「伊豆の踊子」にみる自治

電子辞書の串刺し機能をつかって、なぜか「根性」を検索したら、『孤児根性』ということばがでてきて、その出典が「伊豆の踊子」であった。
読みかえしてみたら、まえには気づかなかった表現が気になったので書いておく。

川端康成の出世作で、名作の誉れがたかい小説「伊豆の踊子」が書かれたのは大正11年から15年にかけてである。
もう一世紀も前になってしまう。
だから、なにげない表現にあんがい「生活史」がわかるものだ。

いまなら伊豆縦貫道という便利な道路ができて、東名高速の沼津から一気に半島のまん中を修善寺までいけるようになったけど、小説の時代にそんな道はなく、ガタガタ道をバスではしったにちがいない。
そして、かんじんの天城越えは徒歩だった。

学生を書生と呼んだのはいつまでだったか。
一高の制帽をかぶっている学生服姿で、足下には朴歯下駄とある。
すなわち、主人公は下駄で天城を徒歩で越える脚力があるが、だれもこれをうたがわない。
いまなら鼻緒がすれて、血豆ができるだろうから想像もできない。

そこへ、旅芸人一行の登場だ。
さしずめ「◯◯一座」の移動であろうが、この時代は芸人も徒歩である。
しかも、その社会的地位の低さは、江戸時代からの「河原者」を引きずっているし、一行の構成にもなかなか複雑な人生模様がある。

物語の本題は、もちろん、主人公が旅芸人一行にいたひとりの少女(踊り子)にほのかな恋心をいだくさまのこころのうごきなのだが、これに少女の切なさがくわわって、旅の情緒とかさなる。
名作といわれるゆえんだ。

しかし、今回注目したいのは、背景なのである。
一高生というのは、当時「選良(エリート)」として押しも押されもせぬ存在だから、ほんらい旅芸人とのかかわりはタブーである。
このタブーをものともしないのが、さいしょにある背景だ。
その理由が、主人公をして独白せしめた『孤児根性』だったのだ。

この真逆が、本宮ひろ志『俺の空』だろう。
旅芸人一行との交流があるのはそっくりだが、背景がまるでちがう。

天城の茶屋では、泉鏡花の『高野聖』(明治33年・1900年)を彷彿とさせる場面がある。
いまようの「ゴミ屋敷」は、ここからやってきたものか?

場面はとんで、アメリカのさまざまなストーリーに、「街を守る」という意識がたかすぎて、よそ者を排除したがる風習がテーマになることがある。
その典型がシルベスター・スタローン主演の『ランボー』(第一作目)だろう。

この作品も、ベトナム帰還兵という背景をおえば、派手なアクションシーンばかりがけっして「売り」ではない切なさがある。
西部劇以来の伝統で、なぜか「保安官」がでてくると、悪いヤツ、ということになっている。

しかし、じっさいの保安官は、警察機構を組織できない「郡部」における治安をあずかるひとで、立候補制による選挙でえらばれる。
これは、本国イギリスにおける「自治」のかんがえかたが、しっかりと大陸にコピーされた例でもある。

わが国では、戦前の内務省国家警察が解体されて、一時、自治体警察が組織され運営された。
わたしの住む横浜市にも、「横浜市警察」(昭和23年~30年)が神奈川県警察本部に合併するまで存在した。

ほんらいあるべき姿、からすれば、「自治体警察」というかんがえはただしいし、消防との組織統合だってあっていい。
地方郡部において、日本にも保安官制度があってもいいが、これらがみなできない理由は「自治」ができないからである。

こんなことをかんがえたのも、「踊り子たち」の旅の途中、村の入口での立札「物乞い旅芸人村に入るべからず」がところどころにある、という記述があったからだ。
小説だからつくりばなしだ、というのではなく、この手のはなしが事実だから、小説のつくりばなしが生きてくる。

「物乞い芸人」の譜系は、とおく平安時代なら白拍子にたどりつく。
このひとたちを保護したのが、伝統的に皇室だったことは、隆慶一郎『吉原御免状』とその続編『かくれさと苦界行』にくわしい。

 

それにしても、村の入口にところどころにある、というのだから、対象者たちがたくさんいたのだろう。
よくある「標語」の看板も、「できていないこと」だから標語になるとかんがえれば、土地土地の状況がうっすらとわかる「看板」になる。

芸人たちへの、村人たちや宿でのあつかいを読めば、「隔世の感」といってよい。
しかし、一行はあっさりと村にはいるし、さっそくお座敷での仕事を得るのだから、ぞんざいなようでそうでもない。
この二面性は、いまにもつづく日本人の特性だろう。

しかし、しっかりとした、ランボーの保安官のような、いい意味で独立心の強い、わるい意味で「ムラ社会」の「ムラ」として、自治がなされていたのは、交通と通信の不便さが、ほんらいの「自治」をひつようとしたからだろう。

だから、交通と通信がすっかり近代化して、「自治」をうしなって「自治体」となった「ムラ」がやることとして、村の入口に「核兵器廃絶宣言」という立札を出すようになったのだと納得した。

あれは「物乞い旅芸人村に入るべからず」の現代版でしかなかったのだと、「踊り子」におしえてもらった。

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