「和洋折衷」医療の可能性

議論がどこまですすむのかわからないけど、「医師」が「免許制」になったのは、あんがいと最近なのである。

もっとも「古い」のは、1875年(明治8年)からはじまった、「医術開業試験」で、学歴不問の筆記試験だけだった。
とはいえ、わが国にまだ「大学」がなかった。
わが国で最初の「大学」は、1877年の「東京大学」だった。

大いなる誤解があるから書くけど、このときの「東京大学」は、後に「東京帝国大学」になって、それからいまの「東京大学」になったとかんがえては「いけない」、まったく「別物」なのだったことに注意がいる。

有史以来、1874年まで、医師は「自由開業」できた。

ここで重要なのは、これ以前から開業していた「医師」は、そのまま医師として問題なかったことにある。
あくまでも、「新規開業」するなら、「医術開業試験」に合格せよ、ということだった。

しかしてその後、大学に医学部ができて卒業生を守るため、「医師免許」の「独占」をはからんとしたことには、その「利権」という角度からの議論だけでなく、「医療の定義」にかかわる問題になるのである。

もちろん、「藪医者」と「ニセ医者」ということもあるが、ここでは分けてかんがえる。

西洋医学が輸入される以前、わが国伝統の医術とは、いわゆる「漢方」であった。

「漢方」はもっぱら、「遅れている」という認識をされるひとがいるけれど、ここでも何をもって「進んで」いて、何をもって「遅れて」いるのかを判断するには、「定義」や「基準」がひつようなのはいうまでもない。

卑近な例だが、「機械打ち」と「手打ち」の「蕎麦論争」が、大正時代にあって、近代的な自動麺打機を新規導入した蕎麦屋が大繁盛し、古来の手打ち蕎麦屋が衰退したことがある。

客は、「やっぱり機械打ちにかぎる」といって、その物珍しさに満足したけど、果たしてどちらが「美味いのか?」ということの「定義」と「基準」は難しい。
いまなら圧倒的に「手打ち」に人気がある、といえるだろうに。

いまどきの「患者」なら、それなりの知識があれば、西洋医学の圧倒は、「外科」にあることを知っている。
しかしながら、「内科」に関していえば、「漢方」も捨てがたい。
とくに、「体質改善」にいたったら、圧倒的に漢方が優位にある。

「人工合成」されたサプリをあれこれ服用するよりも、「生薬」の漢方に分があるのは、これも人情というものである。

さらにいえば、「漢方」は、「全身」を分析の対象としているので、「科」という概念がない。
もっともわかりやすい、西洋医学での分科として、「医師」と「歯科医師」を分けたことにある。

これはあんがい「決定的」で、医学部をでた医師は、歯学部をでた歯科医を「医者」とは認めないものだ。
漢方医はこうした分科と区別を、不毛だと認識している。

そして、近年の基礎医学の研究成果から、漢方医の全身を観るという姿勢の「合理性」が確認されてきている。
たとえば、虫歯がないのに歯が痛い原因は、骨格のズレによる神経圧迫だったりするけど、歯科医はどんな治療をしてしまうのか?

あるいは、おなじ症状だけど、気が利く患者が整形外科にいったらば、いったいどんな治療を受けるのか?
もしや、治療という名の下の、破壊がおこなわれる可能性だってある。
これが、「保険診療」と合体していれば、なおさらなのである。

すなわち、むかしのように、「藪医者」が少なくなったのはではなくて、「保険点数による管理体制の進化」が、「平準化」をさせたと同時に、全員が「藪」にさせられたともいえる。

そうかんがえると、あんがい世間をにぎわせた「ニセ医者」も、医師免許登録のデータベース化で、すっかり姿を消した。
しかし、捕まるニセ医者には、たいがい通院してみて評判がいい、という患者の口コミがあったものだ。

さて、西洋は西洋医学一辺倒が当然だ、ということでもない。
あんがいとギリシャ以来の伝統医療だって、「現役」なのだ。
そこで、ジョンズホプキンズ大学では、以下の5タイプの分類がある。

1.鍼[Acupuncture]、
2.アーユルベーダー[Ayurveda]、
3.ホメオパシー[Homeopathy]、
4.ナチュロパシー[Naturopathy]、
5.中国あるいは東洋医療[Chinese or Oriental medicine]

一方で、これら伝統医療の「世界標準化」という課題も、具体的な検討がされていることが、グローバル全体主義を推進する立場からある。

果たして世界標準化がどのような意味をもつのか?やや怪しさを感じつつも、わが国にはわが国の伝統医療が150年前までは確実にあったのであって、これを再評価しない手はない。

けれども、医学部と歯学部、それに薬学部と看護学部といった、大学利権がこれをはばむにちがいない。
そこには、巨大なビッグファーマという、スポンサーにして製薬利権が横たわっている。

いわゆる、テッパンなのだ。

人類の生存と幸福をかけた、「医療」も、こんな「ゆがみ」のなかにある、「病気」を発症しているのである。

さてどうしたものか?
他人事ではないのは、確実なのである。

こうして『三等重役』以下になった

第25回(1951年上半期) 直木賞作家の、源氏鶏太による小説『三等重役』(1951年(昭和26年)8月12日号から52年(昭和27年)4月13日号までの全35話、週刊誌『サンデー毎日』(毎日新聞社)に連載)が、その後一般名詞化して流行したという。

52年に制作・公開(5月29日)された同名の映画(東宝)は、三等重役である社長に翻弄される人事課長役をやった、森繁久彌の出世作となったことは前にも書いた。

原作が発表された、半年あまりで映画化したスピード感こそ、「当たる」チャンスを逃さない意気込みがあったからだと推測できる。
この時代、もちろん、まだテレビ放送はなかった。
「本放送」は、1953年(昭和28年)2月1日からである。

とはいえ、食うや食わずのこの時代、一般家庭に高価なテレビがあるはずもなく、まだまだラジオがふつうだったのである。
ちなみに、ラジオ受信料が廃止されたのは、1968年(昭和43年)4月1日のことだった。

さて、一口に「戦後」といっても、「占領期」と「主権回復期」とに、二分してかんがえないといけない。
うそかまことは別にして、2600年以上「独立」が続くわが国で、「初」の、外国による「統治」を受けたのがこの「占領期」だからである。

