「太閤下水」を観てきた

別に、「背割(せわり)下水」ともいう。

むかしは武将の居城としての築城にあたっては、城下町もつくるのがセットだった。
いわゆる、「町割り」とは、現代の自治体がする、「都市計画」のことで、現代とちがって強制を伴った。

発案・実務者が誰だったのか?にはあまり注目されないが、総指揮をするのは武将本人なので、その武将がぜんぶをやったことになっている。

いま社会問題になっている、「パワハラ」も、裏をかえせば、指揮官たちによる指示・命令の「質が問われる」ということなのだが、結果としてのハラスメントだけが目立ってしまって、その「質」について議論されることがなく、犯人探しに終始するのも、「責任者」としての名前を特定したいからだ。

それで、名前が確定すると、こんどは社会から糾弾されることになる。

いまに伝わる、武将の功績や悪事でも、それぞれ伝説になって伝わっているのは、社会から、という点でもおなじなのである。

指示・命令の質とは、ざっくりふたつの側面がある。
・指示・命令そのものの是非
・指示者・命令者による被指示者・被命令者とのコミュニケーション能力

しかも、こうしたものが複合してしまうのは、さらなる上司(権限者)による了解を伴っていると解釈できるので、組織の問題になるのは当然なのである。

逆にいえば、組織管理の問題だとはじめから気がつかないひとたちが、やってしまう、という構造にもなっている。

かんたんにいえば、組織管理とはなにか?ということの訓練を組織人たち(管理職全員)が心得ていれば、十分に防止できることである。

しかし、このことができている組織はあんがいと少ない。
それを意識している総指揮者(トップ・マネジメント)がすくないからだ。

なので、問題が大きくなって、トップ・マネジメントたちが社会の目にさらされる、いまなら記者会見の場における、しどろもどろは、ふだんから組織管理とはなにか?をしらぬまま、トップ・マネジメントの職に就いた(肩書きだけが重くなった)ことの無惨なのである。

一方的な価値観で決めつけることは控えたいが、時代と価値観がいまとはぜんぜんちがう、戦国時代の戦国武将にとってみたら、組織管理の失敗は、そのまま自家の滅亡リスクを伴うから、緊張感があったのは当然だ。

そのサバイバルゲーマーとして、国家のトップに就いたのが、豊臣秀吉だった。

偏差値偏重の現代には、ぜったいに登場しない英雄である。

けれども、義務教育もない時代(明治までずっとそんなものはなかった)、ひとびとは、生きるための勉強は自分からやっていた。

秀吉は、「学」はなかったが、「教養」がなかったわけではない。

わからないことは、わかるひとにきけばよい。
それで納得したら、即実行する。
これが、このひとを天下人にしたのである。

だから、秀吉本人が納得するか?しないか?が問題になる。

そこに、秀吉のなかの価値観形成における人生経験が、育ち、として決定的になったのだとおもわれるし、その育ち方が、一般人にとっての常識でもあったから、家臣団だけでなく庶民という下からの支持を得たのだ。

秀吉の最大の武器とは、ここにあったのではないか?

そんなわけで、太閤下水である。

大阪城は、元は一向宗の拠点にして難攻不落の石山本願寺だった。
だから、信長のころから城地として目をつけられていたを、すったもんだの末に、秀吉が天下の居城として定めたものだ。

個人的には、名古屋城の本丸御殿が忠実に復元されたように、忠実なる復元を巨大な大阪城にするだけで、万博以上の価値があるものを、とおもうのである。

それもこれも、大阪人たちの劣化のなせる業であるけれど、どうしてかくも劣化したのか?をかんがえると、郷土教育をやめたことに原因がある。

江戸期を通じても、糞尿は貴重な肥料の原材料だった。

なので、「下水」といっても、いまのように生活排水に糞尿も一緒にされることはなかった。
もちろん、合成洗剤もなかった。
すると、「上水」はどうしていたのか?

「おなじ」だったのである。
当時、上水と下水の区別はなかった。
そもそも、「下水」という日本語ができたのは、明治の頃のようだ。

なので、「水道」なのだ。

江戸末期に、大阪でコレラ(「コロリ」)が流行ったのは、この水道から菌がしみだして、井戸に混じったからといい、モルタルなどで漏れないための大工事がおこなわれている。

時代があたらしくなって、汚物も排水していたということだ。

なお、「背割(せわり)」とは、この水道が街の区画堺としたためで、玄関がある表通りの背面だからだという。

いまは蓋がかかって暗渠になっているが、むかしは蓋がない。

大阪市建設局に電話して申し込むと、中央区農人橋、南大江小学校西側に唯一の見学施設があって、そこで説明をしてもらえる。
所要時間、約20分。

ジャパニーズ・ウイスキー・バー

ジャパニーズ・ウイスキーが人気で、手に入らない。

群馬の県庁所在地、前橋の飲食店では、ウイスキーを手に入れるのにバンドルされているいろいろを購入しないといけなくなっている、という。

なんだか、1993年(平成5年)の米騒動を思い出す。

このときは、タイ米(インディカ米)がバンドルされて、飲食店も強制的に購入させられた。

それで、調理法がわからないひとたちは、「不味い」といって捨てていたのを、アジアの貧困国から、日本は不道徳だ、と非難されたのであった。

日本政府が、タイに請願して大量買付したので、米の国際価格が爆上がりしたのである。

ただでさえ食えない貧困国は、自己民に食べさせる米が買えなくなった。

その米を、不味いからと廃棄するのは、確かに不道徳であった。

食べ物は大切にしない、お百姓さんに叱られる、という言葉でむかしの子供は育ったものだが、国内向けの話にとどまっている不可思議がある。

この非難の矛先が、日本に米を売ったタイにも及んで、広範な国際問題になったけど、当時の日本のマスコミはこれを報じなかった。

それはそれで、1973年のオイルショック(石油危機の本格化は翌年から)で、日本はなにも悪いことをしていないのに、どうしてこうなるのか?という、幼児のような言論が国内を席巻したのも思い出される。

すると、「大正の米騒動」(1918年)のときとかと農林水産省もいっているが、昭和の米騒動だってあった。

それが、1931年(昭和6年)からはじまる、「大凶作」で、東北地方では天保以来の大飢饉という悲惨になったのである。

平成5年と同様に、日照不足が原因とされる。

そしてまた、日本政府は、タイ米を買い付けて、調理法をしらない日本人は、「不味い」といって捨てていたのである。

歴史は繰り返されている。

これを隠したいがためか、「米不足」とか「米騒動」で検索しても、昭和の大凶作はヒットしない。

では、どうしていまウイスキーが足りないのか?

