京都を再び都にしたら

昨年6月29日、横浜市役所が新築されて、関内エリアから桜木町エリアに移転して業務を開始した。

「お手盛り」はわかっているけど、市によると、1889年(明治22年)に、「人口11万6千人という小さな市として誕生した」、とある。
これしか表現がないので調べたら、同年に市制施行された「大阪市」の人口は、47万人であった。
ならば、国際港としてのライバル神戸市はというと、同年、13万5千人で市制施行したとある。

役人は、こういう「作文」をするから、読む側が調べる手間を要する。

神戸とそんなに変わらないという事実は、その後の「市役所拡大」ストーリーに都合が悪いのだ。
それが証拠は、やはり国際港として開港し、同年に市制施行した、新潟市の人口は、4万4千人弱である。
なお、どの「市」もみんな明治22年に市制施行されたのは、この年に明治憲法下の「市制及町村制」が施行されたからである。

1965年の「法」によって、市となるための人口要件は、5万人以上、となっていて、2004年の「平成の大合併」では、合併の特例として3万人以上をもって「市」となるから、発足当時の新潟市こそ、今の法による「要件不足」ともいえるし、実際に周辺の村を合併したから、3万人を満たす、というレベルの「小さな市」だったといえる。
この点、横浜市の表現は、創意的感想であって、地方自治体としての「法的要件」を説明したものではない。

関内にあった旧庁舎は、開港100周年を記念して建設された、「7代目の庁舎」で、1959年に竣工した。
設計は、村野藤吾で、現役の宝塚市役所と兄弟になる。
延べ床面積は、約3万㎡。

新築された「8代目」は、地上32階、地下2階で、延べ床面積は、約14万3千㎡あるから、7代目と比較して4.7倍ほど「広くなった」のである。
ただし、7代目は「手狭」になって、周辺の民間ビルに「タコ足」状態で入居していた不便があった。
それで、土木事務所とかを除いて、あらゆる部署を集約させたのが「8代目」のコンセプトだと説明している。

また、この話には、区役所の「新築=拡大」は対象外だ。

「7代目」の設計時は、高度成長期にあたり、市勢も拡大の一途を辿る時期(当時は約170万人:現在は約372万人)だった。
当時の面積要件として設計者に提示された内容は、「本庁舎」としての機能要件から導いたのだと容易に想像できる。
人口増加に伴う役所の業務は、おおくは区役所に割り振られるから、「本庁舎」の機能要件を面積にどのような変換算定をしたのだろうか?

簡単にいえば、人口で約2倍強になったとはいえ、今後、日本一の人口を抱える横浜市とはいえども「急速な人口減少」が予想されているのだ。
それでもって、高度成長期の面積より、4.7倍を要するのは、「行政の肥大化」にほかならない。

もちろん、タコ足も含めた市役所本庁の役人も移転したから、民間のビルオーナーにとっては安定収入を失ったし、近隣の飲食店も「胃袋」を失った。
これがどの程度の経済マイナス効果になるかは、まだわかっていない。
市にとって幸いなことは、コロナ禍によるマイナスだと言い訳ができることだろう。

御用学者を役人が選んで構成する「新庁舎検討会」では、家賃負担分が自前のビルになることで減るという「経済効果」を示していた。
旧市庁舎近隣の衰退を計算しないは、市の会計だけで計算すればできるから、それは役人の仕事であって学者を動員する必要もない。

不思議なのは、このような「検討会」を「市議会」に置かないことだ。
なお、市議会事務局は、市職員とは別の組織として採用も別にすべきであると思う。
日本人に、都道府県・市町村議会が「地方立法府」だという感覚の欠如がある。

そんなわけで、4選にあえなく失敗して落選した現職市長の、歴史に残る業績として、新市庁舎の超高層ビルが残った。
それでも、3期もやった市長をクビにしたのは、あんがいと珍しい出来事である。

さて、行政(役人)は必ず肥大化する。
これは、以前『パーキンソンの法則』として紹介した、欧米ではふつうに有名な「真理」なのである。
ただし、パーキンソン氏は、この法則を役所に限って指摘したのではない。
十分に、民間でも起こりうるのである。

だから、無理やりでも、意識的に肥大化を避けるために業務を圧縮することが必要になる。
外資では、ミーティングの場で「それってパーキンソンの法則になりませんか?」という、部下からの自由意見での指摘に、確実に上司は敏感に反応する。
もしも、指摘通りの事態となったら、直線的に上司としての「無能」が問われることになるからである。

だから、巨大化した日本政府を、いかに「京都御所」の面積に収めるのか?という命題は、検討する価値がある。

もちろん、「紫宸殿を見下げる」なんて不敬は許されないし、コンクリート製だって景観を破壊する。
「必要性」とか「機能」を基点に考えずに、とにかく「収める」という形式にこだわるのである。
政府によるほとんどの「必要性」や「政府機能の充実」とは、国民支配の方便にすぎないことがコロナでわかったではないか。

御所に収める、これが、結果的に効率を生んで、自由社会の日本を発展させるのである。

「クライシスアクター」というお仕事

「アクター」だから、「俳優」である。
あるシナリオに従って、「演じる」ことで収入を得る。
しかし、ふつうと違うのは「クライシス」が頭についていることだ。
「危機」とか「危期」の意味があるので、「ニュース」になる。

すると、ただの「ニュース」ではなくて、「フェイク(うそ)」が頭につく「ニュース」ということになる。
あらかじめ、これは、「フェイクニュース」だと断って視聴者に知らせれば、たちまち「娯楽」とか「警告」になるものだ。

しかし、そのまま「ニュース」として報道機関が流したら、「やらせ」になって、謝罪と罰則が必要な、行為そのものの「違反」が問われることになる。
なぜなら、「職業倫理」に触れるからである。

「フェイクニュース」を「ニュース」として流したものを、「ファクトチェック」するという職業もできた。
ところが、「ファクトチェック」が「フェイク」だという疑いもあるから、大変面倒な社会になってきた。

「価値の相対化」が、「真実の相対化」になって、信じたいことが「真実」で、信じたくないことが「虚偽」になったのである。

すると、信じたいひととそうでないひととで、「真実」が変わるという事態になったといえる。
裁判では、「真実は一つ」という前提で、「さばき」が行われるはずだったけど、有力弁護士による「こねまわし」で、「真実は無視される」ということは、とっくに起きている。

これを、「具体的に見せてくれた」のは、「ロッキード裁判」という「劇」があったし、なによりも「東京裁判」という「茶番劇」があった。
「真実」としての「茶番」なものを、「立場」から「真実」としないと都合が悪い社会になった。