敗戦した相手国の人間を奴隷にしてこき使うことが、自らの歴史にあるひとたちである、「欧米人」には、その本性をおもわず「記載」することが無意識で行われる。
これが、「奴隷」という概念のない日本人にはすぐさま「ばれた」のだ。

日本国憲法第十八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

原文が英語だから、というよりも、「いかなる奴隷的拘束も受けない」という表現の感覚が、日本人の概念を超えていた。
しかして、「(日本国)憲法学者」という、「戦後」の「業界人」は、これを勝者の立場から「解釈」して国民に拡散した、売国奴であった。

「(明治)憲法学者」は、役立たず、としてとっくに「排除」されていた。
「排除」したのは、もちろん、「占領軍」である。

よって、占領期(講和条約発効前まで)とは、1952年4月28日に発効したから、その前、ということになる。
同時に、日米安全保障条約も発効している。
それでもって、4月28日が「主権回復の日」なのである。

ほんとうにわが国が「主権回復」をしたのか?については、かなりあやしい。
しかし、「国際法」における「形式」においては、「主権回復」したことになっている。

こうしてみると、小説『三等重役』は全話が、占領期に発表されていて、占領軍の検閲を突破している、と解していい。
そして、「映画」は、「主権回復」の後に公開された、という事情があるのだ。

「読み切り連載」という形式の小説なので、短編の集合体である。
それで、記念すべき第1話のタイトルは、「追放解除の施風」である。

ここでいう「追放」とは、いわずもがなの「公職追放」を指す。
『降伏後におけるアメリカの初期対日方針』(昭和20年9月22日発表)の第一部「究極の目的」には、「平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思による政治形態の確立」とある。

これを、「根拠」として実行したのが、「公職追放」だったのである。
具体的には、第三部「政治」と、第四部「経済」で、「軍国主義的又は極端な国家主義的指導者の追放」を根拠とした。

こうした文書を、「文字どおり」に読んではいけないのは、外国からの命令だからなので、その「真意はなにか?」という目線で読まないと、意味不明になるのである。

そして、その外国とは、アメリカ合衆国だという認識も間違っている。
20年間も民主党が支配した、アメリカ合衆国「政府」が相手なのだ。

すると、占領目的のなかでも「究極」と表現した中身とは、アメリカのいう通りの「忠犬」に、日本がなること、と解釈できる。
そしてまた、「追放」の対象者とは、「日本の日本人」だということなのである。

これらをベースにして、笑いを誘った源氏鶏太の筆致とは、「自虐」をもって「自虐的な笑い」とした、まさに「本音」が伝わることでの「納得」を読者に与えたにちがいない。

一流の経営者が追放されて、三流社員が「昇格」してなったのが、「三等重役」なのである。
まさに主権回復とおなじく、「形式」だけの「重役」だった。
けれども、全国津々浦々に、三等重役が「君臨する」会社が実態としてできた。

しかしてそれは、占領軍が意図した「三等経営」だったのである。

三等重役には、意志も教養もなく、あるのは「臆病」な小物としての威厳であった。
それで、戦前・戦中に「滅私奉公」した従業員を強権で支配したから、従業員は社内労働組合を設立して対抗したのである。

ついこの前まで「従業員」だった三等重役に、「同格ではない」という、犬の序列を「飴」として仕向け、「身分差」の確認をさせた。
これが、占領軍が意図した、「(民主的な)自由な国民の意思」の発露でもあった。

経営者も「自由」、従業員も「自由」という、「自由による分断」こそが、アメリカ合衆国民主党に逆らわない、従順な奴隷化への一歩だったのである。

計算違いは、明治期に育った「旧日本人」が経営者に復帰して、めざましい発展を遂げたように見えたことだが、ぜんぜん計算違いではなくて、「三等重役」の下で育った「四等」「五等」あるいは「論外」の人物が、「重役」になる必然を埋めこんだのだ。

これが、いま、なのである。

スイスの貧困からの知恵

35年以上も前に、スイスと北イタリアを二週間、一人旅したことがある。

美しいが、いっさいの「生活臭」を感じないスイスから、イタリア国境を越えた途端に、路地を挟んだお向かいどおしのおかみさんが、窓越しに大声で笑いあっている光景や、大きな洗濯物をみて、なんだかホッとした記憶がある。

日当たりのない、古い住宅の谷間にかかるシーツの洗濯物は、ぜんぜん脱水されていなくて、ぽたぽたと水が垂れていたけれど、合間の路地下を行く通行人もぜんぜん気にしないで通りすぎていた。

空気が乾燥しているからすぐに乾くので、かえって「おしめり」がありがたいのかもしれない。
喧噪のカイロ住まいだったわたしには、絞りきれないジーパンも2時間でパリパリに乾くのに慣れていたから、丁度よい気温で乾くのがうらやましくもあった。

しかし、スイスとイタリアを比較するのはあんがいと難しい。

われわれが知っている「イタリア」が、いまのような統一された国としてのイタリアになったのは、なんと第一次世界大戦が終わってからだから、ようやく100年になったに過ぎないのである。

一方のスイスも、ヨーロッパ・アルプスの山国だけど、日本のような森林資源も少ないので、その「貧困」ぶりは、信州・長野県の比ではなかった。
主たる「産業」が、「傭兵」として周辺各国での「出稼ぎ」だったのである。

それだから、ヨーロッパでの戦争は、じつはスイス人傭兵同士の殺し合いで、当事国の兵はいなかったという記録もある。
このとき、イタリアは小国に分立していたから、スイス人傭兵を雇った側になる。

田んぼや畑を「耕す」という仕事から、農閑期の「出稼ぎ」で、建設労働者になるという「日本式」は、この意味で文字どおり「生産的」であったのだ。
スイス人が羨むことにちがいない。

つまるところ、スイスは貧乏すぎた。

ゆえに、頭脳を使う、ということに追いやられたともいえる。
身体を使うだけなら、傭兵になるしかなく、自分の命をかける価値のない他国同士の戦争で命をかけたからである。

もちろん、「傭兵」は、「契約」による「商売」である。
戦闘での「働き」についての「評価方法」も、当然ながら戦死したばあいの「死亡退職金」についての条項もあった。

だから、とくに本人が死亡したときの「退職金」を、あらかじめ指名された家族に「送金する」ということが、「確実」でないと、この商売はやってられない。
死んでも死にきれぬことになる。

それで、送金のための「国際金融機能」が発達したし、もしも契約相手国が反故にしたときの「国際訴訟」や、「証拠保全」のための「契約書管理(いまなら「データベース化」)」も発達したのである。