どうやら、輸出に回っているという。

要は、日本人が外国人に買い負けているのである。

有名な高級銘柄だけでなく、むかしなら1級酒とか2級酒にあたる銘柄も足りない。

それで、これらにもプレミアムが加算されている。

じつはわが国は、ウイスキー大国である。

どれほどのメーカーがいかほどの種類のウイスキーを作っていて、販売されているのか?は、よくわかっていない。

数百銘柄はあるといっても、それはいま作って販売している種類のことだけで、賞味期限がないウイスキーは、製造をやめたものもちやんと販売できるから、どうなっているのか?の把握が困難なのである。

しかも、大メーカーだけでなく、中小の造り酒屋がウイスキー製造にも手を出しているし、独自に樽を造り酒屋に持ち込んで詰めてもらい、これを自社に持ち帰り熟成させることで、メーカーとは別の製品になって販売されている。

しかも、それをブレンドすることで、無限大の種類が生まれるのだ。

わたしは、ウイスキーとは、基本的に熟成の時間を買って飲んでいるものだとかんがえていたが、それにはもう一つ別の価値が加わることを、大阪のジャパニーズ・ウイスキー・バーで確認した。

終売となったむかしたっぷり宣伝していた、大メーカーのウイスキーが棚に並んでいるのである。

真面目なマスターは、これを仕入れ価格連動で販売している。

なので、もしそれが2級酒であっても高価になることもある。

しかし、マスターによれば、有名銘柄の高級ウイスキーにバンドルされてついてくるものが多数だという。

つまり、下手をすると、実売当時よりも安い、ということもあるわけだ。

ボトルに詰められたら、ウイスキーは熟成しない。

つまり、50年前に販売されていたウイスキーは、たとえ半世紀ガラス瓶の中にあっても、50年ものとはいわない。

ガラスという化学的に安定している素材のなかで、アルコールという溶剤成分が化学変化を起こさずにいるから、熟成もないので、賞味期限がなく、そのままの状態を維持している。

しかし、そのボトルのラベルが、時の経過を語っているのである。

なので、熟成の時間とはちがう、わたしの若き頃の思い出を買うことになる。

熟成をしているのは、自分の方なのだ。

少ない給料で、子供時代からある町内の酒屋で買って飲んだ、2級酒が、目の前に並んでいるのは、絶景なのである。

注いでもらって舐めてみれば、パッとそのときの光景までが浮かんでくるのは、まさに魔法の水である。

うまいウイスキーには、2種類あると教えてもらった。

売国与党の銀行法改正

岸田政権は、過去の政権とはちがって、公約を徹底的に遵守している稀有な政権である。

この根本が、国益に照らしてみたらまちがっているので、支持率が史上最低レベルになっているのに、些末なことばかりを支持率低下の理由にしているから、「ビジネス保守」と揶揄されるのである。

もちろん、プロパガンダ機関のマスコミは、そんな岸田政権が崩壊して、とりあえず「まもなく総辞職する」とかという期待を高めてるように仕向けているけど、アメリカ民主党のロボットと化した与党には、ガス抜きになるだけのガセネタだろう。

ただし、一方で、岸田氏の後任候補に、そのアメリカ民主党とイコールでそのものだといえる高市氏を推す雰囲気をつくって、また国民を騙そうと画策している。

国民にはまったく人気がないのに、河野太郎氏とかも「候補」になるのは、世界経済フォーラムが推しているからである。
河野氏は、日本人には珍しい、「将来のリーダー」に選出されていた。

つまり、高市・河野という候補の構図には、どこにも「国益」という概念が存在しない。
高市氏がよくいう、「国益」とは、一見もっともそうだけどダブルスタンダードによる用法で、「(私は、)国益を無視する」という意味であるから、注意がいる。

これまでの用語なら、「国益」とは、国民多数の利益、という意味だったけど、いまの国益は、国民を支配する者たちの利益という意味に定義変更されている。

定義変更したのは、90年代のアメリカ民主党であると前に書いた。
それが、グランドストラテジー(国是)の変更に伴う、日本の立ち位置の変更になったのである。

敗戦後、属国(じつはアメリカ民主党の「植民地」)となったわが国だから、本国のグランドストラテジーの変更は、そのままわが国の国是の変更を伴うのである。

ここに、日本政府・日本人の自由意思はない。

よって、曲がりなりにも、日本政府は民主主義によって日本国民の意志による、日本国民のための政府だという装いがあったけど、国是の変更を強いられて、とうとうむき出しのあからさまで、国民支配を全面に出すことにしたのである。

そうやって、これまで隠れていた、アメリカ大使が、本当の「日本総督」なのだと一般国民にもしれるようになったのは、LGBT法案での彼の大使の言動であからさまになったからである。

「日本総督」とは、マスコミは表現しないが、「あたかもよいひと」という表現をするように心がけているのは、対マッカーサーとまったく同様のパターンなのである。

いまのアメリカ大使は、べったりとオバマの側近である。
オバマの大統領主席補佐官だったのに、なぜかオバマの地元イリノイ州・シカゴ市長になったのが、見た目にも変なのだ。

しかしいま、「オバマ出生の秘密」が暴かれだして、あのひとはいったい何者なのか?がわからない、とんでもないことになっている。

シカゴでも、公的記録のなにかを隠す工作をやっていたのではないか?というのは、もはや陰謀論ではなくなっている。

そんなわけで、ロンドン・シティで、「日本への投資」を促したのを皮切りに、岸田政権は、「日本国の大売り出し」をやっている。

そのための「円安誘導」なのである。
目標は、もしや往年の「360円」なのではないか?