これが、「あの戦争の意義」という根本に立ち返る理由なのである。

だから、「価値があった」とする側からの「真実」と、「価値はない」とする側からの「真実」が、真っ向対立したままになっている。
もちろん、価値がないとする側が優勢なのは、「立場」からの目的合理性に合致するからである。

では、その立場とは何かと問えば、「敗戦利得」ということになる。
戦争犯罪人やら、公職追放やらという「革命」で、自分の上の立場の人たちがいなくなったことでの「利得」を得たひとたちが、「戦後社会」を作ったのである。

これが、三代四代と続いてきたので、「家禄」のような「利得」になった。
つまるところ、この利得者たちで構成される社会が、わが国における「表社会」の本質なのだ。
そして、これを、「裏社会」が支えている。

わが国の「宗主国」である、アメリカ合衆国で起きた「第二の独立戦争(あるいは第二の南北戦争)」が、トランプ大統領の誕生からはじまった。
何度も書くが、このひとは、アメリカに巣くう伝統的な「支配体制を破壊」することに努めたのである。

それが、民主主義の危機をあぶり出したのだった。

だから、日米で、あるいはヨーロッパでも、既得権者たちの大反発を招いた。
そのなかに、大手マスコミも含まれる。
彼らの「政権批判」とは、実は「政権応援歌」だったからである。

しかしながら、トランプ氏の攻撃があまりにも「有効」だったから、既存の方法ではかなわない。
それで、とうとう禁断の「フェイクニュース」の大量生産を開始した。
コロナもこれに加わったのは、タイミングからしても「人為」だと想像がつく。

宗主国がはじめれば、わが国での既得権危機はもっと深刻だ。
それで、恥も外聞もないことになってきた。
ところが、ビッグテックがつくった情報網を、国民が手にしている。
それで言論空間をコントロールしようと「検閲・削除」をして、抵抗しているけれども、上手の手から水が漏るように、全部の都合の悪い情報を防げないことになった。

これはこれで、自作のシステムが機能不全になったのだった。

地震やテロの「悲惨な現場シーン」ではじまった、フェイクニュースづくりのための「俳優起用」とは、まったく「映画撮影」の手法がそのままに使われて、徐々に「若年層ワクチン接種」でもはじまっている。
「エキストラ」の募集が、堂々と行われることになったのだ。

「急募」「未経験者歓迎」として、岡山県で募集された「ワクチン接種のデモンストレーションのエキストラ募集!4/28・4・29の2日間のお仕事!高時給1,400円!」の「魚拓」がとられている。

服装:私服(オフィスカジュアル)
ワクチン接種会場に来場し、ワクチンを受け、会場を出るまでのデモンストレーションです、とある。
そして、「係員の誘導によってワクチン接種を受ける役、受付をして、ワクチンを受けるふりをする」とも。

この様子を撮影して、放映するから「エキストラ募集」なのだろう。
ならば、発注者はだれか?

東京の民放テレビキー局社員で、ニューヨーク特派員ということになっている女性は、まるで『キューティーハニー』のようで、さまざまな職業人に扮装して、さまざまな役柄を演じていることで有名になっている。
テレビのインタビューにこたえる「役」なら、多数の局で俳優がいることも、動画で確認できる。

勇気あるひとが、この東京のテレビ局に「質問状」を出したけど、返事はないという。
でも、演じる本人だって「その目的=詐欺」を知っているなら、「同罪」だ。

もしも「事実」なら、大事件になる。

「いけず」な京都の沈黙

久しぶりの長距離「出張」で、京都に行ってきた。

すいていると思われる、列車番号が「200番台」の、JR東海(東京-新大阪)区間だけを走る新幹線「のぞみ号」は、やっぱり空いていた。
ガラガラのおなじ車内で、京都で降りたのは6人だった。
わたし以外は、観光目的に見えたので今どきを思えば妙に珍しかった。

暑いこともあるけど、ダラダラの緊急事態宣言で人出が少ない。

体温を超えるのは、東京も名古屋もふつうになったから、盆地の京都の夏が特別に暑いのではないのだが。
驚いたのは「祇園界隈」で、四条通りのアーケード商店街が、シャッター通りになっていたことだ。

四条通りが東で突き当たるのは、八坂神社。
この正面が「西門」になっているのは、東西南北・京都のマス目状の形状からすれば当たり前だけど、「神社」としての、「正門」は「南」なのだから、この門は正門ではないのである。
このことは、「仏教寺院」もおなじだから「南大門」ということになっているし、都の入口にあたる「羅城門」だって、南に向いているのだ。

よって、四条通りと交わるT字路は東大路通りだけど、その1本さらに東側の道(下川原通)が、八坂神社の正門(南楼門)がある表参道になっている。
ここを歩くひとがいないので文字通り「閑散」としていて、なんだか、人類滅亡後の街のようなのだ。
ついこの前まで、予約が取れず盛況を誇っていた宿が軒並み「廃業」しているという。

営業自粛がなかば強制になっても、飲食店にはまだ休業補償はあるけれど、宿泊業は保障がない。
祇園やらの花街のひとたちは、お茶屋に派遣される無店舗営業だからどうなっているのか。
花見小路では、襟が黄色の新人舞妓が、お付きがかざす日傘の下を歩いていたのが印象的だ。
昼からお座敷をやっているのだろう。

炎天下、あの着衣での徒歩移動は、それだけで重労働としてその顔にあらわれていた。
きれいな絹のおべべに汗染みができそうだし、襦袢の下は不快極まりないにちがいない。

それでも、京都の「いけず」なひとたちは、「観光公害」がやわらんで「よかった」と言っている。
これが、「いけず」なのは、「本音とちがう」からである。
内心は、「冷や汗」が吹き出しているはずなのだ。
そこまでしても「強がる」わかりやすさが、「いけず」なのである。

観光立国の不可能とは、いまの京都を観察すればよい。
「公害」だといえるほどに、内外の観光客が殺到していた頃が、もはや「懐かしく」かつ「よきことだった」と認識しだした。

あの「日常」こそが、「夢幻(ゆめまぼろし)の如く」になった今、実は「当たり前」ではないことを「当たり前」と思いこんでいただけなのだと、ある意味「正気」を取り戻している。
地元の京都人は「お土産物」なんて買うはずがない。
だから、京土産店の閉店は、当たり前の日常になったのであるけれど、衰退のすっぴんが街を意気消沈させている。

「観光産業」とは、かくも脆弱なものなのだから、「基幹産業」にはならないし、「してはいけない」のである。
ポスト・コロナの京都人は、この意味でグレードアップした「いけず」になれば、学習効果というものだ。
しかし、羹に懲りて膾を吹くこともあり得るから、結論を急ぐことはできない。

