が傷んでしまったのである。

そして、「エコ」が「エコノミー」のことか、「エコロジー」のことかの区別がつかなくなったから、なんだか「環境問題」への対応が、重要な価値観に変化してしまった。
つまり、「勘違い」である。

一国の社会全体が「勘違い」を起こしても、ふつうは他国との比較から修正が効くものであるが、他国の情報を操作すれば、修正しようということにならない。
つまり、「情報鎖国」が「勘違い」を醸成するのである。

けれども、ふつうは自国の「科学者」が、科学的なアプローチからの「常識」をもって警鐘をならす。
それが「科学者の良心」というものだが、研究費を文科省が独占的に配分するために、「良心」がお金に買われてしまった。

こうして、「御用学者」があらゆる分野でほとんどになったから、多数決で対抗できない。
逆らうと「学会」から追放されて、さらなる研究費が枯渇するようになっている。

文科省の役人は、「学会」を予算配分の道具にしているからである。
そして、文科省が認定した「学会」しか、「学会」と呼称させない。
「認定」するから、わずかでも学会にだって予算が配分されるのである。

役所の縦割りは、いつだって問題になるけれど、役人は学業で優秀だったから、ここ一番になると役所を横断する「関連会議」をつくる。
そうして、関係しそうな役所の役人がぜんぶあつまって、ずる賢い相談をするのである。

なにが「ずる賢い」のかといえば、じぶんの役所の利益になる相談だからだ。
つまり、あつまったすべての役所に利益があるように「調整」するのであって、国民向けの大義も名分もあとから適当にもっともらしくつけるのである。これを「作文」という。

いまや東京から大阪にいくのに、新幹線より飛行機のほうが運賃が安い。
新幹線の料金体系で、何千キロもの距離を移動しようとしたら、とてつもない金額になる。絶対的に、飛行機のほうが安いのだ。

どうしてこうなるのか?

「活動家」の女の子や、アメリカの下院議員のこれまたなぜか女性は、飛行機は「エコじゃない」といって、「乗らない」ばかりか「廃止」をうったえている。

ハイブリッド車や電気自動車が「エコ」だというのは、「走っているときだけ」をいう。
日本の役人も、太陽光発電が「エコ」だというが、これも「発電しているときだけ」をいっているから、物理原理にしたがって、システム全体で「破たん」したのである。

完成車検査で大目玉をくらった自動車会社は、その「太陽光発電」でつくった電気を電気自動車の充電につかうから、こんな「エコ」はないというけれど、いったいいくらの投資がひつようなのか?

10万キロも乗らないで「廃車」にしようものなら、その「ムダ」は、ただ消費者が負担するので、なんのことはない「売り逃げ」だ。
これを推進すると、経済が豊かになると役人はいうが、どんな計算をしているのだろう?計算式が間違っているにちがいない。

産業優先で、売った側が豊かになっても、買った側が貧乏になれば、結局国民の購買力が衰える。
どんどん無駄遣いをしましょう、とケインズ理論を国民に押しつけるのはまともではない。

全部でどうなっているのか?を俯瞰してみれば、ダムが「エコじゃない」のと同様に、あんがい新幹線も「エコじゃない」ことがわかる。
だから、「高額」な料金になるのである。
ただし、その分の「便利さ」に利用客はお金をだしているのである。

鉄道は、「鉄の道」を「全線にわたって」つくらなければならない。
盛り土と高架だけでなく、鉄橋やトンネルがひつようで、できたらできたで「保線」をしないといけない。
これらの材料資源は、自然にあるものを加工しないとつかえない。

JRが新幹線によって、暴利ではなく「適正な利益」をあげているなら、いまの値段が飛行機よりも高いのは、当然なのである。

アメリカ大陸の、大陸横断鉄道が飛行機にとってかわられたのも、「エコノミー」だからだった。
そして、結果的に「エコロジー」でもあるのだ。

「部分だけ」でみると、おおきな間違いをする。
これをみんなで黙っているのは、役人の都合に「忖度」しているからだ。

新幹線があたかも「エコ」で、レジ袋を有料化するのも、行政指定ゴミ袋を強制するのも「エコ」じゃなく、役人の「エゴ」である。

自主的に「言論統制」がおこなわれている。

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