1月6日事件の時効

パム・ボンディ司法長官を解任せよ!との投稿が多数ある。

2021年1月6日におきた、「国会議事堂襲撃事件」の首謀者を逮捕する動きが見あたらないためであるし、5年の時効が迫っているためでもある。

確かに、この事件だけをみると時効が気になるのではあるが、トランプ氏をはじめとしたトランプ政権2.0内で、司法長官更迭の声がきこえてこないのは何故か?

もっと巨大な「山」を追及しているからではないか?としかかんがえられない。

とにかく、クリントン政権からずっと、とくにオバマ政権の闇は深く、バイデンの犯罪的な政権は、4年にわたってしっかりと「売国」をやめなかったのも、その裏にオバマの存在があったからである。

活動資金は、ソロス財団やビル・ゲイツ財団だけでなく、DOGEによって政府組織のUSAID(アメリカ国際開発庁:1961年にケネディ政権によって創設)が、CIAの財布として数々の活動資金に利用されていたことが判明した。

そのケネディ氏暗殺の犯人探しに、CIAが編み出したプロパガンダ用語が「陰謀論:Conspiracy theory)であったし、政権に都合が悪い論には、この用語をあてることで「噴飯物」として世の中が相手にしないように仕向けてきたのであった。

さらに、カーター政権が高度成長で絶好調の日本を真似て創設した高級官僚制(SES)を、大拡大して、アイビーリーグの学生を千人単位で増員をかけたのがオバマであったから、これら大量採用の官僚を、「オバマ・チルドレン」と呼ぶようになっている。

むろん、軍もポリコレの士官を養成すべく命じられたので、此度のベネズエラ作戦(作戦名:Operation Absolute Resolve:断固たる決意)にあたって、南米方面司令官の女性アメリカ陸軍大将は、「X」に狙いはベネズエラの石油資源利権であると投稿してしまったが、これも作戦のうちなのか?それとも勇み足の余計なことなのか?

タイミング的に、あるいは、マドゥーロがどこにいるのか?を明確にする役割を果たしたのは、中国からの特別代表団であったし、彼らも空港の閉鎖で帰国できないでいる。
不思議なのは、イランから導入した自慢のはずの防空システムも作動せず、本作戦は数時間で成功裡に終了しているのである。

はたして、マドゥーロ夫婦は、事前に投降することに同意していたのか?が疑われるし、最低でも政権内に内通者が組織的にいたと解釈しないとおかしいのである。

では、トランプ政権2.0が目論む目的はなにか?であるが、当然に複数あるであろう。

だから、石油利権だという将軍の指摘はまちがってはいない。
だが、「1月6日事件」につながる重大事は、なんといっても「バイデンジャンプ」にみられる大規模選挙不正の解明にほかならないはずである。

昨年末には、ジョージア州フルトン郡(州都アトランタを含む州内の最大選挙区)の2020年大統領選挙での開票状況について、裁判所への証拠提出命令がでていてなんとまだあの選挙は終わっていないのである。

ちなみに、アメリカ大統領選挙は、州ごとの選挙人争奪戦なので、単純な得票数では決まらない。
それで、トランプ氏とバイデンの選挙人の数を決定づける票差は、わずか数万票なのであって、その一つがジョージア州の結果が影響する。

ときに、問題となって世界的に有名になったのが、自動投票機「ドミニオン」のあり得ない、ネット接続とか、作動プログラムの更新ミス、さらに、複数回スキャニングなど、ありとあらゆる疑惑がわいたことが記憶にのこる。

その「ドミニオン」の製造故郷が、ベネズエラなのである。

むろん、マドゥーロも、最有力候補者を立候補禁止にするやらの政治的妨害をやってはいるが、やはり決め手は、「ドミニオン」への依存だったことは有名だ。

すると、トランプ政権2.0は、いかなる条件を提示して、マドゥーロ夫婦と「ディール」するのか?が気になるのだが、「芋づる式」でとんでもないことが明らかになれば、むしろ本作戦は、マドゥーロ夫婦の生命の安全にとって「保護」となる可能性もでてくる。

なにせ、オバマは在職中に世界中の数千人を指定して暗殺指令を発したことでも有名なのである。

昨年中に、トランプ政権2.0ナンバー2の天才、スティーブン・ミラー氏が一連の「逮捕予告」を発しているのは、伊達ではないのである。

【緊急コメント】ベネズエラが踏み絵

3日のアメリカ軍による「ベネズエラのマドゥーロ夫婦拘束&アメリカへの移送」について、4日、わが国の外務省は報道官談話を発表した。

本稿では、この談話についての考察をしたい。

4項目の談話のはじめは、「関係国と緊密に連携して情報収集を含めた対応に努めています」とあるから、日本政府に事前通告がなかったことがわかるし、その後も連絡がとれないことを示唆している。

そこで、2項目には、邦人保護、を強調しているけれども、アメリカ軍は拘束作戦後に、全部隊が退去しているとの報道がある。
つまり、米軍が「侵攻した」のではないから、邦人保護の要請について現地の日本企業がどこまで求めているのかも不明な談話なのである。

南米の主だった報道では、「(国家の癌摘出の)外科手術が成功した」とある。

3項目目は、「日本政府としてはこれまでも、一刻も早くベネズエラにおける民主主義が回復されることの重要性を訴えてきています」だけで終わっているので、今回のアメリカの措置についての論評はない状態である。

おそらく、外務大臣も「なんのこっちゃ?」レベルなのだろうし、首相もノーマークだったのではないか?と推測する。
おどろくほどの、世界情勢音痴ぶりである。

そんな状況だから、お花畑の論を最後の4項目でぶちまけているのは、わが国外務官僚の限界を示す前例となった。
つまり、国益ではなく省益優先がこれほどまでにあからさまになったことの、恥ずべき例、としてである。

なんと、「国際法の原則の尊重を重視してきた」と、暗にアメリカを批難するギリギリの表現を駆使して、官庁文学の真髄を発揮しているばかりか、あろうことか「G7」やら「地域諸国」を含む関係国と緊密に連携し、といった世迷い言をかまして、さらに、「ベネズエラにおける民主主義の回復及び情勢の安定化に向けた外交努力を進めてまいります」と、意味不明な文章で終わっている。