いつの時代でも、農地がないのが「都」の特徴である。
いわゆる、「都市」としての機能でいえば、生活物資の「消費地」としての顔と、流通と二次加工品生産の顔との二つがあっても「食糧生産」のための土地はない。
これが、「住居兼店舗」とか、「住居兼家内工場」になったのである。

その意味で、京都市内の地場産業が、織物や染め物、焼き物や小物などの軽工業と、これらを販売した呉服屋と問屋だったのには、小細工はない。
購買層は、貴族を中心にした朝廷(中央政府)と文化を消費できた旦那衆だった。
だから、貴族が消えて、旦那が絶えたら、急速に縮小をはじめたのだった。

この「穴」を補ったのが、内外からの観光客だった。
それでも伝統的地場産業の衰退が止まらないのは、購買層の変化に対応できなかったからである。
しかし、その対応の困難さは、一言では表現できない。
なぜなら、内外の観光客の正体こそが、「工業社会における大衆」だったからである。

すなわち、けっしてかつての貴族と旦那衆ではなかったのだ。
しかも、貴族と旦那衆を相手に、1000年間以上も商売をしてきた「日常」があった。
だから、すぐさま「内外の大衆相手」という、想定顧客の転換には驚くほどの困難が伴うのである。
この顧客層が要求する「商品」とは、大量生産大量消費の恩恵でしか提供できない「刹那」なのだ。

ならば、安かろう悪かろうになって、提供者の「家門」となった矜持が許さない。
1000年間以上の日常には、「信用」が含まれる。
この「信用」こそが「命」だから、背に腹はかえられぬ。
詰まるところ、「信用維持」こそが「衰退の原因」になった皮肉があるのである。

ちなみに、昭和の修学旅行生たちを餌食にした、略奪的土産店がその後駆逐されたのも、彼らがおとなになってからの「不買」による。
ただし、いまだにお上りさん狙いの店があるから、買い手に求められるのは、知識を伴う目利きなのだ。

さて、いまも、かつての「都の豪商」たちが、静かに没落している。
これを、「盛者必衰の理(ことわり)」ともいえないことはないけれど、伝統的日本の良心の衰退、ともいえる、実は国家的損失なのである。
とはいえ、役所が税金をもってこの衰退をとめることはできない。

信用の維持という衰退原因を、カネで解決することができないからである。
では、この「信用の維持」でいう「信用」とはどういうことか?を一遍追及して、定義づける必要がある。
これは、「欧米的思考方法」だけれども、おそらく出てくる「再定義」は決して欧米的ではないだろう。

こうした哲学を、早くやっておかないと、全部が衰退して取り返しがつかなくなる。
京都にして「これ」だから、かつての「藩」が支えた地方なら尚更なのである。
中央が一律支配する、「産業(資金)政策」の要、「銀行法改正」で解決できるものでもない。

「沈黙は美徳」とはいかないのである。

「スエーデンに学べ」るか?

スエーデンの「高福祉」をもって、「理想社会」を強調する左翼(社会主義を理想とする)学者は多数いる。
ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊して30年たつのに、まだこのようなひとたちが「生産」されつづけている。

おそらく、学校における教師たちの策謀が、成績優秀の「被害者」を量産しているのだろう。
教師(うえ)から命じられたことに、従順であれば、「成績が上がる」ように設計されているのも、社会主義者がつくった戦後教育制度なのだ。

けれども、それが「高負担」だということを同時にいわない、という特徴が批判の的になって、議論は平行線をたどることになっている。

一体全体、なにを研究しているのか?
研究そのもののテーマも、「高負担」に触れないことを前提にしているのだ。
「日本学術会議」でわかるように、各学会の「最高峰の学者たち」が、政治的(社会主義)活動家集団を形成しているからである。

もちろん、「福祉国家」とは、「社会主義国」のことを指す。
わが国が、「福祉元年」を「宣言した」のは、1973年、田中角栄内閣のときのことだ。
なお、いまにつづく「国民皆保険」が完成したのは、それより随分前の1961年である。

なので、実質的にわが国が「社会主義体制」となったのは、この1961年で、田中角栄内閣は、「もっと福祉を!」と叫んだのである。
これは、「日本列島改造論」とともに、首相としての「国家観」の主張でもあった。

現内閣の「国家観の喪失」と比べたら、ずっとわかりやすい時代だった。
「角福戦争」で知られる、血まみれのジャパニーズ権力闘争を演じた、福田赳夫の「経済の福田」とは、本来、より「自由主義」的であったけど、田中派による金権政治で自民党支配が完成すると、党そのものが田中派になったのである。

その状態のまま、現代に至っている。

大蔵官僚出身の福田の「経済」は、上に書いたように本来は自由主義の維持だったはずが、71年のドルショック、73年の石油ショックの後に組閣した(1976年から翌年まで)ので、不本意ながら「赤字国債」を発行して、ケインズ政策(実は社会主義政策)の公共事業による景気拡大策をとらざるを得なかった。

不肖の息子の福田康夫内閣は、バリバリの社会主義政策を推進したから、「草葉の陰」で、親父のむせび泣きが聞こえたものだ。
「年金記載問題」とかで大揺れしたときも、「政府が手続きを楽にしてやる」のになんで反対するのか?と言ったのだった。

2008年の改造内閣発足時には、「安心実現内閣」と自分で命名して、さらなる「親の顔に泥を塗った」のであるけれど、気づきもしない神経は「異常」であった。
残念ながら、わが国初の「親子で首相」ではあったけど、親の教育の失敗例となったのだ。

そんなわけで、元自民党衆議院議員にして経済学博士の山本勝市『福祉国家亡国論』(1975年)が、「復刻」(令和元年)されたのは、今の日本人に「必読」として価値がある。

さてそれで、スエーデン政府は、10月1日から、新型コロナウィルス「対策の全廃」を発表した。
マスク強制はもとより、ワクチンパスポートも、ワクチン接種も、PCR検査の強制も「やめる」、と。

いわゆる、「インフルエンザ並み」と決めたのである。
だから、「政府として」やることは何もない、という判断だ。

ふだん、福祉はスエーデンに学べ、と声高に言っている学者たちは、このニュースに「無反応」になっている。
まさに、「お里がしれた」のである。

科学が政治に従う、専門家会議分科会とはちがって、政治が科学に従うのは、21世紀の常識のはずなのだ。
にもかかわらず、このブログで何度も書いた、「ソ連科学アカデミー議長ルイセンコ」のようになっているのが、わが国科学の実態だ。

だから、官房長官としてはよくやった今の総理が就任したとき、「日本学術会議」の件で、国民の期待も高まったのだ。
あの件は、何だったのか?
ただの「事務」だったのか?