もちろん、契約相手国には、その国の「通貨」での支払という「当然」があるから、傭兵料をもらう側の都合とは一致しないこともある。
それがまた、各国通貨の「両替需要」という、実需をうんだ。

狭いヨーロッパ地域に小国が乱立するのがふつうだったから、ちょっとした距離の移動で、外国になる。
それゆえに、ヨーロッパでは、「小切手」が普及した。

これを、「使える」ように計らったのが、いまでいう「国際金融資本」で、その中心地がスイスになったのだ。
それから、スイスは中心地としての「あるべき姿」を自分たちで作っていまがある。

わが国の江戸時代、「内国為替」が発達したのとはちがうのが、以上のようなヨーロッパの事情だった。

これが明治になって、外国人との取り引きで必須ゆえに、「小切手法」ができたけど、日本人に理解が困難だったのは、「内国為替」で用が済んだ「便利」があったからである。

つまり、幕府が定めた「共通通貨制度」があったので、国内での「両替」とは、流通している金と銀の含有量にもとづく「評価」をすればよく、「内国為替」一枚を発行すれば、全国で「現金化」ができたのである。

これは、「弥次さん、喜多さん」で有名な、『東海道中膝栗毛』にも、「護摩の灰」にしてやられて持金全部を失ったにもかかわらず、ぜんぜん慌てずに、友人宛に借金を申し込んで、その友人から早飛脚で「為替」が届いて事なきを得るという、あっけらかんとした話がある。

各宿場に両替商がいたし、飛脚問屋も手形の割引をやっていた。
なお、わが国で「為替」ができたのは、なんと「鎌倉時代よりも前」なのである。

同時代のヨーロッパ人がこれを聴いたら、驚くほどの「先進国」が極東にあると思っただろう。

なぜなら、為替だけでなく、ヨーロッパで庶民が物見遊山の旅行(=観光旅行)ができるようになるのは、ずっと「後」の、産業革命後に、「労働者階級」ができてからなのである。

もちろん、道中の「治安」については、よほど危険であったのはいうまでもない。

ならば、スイスが大発展して、長野県が「信州のまま」の状態で留まっているのはなぜか?
明治に「長野県」になって、当時のひとたちが日本でもっとも「教育」に力を入れた「まで」はよかった。

県内各地にある小学校が、「文化財」になるほどの建築を施したのは、県民による「寄付文化」という、「自立の気概」があったからである。
しかしてその後、国家依存という「麻薬中毒」になってしまった。

空き家率日本一(約3割)の山梨県しかり。

長野県と山梨県が、共に「自由経済特区」になって、スイス・モデルを追及するとよいけれど、スイス人は「自然」にこれをやってのけたから、政府が「特区にしてやる」ということでは無理だ。

それで、両県の国会議員と県知事は、相変わらず「麻薬」を県民に与え続けているのである。
これも、「全国一律」になっている。

バイデンは持ちこたえない

そもそも正当性が疑われる、歴史的にも珍しい「大統領」が来日した。

漢字で書けば、「大珍種」といいたいけれど、果たしてこの人物の「居場所」が狭くなっている。
それで、「植民地歴訪」というイベントを考案した、民主党の幹部たちが命じているにちがいない。

日本人は、アメリカ合衆国の歴史を「詳しく」教わらない。
これは、たいへん不思議なことだけど、ほとんどのひとが不思議にも思わない不思議がある。

歴史を学ぶ、あるいは、学ばせる理由は、本人の人生における教訓にするため、という「実利」があるからだ。
それは、「教養」全般に及ぶけれども、もっとも重要な「価値観」を提供するのが「歴史」である。

だから、歴史を学ばない、あるいは、学ばせない、ということこそ、「愚民化」の手段になるし、唯物史観なる「害毒」でもって、人間をコントール(奴隷化)する手段とすることもできるのである。

日本に対する講和条約が発効して、「主権回復」したときに、すぐさま「日米安全保障条約」も発効した。
それで、この条約にひっついている「条件」としての、アメリカ「軍」の立場やら日本「政府」の立場も規定された。

俗にいう「日米安保」の「問題」とは、「基地問題」という目に見える問題よりも、はるかに巨大で重要なのは、「支配構造」としての規定なのである。

もちろん、この「支配構造」とは、アメリカ軍による日本占領の永久化のことをいう。
それが、「日米合同委員会」の存在でわかるのだ。

念のため、外務省HPには、「日米合同委員会組織図」というものが「公表」されているけれど、「表向き」の組織図だとかんがえるしかない。
なぜならば、この委員会での協議内容が「公表」されることが、まずない、からである。

外務省HPリンク(2022年5月23日閲覧):https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100060689.pdf

つまるところ、「GHQ:連合国軍総司令部:占領軍」の核心的本体である、在日米軍(当時は、わざと「進駐軍」といった)による支配が、そのまま残存・維持されているのである。

すなわち、在日米軍の存在理由は、日本防衛という「表向き」役務ではなくて、正しく「日本占領」なのである。

このことを的確についたのは、かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』(1989年)における、在日米軍が発動せんとする「日本再占領」という表現だった。

GHQも、在日米軍も、当然ながらアメリカ軍の組織であるから、いまなら「国防総省(人事と予算を担当する「軍政」と、作戦・指揮命令のための「統合参謀本部」がセットになっている役所なので「総省」)」の指揮下にある。

なお、わが国の防衛省は、軍政を担う部分を「内局」と呼称してもっぱら「文官」の防衛官僚が仕切っていて、指揮命令系統は「制服組」の「統合幕僚会議」という分担になっている。
それでもって、アメリカ軍の「補助部隊」という、入れ子の位置づけなのだ。

そんなわけだから、天皇の上に君臨して、当時の日本人にとって「現人神(あらひとがみ)」にまでなったマッカーサー(だから天皇に「人間宣言」をさせた)といえども、本国の統合参謀長には逆らえないし、ましてや「最高司令官」たる「大統領」による「人事」にあがなえるものではない。

だから、われわれ日本人こそ、アメリカ合衆国の「仕組み」を、その歴史から理解しないといけないはずなのに、これを、「させない」のは、日本人一般に、「知らしめると都合が悪い」からである。

そんなわけで、きわめて「薄い」印象だけを与えて、深くかんがえさせないことが重要となる。
ハリウッドで制作する「娯楽映画」こそ、民主党が主導する「植民地支配」のためのプロパガンダなのである。

