『哀しみの「ソレアード」』

原曲は、14世紀後半のイタリアで活躍したひとの作品といわれていて、1974年にイタリアのグループが復活演奏して大ヒットした。
しかし、この曲には歌詞がなく、その後さまざまな国で、「詩が」あてられている。

特に、英語版は『When A Child Is Born』で、クリスマスソングの定番になっている。
日本で、「インスツルメンツ」としては、ポール・モーリアやフランク・プールセル、ニニ・ロッソのアルバムでも親しまれている。

 

「ソレアード(SOLEADO)」とはスペイン語で、陽だまり、とか、日当たりのよい場所、という意味だという。
原曲は、そのまま「ソレアード」であるけれど、日本語では「哀しみ」を加えているのは、曲想に哀愁が漂うからであろう。

さてそれで、いま横浜では、ひそかにリバイバルがかかっている。
映画『ヨコハマメリー』は、2005年制作のドキュメンタリー映画である。
当時見逃したので観てきた。ネタバレに注意されたい。

「メリーさん」というのは、伝説の娼婦といわれているだけでなく、その特異な風貌で、ひとつの風景としての「横浜名物」をなしていた人物である。
はたしてそれは、クイーン・エリザベス1世と似た、白塗りで、衣装も白のレースのドレスを好んで着ていた。

  

「白塗り」による、素顔の仮面化は、日本の花街の伝統だけど、あんがい世界共通なのは、人間の心理だからだろう。
そうやって、別人になれる。

当時横浜一の繁華街、伊勢佐木町の夜の闇に浮かぶ白い影の不気味さは、この世の物ではない気がしたが、まったく悪びれずに歩く姿は誰でも一種の畏敬の念を抱く迫力があった。

彼女がいる場所は、瞬間に別空間になっていた。
あれは、何だったのか?
日中によく見かけたのは、横浜高島屋であったのは、彼女の行動パターンよりも自分の方にたまたま合致していたからだろう。

高島屋の店員さんが、見て見ぬ振りをしていたのは、彼女が「顧客」だからであるともいわれていた。
そういえば、往年のデパート、伊勢佐木町の松坂屋や松屋でも見かけたから、あんがいデパート好きだったのかもしれない。

だから、子どもが歩かない「夜の街」で見かけるようになったのは、おとなになってからだった。
「時間は残酷」なので、わたしがおとなになるのに使った時間分、メリーさんも歳をとるから、「娼婦」といわれても困るのである。

彼女の生い立ちからして、詳しいことはわかっていない。
しかし、「お父様が亡くなって」から、どういう事情か横須賀で娼婦になったことは間違いない。
ただし、兵を相手とすることはなく、常に「将校」だったという。

その気高さは独特だ。
メリーさんの自筆の手紙は達筆で、なお、文章に格調がある。およそ現代人にはもう書けないものだ。
高等女学校の出か中退ではなかろうか?と想像させる。

世界的舞踏家、大野一雄氏の次男で、やはり世界的舞踏家、大野慶人氏の証言は、舞台で固まってしまって以来の中断中、横浜シルクセンターで妻が経営する薬局の店長をしていたとき、当時珍しかった舶来の香水ボトルを棚に陳列していたところ、メリーさんがやってくる。

大野氏は「キラキラさん」と呼ぶ、その本人が、なんともいえない麗しそうな姿で瓶を眺めていて、その姿が後の、舞踏作品『マクベス』の「オフィーリア」役をこなすのに役だったという。
なるほど、と思った。

わたしは大野父子の競演を、慶應義塾大学の日吉校舎で観たことがある。
満員の会場の熱気もさることながら、終演後のわずかな時間だったが、二人の舞踏セッションがあって、観客の多くが舞台にあがって指導を受けていた。
それが、なぜかゾンビの集団のようで、まるで舞踊とは遠かったけど、まじめさは伝わった。

人間は、訓練しないと自分の肉体を自在に動かすことができないことをしった。
父子とも故人になったので、文字どおり「夢の競演」となった。

しかし、齢を重ねれば冷酷な事実が娼婦という職業にはやってくる。
家がないので、ビルの椅子で眠るしかしない。
そんな休息場所を、黙って提供した横浜人がたちがいた。
すると、盆暮れにメリーさんからビル・オーナーに贈答品が届いたという。

このひとは、施しを受けなかった。
たとえば、きっちりとエレベーター・ガールのようなことをしてチップを稼いだり、かならずなにかの仕事の報酬として金銭を得ていた。
それが、頼まれた仕事でなかったとしても。

エイズが恐怖を呼んでいた時代、行きつけの美容院から出入り禁止を告げられる。
常連客からのクレームに、耐えられなかったという。
「どんなに消毒していても」、汚いといわれた、と。

まったくもって、いまのコロナと同じである。
残念だけど、映画館もマスク着用を義務化していて、上映中もとるなと、冷たい声で注意があった。
美容院の経営判断と同じなのである。

困窮した彼女を見かねたひとが、実家への切符を差し出す。
そして、我々には「忽然と消えた」ようにみえたが、本人は老人ホームにいた。
こうして、ヨコハマの「素顔」の戦後も消えた。

まことにピッタリの音楽が、『哀しみのソレアード』であった。

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