ただし、戦後、円の価値をどうしようか?としたときに、円周が360度だからこれだ!として、対ドルの通貨価値を360円で固定された、あほらしいエピソードがある。
われわれはそんな理由で1ドル=360円で生活させられたのであった。

しかし、日本人にはありがたいことに「冷戦」と、「朝鮮動乱」が起きて、アメリカは一国だけでのアジア支配に、日本の経済力をつかって利用しようと目論んだ。
それがまた、当時のアメリカ民主党(戦争屋たち)が定めた、グランドストラテジーだったのである。

ゆえに、高度経済成長は、アメリカ民主党の意向でやらせてもらえたのであった。

さて、かくなるわたしは、そんなアメリカの投資銀行で、事業再生を担当していた。
このビジネスモデルは、破綻した経営を立て直して、あたらしいスポンサーに高く売る、というものである。

そろそろ高く売ろうとして、高く売れたときを、あわせて「刈り取り時期」と呼んでいた。

つまり、肥らせてから売るのである。

それが、80年代からはじまるバブルとそれ以降の40年である。
なお、総量規制でバブルを葬ったのは、宏池会の宮澤喜一政権だった。

そんなわけで、宏池会の久々の政権となった岸田政権は、しっかりと、「日本売り」の公約を果たすために全力の努力を重ねている。

だれでもならう、近代経済システムの要が、銀行である。

なので、むかしの財閥は、核に銀行を置いていた。
銀行が、財閥内の各実業会社の資金調達と資金繰りを担当し、各事業会社からしたら、ATMのような存在でもあった。

しかし、財閥の総統は、この銀行を支配していたのである。

それをまた、日本銀行が支配することで、日銀を支配する日本政府は、日本経済を支配した。
ゆえに、政治による経済のコントロールができたともいえる。

これを、外国企業に委ねるのが、与党が決めたことで、たんに内閣が決めた、とはいえない。
内閣は、旗を振っただけである。

そんなこんなで、日本経済の将来が、また暗くなったのである。

群馬のブラジル

もう6年ぶりほどにもなるけれど、群馬県大泉町を訪問した。
群馬県といっても、すぐに県境の利根川を渡ってしまえば、埼玉県は熊谷市である。

この小さな自治体が、わが国における、「ブラジル」なのである。

スバルとパナソニック、あるいは味の素やマルハニチロなどの工場群があって、とっくにはじまっていた人手不足から、日系ブラジル人の逆受入をはじめたら、だんだんと本家のブラジル人たちもやってきて、とうとう人口の1割がブラジル人になったのである。

他国のひとたちを加えると、この「町(市町村でいう)」は、人口の2割が外国人になった。

しかし、圧倒的なシェアは、ブラジル人なので、町にはポルトガル語の看板がふつうにあって、そのデザインも他では見ることができない、異国情緒にあふれている。

まったくもって、かつての横浜や、まだ現役で踏ん張っている横須賀のようなのだ。
ただ、横浜や横須賀は、米軍によっていた時代しかわたしはしらない。
「世界に開かれていた」往年の繁栄は、おそらく戦前までのことだったろう。

すると、開港(1859年)から国家総動員法(1938年)までの、ざっと80年余りということになる。

「江戸っ子」に対抗して、「ハマっ子」といっていたけど、江戸っ子が3代江戸に住んでいると定義づけたら、ハマっ子はせいぜい2代ということになって、元気を失っていた。

それがあるから、「ハイカラ」をとにかく「売り」にして、銀座の店に並ぶよりはるかに早い横浜のファッションは、東京からの買い物客を呼んでいたのである。

それが、わたしの高校時代に、「ハマトラ(横浜トラディショナル)」が突如流行りだして、雑誌の表紙を飾っていた。

最先端だったヨコハマが、トラディショナルになってしまったのに、売れればいい、に堕落した横浜の商売人は、最先端への挑戦をやめたのである。
それでもって、ハマトラ・ブームが去ったら、そのまま元町商店街も衰退がとまらない。

コモディティ化がはやかった、伊勢佐木町の衰退は、シャッター街になっていないだけまだマシかもしれないが、かつての繁栄は見る影もない。

商店街の立地という観点からしたら、元町が有利だったのは、山の手の外国人貿易商たちも健在で、日本人の生活水準とはかけ離れた生活をしていたひとたちが常連客として支えていたからだ。

その山の手地区も、すっかりふつうの高級住宅街になって、外国人の姿をみるのも稀になった。
だから同時に、商店街も衰退したのである。

いわゆる、「商店街振興」に、「商店街振興組合法」(1962年、通産省)とかで、商店街そのものを振興させようという魂胆が、全国一律、まったく機能しないのは、商店街で買い物をするのは誰か?という肝心要に触れない、いってみれば、「臭いものに蓋をする」だけの愚策だからである。

自分たちが「臭いもの」にされているのに、補助金やらを貰って愚策に歓ぶことが、さらなる衰退を呼び込んで、シャッター街になったのは、自然現象ではなくて人為によるものだとかんがえないから、同情できないのである。

そうやってみたら、この大泉町も、日系ブラジル移民の子孫を呼び込もうと目をつけた、人為によるブラジル化である。

いま、「海外移住」について情報提供しているのは、国際協力機構(かつての「国際協力事業団」だが、略号は、「JICA」のままである)なのは、外務省唯一の外局だからで、昭和30年に、「移住局」が設置された流れをくんでいる。

それで、横浜みなとみらい地区には、「海外移住資料館」なるものがある。
大桟橋から、移住専用シャトル船「ぶらじるまる」で移住するひとに別れをつげる出航の銅鑼の音と紙テープの嵐は、なんども目撃したものだ。

よくよく冷静にかんがえたら、明治から国が推奨した「海外移住」とは、結局は、「棄民」のことだった。

なので、「海外棄民資料館」として見学すると、見えないものや隠したいものがみえてくる、貴重な資料館なのである。

さてそれで、ブラジル側は大泉町をどうみているのか?だが、残念ながら詳細はわからない。
第一に、大泉町には、ブラジル領事館がない。

東京・五反田にブラジル連邦共和国総領事館がある。
また名古屋にも総領事館が設置されている。
なお、大使館は北青山だ。

だから、大泉町在住のブラジル人は、パスポートやらの手続きには、五反田まで出張る必要があるだろう。
しかしながら、大泉町多文化共生コミュニティセンターでは、「移動ブラジル領事館」というものを開催(2020年8月)している。

その後が不明だが、ブラジル側は、棄民したのではない、ということだろう。

それにしても、「多文化共生」のための箱物が、全国展開しているので、大泉町が特別ではない。
けれども、やっぱり、ブラジルそのもののスーパー、「キオスケ・シブラジル」を目指せば、その一角が、ぜんぶブラジルだ。