なので、民主党が推進する「分断政策」の最新版、「ポリコレ: political correctness」による、アカデミー賞の「審査規定」をみれば、そのおぞましい状況が理解できるというものだ。
それは、「俳優のキャスティング」にかぎらず、「制作者のキャスティング」にまで及ぶからである。

さてそれで、その民主党が、「危機的状況」に追いつめられている。

トランプ氏を攻撃し続けた「ロシア・ゲート疑惑」の「でっち上げ」が、白日の下にさらされているだけでなく、それに加担した民主党弁護士が「偽証」でFBIから訴えられた裁判で、とうとう「ヒラリー・クリントン氏による指示」だという「証言」が飛び出したのである。

せっかく、現職大統領の支持率を上げるためのウクライナ危機だったのに、ウクライナで悪さをやった息子のPCも、ここに至って「本物」だと認定されて、「政権自体」がにっちもさっちもいかなくなったのは、自業自得の大ブーメランになっているからである。

そんな「レームダック」が、真顔で来日して、わが国政府がこれを「歓迎」せざるを得ないのは、もう「外交儀礼」の範囲をこえている。

半年を切った「中間選挙」に、滅多にない世界的関心を集めているのは、民主党とバイデン政権の終わりを確認したい世界の市民がいるからだ。

すると、わが国の7月、参議院選挙に日本人が想像する以上に、世界となによりもアメリカ人(共和党支持者たち)が注目している理由もわかる。
わが国の運命を決めるだけでなく、世界潮流の「潮目」とみられている。

第二院の参議院だからと、大勢に影響が薄いとかんがえるのは、もう「古い」のだ。

かえって、アメリカ民主党のコピーと化した自民党の「大敗」こそが望ましく、その受け皿の「参政党」が急拡大(街頭演説での聴衆の異例の数の多さのみならず、党員数が27,000人を突破して社民党、国民民主党を抜き去った)していることが、「まともな日本人」の存在を「まともな世界」にアピールすることになっている。

「失敗は成功のもと」の時代

「失敗は成功のもと」といわれてきたけど、いつの間にか「失敗は許されない」社会になっている。

これを、「成功者」の人生から「逆算」してみる。
すると、「戦後の成功者」たちは、たいがいが「明治生まれ」なのだ。

松下幸之助は、1894年〈明治27年)~1989年〈平成元年〉。
土光敏夫は、1896年(明治29年)~1988年(昭和63年)。
本田宗一郎は、1906年(明治39年)~1991年(平成3年)。

それぞれが「還暦」を迎えたのは、松下幸之助:1954年(昭和29年)、土光敏夫:1956年(昭和31年)、本田宗一郎:1966年(昭和41年)である。

それで、還暦からの「余命」を確認すれば、松下幸之助:35年、土光敏夫:32年、本田宗一郎:25年。

彼らは、この間、「失敗は成功のもと」を信じて経営していたはずなのだ。
なぜなら、かれらこそが、その言葉どおりの体験をしてきたからである。

すると、これら企業組織内に、少なくともふたつの流れができることが予想される。
ひとつは、「君臨する経営者」に追随するひとたち。
もうひとつは、「実際に失敗した」ひとたちだ。

当然だけど、彼らが元気な頃は、「実際に失敗した」ひとたちが、これら企業内で「成功」したろう。
しかし、企業組織が巨大化して、変容を遂げると、単純にトップに追随するひとたちが、企業内官僚となって、徐々に「許容範囲」を狭めるものだ。

さらに、「奇しくも」彼らの寿命は、おおむね「バブルの絶頂時」に尽きた。

偉大なる「指揮官」を失ったタイミングが、「戦後最悪」という経済危機の時代だったのである。
もっといえば、かれら偉大なる指揮官が「健在だった」ならば、「バブル」に浮かれる世間に一石を投じたはずだ。

わが国における「バブル」の最初は、ヨーロッパが勝手に疲弊することになった第一次大戦による「大戦景気」だ。
この「バブル」は、1915年(大正4年)下半期に始まって1920年(大正9年)3月に、「戦後恐慌」がはじまるまで続いた。

「成金」が出現したのはこの頃である。

すると、松下幸之助:26歳、土光敏夫:24歳、本田宗一郎:14歳で、「バブル崩壊」を目撃したことになる。
つまり、かれらの「次の世代」は、これを知らないで、「平成バブル」に浮かれた、という事実が浮かび上がる。

これを、平成バブル「経験者」にあてはめると、「崩壊」がはじまる1991年(平成3年)に26歳だったひとは、1965年(昭和40年)生まれ、24歳なら、1967年(昭和42年)、14歳は、1977年(昭和52年)となるのだ。

こうしてみると、「経済史」が、人間の営みで編み込まれていることがわかる。

しかして一方、いまは「もう一つの側面」が議論されはじめている。
それが、「食と健康」だ。

とくに、「食事」が、「脳」に与える影響の大きさについて、重大な問題提起がされている。
それが、「あたらしい栄養学」ともいえる、「食品安全」にかかわることなのである。

つまり、「食品添加物」や、「残留農薬」、あるいは、「化学肥料」の影響ばかりか、「遺伝子組み換え品」がこれに加わったのである。
わが国では、今年の4月1日から、食品表示において、「遺伝子組み換えでない」とかいう表示はできなくなった。

つまり、消費者は、自分が食べている食品が「なにでできているのか?」を知らされることなく食べることになっている。
しかもこのことは、町のお惣菜屋さんも知りえない。
仕入れた食材が、もはや、どんないわれかを知る由もないからである。

また、よしんば「なにでできているのか?」が書いてあっても、それが「どんなものなのか?」を理解する「化学知識」が与えられていない。

食品添加物を例にすれば、日本は世界一「大量」かつ、「多種類」の添加物を摂取できる国に成り下がった。
それで、「癌」の発症がとまらない。

けれども、これらが「脳」に影響するという報告が、もっとも身近な問題になっている。
たとえば、「キレる」とか、「常同障害」はもとより、「鬱」の原因にも挙げられている。

なんと、日本人は、世界一「精神病患者」が多いのである。

これは、「病気」にいたらない状態のひとが多数いることも示している。
そして、これらの特徴が、「攻撃性」にあるのは、「不安」とか、「憎しみ」といった感情のもとになる物質が脳内で生成されることもわかってきたのだ。

