23区を「特区」にする

バブルのころ、首都移転構想という「無謀」があった。
一極集中の東京を脱して、地方への「遷都」が持つ意味は、西ドイツの首都だったボンのような人工的計画都市を建設して、理想郷を首都としたいというものだった。

簡単にいえば、土建国家の欲望の最終行動、という成り行きの大投資計画のことである。
それで、東北地方の太平洋側が有力候補に残ったのは、雪が少ないという自然環境が有利とされたからである。

しかし、ほぼ同時期に、東西ドイツが統一されて「ドイツ」になったら、ドイツ人はあっさりボンを棄てて、ベルリンを首都に定めた。
果たして、日本人だったらボンを棄てることができたか?
かつて、さまざまな場所に遷都を繰り返した日本人が、とうとう平安京に落ち着いたのは、支配体制の安定による。

鎌倉幕府の成立以来、わが国には二つの中心があって、幕府所在地と平安京が明治天皇のお引っ越しによって東京に統一されるまで続いた。
明治政府は、なぜ平安京を首都にせず江戸にしたのか?
これは、ドイツ人の発想にはない。

ヨーロッパでは、かつての王宮が博物館として一般公開されている「ふつう」がある。
これは、「王政でなくなった証拠」だから、いまでも「王政」の国は、ヨーロッパでも王宮を一般公開などしない。

平安京の紫宸殿や、東京の赤坂離宮も一般公開されるようになったのは、わが国も「天皇家」の存在が縮んだことによる。
いってみれば、「禁裏の喪失」だ。
ひそかに、しかし確実に、人民国家への転換が推進されている。

そんなわけで、首都というのは背景に歴史をかかえているだけでなく、その国民の思想もかかえている。
だから、国によってその表情が違うのである。
区割りや建物がちがう、ということだけではない。

都市の発展に寄与した事例をながめると、共通項が浮かび上がる。
アジアの都市で、圧倒的なのが、「かつての東京」であった。
いまは、シンガポールと香港に代表されるといって、文句をいうひとはいないだろう。

シンガポールの「奇跡」をつくったのは、リー・クワンユーの功績だといって過言ではない。
この都市国家は、ちょうど東京23区ほどの面積に等しい。
政治体制は、しっかりした「独裁」なので、妙な感じがするだろうけど、「独裁政権」が「独裁」によって「自由経済を命令」して成功したという、稀有な例である。

一方香港は、イギリス人総督の独裁で、こちらも「自由を命令」していた。
元がアヘン戦争という、恥ずかしい理由の戦争によって得た領土だったから、恥ずかしくないような「自由」を許して、一種の「混沌」とした社会になった。

この「妖しさ」が、おカネを呼び込んだのである。

この意味で、香港の自由を蹂躙していると批難されているのは、お門違いだとする主張にも一理あるから、ややこしいのである。
いま批難されている国だって、ドイツが統一されるころ、「早く儲けた者勝ち」という大転換を実施した。

要は、国をあげて「自由経済を命令した」のである。
だから、あたかも「シンガポール・モデル」の巨大適用をやってみたら、うそみたいにうまくいった、ということである。
しかし、そのシンガポールは、「日本モデル」をパクったのだった。

このときの「日本」とは、「明治近代化期」のことをいう。
政府主導の、「自由の命令」が、キリスト教が決定的に普及しないわが国では、「現人神」と結合して、近代化成功の特効薬になったからである。
いまの日本人は、これをすっかり忘れてしまって、政府からの「規制の命令」に狂喜している。

上述の明治期ではなく、あたかも、「戦後高度成長期」が、政府の規制(たとえば「傾斜生産方式」とか)のおかげだと勘違いし続けて衰退しているから、シンガポール人からみれば、競争相手という概念すらない国になった。
逆に、彼らはいまの日本を「途上国」として観ているのが実態なのだ。

日本人は、日本が先進国だと信じているけど、とっくにその位置にいない。
シンガポール人の評価は、冷静でかつ正しい。
疑う向きは、国民1人あたりGDPで彼我の差を確認されたい。

香港からの「エクソダス(脱出)」が話題になっているけれど、わが国を希望して目指す香港人も企業もない。
それは、日本が「規制国家」であることを、彼らが熟知しているからである。すなわち、自由がない国、という評価なのだ。

国際的活動をするさまざまな企業、つまり、貿易を中心にすれば、その決済のための金融も、自由あっての利益が確保できる。
不自由(規制)の典型が、「税制」でもある。

せっかくの利益を国家に収奪されるのが、税である。
さらに、その仕組みは単純が望ましいのに、日本の税制は恐ろしく複雑で、ガラパゴス化している。
その他の「規制」は、彼らにはマンガにみえる「国際的非常識」なのだ。

これが、東京をして、せいぜい「拠点」としても、支店レベルの理由だ。
アジア太平洋地区マネジャーが配置される、支社あるいは地区本部が東京から香港やシンガポールにエクソダスした決定的理由なのである。

解決策は、政府が「自由を命令」するしかない。
これが、発展のセオリーというものだ。

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