わが国が、ベネズエラにおける民主主義の回復及び情勢の安定化にどのような貢献ができるか?といえば、なにもない、からである。
それにはやく「G7(アメリカと日本を除けば、G5)」なる、悪いトモダチ関係を断たねばならない。

むしろ、アメリカ側の予告は、これまでにもたくさんあって、これらについても日・米の連携なんてなんにもないし、そもそも、アメリカはバイデン政権からしても、ベネズエラのマドゥーロ政権を承認していない外交的事実がある。

よって、国家元首は不可侵であるといった「国際法」を、アメリカは破っていないという法理すなわち外交的にも国際法的にも筋を通しているのである。
ために、アメリカ民主党が、今回の措置を国内的にも批難するなら、バイデン時代へのブーメランとなる論理矛盾になるのである。

さらに、アメリカはマドゥーロ夫婦を、とっくに麻薬カルテルの首謀者として指名手配していて、今回の作戦にはFBI捜査官も参加し、そのまま「逮捕執行者」となっている。
そうやって、アメリカの裁判にかける、ということの前例(パナマのノエリガ将軍)も、かつて最高裁判所も認めているのである。

むろん、「国家主権」を引き合いに出せば、アメリカの傍若無人ぶりは問題だが、そもそもアメリカという国は傍若無人だし、そんなアメリカの属国のわが国が、「国家主権」をいいだすのは、国際的な「お笑い種」であることすら、外務官僚が理解していないことのほうが深刻なのである。

しかも、アメリカはマドゥーロ政権の転覆ではなく、「現職副大統領の昇格」を暗に認めている。

ノーベル平和賞をトランプ氏に献げた、野党のマチャド女史にまだお呼びはかかっていない。

民主党が得意の「政権転覆」をすぐさまやらないところが、トランプ政権2.0なのである。

そんなわけで、わが国の高市政権は、いきなり「踏み絵」を試されている。
けれども、これがキツいのは、議院内閣制の限界をも示唆する事態だからである。
外交オンチだろうが、経済オンチだろうが、国会議員をながくやれば大臣になれる体制の限界ともいえる。

それでこれまでは、官僚から議員になって、古巣の大臣になるという「出世」街道があったけれども、先輩やらの事務次官とかが組織全体を牛耳る中では、「そこそこ」で通じたのである。

しかし、外部専門家をいかに使うのか?という「適材適所」が実現できない議院内閣制には限界があるとしれたのである。

この点で、トランプ政権2.0は、国務省の官僚(組織)を信用していないことが明らかで、重要な交渉に職業外交官を起用していない。

これはこれで、ちなみに、わが国では平成12年(2000年)をもって「外交官試験」は廃止され、「国家総合職試験」に統合されて人材が平準化している。

これはこれで、悪名高い「科挙」なのだ。

麻薬カルテルの撲滅という視点でみたら、コロンビア、メキシコ、カナダが次の相手である。

これに、ベネズエラの石油利権がからむけれども、マドゥーロが選挙にあの「ドミニオン」を使っていることも、トランプ政権2.0が一掃したいことであろう。

なんにせよ、日本は同盟国としての踏み絵テストをクリアできていないのが現状なのである。

参政党の共産主義を容認する

新自由主義(本来なら「グローバリズム」というべき)から、世界の経済潮流は「市場ではなく政治が一番わかっている=共産主義」へとシフトしている。

この重要な時期に、こんな大変革の本質をとうとう理解できずに12月30日に逝ったのが、不破哲三(本名:上田健二郎)であった。

「市場ではなく政治が一番わかっている」と主張しているのが、共産主義が大嫌いなはずのトランプでありプーチンで、むしろ共産主義に親和性があるマクロンやスターマー、メルツ、それにフォン・デア・ライエンの面々は「お呼びでない」のだ。

これはいったいどういうことか?

かつて、自らの企業活動を成功させた政治家は皆無だったのに、トランプの異色は別格で、加えて当然の組織づくりをしっている。
プーチンは、伊藤貫氏が評価するように、400〜500年に一度の逸材が突如として出てきたのだが、この人物は「歴史家(哲学者)」なのである。

ゆえに、成功の方程式を経済面と歴史面から心得ている人物がペアを組む、これまた歴史上滅多にないことが起きていているといえる。
それゆえに、このふたりとは比較にならない甘い認識でも、学校エリートで生きてきたヨーロッパの凡庸な指導者たちが、ぜんぜんついて行けないのである。

凡庸さの代表が天才を憎む、『アマデウス』でのサリエリのような世界が、いまのヨーロッパでウクライナを材料に死闘を繰り広げているとみればわかりやすいだろう。
3日、ベネズエラのマドゥーロ夫婦を拘束したという、トランプ政権2.0のやり方を「民主主義でない」と批難するのは、凡庸、の発露なのである。

「保守(政党)ではない」と明言しているのが、「参政党」である。

このブログでもたびたび書いているように、「保守」の概念とは相対的なものなので、なにをもって「保守」というのか?は、基盤となる思想に左右される。
たとえば、共産国でいう保守派とは、「教条主義的極左」のことである。
逆に、自由圏での保守派とは、「歴史的伝統主義」を基盤としている。

なので、対抗する勢力としての「改革派」の意味も、それぞれで真逆になる。

わが国のばあい、「昭和末期」から延々と続く「(政治)改革」のために、歴史的伝統主義を保守する勢力が衰退し、進歩主義=社会主義計画経済体制への変換(ことに「アベノミクス」)が実施されて、いまやノスタルジーに変化した「昭和の高度成長」は、遠い過去のおとぎ話のようになったのである。

それもたったの30年でこうなったのは、国民の政治への無関心をつくった昭和という時代での準備=人為の徹底があったから、選挙で選ばれた政治家が盲目的にアメリカ民主党の計画したとおりにつくりあげた現在があるのだ。

その日本側最終世代が、高市政権だと認識している国民がどれほど少数か?でわかるのである。
逆に、多くの国民が記録的な高市政権支持をしていることに、わが国の「残念」がある。