駐車場には、ブラジルのケーキ屋さんと、ブラジル人の主食キャッサバ芋が土つきでキロ400円で移動販売されていた。

どちらもひとだかりで、大量の芋を買うブラジル人たちを眺めるだけでなく、わが家でも購入してみた。

そのままだと3日でダメになるというから、はやめに火にかけることを勧められた。

独特の皮を剥いてゆでると、黄色に変化するが、食感はサツマイモとジャガイモの中間ぐらいで、かすかに甘い。

棄民されたかつての移民になった気分で、味わっている。

鼻をきかせる店選び

旅をすると、必然的に初めての土地で飲食をすることになる。

電車での移動だと、その街の情報を得る方法はあんがいと限られると思いきや、自家用車の移動だと、もっと限られる。

そこで、「鼻をきかせる」ことが大切で、ハリウッド映画風にいえば、「本能に従え!」ということになる。

ネットがない時代の旅でも、もっとも信用ならなかったのは、「観光協会」の窓口であった。
こういった組織が、まだあることに驚きを禁じ得ないのは、なんだか「交通安全協会」がまだあるのと似ている。

地元タクシーに乗って、運転手さんから情報を得るというのは、今でも常套手段だろう。
この意味で、タクシーの運転手さんは、「情報産業」の一員である。

なので、イマイチな情報だと、タクシー会社のブランドが傷ついていることを、タクシー会社はどこまで気がついているのか?が問われるのである。

「売上 = 単価 ✖️ 数量」 という、全産業にとって絶対的な公式をどのように因数分解するかが、経営センスを決めるのである。

いったん規制緩和されたのを、再び国家介入を求めたような業界だから、残念だがお里がしれることになってしまった。

国交省のなんの経営センスもない役人に、単価を認可してもらうことになったし、運転手の数(自動車の台数)すら、国交省の役人が決めるのは、もうほとんど自助努力の分野がどこだかわからない、という縛りとなって、そこでの競争だけが熾烈になっている。

これに個人タクシーが絡んでくるので、企業組織対個人経営という構図もある。

企業組織対個人経営で、企業組織が圧勝したのは、コンビニエンスストアという分野だ。
このあたりを、タクシー会社はどのように自社をコンビニ化しようとしているのか?

酒類の販売許可という規制があったのは、食糧管理法で米屋が町内に必ず一軒あったのと同じであった。

いまもある米屋は、顧客の好みに合わせたブレンドの技をもって、それを顧客カードに登録する方法も採用した。
そこで、「賢い主婦」は、スーパーで袋詰めされた単一のブランド米を買うよりも選択の範囲を広げている。

「安く買う」ことだけが、「賢い」ということではないけれど、「専業主婦」が家計の贅沢さをあらわすことになった。

町内の酒屋が絶滅危惧種になったのは、コンビニで酒類販売ができるようになったことだった。

『サザエさん』の脇役、三河屋さんの「御用聞き」自体が、いまや死語となって、通用口がある家もなくなった。
ケースで買うのが当然だった、晩酌用のビールを配達してくれて、人寄せのときには追加注文に素早く応じてくれた酒屋さんも、ほとんどいない。

そんなわけで、しらない街の飲食店情報を、街の酒屋で聞き出すことが、いまでは困難になったのである。

税理士がひとり生活するには、30社ほどの顧問先がないといけないのと同様に、街の酒屋さんも、個人宅だけでなくて、街の飲食店の配達先をもっていないと生活できないのだ。
それで、必然的に、注文の、「単価」と「数量」で、店舗ごとの営業状況を熟知することになっていた。

だから、圧倒的な確率で、街の酒屋さんから聞き出した情報に狂いはなかったのである。

ネットがある、いま、いわゆる飲食店の紹介サイトをどう使うのか?をかんがえると、わたしの場合は、ほとんど参考にしていないというのが、結論であ

いわゆる、評価点数と投稿コメントの二つが決定要素なのだろうけど、この二つがぜんぜん信用ならないのは、観光協会と同じなのである。

そこで、なにも「Googleマップ」を宣伝するつもりは毛頭ないが、この企業が仕掛けている、利用者のマップによる「検索ログ」を取ろうとして、マップ上の情報を詳細化する努力をしりながらも、しらない街の飲食店を探すのに使っている。

いまいるホテルの部屋からでも、地図検索すれば、その街の飲食店分布具合が俯瞰できる。

そこで、捻くれ者のわたしは、まず、「場末」を確認するのである。
それからおもむろに、中心部の混み具合をピンチ拡大しながら、物色する。

よくしる地元で、これをやって、コツをつかむと、しらない街でもちゃんと使えるのである。
だいたいこんな方法で選んでいるが、ハズレに当たらないのは、しらない街だから、他店と比較ができないということもある。

もちろん、わたしはそんな成功体験をグルメサイトにあげる気はまったくないので、ひそかにGoogleマップのポイント登録をするだけで、自分だけの「覚え」としている。

それを、こっそりとGoogleマップ側は見ているのだとしりつつも、なのである。

人生最後の買い物 胡椒挽き

気まぐれなシリーズ化ができれば上等なテーマである。

還暦もとっくに過ぎて、この夏の「藍染・小千谷縮」のジャケットをなんだかんだ2着も購入したら、伝統的工芸品と言えるような、「上質」を今更ながらに手に入れて、その製品寿命から、人生最後の買い物、という感覚が生まれた。

今回の買い物は、胡椒挽き(ペッパーミル)である。

まだ20代だった頃、新婚のお祝いに頂戴したデパート商品券で、フィスラーの圧力鍋と日本製の胡椒挽きを一緒に購入した。
鍋の方はパッキンの交換をしただけで、いまだに現役だ。
記憶によれば、当時で3万円超の高級品だったけど、商品券だから決断できたのである。

それでも、30年以上も使っていて、なんのトラブルもないのはさすがで、もう1年あたり1万円を割り込んだから、それなりのお得感があるのは間違いない。

しかし、胡椒挽きの方が、引っかかりもなくクルクル回りだしたのである。
当時、いちいちかんがえてこの手の製品を買うことがなかった。
あとから、プジョーの胡椒挽きが世の中に君臨しているのをしったけど、今度は需要の方がなかった。