すなわち、自覚できないけれども、他人を攻撃するとか、他人を攻撃したくなる、という欲求行動の主因に、「食事」がある、という問題になっている。

むかしはなかった、「ハラスメント」という概念も、むかしはなかった、のは「概念」であって、各種ハラスメントはあったはずだけど、これが社会問題にまでならなかったのは、「脳が健全」だという前提が、前提としてかんがえるまでもないことだったからである。

それで、加害者がいても、なんとかできた。

しかしいま、ハラスメントの原因さえも、毎日の食生活にあるのだとすれば、おぞましい状況になっていると認識しないといけないのである。

「おおらかさ」をもって、「失敗は成功のもと」と言えた時代は、人間の脳が健全だったからだという、前提ができた。
厳しく個人を追及する、「失敗は許されない」と追いつめるのは、組織のトップすら、「食事」によって脳が冒されている可能性があるのだ。

これを、「外食産業」は、克服できるのか?

崩壊に向かう情報シンジケート

「蟻の一穴」という言葉がある。

巨大なダムも、蟻があけた穴から漏れた水が、自身の水圧で決壊してしまうことだってある。
だから、止めている圧力が高いほど、盤石に見えるものほど、あっという間に崩壊してしまうことがある。

ソ連・東欧の体制崩壊もそうだった。

さて、「情報シンジケート」とは、アメリカを例にすれば、大手既存メディアとビッグテックといわれる巨大化した情報メディアが提携してつくった、「独占形態」のことをいう。
「カルテル」の発展形でもある。

物質的な商品の独占とはちがって、情報の独占という事態は、過去にはないことだけど、それは、「すっぱ抜き」に象徴されるように、むかしは「聞屋」だって、取材競争をしていたからのことだった。

ところが、ネット情報が普及すると、「すっぱ抜き」が困難になった。
事故や犯罪の「現場」を、スマホで撮影したひとが、すぐさまネットにアップできるから、「速報性」すらテレビから失われたし、国会も中継だけでなく、ちゃんと録画して保存もしていて、国民は観ようとおもえばいつでも観られる。

だから、新聞は、「これ」という場面を指定した「動画リスト」を報じるだけで、生情報に国民を誘導できるのに、いつまでたっても独善的な「記事」を書いている。

それで、新聞は1日遅れの記事を有料で読むひとが絶えたので、「解説」やら「意見」が、読み物として重要になって、とうとう「編集方針」による、記事の校正・削除をもって、一定思想に基づくプロパガンダ紙に変化して、これを支持する特定人の「好み」に応じることとなった。

こうした、マーケティングが正しいかどうかは問題ではなくなって、一定思想のプロパガンダが重要になったのである。
そこには、一定の購買層がいるからである。

わが国は、テレビ局とラジオ局を、新聞社の子会社とする政策が、田中角栄によって実施されたので、とっくにシンジケートどころか、「合体」していたから、いまだにあんがいと目立たない。

しかし、アメリカやヨーロッパでは、「民主主義」のために、情報の公正さを建前とするので、こうした「企業統合」は御法度だ。
そこで、読者や視聴者がしらないところでの「シンジケート化」が行われた。

つまるところ、国家が主体となることなしに、企業が連絡しあって、情報統制(=検閲)を行う、歴史初が起きたのである。

これで、新聞社・ラジオ局・テレビ局・GAFAが、特定の情報「しか」流通させない、という合意をして、国家ではなくこれら企業が決めた情報から外れるものを「削除」の対象とした。

そしてそれが、「民主主義の輸出」を旨とする、アメリカ民主党とその有力者、あるいは強力な寄付者の支持を得たのは、その特定の情報こそ、民主党に有利になるものばかりであるからだった。

繰り返すが、アメリカ民主党とは、スターリンに権力闘争で敗れたトロツキーが乗っ取ることに成功した、「革命政党」なのである。
よって、ソ連共産党が崩壊してから、いよいよ本性をあからさまにしてはばからないのは、スターリンへのルサンチマン(怨恨)の発露があるからだろう。

けれども、このひとたちは、「正統の共産主義・全体主義者」なので、スターリンへの怨恨といっても、この独裁者がやった自国民の虐殺に対する怨恨ではないから、やっぱり「ひとでなし」なのだ。

イーロン・マスク氏が買収した、Twitterに関して、氏は「フリー媒体」にすると言明した。
そこで、「情報シンジケート」各社から、裏切り者に対する「一斉の制裁」が叫ばれている。

GAFAのなかのふたつのA、アップルとアマゾンは、Twitterアプリの配信停止を示唆した。

iPadの愛用者であるわたしとしては、実に心苦しい。
なぜにアップル製品を使わなければならないかをかんがえたときに、自己矛盾のかたまりに苛まれる。
アマゾンもしかり。

結局のところ、株式を一般人が分散して保有していない、ということに原因がある。
特定の大株主が、特定企業の経営を担うのは、かくも重大なリスクを社会にもたらすことになってしまった。

トランプ氏を「独裁者」だといって批難しているひとがいまでもいるけど、どこの独裁者が自身の発言を検閲されるばかりか、アカウント削除という、「言論封殺」の目にあうものか?

すると、企業統治の原点に立ち返れば、株式の保有制度をどうするのか?という問題が、なんと、国家の運営=政治・行政よりも重大なことになったのである。

さてそれで、Twitterがフリー媒体になると、情報シンジケートの情報統制が崩れるのは当然だ。
どんなシンジケートでも、「抜け駆け」に弱いのである。

抜け駆けさせない最大のインセンティブは、「独占」によるメリット享受なので、その独占を拒否する者が出現したら維持できない。
つまり、どんな「妨害」も、意味をなさないから、Aがつく会社がとらんとする方策は、それ自体が「両刃の剣」となる。

そんなわけで、Aがつく会社が自らを貶めるのをみることで、無力な消費者は溜飲を下げるしかない。

ほんとうは、これらに代わる製品・サービスがあったらいいのに。

そんでもって、マスク氏は、Twitterで、民主党から共和党への「乗り換え支持」を表明したのだった。

「TPP」亡国論のいま

日本側からの視点だけが議論になっていた、という特徴が、この「亡国論」の「亡国的」ゆえんであった。

二国間だけでもそうだけど、ましてや多国間の貿易協定ともなれば、その複雑さは「立体パズル」の比ではない。
じつは、二国間協定だって、両国の産業構造の「ちがい」をイメージしたら、すぐさま「立体パズル」の比ではなくなる。

