雪のお彼岸に経済をかんがえる

記憶というものはあいまいだから,本来はデータをみるべきなのだが,春のお彼岸に雪をみたのははじめてのような気がする.
今日,横浜に雪が降った.
珍しいこと,から連想したら,「内部留保課税」のことをおもいだした.

むかし,会社員だった頃,労働組合から新規出店の資金を「内部留保」からつかわないのか?と指摘されて,これに反論する経営側のメモをかいたことがある.
世間の,「内部留保課税」についての論調は,賛成と反対があって,与党は,「二重課税」としてこれに強く反対したと記憶している.

ここで,「二重課税」とはなにを指すかといえば,企業は「所得」にたいして「法人税」をはらう.はらったあとの,「税引後利益」から,役員賞与や株主への配当が支払われるしくみになっている.それでも「余った」ら,これを「内部留保」として,「資本」にくみこまれる.
だから,法人税を一回はらっているのに,また課税されたら「二重課税」になる.

ほとんどウソかいいかげんで適当なことしか言えない「素人」を,コメンテーターとして出演させ,それらの発言を大量にたれ流す,ワイドショーという「ショー(見世物)」では,「庶民感覚」というあいまいな「感覚」を「正義の御旗」にみたてるものだ.
そのなかで,「内部留保」は「企業がため込んだ余分なお金」と決めつけていたのが印象的だった.

だから,「二重課税」であろうが,「内部留保」に課税するときめれば,企業はいやがって社員の給与をふやすか,配当をふやすことで「内部留保」をすくなくするから,視聴者の主婦に淡い期待をもたせて,さらに会社にたいする不信感をあおるのだ.
この,「不信感をあおる」というのは,全体主義の恐怖をえがいたジョージ・オーウェルの代表作「1984年」にある,「二分間憎悪」とおなじである.

 

ところで,与党の「二重課税」だから反対と,上述のワイドショーの賛成とでは,論点がまるでちがう.
しかし,与党の議論も,「損益計算書」をつかった,売上-経費=利益,という枠でのはなしであるから,「内部留保」は「利益」というあつかいに近い.

みずから麻生セメントという会社の社長だった,元総理にして現財務大臣のひとは,ときたま変調をおこして,「企業は内部留保を減らす必要がある」などということを口にする.
みずから内閣をひきいた総理経験者が,べつのひとの内閣で大臣をやる,というのは「降格」みたいだが,意気あってやる,というならそれは国民のためになる.

「内閣総理大臣」の法的位置づけが,ほとんどなかった明治憲法下,生涯に50回以上もの転職経験がある経済人の高橋是清が,総理経験者にしてのちに大蔵大臣になったのだが,すばらしい成果をだしたから,いまのひとにもそれなりのプレッシャーがあるとおもうのだが,元オリンピック選手の心臓は,そんなものではないのだろう.

ちなみに,晩年口述筆記したという,「高橋是清自伝」は,あの「フランクリン自伝」をはるかに凌ぐおもしろさである.とくに,政府役職につくまえの「上巻」は,へたな小説以上の数奇な人生がえがかれているから,わかいひとにすすめたい.

  

マンガばかり「読む」から,かんじんなときに漢字が読めなくて,結局のところ総理でいられなくなった.このときも,マスコミは「二分間憎悪」をたれ流したのだが,祖父の吉田茂がかいた回想録もろくに「読ん」ではいないだろうから,だれかはやく「まんが よしだしげるかいそうろく」をかいてあげてほしい.

さて,「内部留保」のはなしである.
ちゃんとした経営者なら言わずもがなであるのだが,損益計算書は「税引後利益」をもって,「貸借対照表」と連結している.それで,「貸借対照表」の「資本」にくみこまれるのだ.
この,「資本」という文字をみたり聴いただけで,「資本論」にあたまが行ってしまうひとたちがたくさんいる.それで,血が騒いだりするのだろう.

だから,すっかり「貸借対照表」の「資本」にくみこまれる,ではなしが完結してしまうのだ.
「複式簿記」の「複式」が,興奮状態ででてこない.
「資本」に組みこまれたのなら,「資産」のほうはどうなっているのだ?をわすれるかわすれるふりをする.

「内部留保」が,「現金資産」(だけ)になっている,と思い込んでいるなら,それはかなり単純なひとだ.
ほんとうにここでドラッカーをだすまでもないのだが,「すでに起こった未来」で,「利益など存在しない」といいきっている.

「内部留保」の勘違いは,損益計算書への依存からはじまる.

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