アイスを無断で食べたから

生徒に大怪我をさせてしまったら、「教育的指導」とはいえなくなる。
理由はさておいて、この一点で「傷害事件」になってしまうのは、むかしだって同じだ。

逮捕されたのは柔道部の顧問で、50歳の教諭というから、ベテランである。
相手は、中学1年生の生徒2人。

この事件のどんなことが「事件」なのか?を書いておく。

小学校から「ゆとり教育」がはじまるのが1980年だ。
すると、1年生は1973年生まれとなるから、初代ゆとり世代は、いま53歳になっている。
すると、この教諭は、初期ゆとり世代になることは、ちょっとだけ覚えておきたい。

「キレる」という現象は、べつだん珍しくもなくむかしからあるけれど、往年のいい方は「堪忍袋の緒が切れる」であった。
殿様がやって大事件になったのは、『忠臣蔵』の浅野内匠頭である。

しかしながら、多くの日本人がしっているのは「講談ばなし」の方だから、史実としての解釈には諸説あるし、そもそも内匠頭がなぜに切りつけたのか?は謎のままである。
ときの幕府が、本人から詳細の事情聴取もせずに切腹させてしまった。
それで、幕府陰謀説まで登場する。

けれども、まるで講談ばなしが「史実のようになっている」のは、講談ばなしで敵役の吉良上野介からの「執拗なイジメ」に耐えて、耐えて、、、とうとう「堪忍袋の緒が切れた」という「理由の設定」がリアルだからである。これで日本人のほとんどが納得してしまい、もはやそもそも「イジメの有無」すら誰も顧みないことになっている。

一方で、吉良家の領地では、いまも上野介が「名君」とされている事実は、知識としてしっていても、なにせ「講談ばなし」に流されるのが多数なので、いまのコロナのように、どうにもならないことになっている。
かつての娯楽の花である講談と、いまは「ニュース」がおなじだ。

げにおそろしきは、「世論形成」なのである。

そういうわけで、日本人の行動は「二択」になっていて、「耐えて」「耐えて」、、、「耐え抜く場合」と、「堪忍袋の緒が切れる場合」とがあるけれど、その前に「文句をいう=意思表示をする」という選択をしない。

だから、相手はさっきまでニヤニヤしていた奴に突然殴りかかられることになる。
どうしてニヤニヤしているのかも不明だから、腹黒い欧米列強は理解できない「不思議の国」と日本を表現したのである。

そういえば、言語の構成もちがう。
あちらの言語には、かならず「主語+動詞」からはじまるルールがある。
自分が主語になるのであれば、かならず「I」をいうのだ。
「かならず」だから、省略しない。

しかも、自分を指す言葉が、男も女も「I」しかない。
これを、日本人は「言葉の貧弱」とかんがえるのだ。
もっといえば、人間は言語なくして「論理の構成」ができない。
ひとは論理を言語(ふつう母国語)でかんがえるしかないからである。

だから、ことばの違いは、論理=かんがえ方の違いを生みだす、あんがい深刻なことなのである。
これを一般化して、「文化の違い」ともいうのは、日常生活からすべてが違うといいたいからである。

日本が開国して、欧米化を目指すことになったのは、放置すれば欧米列強の餌食になって、植民地にされることを防ぐため、とふつういわれている。
でも、その前に江戸幕府が鎖国したのも、放置すれば欧米列強の餌食になって、植民地にされることを防ぐためだったから、なんだかおかしい。

種子島に伝来した「鉄砲」も、あっという間に国産化して、しかも、あっという間に世界最多の保有国になって、正確な射法の訓練も十分していた。
もちろん、弾どころか火薬だって国産化したから、安心して鎖国ができたのだ。

島国が、スイスのように「ハリネズミ」のような防御を完成していたのである。
開国の理由は、科学技術の習得にある。
いまの「千人計画」のように、外国人技術者を厚遇で招聘したのだ。

こうやって、「欧米化」を目指したら、「欧米」になってしまった。

戦後さかんにいわれた、「日本語の乱れ」とは、突きつめれば、「論理の乱れ」なのである。
つまり、伝統的な日本人の発想とは違う、日本語を母国語にしているはずなのに欧米の発想をする、という変化の「固定化=定着」がはじまっているのである。

さてそれで、被害者の子どもたちは、なぜ無断でアイスを食べたのか?
あるいは、加害者の教諭が、そのアイスに込めていた「意味」はなにか?

ということをかんがえると、「お預け」というコマンドが効かない訓練不足の犬に似ているかもしれないこと。
つまり、「アイスを食べたい」という自己の欲望が理性を上回った状態を、「通常」とする感覚がみられること。

これこそが、ジャン・ジャック・ルソーのいう「本来の人間」なのだ。

一方で、なんらかの「ご褒美」として用意したかもしれない、「アイス」だから、みんなで食べる(共食=同じ釜の飯)ことの思いにかられて、その裏切り行為に逆上したか、はたまた、「堪忍袋の緒が切れた」なら、相手の「通常」によるふだんからの「波状的」なストレスが、教諭の自己抑制不能になる怒りを誘発したのかもしれない。

柔道の技をどんなふうにかけるとどうなるかをしらないはずがない、という常識が壊れたのは、日本人らしくもあり、らしくもない。
おそらく、アイスを無断で食べた方には、なんら悪びれた様子もなかっただろうから、こちらは日本人らしくない。

「新旧」日本人の分裂が起きているとは、かんがえすぎか?

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