経済学部の学部生が初期に学ぶ、貿易モデルは、なんといってもリカードの「比較優位説」である。
日本的な説明では、ミカンとりんごを生産物として、A国とB国との貿易を議論する。

はじめのうちは、小学校の算数じゃあるまいしと、小馬鹿にしている学生も、たちまちにしてなんだかわからなくなってしまうのだ。
それで、貿易論なんか履修しなければよかったなぞと、授業をさぼった学生が、期末試験前に苦悶するが、毎年の風物詩にもなるのである。

貿易をすると、それぞれの国が豊かになる。

これが、「まっとう」なのは、「まっとうな理屈」を、「まっとうに実践する」からであって、理屈を歪曲したり、実践方法を歪曲したりしたら、たちまち「まっとう」が壊れて、一方的な損ではなくて、両国の民が損をしかねない。

だから、将来、指導者となる人材を育成する、という社会的使命を帯びている「大学」において、リカードの「まっとう」を学ぶことの意義は、ただ「貿易論」という範囲だけにとどまるはなしではない。

しかし、詐欺や掠奪を基礎的な文化に置くヨーロッパやアメリカ人は、「まっとう」を平然と歪曲して、このルールづくりに関与した「自分」が儲かるようにしたりする。

「自分以外」の自国民や、ましてや他国民の損を、なんとも思わぬところが、詐欺師の遺伝子がなせるところなのである。

そんなわけで、TPPも、「アメリカの陰謀」だという「論」を主張するひとがいて、これを推進する日本政府の無様を嘆いていたのだった。
ところが、ちょうど政権交代があって、もっとおぞましいトランプ氏が大統領になったら、あろうことかサッサと「脱退」してしまったのだ。

どんな理由でアメリカ側の脱退をさせたのか?
なんと、トランプ氏が言ったのは「アメリカは一方的に欺されている」という「陰謀論」だったのである。
つまり、名指しこそせずとも、それは間違いなく「わが国のこと」だ。

ならば、わが国側で「アメリカの陰謀」を言っていたひとたちはどうしたのか?といえば、全員がただちに「沈黙」して、逃げていってしまった。
以来、わたしは、このひとたちの言論を信用しないばかりか、けっして読んだりして近づかないように心がけている。

だから、読者であることをやめた。

アメリカが抜けたTPPは、完全に日本主導の多国間貿易協定になったけど、妙に「鳴かず飛ばず」なのは、日本が独立国ではない、といういまの国際社会では隠しようのない「常識」に、当時もなってしまっていたからである。

当時といっても、占領時から、となる。

だから、戦前・戦中のように「一等国」としての「独自外交」をする、気力さえも最初からないのはわかっていた。
問題は、アメリカ主導のはずだったことの方で、そのアメリカとは、わが国を二等国以下に貶めた張本人である、アメリカ民主党オバマ政権だった。

すなわち、トランプ氏が骨髄反応して脱退したのは、協定の中身をみて詳細を検討するまでもない、民主党の邪悪を熟知していたからだとかんがえるのが「妥当」なのである。

そんななか、17日、バイデン大統領は、「インド太平洋経済枠組み(IPEF)を、突如発表し、23日の初来日時に岸田首相と会談して「発足を宣言する」とした。

すると、事前に水面下での交渉があったはずだが、詳しくはわかっていない。

中身については、「反汚職」が明記されていることが、なんだかバイデン氏らしい。
自分のことを棚に上げるのがもっとも得意な御仁である。

中共への当てつけに見せかけて、あんがいと「日本的やり方」をターゲットにしているかもしれない。
その事例としては、「大蔵省」を事実上の解体に追い込んだ、あの伝説の「ノーパン・しゃぶしゃぶ事件」があるからだ。

「係長級」が接待されたのを、省をあげて、に「盛り込んで」対米強行をいうキャリア幹部の排除に成功したばかりか、金融庁というアメリカ金融界の御用聞きを新設させたのだ。
こういった「手法」で、アジアに展開する日本企業をやり玉にするかもしれないのだ。

しかして一方、自分もオバマ政権の副大統領だったのに、「TPP]すら棚に上げてしまった。
この「無責任」を、またまた棚に上げて、トランプ政権のアジアコミットが「なかったこと」を批判している。

わが国を含めて、「二国間協定」にさせられたのを、一方的に無視した発言こそ、各国が呆れる「無能」なのである。

そんなわけで、「TPP亡国論」は、またもや肩すかしを食らうことになった。

ならば、「IPEF歓迎論」をいうのだろうか?
念のため、チェックすることにしたい。

グローバルダイニング裁判の判決

わかりにくい「判決」なので、「(原告請求棄却の)主文」だけを聴いて飛び出して、速報記事にした慌て者たちが、「誤報」を大量生産して呆れられたというおまけもついた。

16日、東京地裁で、東京都から受けた新型インフルエンザ対策特別措置法(特措法)に基づく時短命令は「違憲・違法だ」として、104円の「損害賠償」を求める訴訟の判決があった。

本件については、過去にも書いているのでそちらに目を通していただくとわかりやすいだろう。
かんたんにいえば、このときの「懸念」が、そのまま「判決」になった、ともいえるからである。

なお、原告側主任弁護士の倉持麟太郎氏が、18日、自身のユーチューブ番組『このクソ素晴らしき世界』(奇しくも50回目記念となった)において、「判決文全文解説」をあげているので、法的な問題点のチェックに役立つからありがたい。

この事件は、東京都による「言論弾圧」について、民主主義の重要性を教えられて育ってきた、同社創業社長の長谷川耕造氏が「違和感」のあることをなによりの「きっかけ」にしているものだ。

それは、氏が「時短要請に従わない」ことをSNSなどで表明したことの「制裁」として、「要請」から「命令」となったときに同社店舗が「狙い撃ち」されたという主張となったのである。

それで、法律家として現状の法体系や裁判制度、もっといえば「わが国の法治」についての批判をしていた、倉持弁護士と「出会った」ことで、提訴になったという「経緯」がある。

それで、判決は、「都の時短命令は違法、賠償請求は棄却」という大手新聞の見出しが書いたとおりの「わかりにくさ」だったのである。
「誤報」となったのは、後段の「賠償請求は棄却」だけをもって、都の勝訴と早合点したことを指す。

都の時短命令は、「違法」という判断を裁判所がしたことだ。
つまり、原告側の実質的な勝訴となっている。
それでもって、賠償請求は棄却されたので、実質敗訴した都が「控訴」もできない建て付けにしてあるのだ。

しかし、長谷川氏が感じた、「言論弾圧」すなわち、「憲法違反」についての判断は「なかった」ので、結果的にえらく「テクニカル」な、よって、「小さい」判断となっていて、また、都にも「配慮」したものになっている。

もちろん、「コロナ特措法」を制定させたのは、「国会」に相違ないけど、「法自体」を批判してもいない。
「運用の問題」としたことも、「小さい」のである。
ただし、1年あまりで「判決」がでた、「スピード」はあった。

そんなわけで、原告は「控訴」を決めた。

さてそれで、飲食業界やレストラン事業を内在させる宿泊業界はどうなるのか?