それでも人間は面倒くさがるもので、台所と卓上の二箇所に置きたくなって、やっぱり誰かに頂いた商品券で、プジョーの電動ミルを、贅沢にも岩塩用とセットで購入した。

フランス人の発想は、いまだによくしらないけれど、カイロにいたときの誰かが乗っていた自動車がプジョーの高級車で、調子が悪いといってボンネットを開けた時の驚きは今でも覚えている。

日本車だと隙間があって、スカスカしているのは、衝撃に対してのクッションも果たすように設計されているのだろうが、このヨーロッパ車はスパゲッティのような配線がエンジン周りにへばり付いていて、一見してなんだか複雑に見えたのである。
これを、エジプト人のメカニックが顔を突っ込んで何やら作業するだが、元に戻せるのか?が心配になるほどであった。

当然だが、こんな昔話がいまも通じるとは思わないけど、大枚払って乗る車ではないと、妙に確信したのである。

しかししながら、変速機のギアを作る技術で、胡椒挽きを作ったプジョーは、美食大国フランスのお国柄としてすんなり納得できた。
とはいえ、電動の胡椒挽きのメカニックは、やっぱりどこか日本人のセンスとはちがう妙ちくりんなのだ。
スイッチを入れるとライトが点いて、目的のエリアを照らすのは確かに便利なのであるが、単三の電池を6本も使うのは、胡椒を挽くのにトルクを要するからだろう。

それでも、懐中電灯のような内部の作りは、100年前の設計ではないかと疑うのに十分な稚拙さに満ちている。

おそらく、超頑丈なギアが刃として使われてはいるけれど、それ以外はぜんぜん考慮されていないのかもしれない。
胡椒用と岩塩用は、若干のちがいしかない形態で、粒の荒さ調整のちがいほどしかないのではないか?
そんなことを素人が云々してもせんないが、塩は蒸発する、ということに気がついたのである。

おそらくヨーロッパではあり得ない湿気と夏の気温によって、大粒な岩塩も気化してしまうのだと思われる。
それが、電池を腐食させて、液漏れを誘発し、接点がイカれて故障するのである。

だから、我が家では岩塩用のミルは、いつも電池を抜いていて、すぐには使えないオブジェになっている。
もちろん、電池室にも悪影響するので、岩塩も抜いている。

そんなわけで、岩塩用には、セラミックス製のミルを別途購入して、こちらはいまだに健在である。

さてそれで、人生最後の胡椒挽きの買い物をどうするか?だ。
もちろん、電動ではない手動のものが欲しい。
それで決心して、横浜のデパートに向かったら、電動のタイプしか在庫がなかった。

手動のものなら、ドイツメーカーのコーナーだと案内されたが、それがまた、セラミックス製のものだった。

プジョーのライオンマークが刻印された、ゴツい胡椒挽きが欲しいのに。
でないと、人生最後の買い物としての意味が薄くなるような気がしたのである。

だったら、トヨタとか日産とかの胡椒挽きはないのか?と文句の一つもいいたくなるが、商品券で買いたいから、実店舗でないといけない。

とうとう横浜の衰退は、胡椒挽きも東京・日本橋界隈に行かないといけなくなったのか?
なんだか前に買いだめした、ホワイトペッパーが、泣いているような気がしてくる。

そういえば、人間は年にどれほどの粒胡椒を消費するのだろうか?
もう十分な量があるのか?足りないのか?

人生最後の粒胡椒を買うのはいつなのか?が気になる昨今なのである。

世界の「極右」台頭

アルゼンチンに続いて、オランダでも、「極右」が選挙で勝利した。

それでもアルゼンチンのミレイ氏が、真性なのか偽装なのか?が疑われるのは、かつて世界経済フォーラムと関係していて、選挙中もウクライナ支援それにイスラエルとの関係重視を断言していたことに起因する。

BRICsへの加盟招待も、毅然と拒否を宣言したので、ロシア大統領府は、「今後大統領に就任してからの発言に注目し判断する」と述べたことを20日のロイターが伝えている。
なお、同記事でプーチン氏はミレイ氏に祝意を表した、とある。

ロシアにして、様子をみて見きわめたい、ということだ。

一方、オランダは、そもそもあと2年ほどもある任期を前に、ルッテ政権が崩壊したことが原因の選挙であった。
ルッテ氏は、まだ56才だが、そのまま政界からも引退すると表明したのは、潔い。

彼は、もともと保守系とみられていたのに、やっぱり世界経済フォーラムの配下にあって、グローバル全体主義を推進させられるはめに陥ったのである。

逆神のマスコミは、積極的だった移民政策が致命傷のごとく書きたてているようだけど、じっさいはそれだけのはずはない。
むしろ、オランダの破壊が、国民からの信頼の失った最大の「犯罪」なのである。

しかし、「オランダ」とはどんな国なのか?をよくしらないと、はなしはここでいったん終わる。

江戸幕府が長崎の出島で、唯一の交易国としたのは、オランダがすでにプロテスタントの国になっていたからだ。
秀吉が切支丹追放令を出した、切支丹とは、カソリック(スペイン・ポルトガル)のことである。

この両国は、ローマ教皇と三角契約を結んでいた。
それが、1494年の「トルデシリャス条約」である。
これで、北アメリカはスペイン(後にメキシコ)、南米にはポルトガルのブラジルという境界ができた。

発見されるだろうあたらしい土地についての境界を、「教皇子午線」として定め、西経46度37分としたのだ。
これで、1500年に発見されたブラジルがポルトガル領となった。

それから、英国が1588年にスペイン無敵艦隊を破って、パワーバランスが激変して、いまの世界地図の下地ができたのである。
ブラジルを除く南米大陸は、この間にスペインのものになっていた。

しかして、教皇(カソリック教会)にとっては、スペインだろうがポルトガルだろうが、かならず「ローマ・カトリックの布教」としての教皇領を捧げるという意味になるので、まったく損はない取り決めだった。

だから、宣教師がはじめにやって来て、布教と交易をして安心させながら、最後は軍がやってきてその土地を占領するというパターンになったのである。

そのスペインの飛び地が、オランダだった。

しかし、フランスを挟んで北にあるオランダは、ずっと近いドイツのルターの影響から、プロテスタントに宗派変えすることになって、分離し、独立する。
これが、オランダ独立80年戦争で、ヨーロッパ各国が落ち着いたのが、「ウエストファリア条約」となったのだった。