ただし、そんな数字もマスコミの操作(プロパガンダ)かもしれない。

まじめにわが国の将来をかんがえたとき、最大にして最も基本的な大問題は、少子化による人口減少に尽きる。
なお、これは高齢化の結果ではなく、これ自体独立した問題であることに注意がいる。

国家の構成要素の最たる、「人口」に「減少」の歯止めができないことは、これ以上の国内問題はないからである。
その減少レベルは、まさに「亡国」を予感させる数学となっている。

特殊出生率の最新世界ランキングをみると、現在の人口が維持できる「2.1」以上の国は、102カ国あって、ほぼすべてが途上国ばかりである。
そのはるか97も下の199位にわが国(1.20)があるけれど、同率にイタリアがあるし、ロシアすら176位(1.41)にすぎない。

ウクライナは212位(0.98)で、すぐ上の211位(1.00)に中国が、213位(0.97)にはシンガポール、215位(0.87)に台湾、最下位に韓国の驚愕的0.72となっている。

2024年大晦日の『紅白歌合戦』における韓国からの出場歌手にまつわる批難話があるようだけれど、NHKがわが国の「歌合戦」に韓国人を常在させるようにしているのは、近い将来韓国を「併合」したいからか?と疑いたくなるほどの、亡国が時間の問題になっているのだ。

つまり、わが国の人口減少よりも、ずっと高速で人口を失う国が、アジアに集中しているのである。
とはいえ、他国がどうするのか?ではなく、絶対値的な対応をしないと、人口減少は「時間の問題」だけに放置は許されない。

そこで、参政党は、子供ひとりあたり月額10万円の給付(15歳まで)という政策案を掲げている。
3人なら、月額30万円(不課税も)となって、あえて書けば「専業主婦」への賃金収入的な位置づけをしているのである。

ここで、つまらない財源問題をいいたいのではなく、国家が子供を育成するという、あたかも共産主義を進めたいことへの容認論なのである。
人口減少への対処は、あくまでも「数学」による冷酷さがある。
とにかく、特殊出生率が2.1を上回ることがなければ、「減る」からである。

1億2千万の人口が、幕末とかのレベル(34百万人)になっても大丈夫、という論をいうひともいるが、たとえ実数で8000万人になっても、特殊出生率が改善しないなら、そのまま底が抜けるまで減り続けるのであるし、8000万人になったのだからといきなりスイッチを入れて特殊出生率を急速に上げるような方策はないのである。

まさに、『ボッコちゃん』の世界だ。

だから、いまの1.20をたとえばロシア並みの1.41に大改善したところで、滅亡レベルの到達時間が延びるにすぎない。
ちなみに、プーチン氏のロシアではわが国よりも積極的に、あたかも参政党案を強力に推進しているのが現状なのである。

これはこれで、かつて共産国だったことの有利さがあるかもしれない。

だが、隣の大国は、共産党支配なのに、1.00という深刻さで、とっくに「一人っ子政策」をやめたのに、特殊出生率は低下し続けている。
国家統計が怪しい国でのこの数字は、「余程のこと」だともかんがえられる。

ただし、分母が巨大なので、あたかも外国への移住を推進させる余裕があるともいえるが、「数学」的には、そんな余裕をかましていていいのか?という疑問はのこる。

分母が大きい分、減る数も凄まじいからである。

おそらく、今後の東アジア(シンガポールを含む)は、人口減少のスピード競争になっていくことはまちがいない。
なかでも、韓国や台湾の数字は、いまや「待ったなし」を超えてしまっている。

これも、自由主義が効かず、地政学の圧が効いているということか?

数百年後の世界地図における東アジアは、現状の国境も国も維持することはできないであろう。

国家予算の大胆な「組換え」をやらないと、ロシアがやっている方式もできずに、肝心の時間だけが過ぎ去っていくのである。

「子供は国の宝」とは、もはや文学表現ではない。

「麻薬撲滅」が日本で意味すること

トランプ政権2.0が、ベネズエラやコロンビア、あるいはメキシコやカナダに対して仕掛けている、「麻薬カルテルへの攻撃」を、日本人はまったくの他人事のように感じている。

むろん、フェンタニルについては、名古屋港が中継地だったこともあって、貿易管理という面で大恥をかいたのではあるけれど、マスコミが大騒ぎしないので「関係者」は助かっているのだろう。

さて、問題の核心を先に書けば、わが国が「医薬品の超消費大国」であることだ。

世界の消費量の7.2%を、日本(人)だけで使い切っている。
つまり、購入しているのである。
その金額は、毎年約10兆円。

ようは、日本人は「薬漬け」なのであるけれど、一方で「薬好き」なのだ。

このことは、一般薬があたかも「麻薬化」して、やめられない、状態を示している。
つまるところ、「薬依存=中毒」なのである。

いつからこんなに薬が好きな国民になったのか?

それは、薬が「漢方」から「西洋薬」に切り替わってから、とかんがえるのが妥当であろう。
それゆえに、明治史からよくよく歴史トピックをみて気がつくのは、戊辰戦争からいろいろな「乱」を経て、日清・日露の大戦をもって明治が終わることだ。

大正には、第一次大戦の青島攻略に参加して、さらにシベリア出兵、それから昭和になってからは誰もがしっている通りである。
ざっと、幕末から昭和20年の敗戦までの70年余で、戦争ばかりやっていたのが「近代日本」の実情なのである。

戦争につきものなのは、「麻薬」である。

兵士たちに勇気を与えるために、各国の軍隊はこれを使用した。
ことに、ベトナム戦争におけるアメリカ軍のベトコンとの闘いにおける恐怖からの解放に使われたため、深刻な中毒者たちが大量に帰還して、若者文化の象徴だった「ヒッピー」で蔓延したこととの相乗効果となった。

正規軍対便衣兵の悲惨が、南京事件なるものを引きだしたが、ベトナムでも、当時最強を誇るアメリカ正規軍がゲリラ戦を仕掛けられたことの厄介は、結局、アメリカ軍の敗北という点で世界史に残った。

