自由主義の理論的代表として、オーストリア(ウィーン)学派がある。
そのなかでも代表するのは、ミーゼス、ハイエクといった碩学である。
このふたりは、師弟関係のような同僚のような関係であり、なお、徹底批判した介入主義のケインズ学派(当時の「近代経済学」主流派)からの猛攻撃に耐えたのである。
だが、ミーゼスの悲劇は、生涯親交のあったそのハイエクからも、理論的研究における非難を浴びたことであった。
つまり、一般にハイエクが孤高のひと、といわれるが、そのまた上の孤高にミーゼスがいるわけである。
ミーゼスが唱えたのは、「最小国家論(ミニャリズム)」で、そこから「夜警国家(治安維持のための最小限の国家)」の概念が生まれるのであった。
ようは、政府が「福祉国家」をめざすとか、「景気対策」のために公共事業を活用する、といった介入主義政策のすべてを「余計なもの(ムダ)」と定義したのである。
だから、よくある「政府予算の中からムダを削減する」という行為そのものがムダだという。
予算項目にある、「事業費」のすべてがムダだからである。
この意味で、トランプ政権2.0の「DOGE」でさえ、ミーゼスは感心しないであろう。
いま、フランスを中心におきている「抗議行動」という名の「暴動」は、社会主義者が煽動しているとわかってきた。
これが、周辺国にも飛び火して、イタリアのメローニに対する「NO KING運動」が暴徒化しているのも、みんな「ケインズ経済政策」を採用した挙げ句の果て、つまり、社会主義・共産主義=全体主義の蔓延結果なのである。
ケインズ経済とは、見た目は資本主義のようで、中身は社会主義・共産主義=全体主義にほかならなから、これに染まると中身がジワジワと外にしみ出てとうとう、ひとびとの価値観そのもを破壊(麻痺)し尽くすのである。
さて、夜警国家の役割とはつぎの3点である。
・国内治安維持のための警察:個人の身体や私的財産を暴力や詐欺から守る
・国防軍:外国の侵略を防ぎ守る
・司法:民間の自発的な契約を守るための公正な裁判制度の維持
こうしてみると、今の介入主義によって肥大化した政府よりも、自由主義からしたらずっと江戸幕藩体制のほうが合理的にみえる。
しかし、幕府と諸藩が薦めた「儒学のうちの朱子学・陽明学」の基盤が社会にあってのことだとかんがえると、奥深いのである。
明治政府は、これを「因習」として避け、「実学」の輸入に特化したら、その後の不況を回避する方便での国民生活への介入主義まではびこってしまったのである。
そのみっともない姿が、京大や東大やらの学長選びになって世間を騒がせている。
世間が騒ぐのは、まだ、「儒学のうちの朱子学・陽明学」が残滓のごとくあるからだ。
なんにせよ、介入主義は利権を生む。
よって、政府とその従業員たる役人は腐敗するし、政府とその従業員に近づいて、自分の利益をむさぼろうと図る、「ゴロ」がまとわりつくようになるのである。
これを、さいきんでは「NGO」とか「NPO」とかというようにして、誤魔化しているのであるが、むかしはハッキリと「政治ゴロ」とか、「満州ゴロ」といっていた。
だから、「ゴロ」ではない、「NGO」とか「NPO」は迷惑するのだが、グレシャムの法則のように悪貨は良貨を駆逐するものだ。
そんなわけで、タイムリーに「カナダ人ニュース」さんが、エルサルバドルの若きブケレ大統領を特集してくれた。
どこでどう転んで、この人物が介入主義を排除して「夜警国家」を建設しだしたのか?までの深掘りには及んでいないが、やっていることは、まったくミーゼス博士のいうとおりなのである。
それに、実績のない無党派として大統領選に立候補した若者を、なぜにエルサルバドル国民は一発で有効投票数の5割を超える勝利を与えたのか?も、しりたいところである。
しかし、介入主義に染まったわが国の政府(外務省)資料には、こうした点への言及がないし、その強権的な犯罪撲滅手法に「人権問題」として批判的なのである。
このリアル感に欠ける政府のお花畑状態を、日本国民がしらないのは悲喜劇だろう。
それでもって、外国人移民を「移民」と定義しないで、大量に受け入れているのは、これまた介入主義によるものだが、もっとあくどいのは「奴隷輸入」だともいわないことにある。
ミーゼスは、豊かな国の余裕が無理な介入主義のバッファを用意する、と指摘している。
これをわが国の「人手不足」にあてはめてかんがえると、若者世代のうちの「引きこもり層」に注視すれば、働かないでも一定生活できるのは親の世代が豊かだったことのバッファ(蓄え)のおかげと解釈できる。
すると、この世代よりも下の世代は、移民し技術を習得した外国人の配下となるか、その外国人の子供世代と競合することになるのである。
はたして、これが不足する職人の後釜としていいものなのか?
問題なのは、職業的な力量のことではなくて、精神性のことなのである。
そこで、いったん入れた移民を排除することが直接的な対策としてあるが、とにかく「日本化させる」ことが、あんがいと効くのである。
すると、ここで、「日本人とは何者か?」についての定義づけがひつようになるのだが、これを国家の文部科学省が行えば、それはそれで介入主義となることに注意がいる。
現在の社会システムが、介入主義によって構築されていることがみえてくるのである。
いかにして国家に依存しないで生涯を過ごすのか?をかんがえることが、夜警国家をつくる王道ではあるが、たいへん困難な道であることは、現状からのうまみを得るひとたちの反対で押しつぶされることが想定されるからである。
この意味でも、エルサルバドルのブケレ氏やアルゼンチンのミレイ氏が実行している方策こそ、参考になるのである。