いまのEUを根本から支えるのが、「ウエストファリア体制」だから、昔話ではすまない。

さらに、ヨーロッパが面倒くさいのは、王家を含めた諸侯が血縁で結ばれていることで、「血で血を洗う」おぞましさは、横溝正史のドロドロどころではない。

加えて、オランダ王室は、「女系」という面倒をかかえている。
さいきん、英国もエリザベス2世の後を継いだのがチャールズ3世なので、女系になった。

序列の順番を(わざと)まちがえるひとたちは、世界の序列第一位のわが皇室も女系がいいというのは、「国体」の破壊工作なのである。

さてそれで、オランダ「王配」として特筆すべき人物が、ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルト王配殿下である。
ユリアナ女王の夫君であり、ベアトリクス女王の父君でもある。

しかし、この御大は、「ビルダーバーグ倶楽部」の創始者にして、婚外子を多数設けた人物で、その養育費を自腹捻出するのに、ロッキード事件にも巻きこまれて失脚した、お騒がせの人物なのだ。

「国際」がつく怪しげな機関、世界自然保護基金 (WWF)とか、偽善者の集まり、「国際ロータリークラブ」も設立した、張本人だ。

そんな、グローバル全体主義者の代表が君臨したオランダで、「極右」政権が誕生するとは、そっち方面からしたら、なかなかの事件なのである。

ただし、いまのマスコミが書き連ねる「極右」とは、ナショナリズムのことだから、マスコミの立ち位置の「極左」度合いがわかるのである。

どちらも「極」がつけば、グルッと一周して同じ穴のムジナである。

しかし、ナショナリストはグローバル全体主義にあくまでも対抗するので、やっぱり「極」をつけるのはまちがっている。

もう我慢できなくて、極端な政策をとるように各国の配下政治家に命じる、ビルダーバーグ倶楽部やその下の世界経済フォーラムが、かなり焦っていることだけは、確からしい。

これはまた、わが国でも同じことがいえるのである。

いろんな発明

人間は、発明する稀有な動物だ。

当然だが、発明ができるのは、思考力があるからである。
だから、人間は、思考力をもった稀有な動物だ、という方がより上位にある概念だ。
それもこれも、思考力の使い方にあって、発明することができるひとと、発明しないひとの思考力になんらかの差があるからだろう。

これを、さいきんでは、「個人差」といういい方で切り捨てている。

にもかかわらず、「いろんな平等」をいうので、何が何だかわからなくなるが、それもこれも、わざと混乱させて、あたかも「いいひと」ぶることで、特定の社会状況に仕向けたいという意図によっているから、より面倒なのである。

むかしいっていた、「気を確かになさい」というのは、この意味で名言だった。

この「気」というのは、精神のことだ。
そこで、キリッとしたいときに、「気合い」をいれるし、ダランとリラックスしたいときには、「気を抜く」のである。

もちろん、「景気」の「気」も、このことを指して、世の中全体の気分が浮かれていたら景気は高揚するし、沈んでいれば景気は悪化する。

浮かれた気分は、陽気なひとが先導する。
たいがい陽気なひとは、楽天家で、ばあいによっては、「脳天気」でもある。
一方で、陰気なひともいる。

これらは、生まれついてのもので、だいたいが個人差として認識されるものだが、後天的なこともある。

なので、「世の中はうつろいゆくもの」と認識されて、それが、「時代」を形成するのである。
しかし、ひとが時代を認識するのは、後世になって振り返ったときがほとんどで、リアルに時代認識ができるひとは、また、思考方法がややことなるのである。

むかしは、「激動の昭和」と、戦前から戦争をはさんで戦後の平和をいっていた。

けれども、いろいろなうつろい(個人の細かな振動)が、なにかのきっかけで共鳴をはじめると、想像もできない大波が生まれて、社会の全員がこれに飲み込まれる。

それでできたのを、「社会常識」とか、「社会通念」とかというのである。

そうした状態が、エネルギー準位が低くて安定するために、社会常識からはずれると、まさに「外れ値」のあつかいを社会から受けて、いわゆる、「除け者」にされる。

ところが、社会常識やらも、うつろいゆくひとびとの上に乗っかっているだけの、浮き草なので、だんだんと変化を遂げるものだ。
すると、気がついたら、外れ値だったひとが、突如、時代の寵児に躍り出ることもあれば、その逆もまた真なりなのである。

野蛮なヨーロッパで、「革命(REVOLUTION:大変革)」が何度もあるのは、「振れ」が大きいからである。

150年が経過して、ようやくわが国でも、「明治維新」の立ち位置が見直されようとしている。

それで、見直したくない立場の「保守」勢力は、見直しを試みる勢力を、「歴史修正主義」といって攻撃している。

そもそも「修正主義」とは、マルクス教徒たちの内ゲバになった、「正統マルクス派」対、「修正派」のことで、たとえばドイツのベルンシュタインが「修正主義者」として、正統派から糾弾されて、スピンアウトして今日に至っている。

だから、「修正主義」という用語を用いるのは、そっち方面の自己紹介をしているという意味も含まれているものだ。

つまり、明治維新を保守したいひとたちのなかに、正統マルクス派が存在する。
これに、国粋主義的ないわゆる、「右派」という意味の「保守派」が混じっているのである。

けれども、明治維新の意味の修正をもとめるひとたちも、「国粋主義的」ないわゆる、「右派」だから、目立つのは、「右派の内紛」という構造になっていて、これをまた、正統マルクス派が分断を煽っている。

そんなわけで、150年間、強固なはずの「明治維新」が、いま、意外な崩れ方をしようとしているのである。

ずいぶん前に紹介した、山本七平の傑作、『現人神の創作者たち』(文藝春秋、1983年)がある。
小室直樹との「対談もの」の最高傑作で一度絶版して復刻された、『日本教の社会学』をあわせて読むと、その深さをしることができる。

  

要は、「現人神」を発明したのには、意味があるということだ。

そんな明治という、中央集権体制の構築を最優先にしていた時代の、国家統一事業は、「万葉集」すら、発明の対象とした。

われわれは、発明といえば機械文明のことだと勘違いして、「特許制度」を当然としているけれど、特許制度が文明力を衰退させると批判したのは、ハイエク『致命的な思い上がり』(1989年)だった。