政治が科学に従ったのではなくて、科学者たちの政治が、政治家を支配したのである。
そうやって、業界団体の「日本医師会」が、組織発足の存在理由に忠実に、業界利権の確保に専念もできて、さまざまな補助金をふところにした。

「おカネじゃないのよ医者は」という医者が貴重になって、「コロナワクチン反対派」というレッテル貼りのプロパガンダも激しい「弾圧」になっている。

国民は、「福祉」で欺されたけど、「コロナ」では、スエーデンに学ばないといけないので、ちゃんとした「区分」が必要だ。

いまは「戦時体制だ」というひとがいて、政府による強制力をもった措置が可能な立法をせよ、とあたかも「保守」が口にするけど、「自由主義」からしたら、とんでもない「全体主義願望」である。
それなら、憲法から改正せよ。

しかし、現実は、駅構内の売店で販売中の「酒類」すら、改札内では「都合により」と断って、清涼飲料水とノンアル飲料しか販売しない。
これはもう「自粛」ではなくて、「全体主義の奴隷になりたい願望」の押しつけでしかない。

わが国は、悪いことは進んで真似たけれども、よいことはスエーデンに真似ることはできない。
これも、国民が「阿呆」に支配されても気づかない、もっと「阿呆」になったからである。

邦人救出作戦?

自衛隊輸送機がアフガニスタンにいる邦人を救出するために出発した。
「歴史的な快挙」であると、「保守」のひとはいうけれど、何かが変なのである。

もちろん、「救出」であろうが、「退避」であろうが、外国にいる邦人の生命を守ることに文句をいいたいのではない。
そこは、共産党の書記局長とはぜんぜんちがう。
なお、このひとは「医師」でもあるという不思議もある。
職業的専門知識も、間違った思想によってトンチンカンになるというわかりやすい事例を数々提供してくれる、という意味で「だけ」有益だ。

「邦人救出作戦」という意味では、「憲法第13条」に規定されているものの、これに付属する「第9条」が前面にでてきて、「在外邦人救出は憲法違反」ということを言い出すひとたちがいる。

自分自身が外国旅行中であったり、家族や友人などを「救出」しないといけない、となったときにも同じことを主張するのだろうか?
このリアリティの欠如を、「DQN(ドキュン)」ともいう。

この言い方で思い出すのは、1999年(平成11年)神奈川県山北町で起きた「玄倉川(くろくらがわ)水難事故)」である。
俗に「DQNの川流れ」として語り草になっているけど、テレビの実況中継のさなかで流されて子供4名を含む合計13名が死亡した悲惨な事故だ。

リーダー格の男性(生き残った)は、前夜からの何度にもわたる「退避勧告」に、悪態を吐いて従わなかった結果なのだけど、上流のダムが緊急放流するに至って、水が腰までやって来たら今度は「早く助けろ」とか、「ヘリを出せ」とかと叫んでいた。
もちろんレスキュー隊も黙って見ていた訳はないけど、天候の悪化と二次災害の危険によって、有効な手を確実に実行することができなかった。

要は、勧告どおりに「もっと早く避難していたら」ということに尽きるのである。
しかも、現場は、キャンプ地としてもっとも不適切な場所として知られる「中州」であった。
キャンプのガイドブックにも、必ず「中州は危険」、「絶対ダメ」と記載されるのがふつうなのだ。
しかし、天気がよいと「最高の場所に見える」のも「中州」なのである。

だから、中州にテントを張って、バーベキューを楽しんで無事に帰ることには「ラッキー」が隠れている。
このラッキーな経験を積めば、危険な場所という感覚を麻痺させて、他人からの注意を、お楽しみの邪魔とみなすのだ。
しかし、よく知っているひとからすれば「自殺行為」に見えるし、危険を知らせてくれたひとに罵詈雑言を浴びせるなんてことは、「信じられないほどの愚か」な行為にしか思えないものだ。

お亡くなりになった13人には気の毒だけど、この事件のお陰で「中州=危険」が全国に認知されたことは、確かな功績ではある。

そんなわけで、「邦人救出」である。
何があっても戦争はいけない、という戦後の「絶対的平和主義」というスローガンが、いつの間にか「そっち」のイデオロギーに転換されて、これが、「絶対的話し合い」になった。
文脈はどうでもいい、便利な「切り取り」手法で、5.15事件の犬養首相の一言「話せば分かる」に「問答無用、撃て」だけが例に出される。

確かに「話せば分かる」は重要だけど、相手によっては「問答無用、撃て」なのだから、「絶対的話し合い」を強調したい論理には変な「切り取り」なのである。
でも、そんな疑問も「切り取って」、絶対的話し合いは「絶対」になった。
家庭でも学校教育でも、脳も言語理解も「成長過程(=未熟)」な子供に体罰が厳禁になったのも、「イデオロギー」がそうさせている。言って聞かせても「理解できない」のが子供なのに。

別に体罰をせよ、といいたいのではない。
相手の状況を理解すべきといいたいのだ。

念のためいえば、アフガニスタン全土をこの度「実効支配」したのは、自由主義の各国政府の共通で「テロリスト集団」ということになっている。
だから、基本的に「話せば分かる」ひとたちではない。
彼らが話して分かるのは、イスラム法の原理に基づく議論だけなのだ。

それにしても、わが国は、過去の邦人救出を「ラッキー」でしのいできた。
例えば、1985年のイラン・イラク戦争で、テヘランからの邦人救出は、トルコ航空が救援機を出してくれた。
わたしがカイロにいたときの、テルアビブ日本大使館へのミサイル攻撃に至った事件では、アメリカ第六(地中海)艦隊が、残留米国人と日本人を乗せて、イタリアまで退避させている。

カイロ放送のテレビニュースで、空母の甲板にて「うれしそうに」インタビューに答えるひとの「日本語」が聞こえた。
「まさか、自分が本物の空母に乗れるなんて」、は、翌日エジプト人に「戦争のリアリティのなさ」を指摘されたものだ。
テロップの日本語⇒アラビア語翻訳が、あんがいちゃんとしていたらしくて、何を言ったか正確に理解していた。

その他、過去多数の「邦人救出」は、なんとなく「なんとかなってきた」のである。
そして、その都度、「自衛隊による救出」が議論されてはきたけれど、「戦争になる」という論理の飛躍が論理になって、いわば放置されてきた。

さては、この意味で「画期的」なのではあるが、この度の「規定」では、自衛隊は空港内での待機を命じられている。
すなわち、救出されるべきひとたちは、「自力」で空港まで行かなければならないという「命がけ」がある。
もちろん、これを阻止すべく、「テロリスト集団」は、空港までの道路を閉鎖した。

それでも「画期的」というのは、「DQN」ではないのか?
ちなみに、今どきアフガンにいる日本人とは物好きな自業自得、とはならないのは、多くが国際機関の職員か国際ボランティアのひとたちなのである。