ここに、「ハーグ陸戦協定」の有効性がウソだとしれるのである。

逆に、捕虜を規定した「ジュネーブ条約」を一般国民の常識にしないといけないが、日本政府はみごとに条約違反をおかしても平気の平左なのは、野党のおおくが「お花畑思考」なので、思考停止をよしとして余計なことにしているからである。

これが、フクシマの爆発になったのである。

置いてきぼりになっているのが国民なのだが、その国民もお花畑に住んでいる。

近代戦争の勝敗は、科学力と生産力にかかっているので、子供から国民への科学教育が重視されるのは当然である。
そのなかで、科学万能主義が刷り込まれた。

日本における代表は、『鉄腕アトム』に相違ないが、御茶の水博士とアトムの悩みは、メアリー・シェリーが書いたあの『フランケンシュタイン』を引き合いに出したくなる。

以来、「メカニクス」と「エレクトロニクス」が結合して、「メカトロニクス」になった。
これにA.I.が加わっての「創薬」がおこなわれている。
これで、より安全な薬が日本で売れる、と製薬会社は踏んでいるらしいが、これをまた推しているのが厚労省なる官民癒着なのである。

ところが、A.I.に対応するデータセンター建設のために、メモリチップが深刻な品不足となり、パソコンの生産ができなくなったのである。

風が吹けば桶屋が儲かる。

落語の世界は、笑えない現実になっているのである。

「和式」の復活

2026年がはじまったが、昨年から日本復活の吉兆がみえるようになってきた。

あらゆる点で、「和式」がトレンドになるにちがいない。

新年早々、話題としてトイレは除きたいおもいがあるけれど、トイレなくして生活はできないので、かならず「(ミニ)鏡餅」を置いて三が日は「トイレの参拝」からはじめている。
わたしの人生では20代のはじめまで、「和式便所」が一般的で、「洋式」の普及はまだまだの状態であった。

「伝統的な日本(文化)」というと、工芸品たる「モノ」に話題が集約される傾向がまだまだあるのも実態で、「無形の文化」についての評価が低いのが残念である。

それが、こないだ書いた「歩き方」が代表する。

しかし、よくよく観察すると、たとえば、サッカーのスーパースター、アルゼンチン代表のリオネル・メッシの歩き方が、「和式」なのである。
彼はどうやって修得したかしらないが、身体をコントロールするのに自然と「和式」になったとかしかおもえない。

かんたんにいうと、「かかとで着地しない」のが、和式のポイントなのである。
「足裏全体」あるいは、足指の手前の「丘」部分で着地して、つま先で蹴る動作ではなく、着地した足の反動で次の足を出す、という方式である。

なので、見た目は「すり足」になる。

これを、フリー狂言師の茂山千三郎氏は、人間国宝だった父の四世茂山千作が口にしていた「土踏まずで歩け」を、足裏全体で着地することを意味したのだと解釈しているという。
これは、道具としての草履、あるいは、下駄を履くと自然にそうなるようになっていると気づく。

鼻緒(さいきんでは「花緒」というらしい)でしか接触しない履物なので、かかとから着地すると脱げてしまうし、そもそもこれらの履物は足のかかとが2センチ程度はみ出すのが正しいサイズ感なので、かかとからの着地はありえないのである。

裸足になればなおさらに、人間はかかとからの着地はしない。

単純に、痛い、からであるし、長く続けると確実に足首や膝、股関節を痛めるばかりか、背骨までゆがんでしまう。
まったく、かかと着地は不健康なのである。

「洋靴」と「草履・下駄」の販売も、むかしから分離していて、「靴屋」と「履物屋」は別だった。
ここに、西洋を受け入れる文化と、そうでない文化の区分がみえるのである。

思想でいえば、西周と福沢諭吉の西洋と、もっと過激なジャン・ジャック・ルソーの社会契約論を翻訳して自由民権運動に多大なる影響をあたえながら、じつは批判的にみていた中江兆民とのちがいのように、である。

つまり、「靴屋」と「下駄屋」は別の店であったが、客は両方を用いていたろう。
だが店=業界では、それが大変なライバル関係にあって、大正期には拮抗し、昭和初期に靴屋の優位となる。

ところが、昭和8年に、科学が解明した「足の不具合原因」についての論文が新聞各紙に掲載されて、がぜん「下駄と草履」が売れ出したことがある。

当時すでに患者が続出していた「外反母趾と内反小趾」の原因が「洋靴」で、草履と下駄の愛用者はこれらにならない、という結論がウケたばかりか、改善と治療には草履と下駄が適切だとの指摘があったのである。

草履と下駄は、無意識に足の指が動いて、鼻緒をつまむ動きだけでなく、つま先表面をつかむ動きをすることで、土踏まずが形成される。
つまり、足に筋肉と筋(すじ)がつくばかりか、それで骨格が矯正されるのである。

とはいえ、いまや「履物」=「靴」であるから、西洋に席巻されたのは疑いようもない。

ドイツ式の靴が整形外科の知見からできているので愛用してきたが、まさか草履と下駄がかくなる効果を内蔵した逸品だったとはしらなかった。

それで登場するのが、「和式」の「歩き方」なのである。

『真田太平記』に登場する「草の者=忍者」たちは、一晩で数百キロを走破したとの記述が繰り返されて、あたかも作家の「眉唾」だとおもっていたが、そうではなく、まったくの現実だったのである。

日本人は「和式」の歩き方を失って、洋式の「ウォーキング」をすることで、かえって不健康になっている。

和式そのものにも異変はあった。

大正期、蕎麦屋が「機械」を導入したところ、「手打ちより機械打ちが断然うまい」との評判がたって、「手打ちの蕎麦屋」が古いとされた。

いまや、インバンド観光客が、「Soba(「Buckwheat」よりも通じる?)」にはまって、ラーメンか蕎麦かの好みがわかれる時代になっている。
自国に帰っても、ラーメンはなんとか食べることができても、蕎麦は日常的ではない。
乾麺はあっても「出汁」とともに「つゆ」が入手困難なのである。

ために、日本通は、蕎麦屋に夢中になる。

ところで、中央アジア、とくにウズベキスタン(首都はタシケント)やアゼルバイジャン(首都はバクー)では、空前の日本語学習ブームになっている。
アゼルバイジャンは、初代大統領が「日本のような国にしたい」と演説して火がついた。
ウズベキスタンは、仏教国でもある。

