楽して稼ぐのがきらい?

わざわざ面倒な方法をえらぶことがある.「道」の追求という「純化」がだいすきな国民なのだ.
柔道や剣道とおなじく,無意識に「仕事道」をつくってしまう.それも,自社にしか通じない「道」だから、あんがい同業他社で通用しない.それで,役人が決めた「士業」である「資格」をほしがるようになる.

ほんとうはサボるのがだいすきだ

その役人が,どんな職業人生をおくってきたがわかるところがある.「シルバー人材センター」だ.
ひとりでできる仕事を五人でうけもつ.これが,時給が低いほんとうの理由なのだが,「シルバーだから体力的に無理ができない」と敬老っぽい言いかたをして,これまた役所がおせっかいしてきめている.
元役人が,シルバーとして有利(楽で時給がいい)な職場は,ちゃんと役所が優先的に斡旋してくれるから,ここでも民間人の仕事を奪っている.
感心するのは,とてつもなく閑な業務に,元役人たちは耐えられるだけでなく,むしろそれを楽しむ精神力があることだ.それで,このひとたちの職業人生の質をしることができる.いわゆる「育ち」がしれるのだ.
ほんとうは,働きバチなんかじゃなくて,こうやってなにもしなくて給料がもらえる職業にあこがれるのだ.グリーン車のような一段上のくらしができる.
日本の生産性を先進国最低におとしめている元凶は,ほんとうは公務員たちである.かれら自身の生産性だけでなく,このひとたちから「働き方改革」を「やれ」と,命令されて,「ははっー」とかしずく財界の精神構造とセットである.経団連は先祖返りして,かつての「産業報国会」以下になりさがった.

どうやって正しく「楽する」か?

たとえば,人手不足の原因とやゆされたトラックドライバーは,なんと「手積み」で荷の上げ下ろしをしている.これをフォークリフトでつかう「パレット」も一緒にはこべば,画期的に「楽する」ことができる.パレットは,荷主の所有物だから、運送業では触ってはいけないもの,だったというから,二度めの驚きがある.

海運では,とっくに「コンテナ」が主流になった.人間には巨大にみえるコンテナを,そのまま機械でもちあげて船にはめこめば,きっと港湾の労働は楽になるとかんがえたのは,トラック運転手だったアメリカ人の当時二十代の若者だった.現在,世界最大の海運会社,マースクラインの創業者だ.彼が発明した「コンテナ(システム)」は,二十世紀最大の発明のひとつにあげられている.

ところで,このマースクラインが所有する,世界最大の18000TUEコンテナ船(8畳間が入る標準型コンテナを18,000個積める)全長400m(戦艦大和は263m)の船が,2014年5月に横浜本牧埠頭に記念帰港したニュースがあった.横浜市港湾局のHPには,いまもその自慢が掲載されている.ところが,2016年になって,マースクラインは日本と結ぶ欧州定期航路から撤退して,幕末以来つづいた欧州と日本の定期直航航路が「消滅」したのだ.これ以降は,上海や寧波などで「積みかえて」,日本にやってくるようになっている.だから,日本からの荷も,これらの港で「積みかえて」欧州に向かうしかない.
ちなみに,国交省HPにある,2015年の世界の港湾コンテナランキングで,日本の東京港が29位,横浜港54位,神戸港57位,名古屋港58位,大阪港72位となっている.上海が筆頭のトップ10位は,シンガポール,釜山,ドバイ以外はすべて中国の港湾である.なにか,世界大学ランキングをみているような錯覚におちいる.

システムとして実行できない

日本の港湾の凋落は,日本経済の凋落でもある,という解説もあるが,まだ地理的に「極東」という,動かしがたい「不利」のほうが納得できる.しかし,日本の港湾がこの30年で著しく衰退したのは,「やり方」に原因があったのではないか?とかんがえるのが妥当だろう.なにしろ,わたしは横浜市立の小学校で,「世界一の港・横浜」と教育された世代である.

港湾局はがんばった.しかし,港湾局の管轄は「港」にかぎられる.「港」が充実しても,「荷」は「港」にとどまるわけではない.「荷」には行き先がある.だから、道路が必要だ.その道路は「道路局」の管轄だ.

機能をシステムとしてかんがえたばあい,先行事例の課題を先取りして計画すると,後発はたいへん有利になる.それで,先行事例のほうは,より「楽な」方法をかんがえるのだが,なかなか実行できない.「裁量者」の「裁量」が乏しいときにあらわれる.

民間のしごとでも,荷役作業はことかかない.たとえば,地下鉄の駅構内にある設備の入れ替えにあたって,ふるい設備を搬出しなければならないときに,これを人足の人力だけにたよるのが日本人だ.地下鉄の終電が去って営業が終了すれば,作業開始である.よくある光景だ.しかし,営業が終了すると,エレベーターも動かなくなる.「大物」でも,せいぜい数人で運べるものが,何回も階段をつかって運び出すしかない.重さ十キログラム程度の「小物」は,ひとりで担ぎ上げる.
重いから疲労困憊するのではなく,四・五階建てに相当するながい階段の往復が疲れさせるのだ.

エレベーターという文明の利器を横目に,ひたすら階段をいく.なぜか,インパール作戦のイメージがうかぶ.アメリカ軍だったら,兵卒に士官が殴られるかもしれない.
「エレベーター,どうして使えないんですか?」という人足の質問に,「これが使えたら,人を雇わないよ」という名答だ.人手不足はつくられている.そして,ムダな仕事に賃金が支払われるのだ.これこそ,ケインズの有効需要の創出だろう.これらの経費はぜんぶ,結局は国民負担になっていく.生産性をかたる元気もなくなる.

エレベーターの使用許可をどうやってとるのか?のほうが,きっと人足を雇うより困難なのだろう.だれも責任をとりたくない日本は,異常に面倒くさい国になった.
それにしても,人力では持ち上げられないような,たとえば自動改札機のようなものは,どうやって入れ替えるのだろうか?これも階段で人足が担ぐのか?地下鉄にはミステリーがある.

自社の仕事

面倒なのは,毎日の業務がある中での自社の仕事の点検だ.
「わかっちゃいるけど,やめられない」まさに「煩悩」にまで昇華してしまっている.
こんがらがった仕事の糸を切ることなく,一本ずつはずして,それから掛けはぎをなおすように糸を織り込んでいくような,「面倒くさい」ことを,「業務の流れ」からときほぐす必要があると,社長たちは識っているからだ.想像するだに「面倒くさい」.
しかし,掛けはぎ直しの丁寧な仕事をみればわかるように,どこが問題の箇所だったのかわからない状態になるのも事実である.
掛けはぎとちがって,業務の「修理」は,やってみると,当初意図しなかった意外なところもきれいになって,結果的には想像以上の成果がでるものなのだ.「面倒」以上の結果がでることは,一度でもやった企業だけがしっている.それだから,これらの企業は,なんどでも「修理」箇所をみつけてはなおしている.こうして,この活動が従業員たちの「本業」にまでなると,しらないうちに業界内の地位までもが上昇するのだ.なんといっても業績が安定した企業になるからだ.
それは,一朝一夜にしてできるものではないから,同業者もかんたんにまねできない.だから、最初の「面倒くささ」をのりこえられるかが勝負である.

先進国最低の生産性の原因は,ぐうたらとして無責任をつらぬく,なまけ根性にある.

今日は大晦日.
除夜の鐘の音で煩悩を落とし,新しい年のはじめに,おもいきって自社業務の「掛けはぎ」みつけと,その「修理」をする,ときめることをお勧めする.
きっとよい年になるにちがいない.

よい新年を.

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