お花の栽培とアフガン

「英・米」の闇が深すぎる。
けれども、「まさか」でも、なんだか辻褄が合うので、書いておこうかと思う。

キーワードは「お花の栽培」なのだ。
もちろん、「大変価値があるお花」で、わが国ではこのお花を勝手に栽培することはできない。

これを、「原料」にできるものが、「麻酔薬」だけならばいいのだけれど、酒類提供禁止の今だから、「酔」の字を取ると、困った薬になる。
これを、当事者国家が管理するのは当然で、今般、この国を支配することになったひとたちは、20年前に「栽培禁止」のおふれを出した。

それで、「英・米」が、軍隊を派遣した、というのである。
きっかけは、あの「9.11」である。
首謀者としてあがったのが、サウジアラビア人の変わった名前のひとであった。

名前の中に「ビン」が入っている。
これは、アラビア語でいう「ビント(娘)」の略だ。
アラブ人によくある名前に、「アブド」を入れるのは、「息子」という意味で、男の子の名前に父の名を入れるのである。

例えば、「アブドゥッ・サラーム」といえば、「サラームの息子」という意味がそのまま名前になるのだ。
実は、アラブ人には苗字がないので、先祖の名前を三代つなげるのだ。
『聖書』「マタイによる福音書」にある、アブラハムの家系のように。

だから、「ムハンマド・ムハンマド・ムハンマド」という名前もあり得る。

サウジアラビアの一部の部族には、男の子に「~の娘」という名前をつける風習があるらしい。
もしや、幼児死亡率が高い時代に、「娘の名」をつけると魔除けになると考えたのかもしれない。

日本だと、殿様の嫡男をわざと「捨て子」にした風習があったのは、捨て子はたくましく育つといわれたからだった。
それで、「捨て丸」とかという幼名をつけたりもした。
わが家の親戚には、「捨男」という名のひとがいた。

それで、「ラディンの娘」という名前だから、当初は首謀者が女性だと考えられた。
まさか、ひげ面のひとだったとは。

そんなわけで、かくまったアフガニスタンのゲリラ組織をやっつけるためにはじまった、というのがアフガン戦争のはじまりである。
英国は、労働党のブレア内閣、アメリカはブッシュ・ジュニア大統領だ。
もちろん、ブッシュ家は、軍産複合体と結合していて、テキサスでの石油王になったことが重要なのである。

この軍産複合体と結合したひとたちを、「ネオコン」と呼んだ。
「新しいコンサバ(保守)」ということだけど、利権にまみれた金持ちたちのことであって、それが、「共和党・主流派」だったのである。
実態として、民主党と敵対している風情を作りながらも、似たもの同士だった。

一方、ブレア首相は、労働党党首なのに、バリバリの自由主義者だったサッチャー政権の基本政策を「引き継ぐ」と明言して、世界を驚かせた人物である。
ここに、英国は二大政党のようでありながら、「挙国一致体制」になったのだ。

そういえば、9.11だって「怪しい」のは、ビル構造計算の専門家が、飛行機の追突「だけ」で、あの構造物全体が崩壊するはずがない、と結論づけている。
爆破によるビル解体の技術が使われている、と。

さすれば、航空機の突入は、あらかじめ仕掛けていた爆破の「偽装」ということになる。
さらに、建物底部における「陥没」は、小型核爆発という説まであった。
こんなことを含めると、いまだに不可解な事件なのだ。

けれども、アフガニスタンで「お花の栽培」をしたかった、という「本音」が飛び出したら、壮大な「偽装」ではあるけれど、話はつながる。
米軍の退役アフガン兵が、「お花畑の保全」を命令されたと証言した。

加えて、アフガニスタンを横断する、石油パイプライン構想があったのを、現地の「テロ組織」が拒否したのであった。
この組織は、「リチウム電池」の原料資源を活用しての国づくりを模索していたという。

すると、共和党・主流派に党内で真っ向対立する、トランプ氏の存在は、徹底的に「排除」の対象となる。
敬虔なクリスチャンであるトランプ氏は、反麻薬の旗手であって、利権からの収益に興味がない、特異な金持ちなのだった。

ならば、これはどういうことかを簡略化していえば、「現代の阿片戦争」なのである。
そして、アヘンを焼却処分した林則徐が、現代のトランプなのだ。

なるほど、それで、全土を掌握した「テロ組織」が、(選挙不正でなった)バイデン政権ではなくて、トランプ氏と交渉したいといったのか?
自由と伝統主義で共和党の強力な相棒のはずの、ボリス・ジョンソン英国保守党が、トランプ氏とソリが合わなかったのも、阿片戦争の推進派だからである。

複雑な物語が、1本の線でつながる。

アフガニスタンからの撤退を言い出したトランプ政権の明確さ(当然にお花畑の火炎放射処分)が、あまりにも「正しい」ために、路線を変えられなかったけど、あえて撤退の混乱を作って、現地に駐留の理由としたいのがバイデン政権だ。

そのために、現地駐在アメリカ人の出国を優先させずに民間人を人質化させたという愚挙が、民主党支持者にも怒りを買っている。
不安定が利益を生む、軍産複合体の常套手段を平然とやっている。
そして、今後、「アフガン難民」という火種が世界を襲うことになる。

この受け入れ問題は、日本も例外ではない。

偽造ワクチン接種証明書

昨年のアメリカ合衆国大統領選挙における「不正問題」が、複数の州における「法科学的監査」で明らかになってきた。
これで、ジワジワではあるけれど、「陰謀論」が通じなくなってきた。

不正の手口のうち、「偽造投票用紙」が大量に見つかって、「票」としてカウントされていた。
その数、数十万枚=票以上というから、間違いでは済まされない。

もちろん、「立派な犯罪」だし、民主主義の「権化」であるアメリカ合衆国における選挙不正は「重罪」なのだ。
高額な罰金刑と5年以下の禁固刑がセットになって課せられる。
わが国のように「または(or)」ではなくて、「and」なのだ。

これを、「ネット検索」してみると、「何も出てこない」という現象が確認できるのである。
いわゆる、「編集」が行われていると考えざるをえない。
是非「お試し」を。

そんなわけで、発覚して捕まると大変なことになるから、「隠蔽」も「妨害」も大がかりになるのである。
ここが、なんとなくチマチマしたわが国とはちがうイメージがあるけれど、わが国の選挙で不正がない、とは言い切れない。

例えば、2015年8月の相模原市会議員選挙では、行政区の選挙管理委員会事務局長らが、数あわせの不正集計をしたことが発覚している。
しかし、特殊な中性紙を使いながら、「えんぴつ」で記入させることに前から疑義をもっているのはわたしだけではあるまい。

もちろん、「わが国でも」選挙不正は、罪として軽くはないがそれなりだ。
ただし、欧米の国とちがって、わが国には「前科」が残る慣習がある。
これを支えているのが、「戸籍」だ。
それで、三代先まで「前科」がかぶるという制裁がある。

つまり、罪を犯した者の孫の世代まで「前科」がわかるようになっている。
明記はないけど公務員、なかでも警察官に孫がなれない。
職業選択の自由がなくなる不利は、計り知れない。
それもあって、犯罪が少ないとすれば、社会的効果があるというものだが、今後もこれが続くものか?

