観光協会の情報が役に立たない

働き方改革がかまびすしいが,おおくは「個人の意識」という,大きなお世話のせいにされている.
なぜその仕事があるのか?がなかなか問われないから,ちりもつもればの原則で,ムダが積み立てられていく.

わかりやすい例が,今日のタイトルである.「観光協会」を役所の「観光課」といいかえてもさしつかえない.

知らない土地を歩いてみようと思いついたときに,インターネットのHP検索をするのはもはや常識である.インターネットがはじまったころからいわれている,情報の「玉石混交」も常識である.そのなかで,典型的な「石」が,観光協会や役所の観光課によるHPである.

自宅が光回線であるとか,会社でこっそり個人旅行の検索をするなら,そうおおきな実害ではないかもしれないが,ひとり暮らしで,モバイル端末にたよる生活だと,うそみたいに高額な情報通信費を負担している.だから,こういう人たちは,役に立たない情報に誘導されると実害をこうむるから,それなりに慎重にクリックするのだ.

それでも,「石」にあたると,むしょうに腹が立つ.自分の読みの甘さと,詐欺的な情報の薄さに無頓着なHPが,「しまった」感を増幅させるのだ.いっそのこと,この手のHPは責任をもって削除してもらいたい.

それでは,地元の情報がなくなって困るのではないか?と,「石」を作っておきながら,余計なことをおもうからおかしくなるのだ.
大丈夫,ぜんぜん困りません.表現力と情報が豊富な,市井のブロガーさんたちが,しっかりとした「利用者」「観光客」の目線で綴ってくれています.

この手の記事を数本よめば,ある程度のイメージができる.まさに「玉」があるのだ.

すると,「石」を大層な予算をかけてつくることがムダである.この予算には人件費もふくまれるから,担当者は別の仕事ができるだろう.別の仕事がまた「石」になるかもしれないが,いま確実に「石」をつくっているムダは解消される.

そして,なによりも,「石」をみにきてしまった被害者が減るのだ.こちらのほうが,社会的にはおおきな効果があるだろう.すくなくても,役所が大枚はたいてつくらせた誘導プログラムに引っかかってしまった,「閲覧者」の数が「効果」としてカウントできる.

役所の公平性が「石」を産む

世の中はおそろしいもので,ときに「公平性」や「平等」が,社会のムダになることがある.
観光協会や観光課が,一生懸命になればなるほど,状況は悲劇的だ.
情報量や表現方法に,公平性や平等を持ちこむと,メリハリがなくなるから,閲覧しているがわからすると,選択基準がわからなくなる.
しかも,たいがいの記事であつかわれる店舗には,それぞれHPのリンクが張られているから,そちらをみたほうがよい場合もあるが,さらに貧弱なHPにいくこともある.こればかりは,クリックしなければわからない.
さらに,特産品を扱っているはずの公共施設の案内記事と,じっさいに行ってみたときの欠品情報がまるでないから,わざわざ行ってきてガッカリすることがある.
つまり,情報が一方的で,観光したいのに裏切られるのだ.

情報産業という感覚がない

役所だって,産業分類では「サービス業」になる.
政府部門だから関係ない,ではない.
とくに,「観光」で食べていこう,という「観光立国」をうたうなら,「観光」とはなにか?ぐらい哲学してほしいものだ.

「観光」をひとことでいえば,「体験型情報産業」である.
風光明媚な景色を見るのが「観光」なのは,「見る」という体験と,脳に記憶される「情報」からなりたっている.食べ物もしかり.
全国うまいもの展は,かつてのデパートの典型的イベントだった.しかし,それがお取り寄せになろうが,地方の名産品を自宅で食べることを「観光」とはいわない.「食べる」だけではなくて,その場所で,という条件が「観光」には必要だ.

これを無視して,地元に,ただ掲載情報を募集して,応募のあったところだけを,公平に平等に加工した情報でもって「観光」をいうナンセンスを指摘しておきたい.

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