その前に、「敗訴した」東京都のコメントは、都知事のもとにある「官僚体制」が機能していて、トンチンカンな解釈を表明している。
また、熊本県がさっそくコメントを出していて、控訴によって判決が確定したわけではない、という東京都へのエールを送っている。

蒲島郁夫熊本県知事の経歴をみると、高卒で農協に入って、留学先のアメリカの大学を出てからハーバード大学で博士(政治経済学)を取得後、筑波大学・東大教授を歴任した、典型的な「あっち側」の人物である。

その「あっち側」では、ビル・ゲイツ氏の新刊本が話題になっていて、もはやWHOのオーナー気取りの氏は、今後のパンデミックをパンデミックとさせないために、WHOの命令を加盟各国が遵守する旨の「条約」を準備するので、各国は即座に「批准せよ」と述べている。

つまり、選挙によらない「世界政府の樹立」を目指すと、臆面もなく堂々と主張していて、それがほんとうに実施されそうなのである。

これを、「グローバル全体主義」という。

「こちら側」が、グローバルダイニングだから、なんだかグローバルがかぶるけど、その主張は「真逆」である。

すると、「控訴審」では、「グローバル全体主義」との戦いをせざるを得ないことになって、「敵」は都知事や熊本県知事(=これにぶら下がる都庁や県庁の行政官僚)などといった「手先ども」ではないのである。

むしろ、「憲法に緊急事態条項」を加えたいとする、自民党こそが「グローバル全体主義」の手先になっていることが、国民的大問題なのだ。

たしかに、「日本国憲法」は、その出生からして決して正統とはいえない、あやしげなものではあるけれど、根幹をなすのが、「第13条」だということすら、国民は教育されていない。

「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。

さては、今回の判決で、憲法判断がされなかった、ということは、すでにこの13条が、「軽く」なっていることの証左なのである。
それを、「テクニック」で裁判所が逃げたのだ。

都知事や熊本県知事が息をするようにやっている「憲法違反」が、ビル・ゲイツの邪悪のように、ふつうに行われても、国民(業界人も)が気づかないので、なんとかしようとしている。

これが、この裁判の最大の問題点なのである。

「思考停止族」という区別

「愚かさ」と「思考停止」はちがう、と指摘したのは、『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』での、ハンナ・アーレントであった。

このブログでの「初出」は、もう2年以上前になる。
そのときのタイトルは、「官民あげて,という発想が生産性を低くする」だった。

つまり、「官民あげて」という発想が、「愚か」というのではなく、「思考停止」なのである。
ところが、「世人」がこれに気づいていない。
だから、いまだに「官民あげて」と聴いても、読んでも、「無反応」なのだ。

むしろ、「官民あげて」取り組むからこそ、「効率がいい」と発想するし、このように「即座に」反論するにちがいない。
「官民あげて=効率がいい」という、「刷りこみ」ができているのである。

これには、「官は民より優秀だ」という、「刷りこみ」ができていて、そのまた根拠に、「東大神話」があるのは、「衆知の事実」である。
「衆知の事実」のなのに、「神話化」しているのは、「偏差値教育」という、「刷りこみ」があるので、とりあえず「東大合格」の事実が、「神話」にまさるのだ。

これは、自分の劣等感を逆手に取った、一種の「ほめ殺し」のような、また、「ねたみ」のような、ゆがんだ感情が「一般人の思考」の背景にあることを示してもいる。

つまり、ここに「思考停止」となる、「原因」がひとつ浮かび上がるのである。
そしてそれが、自身の「劣等感」から生まれるという、「愚かさ」なのだ。

ところが、これが、「社会現象」になるのは、圧倒的多数のひとたちが、こうした「劣等感」の持主だということを知っている、小数のひとたちが、「刷りこみ」を画策して、成功すると、こうなる、という仕組みを作っている。

すると、このばあい、「東大に合格すること」は、たいしたことではなし、自分の人生とは関係ない、という別角度からの「刷りこみ」がないと、「解毒」できないことに気づくのである。

興味深いことに、むかしから「東大神話」を「否定」するひとが、「東大卒」という学歴だったことだ。
これには、いくつかの「タイプ:型」があって、ひとつは、自分が東大卒だとひけらかしたいひとだ。

あるいは、「被害者」もいる。
それは、「受験」とその後の「現実」との「狹間」で葛藤せざるを得なかったひとたちで、「東大だから」という他人の目が、驚くほどのプレッシャーになって、「できなかったとき」の反動をいう。

こうしたことは、「凡人」には発生しないから、「いじめ」の要素もある。
しかして、「東大だから」という他人の目が、一層の頑張りを本人に与えて、「やっぱり優秀だ」というパターンだってある。

けれども、いじめにあいたくない、という方向からの無理した頑張りなら、その心理は本人にしか分からないとはいえ、これがまた、「被害者」という意識にもなる。

すなわち、社会からの過度の期待、ということになっているのだけれども、社会が過度の期待をしたのは、優秀なひとたち、という暗黙の前提条件を疑わない「信頼」があったからである。
そしてそれが、当然、として、よくその信頼に応える努力もしたのが、優秀なひとたち、だった。

ところが、社会から「信頼」という概念が壊れはじめた。

世界で一番強固な道徳社会だった、わが国をしてそうなったのは、わが国よりも「低くて軟弱な道徳社会」だった、ヨーロッパを崇拝してしまったことの報いなのである。

ヨーロッパは、科学と技術に秀でていた「だけ」だったのに、社会全部が秀でていると、無邪気にも信じ込んで、つねに「わが国は遅れている」という劣等感にさいなまれたのだ。

