歴史には連続性があるし、社会が歴史をつくりだす。
この意味で、「西暦」もわが国の「皇紀」も、あんがいと「無機質」な年数勘定となっている。
王朝の何年という「元号」のいい方が、その時代をイメージしやすいのも、君主のパーソナリティと社会の性格が時代をつくりだすからであろう。
そうすると、わが国の「年号=元号」は、とくに「明治」から、西暦と皇紀とを併用してこそ便利な数え方になっている。
むろん、わが国の場合、江戸期以前は、天皇の「追号」と年号・元号の一致がないために、より複雑なのであるけれど、当時のひとびとはそれで不便はなかったらしい。
明治になって、つまり、1868年9月8日に、「慶応」から「明治」になって、同日に、「明治改元の詔」がでて、「一世一元」制になったのである。
ちなみに、上の「9月8日」も「旧暦(太陽太陰暦)」なので、明治5年に移行したいまの太陽暦(新暦)にすると、10月23日となる。
当時のひとたちは、いきなり日付が飛んだのでさぞや困惑したろうとおもうが、あんがいとエピソードして語り継がれていない。
戦後すぐに東大法学部の宮沢俊義教授がとなえた、「8月革命説」がながく、しかも権威主義的威圧(全体主義)で学会を仕切ってきたので、あたかも戦前・戦中期と戦後とは断崖絶壁のごとくの「(歴史の)断絶」をGHQも加えた人為にて構築してきたが、これもまた歴史なので、しっかりと連続した歴史の中の「ルイセンコ型」エピソードになっている。
この宮澤の他に東大法学部教授の有名人といえば、横田喜三郎なる人物がいて、戦後になっての第三代最高裁長官にして文化勲章・勲一等などの栄誉があるが、これらはみな歴史によって洗い流され、いまでは噴飯のお笑い者となっているから、やっぱりルイセンコ型類型の人物としての「迷声」なのである。
さてそれで、明治から大正となってそれなりに長い御代となるかとおもわれたが、たった15年(実質的には14年間)で終わってしまった。
明治と昭和の重い時代に挟まれているというのは、令和の今からの観点で、当時のひとはそんなことをおもいつくはずもない。
「大戦景気」で日本人の道徳精神が破壊されたのは、昭和末期=平成初期のバブル期に似て、ヨーロッパの戦争が終わったら、急激な不景気に襲われた。
この急転直下への対応におおかた失敗して、昭和に突入するのであるけれど、あんがいと文化面では、21世紀の現在の基盤をつくった時代なのである。
ここで注意がいるのは、この時代も、昭和の前半も、あるいは昭和の30年代あたりまで、わが国はれっきとした「農業国」だったのである。
それで、戦後は「コルフォーズ」を真似た、「農協」がすさまじい圧力団体だったし、ついこないだの中国人観光客のように、「農協ツアー」が世界を席巻していたのである。
なので、「大正浪漫」というけれど、それは一種の「廃頽」であって、大権威として谷崎潤一郎が君臨もしたし、永井荷風やら究極的破滅型の近松秋江やらがいた。
その一方で、夏目漱石(大正5年没)門下(東大)の系統から、久米正雄、芥川龍之介、あるいは武者小路実篤らによる、あたらしい男性像がうまれた。
これには、舶来の、とくに「フランスかぶれ」が影響しているが、これはラクロの『危険な関係』における、彼らの身分制(貴族社会と平民の分離)を基礎とすることをしっていないとついていけない。
その意味で、わが国には江戸川乱歩が描いた探偵が活躍する世界が、華族との身分差、を怪しく表現している。
ために、「8月革命」をGHQが強制しないでいたら、つまり、旧皇族の臣籍降下もなく、華族制度が残っていたら、現代日本はどんなことになっているのか?妄想が膨らむのである。
政治によって「格差社会」にされたいま、こうしてみると、なんだか現在が「大正回帰」しているようにみえてくるのである。

