けっしてかなわぬ願いごと

「いいつづければ夢はかなう」から、決してあきらめてはいけない。
あきらめないことが、重要なのだ。

とはいうものの、お役人さまへのわたしの要望はおそらくかなわない。
いや、けっしてかなわないだろう。
それは、お願いだからなにもしないでほしい、ということなのだ。
「余計なこと」という条件もない。

余計なこととはなにかを議論することすら余計なことである。
だから、シンプルがいい。
なにもしないでほしい、のだ。

それで、荒っぽいのは承知で、あえて一回白紙からかんがえてみる。

国家の最低限の役割とは、古典的なみかただと、外交・安保、警察・消防、それに教育だった。
これらのためにはおカネがいる。
それで、税金を徴収する機能と、予算をつくって分配する機能、これにあまったおカネを運用する機能がつけ加わった。

公共財としては、橋やトンネルをふくめた道路や、災害から住民を守るための土木工事があるし、港湾や空港などといった経済活動をささえるインフラとしての大規模施設も、はじめにする工事は必要だ。

江戸幕府の機能をかんがえると、消防は大名火消しと町火消しにさせたから、幕府は直轄していない。
教育も、幕臣のための教育はあったが、それ以外は自由だ。
税は米という物資を基幹にしたので、現金を基幹とする現代とはことなっている。しかも、米の値段は大阪堂島の米相場できまったから、幕府の軍事的権力をもって決めることもしなかったし、できなかった。
公共工事は、おもに治水だった。

注目すべきは、この時代は「経済学」が存在しなかった。
だから、いまでいう「経済政策」が総じてない。
失敗しかない「改革」も、倹約令ばかりなのである。
そういう意味で,小さな政府だった、のだ。

政府機能があまりないから、ひととひととのつながりが重要だった。
これが、一般人のたすけあい精神を育んだともいえる。

明治時代になって、陸軍の諜報部員だった石光真清の『手記』は、1958年に毎日出版文化賞を受章している。
この『手記』のすごさは、まさに「事実は小説よりも奇なり」であるが、手に汗握るそのスパイ活動をささえた一般人のたすけあい精神が、いまではかんがえられない日本人像の記録になっているのである。

   

いまも「下町人情」とはよくマスコミがいうけれど、あんがいそれは強制をともなう「お節介」である。
伝統的なくらしがのこる京都の中心部では、老舗の子息が所帯を持つと伏見や宇治に新居をもとめるというが、本音は近所との「面倒くささ」からの避難だという。

しらずしらずのうちに、生活風習のいろんなことが強制に変化したのは、政府のお節介と関係があるのではないかと想像している。
生きるための助け合いの精神が、生きるための面倒を政府が肩替わりして、残った精神だけが義務をつくりだしたのではないのか?と。

社会が進歩したら、人間がついていくのに息切れしだした。
ケインズが発明した「有効需要」と「乗数効果」で、政府が経済活動に介入することが「正義」になった。
ところが、ケインズ本人も、「不景気のときの手段だ」と、ただし書きをしているから、恒常的にやっていいとはいっていない。

ここがケインズの悩ましいところで、彼自身がイギリス大蔵省の官僚だったから、役人にこの「ただし書き」が通用すると本気でおもっていたかどうかに疑問がのこる。
役人の本質は、しごとをつくり出すことだけだから、いつでもどこでも「有効需要」と「乗数効果」の計算をして、政府のカネをつぎこめば、もっと経済はよくなるとおもいこんだ。

もちろん、「保守」が国柄の大英帝国で、ケインズのあたらしい経済理論がドンピシャだから、すぐに実行しようという専門家などいるはずがなく、国家財政が破たんするという大合唱だけだっだが、第一次大戦の賠償金ですでに国家財政が破たんしそうなヒトラーのドイツで、どうにでもなれと「無責任」にもこの方法が採用された。

ケインズのいうとおり、ドイツ経済は不景気のどん底だったから、みごとに有効需要と乗数効果がはたらいて、うそみたいに景気がよくなった。
ヒトラーはすばらしいとドイツ国民は歓喜して、とうとう独裁者になることも国民が希望した。
おそらく、ヒトラー本人がいちばん驚いたのではなかったか?

そんなわけで、ヨーロッパでケインズの処方箋がどんどん採用されて、これが英国に逆輸入され、第二次大戦後のイギリスは、ソ連とはちがうけど、すっかり社会主義国になってしまった。
「ゆりかごから墓場まで」(政府が面倒をみますよ)、である。

アメリカも、大恐慌をどうするかで、デフレ策をやって失敗した共和党政権から、ニュー・ディール政策というケインズ政策で、民主党ルーズベルト政権になった。

日本では、ドイツと同盟したのに、どういうわけかスターリンの五ヵ年計画がだいすきで、これを仕切ったのが超優秀な官僚、岸信介である。
コンピューターが存在しなかった時代に、ソロバンと手書きで綿密な国家経済計画書をつくれたのは、当時も日本人以外では不可能だったろう。

戦争に負けて軍人たちが責任をとらされたが、文官たちは無傷で、降格も追放もなかった。
それで、戦後は「経済官僚」による政府になる。
「経済官僚」の政府が、経済官僚だけで運営されることが完成するのが、田中角栄内閣だ。
戦前の近衛文麿内閣と、戦後の田中角栄内閣は、日本人ならわすれてはならない。

このふたつの内閣は、地下水脈で連綿とつながってわが国の基礎をなしている。
こんにちの内閣も、当然にこれらの継続である。
民主党政権というあだ花は、たんなる過激分子であって、継続性の基準をよりつよく打ち出しただけだった。

つまり、おなじ音楽を、民主党の時代は音量をあげすぎただけで、安倍政権は音量をもとにもどしただけであるから、国民はおなじ曲を聴かされている。
それは、「ゆりかごの歌」なのだ。

イギリスは、幸運にもサッチャー女史があらわれて、べつの曲にかけかえた。
同時に、アメリカもレーガンがサッチャーとおなじ曲にかけかえた。
フランスは、ミッテランが「ゆりかごの歌」をかけたままでいたが、途中で耐えられなくなった。
日本は、中曽根康弘が、「ゆりかごの歌」のボリュームを聞こえないほどに下げたが、別の曲にはしなかった。

というわけで、いまさらながら「ゆりかごの歌」が鳴っているのが先進国ではわが国だけになったのだが、国民がすっかり気持ちいいままなので、やめられない。
そうこうしているうちに、「先進国」といえるのか?というはなしになってきている。

もう11年前になる、2008年1月18日、国会本会議における経済演説において、大田弘子経済財政政策担当大臣が「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べた。
そして、「もう一度、世界に向けて挑戦していく気概を取り戻す」と発言したのだが、政府の政策として「やる」というのがまちがいなのである。

そんな絶望をえがいた、村上龍『希望の国のエクソダス』は、2000年の小説だった。
小説家の想像力が、現実を凌駕するひとつの事例である。

やるのは民間である。
どうか政府はなにもしないでほしい、ということなのだ。

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