アメリカという国は、歴史的な伝統が他国と比べて薄いので、わかりにくいことがたくさんある。
例えば、よくいわれているのが「ドル紙幣」だ。
正式には通貨ではなくて、債権である。

それで、券面にはちゃんと「federal reserve note(債権)」と印刷されている。
これに、A~Lまでの記号があるのは、発行元の地区連邦準備銀行(地区連銀)が全米に12カ所あるからだ。なお、96年以降の「新紙幣」では、番号に変わっている。

さらに、連邦準備銀行は「民営」なのである。
ちなみに、日本銀行も変な銀行で、財務省所管の認可法人だけど、資本金1億円のうちの55%は日本政府の出資なので、残りは誰が?という秘密(=非公開)がある。それで、日銀職員は公務員ではない。

ドル札の偽造がむかしからあるのは、印刷所が2カ所なので、微妙に違うことを悪用した発想だ。
この「微妙に違う」ということを絶対に許さないのが日本人の心情だけど、アメリカ人の信条は、そうではないという「変」がある。

これは一種の「偽造文化がある」ということでもある。
まさに、資本主義が起きた前の時代「中世」の、詐欺・掠奪・冒険が常識だったことの名残なのだ。

すると、日本人の「バカ正直」とは、文化的に合わないけれど、何度も書いたように日本人が欧米並みに「劣化」したから、「変」な世の中になってきた。

こうした、詐欺・掠奪を得意として、はなから欧米的な発想をしていたのが大陸にあるアジアの大国だ。
中国語の文法が英語などの言語と似ている、ということも、言語が人間の発想を支配するから行動要因の一つになるのではないか。

それに、彼らの行動は「早い」ことに特徴がある。
昨今の「コピー商品」も、いち早く最新のデザインを真似て作る。
けれども、品質が「劣悪」なので、「ばれる」というお粗末があった。
最近なら本当は、わざとではないか?とも思うけど。

それで、この度、アメリカの税関が、大量の「偽造ワクチン接種証明書」を発見したことがニュースになっている。
投票用紙を偽造してアメリカまで届けたことを思い返せば、なんの事はない。

しかしながら、それが、明らかに「粗っぽい印刷」なのだ。
投票用紙のときは、「紙質」が違っていたけれど。
するとこれは、何等かの「警告」にも思える。
本物ソックリが既に大量偽造されていますよ、と。

需要があるから供給される、という順で考えれば、危ない橋を渡る理由も単純だ。
すると、こうした証明を欲しがることの裏には、接種したくないという感情のひとたちの巨大なニーズがあるという意味になる。

人為の政治が間違っていると、間違ったやり方が世間に蔓延ることになる。
これが、革命思想というものだ。
ならば、革命思想で人為の政治をやれば、みごとに思惑どおりの「悪」が正義となる革命社会を自動的に作れるのである。

劣悪な偽造ワクチン接種証明書を送りつけた大陸のひとは、そんな革命社会に反発する、自由の戦士なのかもしれない。

選ぶ側のお粗末

「これはいい」と思って1000円で買ってみたら、ガッカリした、という買い物なら、自分の見立ての悪さを反省するしかない。
いわゆる、「途上国」だと、どんな買い物でも「値段交渉」はつきものだ。
例えば、半世紀も前(昭和45年頃)の日本だって、商店街の買い物なら一言いえば「おまけ」は当たり前だった。

いまだと、これを、「人情味あふれる」とかいってテレビの旅番組は持ち上げるけど、おまけをする店には店の営業戦略があったのだ。
それに、八百屋や魚屋には、売上とお釣りを一緒くたに入れる「ザル」がゴム紐でぶら下がっていて、全部がここに放り込まれた。

こんな売上げ管理は「ザル」だといって、レジスターを使わないと青色申告で意地悪をしたから、店に余裕がなくなって「おまけ」もなくなった。「消費税」の影響はこんなところにもある。
世知辛いのは、世間の店ではなくて「税務署の役人」なのだ。
こんなことをいう評論家もいなくなったから、テレビを観ることがムダになった。

海外旅行が困難になったから、体験できないけれど、発展途上国での買い物なら、「値段交渉」はいまでも当然だ。
店主が言う値段は、交渉次第で半分にも3分の1にもなる。
ただし、物によっては半日はかかるから、その場で決着したいなら一緒に「時間を買う」ことになる。

あるものが、1000円(単位はどうでもいいが)といわれてその値で買ったら、傷があるからと交換を要求しても、なかなか応じてくれないばかりか、返品ともなればもはや不可能に近い。
店主の言い分は、「あなたが納得して買った物だ」と一点張りの正論だ。

物々交換からようやく貨幣経済になったような地域では、「見立て段階」と「取引後」とは、次元が違うのである。
傷があればそれをもって値引きを要求すればよい。あるいは買わなければよい。
傷を発見できなくて買ったのなら、それはもう買った側の自己責任になるのである。

これを、現地人は当然として、たいがいの日本人は「怒り心頭」となる。

この意味で、お江戸日本橋の越後屋(開業は1673年)がはじめた、「現金掛け値なし」という「安売り」かつ「定価」の商売法は、あまりにも画期的だった。
そのために、同業者からかなり疎まれたという。

信用ある金持ちでなくとも、「つけ」で買うのが当たり前で、「値引き交渉」も当たり前だったのだから、「現金」でかつ「値引きなし=定価売り」というのは、当時のひとには想像を絶する販売法だった。

お店の様子がくわしい浮世絵を見れば、商品をいろいろ物色しながら、「お茶」を飲んでいるのは、現代のエジプトだって同じ光景がある。
なにせ、半日がかりなのだ。

昔の日本人は今よりずっと義理堅いから、「つけ」にしても支払ってくれたろうけど、やっぱり「掛け売り」の入金管理は大変だったろうし、「貸し倒れ」だってあったにちがいない。
だからこれをやめて、「現金主義」にしたのは、事務手数料分が浮く。

この浮いた分を定価に反映させれば、値引きせずともどこよりも安いのは理屈だ。
そうなると、買う側も半日を要しない。
あいた時間に他店に行けば、簡単に比較できるから、お客の反応が正直なほど、それは他店から疎まれただろう。

そんなわけで、450年も前に日本人は「見立ての責任」から解放されてしまったのだ。

物事には必ず、メリットとデメリットが「表裏一体」をなしている。
これが、「政治家選び」になったときの「見立て」でいつも失敗する原因ではないのか?