この「劣等感」を、あろうことか、「東大のひとたち」が持ったものだから、あたかも日本人全員に伝染させられた。
そしてその「感染力」が、「東大の利権」に変容したのである。

これが、東大教授というひとたちの利権になるのは当然なので、偏差値をもって、「学会」でも「序列」を構築し、その挙げ句に、学会を統括する学術会議も牛耳ることになったのである。
原動力が、「利権」ゆえに、「予算」をコントールする欲望に駆られるのである。

こうしたさまざまな「矛盾」が、地下にマグマがたまって、それがとうとう爆発・大噴火を起こす物理現象になるごとく、社会にも似たようなエネルギーがたまって、いつか爆発する。

このエネルギーを抑えているのが、「道徳社会」なのだったけれど、タガが外れるように、社会から道徳が溶解しているのである。
そしてそれが、ドロドロになって「混沌」となる。

「低くて軟弱な道徳社会」のヨーロッパで起きている、ウクライナでの出来事は、その「混沌」を先行例として見せているといえるのである。

けれども、そうは見せたくないひともいて、それを信じる「保守」がいる。
これを、思考停止族として、区別するときがやってきている。

不自由な自由診療

1961年(昭和36年)に完成した、「国民皆保険制度」による、保険診療が、いまでは「当然」のスタンダードだから、それから外れる自由診療に自由がないことを、国民の多くが知らないでいる。

どんな自由かといえば、患者の「選択の自由」をいう。
つまり、「保険診療」とは、じっさいの「強制」なのだ。

このことは、小さなこと、ではない、「大ごと」なのだが、保険診療のあたりまえが、とうてい「大ごと」だという認識すら国民にさせない、「大ごと」なのである。

「病気を治す」あるいは、「病気が治る」とは、どんなこと、あるいは、どんな状態をいうのか?という面倒な話を理解しないといけない。

大ヒットした韓ドラ『チャングムの誓い』で、女官から医女に身分を落とされた主人公は、とうとう「王の主治医」になって、その功績から、衣冠制の最高位ともいえる地位に就く。

治療にあたるときの口癖(とした「セリフ」)は、「医官が病気を治すのではなく、本人の身体が自分で治すものだ」を繰り返す。
そこで、「医食同源」の思想も映えるから、日本でいう「大膳部」にあたる料理人としての女官だった経歴も映えることになっている。

この「病気を治すのは自分の身体だ」というかんがえは、漢方における基本概念なので、朝鮮における「韓医学」になったし、わが国の伝統医療にも適応されてきた。

そこに、「西洋医学」がやってきて、西洋の(科学と技術が)「進んでいる」ことが、自分たちは圧倒的に「遅れている」という観念になって、席巻されたのだった。

しかして、西洋医学にもざっくり二系統があって、「病原を理論化」することに重きをおく、ドイツ流と、「とにかく臨床で治ればいい」とする、英国流があって、わが国では陸軍と東大とがドイツ流、海軍と慈恵会が英国流を採用して今日に至ったことになっている。

けれども、どちらも「保険診療」という「くびき」の中に入って、そこからの脱却が「不可能」であるから、保険診療をとんがらせる一方通行の方向にしか存在できない。

せめて、「高度医療」という最新技術を用いた、「高額医療」について、保険部分と自由診療部分にわけて、患者の経済負担の軽減をはかることを「制度化」しただけなのである。

それで、「自分が自分を治す」という、「治癒力」について話を戻せば、じっさいに「西洋医学」をもってしても、この「原則」は変えることができない。

唯一の外部専門家による治療が、圧倒的効果をあげるのは、「怪我」などの「外科」あるいは、「整体」によるものだという。

保険診療の問題は、診療内容が完全にマニュアル化していることにある。
「健康保険」からの、「公金」を使うから、「公平性」という価値観で、みごとな「全国一律」を構築したのである。

すると、むかしのような「藪医者」に、めったにお目にかからなくなったのも、この「全国一律」のお陰なのだ。
つまり、症状による「治療」と、「投薬」は、決まっている。

その症状は、「データ」によって裏づけられるので、たとえ「入院」しても、直接医師による診察がないばかりか、面と向かって会話すらしない。
看護師による血圧測定にはじまって、すべてがデータ化されるからで、もはや医師は、患者の顔色ではなくて、モニター画面を観ているのである。

しかし、これが、「保険診療」のルールなので、余計なことは「しない」のではなくて、「できない」のである。
そんなわけだから、「投薬」にいたっても、保険で定められた「薬」を、定められた「量」出すことしか「できない」のだ。

そうしないと、「保険」の実績審査において、「不当」だと判定されたら最後、たいへんなペナルティーを受けることになるからである。

これらを管理するための「一律基準」が、「保険点数」だ。

よって、患者は近所のクリニックだろうが大病院だろうが、黙っていれば全員が「保険診療」を受けることになるので、みごとな「平等」のもとにいられるけれど、そこでの「治療」とは、ほとんどが「応急処置だけ」という「品質下」におかれるのである。

これは、「癌治療」においても、例外ではない。
あたかも、個別の癌治療のごとくでありながら、全員おなじパターンが適用されるのは、「保険診療」だからだ。

このことの重要性は、とくに「予防」ということで顕在化する。
なぜならば、保険診療には、「予防」という概念がないからだ。
よって、なんらかの症状がある者しか「診療の対象」とはならない。

だから、「早期発見・早期治療」が叫ばれるのであって、「早期発見」にも、「予防」という概念がないことに注意したい。

これがまた、さまざまな「健康情報」が散乱して、さまざまな「サプリメント」が売れる原因にもなっている。
それで、間違った情報で間違ったサプリメントを、間違った量で摂取することによる、「健康被害」が後を絶たない。

これが放置されているのは、「自由」だから、ではなくて、「保険診療」に持ち込むためだといえまいか?

それで、「予防」を重視した「診療」は、わが国では「自由診療」でしか扱えない分野になっている。
多くのひとが、自由診療=美容だと勘違いするのは、「予防」のプロの存在が、あまりにも小さいからでもある。

国民皆保険制度とは、典型的な社会主義政策で、これを推進するのは、社会主義国家である。

「平等」をうたうゆえに、「自由がない」という、トレードオフの関係が、みごとに「保険診療」にあらわれているのだと、ちょっとだけでも知っていていい。