日本語が普及するとは、現代の西洋化した日本人にはかんがえにくいが、さにあらず。

言葉が思想・文化の基本だから、「和式」が普及するのも必然なのである。

【2026年頭】時代の転換がはじまる

謹賀新年。

わが国の「失われた30年」が40年になりそうななか、世界情勢は勝手にわが国に有利な方向へ動きだしている。

むろんこれもアメリカ合衆国の意向が原因なのだけれども、「失われた30年を選択したのは日本自身だ」という説もある。
しかも、皮肉にもこの贅沢な時代解釈は、過去の昭和の繁栄の遺産で食いつなぐ事ができた点で、周辺の豊かさに依存できた、という理由なのである。

その遺産とは、「個人資産の食い潰し」もさることながら、じつは、「解雇しない・できない」日本独自の価値観による雇用条件があったために、上野千鶴子がいうとおり、だが彼女の発言とは関係なく、「みんなで貧乏になった」のだった。

それもこれも、要素価格均等化定理がまともに機能して、海外移転による産業の空洞化がおきても、従業員を解雇しないためにおきた賃金下落の我慢大会であった。
しかも、それでも従業員が辞めないのは、わが国に「労働市場がない」からなのである。

むろん、いまだに「終身雇用」が設計の基本になっている公的年金制度も放置されたままなので、中途退社する前提が最初から社会にない。
つまり、「労働市場がない」ことが、原因と結果になっている。

この30年以上、自公政権と途中の民主党政権が、みごとになにもしなかったことがよくわかるのだが、自分たちも終身雇用のなかに棲んでいるのが政策を立案する立場の官僚だから、部分対処しかしないのではなくて、ぜんぜん世間の実態をしらないのである。
なにせ、新卒で官僚になるのがエリートのコースになっている。

これがこれまでの、日本政治&(官僚)政府の本質であった。

ところが、昨年1月20日に発足した「トランプ政権2.0」(まだ1年に満たない)で、事情変更の原則が発動して、いやでも反応せざるをえないように仕向けられている。
それがまた、ラッキーなことに、新・冷戦構造で再び「勝ち組」への編入機会を与えられている現状なのである。

この意味でも、わが国の衰退による貧困の蔓延で、はては共産化させたいとたくらむ偏向マスコミ人たちが、トランプ政権2.0を「敵意」をもって扱うのは、自白も同然なのである。

しかし、そんなことに目もくれず、トランプ政権2.0は、わが国のポジションを最も有利においてくれている。
しかも、その思想は、かつての「自由主義」ではなくて、あろうことか「政府介入主義」なのである。

このことに、愚か者たちが仕切るEUはぜんぜん気づいていないし、むろん、自民党政権も気づいてはいない。
だが、対中共、という一点で、わが国は地政学的なプレイヤーとしてのポジションを久しぶりに与えられている。

なお、実質GDPでは、とっくに中共に抜かれたアメリカは第二位にあって、稀代の指導者プーチンのロシアは、いつの間にかになんと四位に位置する経済大国なのである。
わが国は、ここでも挟撃されているものの、あろうことかドイツは経済的に自滅中で虫の息にある。

戦略をまちがえると、とんでもないことになるとかつての同盟国が身を以て教えてくれている。
現体制では、おそらくドイツは復活できない。

不動産業で成功したトランプ氏にある経験は、産業界が儲かる方法をしっているがために、なんと「政府介入主義」を採用している。
つまり、ふつう社会主義を意味する政府の介入が、トランプ風に別物として現れてきているのだ。

すると、わが国に伝統的に存在する、民間との癒着体質が、ここで効果を発揮すると期待できるが、怪しいのは「(発想が)古い」経団連と自民党の思考停止なのである。

過去の伝説的な経済官僚の優秀さを強調するものではなくて、表面的には、むしろもっと屈辱的にアメリカ(民主党ではなくてトランプ政権2.0)からの指示に従う、という側面での優位さであるから、一歩まちがうと「(民主党への拝米)保守」からの反発となろう。

問題なのは、高市内閣への驚異的な支持率が、いつ崩壊するか?にある。

この政権も、しょせん、旧来となんらかわらぬ自民党政権なのであって、高市氏の偽装した仮面がもう剥がれだしている。
それゆえに、総選挙はあんがい早いのではないか?と期待したいが、多数の国民が気づくようにトランプ政権2.0がどう仕向けるのか?興味深い。

アメリカ自身の産業復活に、わが国が上手に利用されることでわが国の産業も助かるだろう。
そのための、人材育成をどうするか?は、喫緊の課題である。

このところ、教育省廃止を目標にして就任したリンダ・マクマホン女史の動向が報じられず不明だが、教育省を廃止しても技術者養成のためのシステムを強化するにちがいなく、それがまたわが国に波及するにちがいない。

今年は、トランプ政権2.0が描くシナリオの本格的実行の年になる。
中間選挙があるからではあるけれど、それがもたらすパワーの発揮を期待したい。


「トランプ級」戦艦建造計画

2025年最後の話題は「戦艦」である。

22日、トランプ大統領は、自らの名を冠した2艦の戦艦建造を発表した。

とりあえず2艦を建造するも、将来は20艦以上の保有を目するという。
このとき、マルコ・ルビオ国務長官とピート・ヘグセス戦争長官が同席していた。

ふつう、大統領の名をつけるのは「航空母艦」としているのがアメリカ海軍のきまりだが、トランプ大統領は異例にも「戦艦」の「級」とした。

現在の空母の排水量はだいたい10万トンであるけれど、トランプ級戦艦は6〜7万トンを想定しているようである。
ちなみに、「戦艦大和」は、基準6万2千トン、満載時7万3千トン弱であったので、ほぼ「大和級」に匹敵するといえる。

なお、わが国の最新護衛艦「もがみ型」の最終12番艦「よしい」が22日に進水して、来年度中に配属される予定になっている。
この艦の基準排水量は3千900トンという小ぶりさ、だし、乗員も90名といった少数運用が設計の基礎にある。

わが国の思想は、小ぶりな艦を多数保有することでの「分散型」なのである。

これは、覇権国ではない、あくまでも自主防衛という視点からの武装としたら正解であろう。
一方、アメリカ合衆国なるバリバリの覇権国にとっての目的は、対抗する覇権国家へ格上げチャレンジャーの存立を許さない、という思想がある。

戦略的に、こうしたチャレンジャーの「封じ込め」を画策するのがその典型的な外交態度となるし、その外交力を担保するための武装計画が連動する当然がある。

しかして、アメリカ合衆国が封じ込めを画策する相手とは、中共、だしそのための連携相手としてロシアとインドへ秋波を送っているのである。
それで、ウクライナ和平に熱心なのだし、ロシアから石油をコッソリ買っていたインドへのおとがめがないのである。

では、わが国はどうなのか?