オリンピックの「無観客」以来、常習化した「緊急事態宣言」も加わって、東京都知事に対する批判が、「批難」になってきた。
これには、秋の政局が絡んでいて、初の女性総理を目指す知事に対しての反対勢力からのジャブだという見方もある。

しかし、彼女がどんな人物かの「見立て」は、1期目の「全ての公約未履行」という事実だけで誰にだって明確だった。
にもかかわらず、2期目の当選をさせたのは「都民」なのだから、神奈川県民のわたしには、「都民は阿呆か?」と思うばかりなのである。

ならば、昨22日の横浜市長選挙はどうかといえば、都民を嗤えないことになっている。
当選者発表の前に、記載しておきたいのは「投票率」だ。
前回を(3割以上)11.84ポイントも上回るとはいえ、半分以下49.05%なのだ。つまり、前回はたったの37.21%だったということだ。

そろそろ、わが国もオーストラリアに倣って、「投票義務化=理由なき場合の罰則化」を検討すべきではないか?とも思うけど、投票率が半数に満たなければ、「再選挙」にしてもいい。

有権者数は、310万人なので投票したひとは、「×49.05%」=152万人になる。
当選した山中氏の得票は、506,392票だったから、投票に対しては3分の1を獲得したとはいえ、有権者全体では17%程度になってしまうのだ。

よって、この「低さ」をどう考えるのか?という問題が、有権者の側にあるのである。
大衆に媚びるマスコミは、これを指摘しない。

さて、菅政権を揺るがす、おこのぎ八郎前国家公安委員長の敗北は、都知事の野望にも影響すること確実で、菅氏と小池氏両者の後ろ盾である、「選挙の責任者=幹事長」にも風当たりが強くなって「流動化」がはじまっている。

二階派の重鎮で、元官房長官にして次期衆議院議長を目指す河村建夫氏の選挙区に、先日、参議院議員を辞職した元文科大臣の林芳正氏が殴り込みをかけている。自民党内の内ゲバなのだ。
おそらく、二階氏の選挙区にも参議院自民党幹事長の世耕弘成元経産大臣が立つかと、うわされている。

それでもって、横浜市長になる山中竹春氏だけれども、選挙中に出たスキャンダルが早々に本人を直撃するだろう。
主に二点。
・横浜市立大学医学部教授としての「パワハラ」問題
・横浜市立大学「医学部教授」としての、公職選挙法「経歴詐称」問題

これらの問題を提起したのは、同選挙で「野党共闘」のために立候補辞退に及んだ、元検事で弁護士の郷原信郎氏である。
パワハラ問題では「提訴」を、経歴詐称問題では、「当選への疑義」となると明言している。

なお、経歴詐称とは、「候補者のなかで唯一のコロナ専門家」とした選挙公報に対するもので、ご本人の専門は医師でも感染症でもなく、医学部における「統計学」なのであることだ。
なお、公報には「その業績で全国放送のTVに続々出演!」とある。

「TV」を強調するところが、高齢世代に「安心感」を与え、若年世代には「いかがわしさ」を与えることの、見事な「鏡」になっている。

やっぱり横浜市民にも「見立て」の訓練が必要なのであった。
それにしても、就任後何日で「辞任」という波乱となるのか?
推薦した、立憲民主党と共産党はどうするのか?
もちろん、選挙公報には、これらの公党の推薦は1文字もない

一方のおこのぎ陣営の敗北の弁、「これも民意」が、やけに寂しい。
あまりの敗北に、敵のスキャンダルをもって「場外乱闘」すらやる気がないのである。トランプ氏を見倣えといいたい。
さては、オウンゴールの待ちぼうけ狙いか?

選挙終盤、山中氏に、労組の「神奈川連合」も乗った。
都知事選で現職支持に回った都連合とおなじ、「勝ち馬に乗る」という「労組の窮状」が透けて見える。
こちらも、もはや「闘う気がない」ばかりか、「利権に乗った」のである。

2021年は、与野党共に「流動化の秋」を迎えた。
しかしてそれは、有権者の生活にブーメランで帰ってくるのだ。

「六公四民」ってなんだ?

ポスト・コロナに「温暖化対策」がやってくると予想したら、「案の定」である。
ただし、コロナが終了したとはいえないので、「並行ラン」という状態になっている。

思い返せば、「ダイオキシン」が大騒ぎになったのは、前世紀の終わりであった。
それで、1999年(平成11年)には、「ダイオキシン類対策特別措置法」(議員立法)という法律が成立し、翌年1月から施行された。

困ったことに、この法律では、「ダイオキシン類が人の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある物質であること」が前提になっている。
しかしながら、ダイオキシンが「無害」であることは、その後の「科学的検証」によって明らかになった。

にもかかわらず、「法律」は生きのびている。

「議員立法」という言葉は、わが国「独自」といってもいいほど、矛盾に満ちている。
そもそも、国会議員とは、立法府に属するのであるから、全ての法律が立法府で立法される限りにおいて、全部が「議員立法」のはずである。

ところが、わが国の「慣習」では、「内閣(=行政府)提出」の法案が優先的に審議されることになっていて、議員発議の法案は審議すらされないことが多い。
さらに、「国会法56条」では、衆議院20名、参議院10名以上の賛成がないと、提案すらできないのだ。

これには理由があって、一人の議員が勝手に、好きなような法案を何本も提出したり、地元へのお手盛り予算配分をすることの「防止」という大義名分がある。
つまり、過去に「やった」ひとたちがいるのだ。

それで、そんなお困り議員を落選させることもできないから、国会法で縛ったということである。
議会が議員活動を縛る、という矛盾をどう考えるべきなのか?という議論もない。

これが、「慣習」になってしまった。
世の中で最も強烈な法は、「慣習」から生まれる「慣習法」である。
この「法」には、明文化された条文がない。
英国憲法のようなものだ。

だから、「最強」ということになる。
条文がないから、「改正」が困難なのである。

そんなわけだから、司法の役割が出てくるのだけど、日本の司法は自律して積極的な法律のチェックを行わないという、「深い眠り」に入ったまま起きてこない。
この国は法的な「自律神経失調症」となってしまったのだ。