こうして、「発明」を、文学にまで広げるのは、じつは人間の精神(気)を支配するのが、文学(哲学)だからである。

受験制度のなかにずっぽり漬かっていて、「実学」ばかりに気を向けさせて優先させるのは、「文学(哲学)は役に立たない」という思い込みをさせる、おそるべき仕掛けなのである。

これを正面から突いたのが、全国3年連続金賞の快挙を果たした、京都橘高校吹奏楽部を育て上げた、田中宏幸元顧問の、哲学の発明であった。

短期債務1500兆円の償還

会計周りの用語で、「短期」とは、1年以内、という意味である。

貸借対照表(バランスシート)に、「現金・預金」が、短期資産に計上されるのは、現金は当然として、いつでも現金に引き出し可能な預金も、現金扱いにするからだ。

逆に、右側の債務に、「短期債務」とあるのは、1年以内に返済しないといけない借金を意味する。
なので、短期債務 ÷ 短期資産を計算すれば、その企業が倒産しない「安全性」がわかるのである。

「長期」とは、1年を超える期間のことなので、長い目でみた場合の企業の安全性は、「固定長期適合率」として、固定資産 ÷ (自己資本+固定負債) × 100 でえられる数字が100を下回ほど安全という意味となる。

ブルームバーグが8日に伝えたのは、アメリカ国債の利払いが、1兆ドルを超えた、というニュースだった。

バイデン政権がたった2年で大盤振る舞いしたら、アメリカ国債残高が爆増して、いま33兆ドルになっている。
円に換算すれば、×150円=4950兆円だ。

このうちの10兆ドル(1500兆円)が、なんと、「短期債務」なのである。
つまり、アメリカ政府は、この10兆ドルをなんであれいったん償還(返済)しないといけない。

来年の世界経済最大のリスクが、この償還がスムーズにいくか?いかないか?にかかっている。
もちろん、ここでいう「スムーズ」とは、従来の保有者が借り換えに応じてくれるか?という意味である。

要は、これまでの国債を償還した形であっても、「そのまま」あたらしい国債を購入してくれる、ということである。

もしも、あたらしく買ってくれないとなったら、アメリカ政府は通常の方法で資金繰りができなくなる。
外国が買ってくれないなら、国内で消化(売る)するしかないということになる。

なんだか、ディジャブなのは、ギリシャの破綻を思い出させるからである。

破綻した企業の「再生事業」をやってきたわたしからすると、「破綻」は悪いことばかりではない。
もちろん、破綻しないに越したことはない、ということでもなくて、ちゃんと経営していれば、ふつうは破綻なんかしない。

ちゃんと経営できないから経営破綻するのだ。

なので、「悪いことばかりではない」という意味は、そうした悲惨に企業を追い込んだ、経営者たちに経営の場から退場してもらえることに尽きる。

もちろん、そんな企業なら従業員にも痛みを伴うけれど、これは経営者に意見やら楯突くことができなかった、あるいはしなかったことの報いともいえる。

まぁその前に、破綻させるような経営者は、事ここに至っても従業員に情報提供しないのが特徴だ。

破綻後の事業継承にあたっての従業員説明会の場(いわば「この期に及んでも」)でも、会社がいまどうなっているのかについてまったく無知なひとがいるのは、何もかんがえないで機械のように働いて、給料さえ得ればいいとやってきたのがよくわかることだ。

しかしながら、人間をそこまで無関心にさせるのも、経営者の悪しき手腕だったといえるから、心から気の毒におもえるのである。

とはいえ、自身の身分確保(雇用の継続)と、退職金の一時払いでリセットし、新会社での退職金計算が新規雇用として開始される程度の痛みだ。
経営破綻したのに、退職金をいったん支払うまで資金を用意するのは、その後の再生事業に従業員たちの「心の入れ替え」が不可欠だからである。

動画で観るいまのアテネの様子は、なかなかの荒み具合ではあるけれど、数字上でギリシャ経済はずいぶんと立ち直っているようにみえる。

わたしがエジプトに住んでいた80年代の前半から、帰国してちょうど10年後に再度訪ねたときの変化は、戸惑いこそ感じたほどで、あのエジプト人たちが、時間を守っていたのが信じられないことだったのだ。

経済成長の度合いは、カイロの街中に高層ビル群ができたことでもわかったが、ずっと南の郊外に住んでいたわたしの家だった場所に、とうとうたどり着くことができなかった。
街のランドマークさえ変わってしまったからだった。

こうしたことは、あたかも途上国だから、という常識があるが、先進国にはあり得ない、というのもまちがっている。
あたらしいタイプの大統領が誕生した、アルゼンチンは、『エビータ』(1996年)でわかるように、むかしは南米1位(世界5位だったこともある)の経済大国だったのである。

まさに、平家物語のいう真理、「驕れる者も久しからず」、「盛者必衰の理をあらわす」なのだ。

そんなわけで、アメリカ人は、10兆ドルの返済をどこまで意識しているのだろうか?とおもうと、あんがいと破綻した企業の無知なひとと重なるのである。

もちろん、わが国の状況も似たようなものだが、気になるのは、先の米中首脳会談だった。

15日、APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に合わせ、アメリカのサンフランシスコで行われ、マスコミは「中身がない」とか「落とし所がない」とか、あるいは、バイデン氏の「独裁者発言」だけが目立っていた。

こうした、おとぼけ記事を疑うのである。

アメリカ国債の保有残高をずっと減らし続けているけど、日本に次ぐ巨額保有者である相手に、「短期債務」の償還義務がある立場にしては、まったく辻褄があわないからだ。

「買い換え」を懇願したのではないのか?