むろん、「同盟国」としての位置づけから、アメリカの「戦艦構想」は心強い、といえるのだが、なぜにいまさら戦艦なのか?を問うと、あんがいとそこに潜む意図は、シビアだという現実も見え隠れする。

第一に、いまから建造しようという「戦艦」に、大砲は装備しない。
最大限の長距離ミサイル発射装置をもつ、巨大ミサイルフリゲート艦ともいえるが、これに加えて、最新のレーザー砲や電子粒子砲をも配置して、ドローンによる飽和攻撃にも対抗するのが設計思想にある。

こうした兵器群を運用するに、海中、海上、空中、宇宙といった3次元情報管理能力が要求されるのは、いまどき、ならではなのである。
しかして、その要は、大陸に配置されている「(戦術)核」の「足」よりも長い射程のミサイルを海上から制御することにある。

つまり、すっかり大陸側の射程内にある、わが国は、とうに「不沈空母」ではない。

だから、既存の巨大空母を旗艦とする最強といわれた「第七艦隊」でさえも、台湾やらの「第一列島線」より西に侵入できない現実から、それよりもずっと「外からの」攻撃力を要する戦艦が必要だというわけである。

これは、第四次中東戦争における、エジプト空軍の発想とおなじだ。

このときの空軍司令官が、ホスニ・ムバラク空軍大将だった。
ソ連製の短距離ミサイルの傘から抜けてはならぬ、とした基本戦略を、なんとエジプト陸軍は愚かにも、イスラエルの作戦に誘導されて、あたかも「勝ち馬」のごとく砂漠を驀進して、一瞬の勝利を味わった後、傘がないことでのイスラエル機からの空爆で全滅した。

それで、陸軍国のエジプトから、空軍出身の大統領が誕生したのである。

つまり、トランプ級戦艦とは、ミサイルの傘を洋上から構築するものではあるが、わが国の安全は、この「時代遅れ」と嗤われる戦艦の威力に依存することとなっている。
むろん、アメリカには原子力潜水艦があるので、水中と洋上の先制攻撃強化なのである。

しかして、わが国の技術が最新兵器群の最先端なので、アメリカ海軍はわが国の技術に依存しているのが実情なのである。

つまり、アメリカにとっての日本防衛とは、自国軍事力の基盤を守ることとイコールになっている。

そこへもっての「戦艦」とは、心理戦のスタートでもある。

弱い日本、というイメージが剥がれだすとはこのことで、来年以降、よりハッキリしてくることだろう。

よい新年を。

ウクライナが壊した相互依存主義

ソ連が崩壊して、冷戦に勝利した美酒にへべれけに酔ったアメリカが、自ら「一極超大国」を自覚したときにできたのが、無邪気な幻想としての、もっといえばリアリズムから乖離した狂気ともいえる「理論」に自分からはまり込んだことである。
しかし、30年以上やってみて気づいたのは以下の点だった。

・経済相互依存が高まると、戦争は起きない、ことはなかった。

・経済相互依存が高まると、全体主義は緩み自由化がすすむ、ことはなかった。

・そして、市場経済よりも地政学が復活した。

アメリカは、再度、強い日本を望むばかりか、この半世紀で自らの産業生産力を減衰させて、強い日本にアメリカが依存するようになってしまったのである。

その一つの例が半導体だし、産業生産力を縮小させたのは「金融帝国」の構築に邁進して、机上で儲けることばかりに熱心になったら、若者が手を油まみれにして働くことをバカにする常識になってしまったからである。

自由主義で起きた、「産業の空洞化」がいよいよ末期の悲惨な状況になったのである。

それで気がついたら、「経済安全保障」という概念が生まれて、とうとう政府が半導体生産にも介入する時代となって、同盟国相手でもあからさまな政府間調整が行われている。

つまり、自由経済ではなく国際間での統制経済化しているのである。

それが、わが国でも2022年の「経済安全保障推進法(正式には「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」)となったのである。
具体的には、次の4点が対象である。

・重要物資の安定供給
・基幹インフラの安全確保
・先端技術の開発支援
・特許出願の非公開

かんたんにいえば、経済活動への国家の介入を「法制化」したことにある。
これは、自由経済を金科玉条としてきたことの大転換なのである。

むろん、日本が自らすすんで発想した、のではなくて、弱ったアメリカからの要請であろう。

だが、経産官僚などは、これをおおいに歓迎したはずで、大好きな介入が自由に出来ると大喜びしたにちがいない。
これに乞食化した産業界(経団連)は、補助金争奪戦になるとして、いかに国庫からカネを引き出すか?が経営のおおきなテーマになったはずである。

いまや経団連は、乞食組合と化した。
ちなみに、エジプトに「乞食組合」は実存する組織で、組合員だけが現場配置を許されるために、各所にいる乞食の得た「喜拾」をピンハネして、組合長はベンツに乗っているのである。
これを大衆演劇で新喜劇のごとく「お笑い」にしているのが、エジプト人である。

経団連のお偉方が高級社用車にふんぞり返る姿こそ、乞食組合の幹部らしいのではあるが、昭和なら「お笑い」にしただろうに、もうその気力もないために、いまの日本社会を「管理社会」というのだろう。

それもこれも、わが国に「グランドストラテジー」がないからだ。

アメリカ合衆国が「腐っても鯛」なのは、建国当初からある「憲法」と、時代の都度に書き換えられる「グランドストラテジー」を両輪として動かすことが「癖」となっているのに対して、わが国はずっと「対処療法」でなんとかする、癖、がある。

