通信各社は反NHK議員をそだてるか?

悪法もまた法なり

最高裁判所は、NHK受信料についてのボールを国会に投げつけている。
しかし、おそろしく停滞しているわが国の立法府は、知らぬ存ぜぬでほおかぶりをきめこんでいるようだ。

先般の、ワンセグ放送にかかわる受信料発生の確定判決は、従来のNHK受信料支払いに疑問をいだいていなかったひとたちも、「なんだ?」とおもったらしい。
それで、ワンセグ放送を観ることが「できない」スマホが、いちやく注目をあびるようになった。

いわゆる「寝た子を起こす」判決になった。
すなわち、最高裁判所は、惰眠を貪っている国民を覚醒させようとしているのだとかんがえれば、民主主義国家なら、かならず選挙で争点になるはずの問題になると期待しているのだろう。

じっさいに、ずいぶんまえから元NHK職員だったひとが、受信料反対をうったえて、選挙にでていた。
この春の統一地方選挙で、彼の主張に賛同するひとたちが、出馬して、おもいのほか善戦しているのは、ちいさな「風」が吹いたともいえる。

ネット上で、各キャリアのスマホのうち、どの機種がワンセグに「対応していないか」が特集されるのは、機能はつけるもの、というわが国総合家電メーカーが常識としていた「セオリー」の完全否定が、あからさまにはじまった、ともいえる。

善良なる日本国民のおおくは、そんなに重要ではない、ただ付加されてしまっているこの機能が欲しくて機種を選定していたわけではないだろうから、じぶんがその機種を所有している「だけ」で、いつかNHKから請求が、しかも、購入時から訴求してくるかもしれないという「気持ち悪さ」にがまんができない。

もちろん、これは、いまどきのカーナビもおなじだから、どうしても必要な機能だと認識できなければ、わざわざ選択することもないのだが、なぜかもはやワンセグ放送の受信機能がない最新型カーナビを選べないという無理もある。

法人なら、従業員に配付している業務用スマホや社用車のカーナビについて、受信料を負債計上すべき事態なのに、国会でのガン無視はどうなっているのか?

これも、ほんとうはいらない機能を強制的に付加して、消費者に高単価で買わせようという、押し売りの果ての事態である。
メイドインジャパンとは、「消費者がもとめる上質を販売している」というのは、この意味ではとっくに「ウソ」になった。

だから、日本人の消費者は、単機能でも「上質」とみとめるなら、製造国にかかわらず、気に入った製品を購入する。
70年代のアメリカ人が、自国のテレビを買わなくてもぜんぜん気にしなかったことが、ようやくわが国でもはじまった。

しかし、だれでもしっているアイフォンやアイポッドは、もはやどの国製なのかなどの表記すらない時代だから、「メイドインジャパン」にこだわる、というのは、もはや時代遅れですらある。

経産省という役所が、この時代遅れの推進エンジンになっているのは、滑稽であり、国税を大量投下するのは国民にはおおいに迷惑な存在である。
どんなにおおきな失敗をして、損失の大穴をあけても、だれもおとがめがなく、減給すらされないのは、ふつうの民主主義国家なら許されない弛緩した状態だ。

だから、わが国はふつうの民主主義国家ではない。

NHKの受信料問題とは、この国の「伝統」になっている、国家総動員体制の一部にすぎない。

この、国家総動員体制とは、べつのいいかたをすれば、「戦時体制」のことである。

この「平時」に、戦時体制をつらぬいているのが、じつはわが国であるから、周辺国もいっしょに戦時体制をつらぬいているともかんがえられる。
周辺国がわが国を名指しして「軍国主義の復活を懸念する」などというのは、一部に認識のまちがいがある。

「復活」ではなく、「そのまんま」なのだ。

そんなわけで、あとだしじゃんけん状態になったワンセグ受信機能がついている機器の普及という事態での、受信料請求、という社会負担の無慈悲な増加は、戦時体制そのまんま状態打破の「蟻の一穴」になるかもしれない。

わが国通信業界の世界から乖離したガラパゴス状態とは、通信キャリアが機器メーカーを支配する構造にある。
マッチポンプのわが国総務省は、「見た目で」世界標準になるように、simフリー化を促すが、上記の構造にてはださない。

通信キャリアにとって、ワンセグ受信機能は果たして必須なのか?
むしろ、もはや通信業界のガラパゴス化によって、世界市場で壊滅状態になった端末製造事業を、どうするのか?に、例によって経産省さまがちょっかいをだして、よせばいいのに、液晶パネルや集積回路の失敗をくりかえすのか?

もはや、外国なかんずく中国製造業のための経産省になっている。
日本企業や技術を保護するという大義名分で、そのじつ外国企業に買いたたかれて、激安販売をしているのが経産省の「商売」になった。

ならば、議員をそだてるしか、生存の方法はないではないか。
ただし、それでも国家に依存したい、ならべつである。

被害しか被らない国民に、もはやリスクはない。
だまっていてもリスクがあるなら、投票行動してやる。

それが、統一地方選挙のちいさな「風」だったのだろう。
もしや「嵐」になるかもしれない。

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