これがうまくいかなくて、腹いせの一言であったのだろう。
相手がこの失敬に動じなかったのは、ひざまずいたのが誰だったかを示すものだ。

しかし、その提示した条件に、まさか、日本を売り渡す(台湾は当然)、こともあったなら、岸田氏が慌てて急遽、年明けに米国訪問する意味もわかるのである。
いかにぼんくらな外務省でも、これぐらいはやっておかないとアリバイがなくなる。
カネがない財務省と、財源をつめるのに時間を見計らったにちがいない。

「ぼくを売らないで、もっと買い増しするから」といって、立場を確認しに行くのだろうけど、相手は日本を征服した、民主党なのだ。

そのために増税するのは、もはや日本人が日本人でいられるのをカネで買うしかなくなった、ということなのだから、せめて岸田氏は正直に国民に情報提供するとよい。

歴史に汚点が永久に刻まれないように。
これが、与党「歴代」の結果なのであるから。

阿呆・バカ・間抜けの日本政府

14日付、ワシントンポスト紙が伝えた衝撃の記事。

「禁じられたロシアの石油、ペンタゴンに流れ込む 所有権が何度も変更されて、ギリシャの製油所に送られ、米軍に供給されていた」

一方、わが国の経産省は、今年の2月5日以降、事実上の禁輸措置をして、中東依存を石油ショック時よりも高めるようにしていた。
もちろん、その名分は、「国際平和のため」ということになっているけど、「国家安全保障」は二の次なのである。

経済安全保障担当大臣の存在意義がかすむけど、党内人事のなれの果てポストだということがバレている。
なのに、この無能大臣が次期総理候補筆頭だと「(ビジネス)保守」がいうのは、論理破綻している。

ギリシャ沖で瀬取りをしている「うわさ」(日経報道)について、前に書いたが、これは間違っていた。
瀬取りではなかった、という意味だけだけど。

さらに、今回の記事では、ヨーロッパ(EUあるいはNATO)の国でも似たような「抜けがけ」をしているとすっぱ抜いた。

すると、わが国の生真面目さはなんなのか?
これを、「奴隷根性」というのである。

2021年(令和3年)10月4日に発足したのが、岸田政権であるから、このアメリカに無条件に追随している政権としての責任追及が国会で行われるのかどうか注目される。

しかし、宮澤喜一内閣以来の「宏池会」政権であるので、アメリカ追随は派閥の存在理由としてある。
すると、元まで遡れば、吉田茂の系統ということになるのである。

これを、むかしの政治評論家、戸川猪佐武が、『小説 吉田学校』(1971年〜80年)として持ち上げたのであった。
ここででてきたおかしな定義が、「保守本流」であった。

外川は、「保守」をどのように位置付けたのか?わたしにはずっと違和感があったけど、さいきんになって「そうだったのか!」とおもうのは、アメリカ民主党がつくった日本征服状態を保守するひとたちの「本流」だという意味なのである。

つまりは、「奴隷の幸福追及一派」ということである。

もちろん、奴隷として辛酸を舐めるのは国民多数のことだが、それを仕切るエリートたちは、牢獄で看取の補佐をする裏切り囚人として人生を謳歌できるということだ。
他の囚人からどんなに蔑まされても気にしない精神状態にかならずなるのも、特徴のゲスだ。

おそらく、アリストテレスの『奴隷論』をしっているひとたちの企みにちがいない。

わが国の不幸は、こんな売国吉田の系統に対抗するのが、CIAと手を組んだ岸信介の系統(清和会)だけだったことにある。
吉田の売国的安保条約の改訂を試みた岸の想いは、「国士」のそれでだけであったのか?といえば、「冷戦勃発」とその対策において、アメリカの都合が反映されていたことは間違いない。

分断をもって統治するのは、英国がインド支配で大成功して以来、腹黒い白人がやる常套手段なのである。
ために、吉田と岸は、この分断の親方に据えられて、アメリカ民主党がこれらをコントロールしたのであった。

「60年安保」の複雑は、戦前の岸(近衛内閣の商工大臣、その前は満州国次官)をしる当時のおとなたち(戦災の生き残り)と、改訂安保が目障りなソ連の意向を汲んだひとたちによって巻き起こった、混沌のムーヴメントであった。

この点で、「70年安保」における、「反米」と「親ソ」の混沌は、戦災の生き残りが次世代の若者に「反米」で乗り移った姿でもあった。

60年安保の騒乱を受けて、アメリカ民主党は、日本の高度経済成長を容認したのである。
つまり、食えない貧困が革命を産むリスク回避なのであるが、冷戦がまた日本を必要としたラッキーでもあったのである。

ただし、アメリカ民主党(=GHQ)の占領政策は、えらく「赤」かったので、素直に赤く染まった日本人が騒乱を起こしたのを、こんどはソ連が利用する構図になっていたことには注意がいる。

要は、米ソ冷戦もしかりだが、なぜにソ連が連合国なのか?が欠落している。
じつは、「グルだった」のではないのか?

高度成長をあたかも、日本人の自助努力だけで成し遂げたというのは、お目でたすぎるし、明治維新だって、ほんとうは英国と結託した薩長が奴隷のなかの裏切り奴隷で、しっかり英国に好きなようにされたのに、アジアで唯一とか、有色人種で唯一植民地にならなかったとかと、ありもしない幻想にいまだに自己満足しているのである。

なので日英同盟の意味を、理解できないでいる。
これを大陸人たちは、「日本人は何度もおなじように騙せる」と、公言してなお、ほくそ笑んでいるのだ。

どうして、こんな惨めなのか?

「歴史を忘れた民族」だからだ。
それがとうとう、受験エリートの脳を冒して、「官民あげて」阿呆・バカ・間抜けになったのである。

そんななか、19日、地球の反対側にある、アルゼンチンで、「極右」のハビエル・ミレイ下院議員が、大統領選決戦を制した。

逆神のマスコミは、フランスのマリーヌ・ルペンとおなじパターンで、その「ヤバさ」を煽って、いつものように日本人読者を惑わすのである。
それでもって、いつものように日本人読者は惑わされることになっている。

まったく、懲りないのは、一般人も文科省が独占している学校教育で、阿呆・バカ・間抜けになったからである。

公正取引委員会は、文科省にせめてもの独禁法違反の「警告」ぐらいだしてほしい。

ハビエル・ミレイ氏(じつは自由主義経済学者)は、確かに「熱い」言動をするひとだが、阿呆・バカ・間抜けかどうかはまだよくわからない。

とにかく、「自由主義者」であることが、社会主義・グローバル全体主義の目線からしたら、「敵」なのである。
それゆえに、ミレイ氏は、先手を打って、これらに宣戦布告したら、大統領に当選したのだ。

さしもの日本人一般も、岸田政権だけでなく自民党支持も5人にひとりを割ってきたけど、アルゼンチン国民の阿呆・バカ・間抜け度はいかほどなのか?

よーく観察しないといけない。