すかしっ屁判決を出して、トランプ大統領から宣戦布告されたのに恒例の長期夏休みに突入したとおもっていたが、まだ「開店」していたアメリカ合衆国連邦最高裁が13日、ここ一番の重要判決を出したので盛り上がっている。
内容は、トランプ政権2.0が推進している連邦政府の大幅人員削減について、これを阻止していた、サンフランシスコ連邦地裁の判決を逆転させたことにある。
ようは、大統領がもっている「政府官僚への人事権」を最高裁が認め、確認した、という画期なのである。
独立記念日の4日に解散したDOGEがはじめた、エリート終身高級官僚の解雇についての法的根拠に、「完全性」をもたせるものとなった。
わが国のばあい、判事らの人事は最高裁判所に設置の「事務総局」が行っていると前に書いた。
アメリカの連邦判事の場合は、ときの大統領が指名して連邦上院が可決して就任するので、最高裁判所に人事権ははなからない。
なので、政権が気に入らない判事の解任には、上院の弾劾可決だけによるので大統領にも権限がない。
このことは、どんなにトランプ大統領が「独裁」だと非難されようが、独裁者になれない制度(合衆国憲法)上の建て付けになっているのである。
けれども、大統領=連邦行政府のトップが、連邦政府の事務官僚人事を司ることについての権限がどこまであるのか?ということについては、長年、不明な状態であったのである。
これが、決まった。
何度も書いたように、アメリカ連邦政府の高級官僚採用は、カーター政権のときにつくった「SES」からのことで、建国の歴史上それまでなかったものである。
ようは、この判決は、SESへの「武器化」容認なのである。
けれども、日本人に興味深いのは、民主党の当時の左派だったカーター政権が、日本との経済競争に負けそうになった焦りから創設した仕組みなので、モデルがわが国の官僚制度だということなのだ。
つまり、トランプ政権2.0は、日本的官僚システムを全否定することに成功した、ともとれる。
実質アメリカのGHQが定めた、日本国(征服)憲法では、それまでの明治憲法を「改正」する方式で施行したが、ほとんど「首相独裁」の権限が与えられている。
明治憲法では、権力「分散」がコンセプトであった。
なので、戦後の歴代首相たちは、その強烈な権限を隠すために、平身低頭を心掛け、国民にバカにされても内心ではその強大な権力をいかに行使するか?をかんがえていた。
それでもって、「内閣人事局」もつくって、官僚人事を牛耳るようにして、ほぼ、政府内を固め政権に批判的な官僚の排除を可能にしたのである。
これで、官房長官だった無派閥の菅義偉が、官僚機構に睨みをきかせることに成功し、引退したいまも隠然たる力を保持するエネルギー源となっている。
すると、トランプ政権2.0からしたら、わが国の首相は「神」のごとくの全能だと解されるだろう。
なので、これまで以上の圧力が高市にかかるのは、アメリカ側の大統領権限の地盤がかたまったからだとかんがえられる。
ちなみに、わが国の統治方式における、「二元制の地方」ではそうはいかず、首長と議会の関係が国会とおなじではない。
たとえば、映画、『県庁の星』にあった、知事と県議会議長の上下関係がそのまま福岡県で起きているのである。
いまの福岡県の場合、知事も県の官僚だったからなおさらにわかりやすいのである。
おそらく、全国の都道府県で似たようなことになっていると想像できるのは、仕組み、がおなじだからである。
アメリカではいよいよ、中間選挙前の共和党トランプ派優勢がみえてきた。
戦後初ともいえる、アメリカ民主党がつくった日本政府への圧力が強まるのも時間の問題になっている。