明治の泰明期、西周と福沢諭吉が、国家存亡の緊急事態として説いた「脱亜入欧」の主張は、当時の正解ではあろうけれど、それが永遠であることもない。
これを、儒学者たる中江兆民が批判したのはいまさらに評価する価値がある。

マスコミが世論誘導しないのも、価値がある、ことの証拠なのである。

プーチン氏は、19日、4時間半の生放送で、「トランプ和平案に合意した」と明言したことも、西側マスコミは報じない。

ようは、米・露はもう、ウクライナの出口を決めていて、すでに「次のステージ」にはいっているのだ。

EU=NATOと日本は、置いてきぼりを喰らっている。

次は、東アジアの覇権をかけた闘争となることは必定で、それはなにも台湾だけの問題ではない。
アメリカのトランプ政権2.0と「タイアップ:Tie-up」できる日本の政権を生むべく、来年は確実に動きだすことも必定なのである。

むろん、アメリカが望むのは、自民党単独政権ではない、であろう。

13日に来日した、国際政治の世界的権威、シカゴ大学のミアシャイマー教授にとっての真の目的は、「講演会」ではなくて、日本における政治状況の調査にあったとみる。
当然ながら、ホワイトハウスに報告されていることだろう。

ようは、アメリカ国務省においてGHQ以来伝統的に引き継がれていた「ジャパンハンドラー」を排するのがマルコ・ルビオ国務長官の仕事であって、トランプ大統領がいう「国防費増額要求」の真意が、教授の「攻撃的現実主義」の具現化なのである。

このために、自由主義から地政学優先の時代になったのである。

それは、日本を味方につけたい国同士の引っ張り合い、であって、日本は「痛いよー!」と子供のように泣いて済むはなしでもない。

アメリカにとって幸いなことに、大陸の国が日本人に嫌われるばかりの「圧力」をかけてくれているので、来年は早々に動きだすはずなのである。

日本国民には朗報であろう。

ルールを作るものの圧倒的強さ

オリンピックであろうが、世界選手権であろうが、白人以外のどこかの国が「強い」となると、ルールを変更してくるのが白人たちの常套手段であった。

だから単純すぎてルールを変えようのない競技、たとえば、陸上における「100m走」やらの場合は、おとなしくして他人種の勝利を容認し、「オリンピック憲章」で禁止したはずの「国別対抗」の意識を高揚させて、勝者に自国の国旗をマントにさせて会場を盛り上げるのである。

それもこれも、白人の都合による。

「背伸び」ならまだしも、「下駄を履かせる(Give someone a boost)」ことでどんなに優勢を誇示しても、しょせん誰によって有利になれたのか?を手品のタネ明かしのようにかんがえないと、単純とか単細胞とかと蔑まれるのがオチである。

これは、国家の経済力、でもいえる。

たとえば、ドイツは、第二次大戦後の荒廃したヨーロッパの復興に利用された。
爆撃で焼け野原になったドイツを、最新工場投資で復興させたのは「マーシャルプラン」があったからだ。

おなじく、米ソ冷戦のためのアジア側不沈空母として日本が復興援助の対象になった。

しかし、両国とも、とくに日本が80年代に「ジャパンアズNo.1」になったことからの警戒と、90年代のロシア・東欧圏の崩壊で、92年にアメリカのグランドストラテジーが変更されたことでの凋落がはじまる。

いま、となりの大国がおなじパターンに落とされ、なお、わが国は5日に発表となったトランプ政権2.0の「新国家安全保障戦略」によって再び上昇傾向のための下駄を履かせられることになったのである。

おおきくいえば、これが戦後三度目にあたる「節目」である。

なので、来年以降、わが国へのアメリカからのさまざまなイチャモンにみえる介入が本格化するだろう。
だが、旧来の思考からしたら「イチャモンにみえる介入」でも、真意は、この30年ばかりの、つまり92年のグランドストラテジーの大転換だから悪いことばかりではない。

その目醒めの冷水を、アメリカ自身もまるで「禊ぎ」のように準備している。

おそらく、年初、アダム・シフ上院議員やらオバマやらの「逮捕」からはじまるショックが走るだろう。
合衆国建国初の大統領経験者の逮捕・起訴は、世界史的な意味をもっている。

いまさらジョージア州フルトン郡の2020年大統領選挙における「不正疑惑」の再調査が裁判所命令で実施されているのも、オバマ・バイデン・民主党の三位一体の不正を国民に知らしめるための内政イベントなのである。

むろん、こうした「小さな話」から、ウクライナの国家的な汚職を通じて巨大なEU幹部に波及するとおもわれ、それを契機に戦争も終結するシナリオであろう。
このとき、オデッサをロシア軍が占領するのか?がひとつのボーナスだともかんがえられる。

さすれば、トランプ政権2.0容認の上での「戦争裁判」がロシアによってはじまり、驚愕の戦争犯罪事実が米・露共同で世界に公表されることになるはずだ。
あくまでもEUのウクライナ支援の側にいるわが国の歴代政権も、この一撃で吹っ飛ぶことになっていて、いかにもトランプ大統領に泣きついたとて容赦はない。

これぞ、「いけず」の発揮であって、どんなに媚びへつらっても奈良を基盤とする高市首相が気づかないのは大ボケとしかいいようがない。

ときに、この動きの最下層にある基盤が少しも動かないことに注意がいる。

ルールをつくるのは、それでもアメリカだということである。

あくまでもローカルなロシアよりも、レベルがちがう「おそろしあ」とは、アメリカ合衆国のことなのである。

組織を「中」から変革できるか?

昨日から正月休みのひとはおおいのであろう。
1年どころか、日常をあらためて反省する意味で、よくいわれる「組織を中から変革できるか?」についてかんがえてみたい。

結論から先に書けば、「トップ」がやること、あるは「トップ次第」である。

つまり、組織の中にいる一般職や中間管理職には不可能とはいわないが、相応にハードルが高いといえるし、「トップ」の能力を組織は超えない、名言の理由でもある。
逆に、トップを無視して、現場が組織を支えている例は山ほどあるが、肝心要の決定ができないので、いずれ限界点を迎える当然があってそれには組織崩壊という現象がともなうものだ。

40年前、鉄壁と思われていたソ連と東欧衛星国の体制崩壊は、歴史的な巨大さだったが誰にもとめることができないものだった。

人心が離れるからである。

たとえば、李登輝こと岩里政男氏は、中国国民党の副主席として長年の間、トップである蒋経国(蒋介石の息子)総統を支える役割を負っていたが、蒋経国亡き後になって初めて「反国民党」の本音を語り、ついには自らの国民党政権での大変革を行ったものの、結局は外に出ることとなった。

トップではないうちは、偉大な「スリーパー」だったのである。

だが、そうやって、偉大なる李登輝を追い出した国民党は、元の木阿弥になっていまにいたる。
これは、トップを無視できる現場の完成された利権の巨大さが動じないためであろう。

この点で、ジョー・バイデンはバラク・オバマの傀儡として、ずっとトップではなく、民主党の幹部とオバマの命に従いながら、その報酬として私腹を肥やすことを容認されていたにちがいない。

この連中の犯罪が、トランプ政権2.0によって明かされて、いよいよ歴史に残る大量逮捕・起訴・有罪の初期段階にきている。

アメリカのトップが、あたかも韓国のお家芸のごとく裁かれる時代になった。

一方で、プーチンとメドヴェージェフの関係も「しかり」ではあるが、李登輝亡き後の世界で「哲人」政治家は、プーチンひとりだけになった皮肉が歴史の転換点をつくっていることはまちがいない。

ワシントン住人たる、伊藤貫氏によれば、プーチンは400から500年にひとりの「逸材」との評価なのだ。
なので、世界の問題は、プーチン「後」のロシアを誰が牽引するのか?にかかっている。

それにしても、李登輝のような「哲人」といわれた傑出した人物でさえも、そして、そんな人物がトップになっても、「国民党」なる一党独裁体制の大組織を変革することは困難なのだ。
シンガポールをつくりあげたリ−・クアンユーは超優秀ではあったが、やっぱり一党独裁体制を築いたので、豊かな北朝鮮=自由なきシンガポール、となっている。

EUのフォン・デア・ライエンが、あからさまに目指している全体主義化に、とうとうアメリカが「価値観をおなじくしない」と宣言して、「検閲」責任者たち5人をアメリカ入国禁止にしたのは、ヨーロッパ一般人への「クリスマス・プレゼント」になったとベートーベンの第九のように「歓喜」の話題になった。

マルコ・ルビオ国務長官は、今回の措置は網羅的ではない、と発言したので、もっと多数の制裁をすべく準備中だと示唆している。

言論統制を推進する自民党の誰か?もアメリカ入国禁止になるやもしれぬと期待している。

農家へのEUの攻撃に、農業が盛んなフランス・ムーズ県やらの役所から「EU旗」が撤去されるムーヴが起きて、どうやら全ヨーロッパに拡大しているという。
足元の地方首長や議会が、「反EU」で旗を撤去しないと、選挙に勝てない、地殻変動が起きているのではないか?とおもわれる。

これに、大統領やら首相職にある国のトップが気づかないのは、プーチン氏が皮肉ったごとく、「子豚ども」なる歴史的マヌケの複数名がいる。
そのプーチン氏は19日、年末恒例の、4時間半の休憩なし連続テレビ生放送で国民対話を行って「実力」を世界にみせつけている。

昨今の国内例なら、高市自民党総裁が総理大臣として推進すると明言した、「国旗損壊罪の立法」に、なんと自民党の地方議員たちが堂々と反対を表明する、組織論としてはあってはならない事態が起きている。
まるで国民党のようなのである。

ここで、誤解のないようにしたいのは、「反対者を口止めしろ」といいたいのではない。

なんであれ「法案」を通す、というトップの発言が、なんと組織内の承認がないままである可能性の驚きなのである。
これを、トップの総裁たる人物が一存でなにがなんでも「通す」としたら、まさに「独裁」となるからである。

高市氏は、安倍政権時に政調会長を経験している。

すると、当該法案についての党内手続はどうなっているのか?という問題と、「国」と「地方」における、「政党としてのガバナンス」というふたつの問題が生じるのである。
前者は「政調会」での決定(基本的に全会一致)が必要だし、後者は、「政党の政治主張の一貫性」に対する曖昧さがあると指摘できる。

政調会での決定は、そのまま内閣に伝達されるので、内閣は行政におけるボードとしてこれを実行に移すのが仕組みだ。
つまり、政策決定において政調会は内閣の上に存在する建て付けになっている。

一方、政党の政治主張の一貫性が曖昧なのは、自民党は一般に「自分党」と揶揄されるがごとく、議員は自身の「後援会」組織によって支えられていて、地方議員にいたっては国会議員で構成される党本部とのちがいがあっても、「自由」という名目の下に、あんがいと好き勝手ができるようになっているからだ。

これに、明治からの藩閥体制の延長で、「都道府県連」というそれぞれの行政区画別に現職の国会議員団が会長を選出し、その都道府県内の議員を引き連れる体制としているが、存立理由は「選挙」のためのもので、選挙区毎の国会議員⇒都道府県議会議員⇒市区町村議会議員というピラミッド構造ばりの親分子分関係が、そのまま選挙での活動力となっている。

つまり、個々の議員の後援会自体がヒエラルキーを構成しているのである。

すると、自民党という政党における「組織」とは、上にいう後援会組織のことであって、党本部との統一的政治主張においての調製をになう会議体もないことがわかる。

「勝手連」なのだ。

よくもこんな政党を「政党扱い」してきたものだが、こうしてみると、自民党は政党とは呼べないヘンな集団である。

30年以上の悪政によって国家が衰退する局面になって、ようやく顕在化してきた。

この組織とも呼べない政党を「中から変革する」のは、不可能であることがわかる。
組織ではないからである。

ならばいかなる方法があるのかといえば、選挙で敗退させて、政界から追放するに尽きるのである。

これがまた、来年の希望の光になっている。