ところで昨今、イスラム教徒のひとたちが来日して、多数が「居住者」になっている。
この人たちから見ると、日本は「理想的なイスラム社会」だという評判がある。

日本人がふつうに抱いている、「道徳観」が、あたかも「原理主義的」に見えるからだという。
その道徳観で、社会に同調圧力がかかるのは、イスラム法の無理やりの執行よりも「理想社会」だというわけである。

アフガニスタンを「平定した」タリバンの公報が記者会見で述べたことの政治的意味はここでは語らないけど、「全てイスラム法による統治をする」といったことに、「日本のようになりたい」という意味がどれほどあるものか?これを質問する知見のある記者がいないのが残念だ。

日本人には、全く異質、という思いがあるのは承知だが、相手がどう思っているかは相手次第なのだから、日本人の思いとは関係がないものだ。
しかしながら、コーランを起源にした「イスラム法(=「シャリーア」)」は、「人間として踏み行なうべき道」を意味するのだ。

ここに、われわれ日本人の道徳観との一致があることは知っていていい。
ただ、われわれ日本人は、コーランを知らない。
これを、「富士登山」に例えれば、山頂にある浅間神社をコーランに置き換えると、なんだか「そっくり」になってくる。

もちろん、コーランが示す登頂ルートと、麓各地の浅間神社から目指すルートが「ちがう」ということはある。
ただし、「人間として踏み行なうべき道」とすると、あんがい似ているのだ。

それでも、絶対的に違うのは、「西洋」への意識である。
日本人は、とっくに西洋化してしまったし、西洋の手本を自認するまでに至っているので、「温暖化対策」が信仰の対象になった。
だから、ここには「科学を無視」してもはばからない。

中東のイスラム教徒は、西洋を警戒しキリスト教を敵視しているので、西洋文明への疑義が根本にある。
よって、西洋文明を全部受け入れる気は毛頭ないから、その基礎をなす、「科学を無視」できるのである。

こうして、「科学無視」という共通を、在日イスラム教徒が共通点として見ているなら、これには反論できないのだ。
一方で、日本人もイスラム教徒から学べるのは、西洋への疑義である。
西洋人が言う「温暖化対策」とは、「政治キャンペーン」に過ぎない、からだ。

そして、まともに「対策を実施」している日本は、ひとりバカをみている。
最低でも年間5兆円が、ムダに使われているのだ。
累計でいくらの国富をドブに捨てたことか?

そうやって、税と社会保障の収入に対する国民負担率は上昇を続けて、70年代の3割から今の6割となっている。
江戸時代の「五公五民」よりひどい、「重税社会」なのだ。
若年層の貧困は、ここにも由来している。

現在の後期高齢者たちが、青春を謳歌できた「消費」の源泉は、今の若者より30ポイントの余裕があってのことだった。
政府は中国やアメリカにならって、なにもしないという「対策」で、先ずは「五公五民以下」にまで縮小すべきなのである。

徴収に強制をともなう「重税」とは、国民財産への政府の介入のことであって、財産処分に関する「自由の侵害」にほかならない。
個人が稼いだお金を、個人が自由にできず、政府が奪うからである。
効果的な方法は、「減税」による政府財源の「遮断」だ。

さては、このあたりは、イスラム社会とは違うけど、どっちがいい?

「サラリー」の復活

真夏の妄想である。

世界史に滅多に類例がないのに、あんがいと日本人はこれを、「自慢しない」のは不思議である。
それが、いまでは身分制度ではないとされる「士・農・工・商」とセットになった、「士族の給与体系」が「米」であったことである。

初代将軍、徳川家康がどのような意図で「年貢と給与」を直結させたのか?はここでは議論しないけど、これが、「太平」の270年の礎になったことは間違いない。
貨幣経済が未発達だったから、という論もあるけれど、武士たちは「札差」という指定認可業者をもって換金していたので、本当はもっと進んでいた。

もちろん、「現物」は大阪に運ばれていたけれど、「先物」も世界で初めて取り引きされていたから、「権利書類」と「現物」と「現金」は、「三面等価」だったのである。
しかも、大阪で広く流通した「銀」と、江戸の「金」での交換レートもあったから、あたかも「外国為替」のようなシステムができていた。

まさに、「飛脚」が小さな箱を結んだ棒を肩にかけて運んだのが、「為替」だったのである。
これを、大阪と江戸の商人は、「大福帳」で管理していた。
現代の最新経理システムは、すごく進化したとはいえ、何を隠そう「電子」がつく「大福帳」に変わりはないのである。

天下人も、各藩の大名家も、全部が「米」をもって収入(給与)としていたから、稲作のための田んぼの「開墾(新田開発)」がいまでいう電子通貨の「マイニング」にあたる。
ところが、後に米が余って米相場が暴落したら、途端に「塗炭の苦しみ」が武家を襲うことになった。

八代「暴れん坊将軍」吉宗が、生涯悩まされたのが米相場であった。
いかに将軍といえども「米よ値上がりせよ」といってもそうはいかない。
それで商人に罪をきせても、やっぱりそうはいかないのである。

為政者が困窮した生活を強いられる、という画期的な体制だったのである。
これは、いつもいう「野蛮な欧米」の発想にはない、ばかりか、あり得ない。
彼らは、「独り占め」することが、支配者であり為政者の「権利」とかんがえたからだ。

なので、絢爛豪華な城にて贅沢三昧に暮らしたのである。

この意味で、わが国は、足利義満の時代と安土・桃山時代の「二大ピーク」で絢爛豪華を「卒業」してしまった。
しかもなお、「工・商」のうちの「商人」には、絢爛豪華を許したという不可思議がある。

すなわち、「権力」と「財力」の分離をしたのだった。

最上位にある天皇の「権威」も権力と分離させた伝統があるから、すさまじき「三つの力(権威・権力・財力)」の分離を目論んだのである。
それが、「親藩」と「外様」にも応用されて、石高がなくても幕閣として権力をふるう親藩に対して、石高が高くても常に冷や飯を食わされる外様とに分けたシステムにもなった。

こうして、権力と財力を分離させたことで、社会の安定を得たのである。

この構造を作ったのが、最高権力者であった「徳川家康」だったから、もう欧米の野蛮思想ではついていけない。
ただ「分離させた」のではなくて、権力者には財力を与えず、財力を持つものには権力を与えなかったのである。

欧米への盲目的憧れで逆転し、野蛮化をすすんで実行したのが「文明開化」だった。
だから、欧米知識人が褒め称える「日本人のすごさ」に気づいた日本人がいなかった。

この痛恨事は、明治の元勲たちが求めてしまったのである。
下級武士たちの「育ち」が、残念ながら「貪欲さ」を隠せずに、権力と財力を合体化させた。
しかし、それでも役人の給与は「薄給」としたのは、国が貧乏だったからである。

職業として安定しているけれども、薄給であることがバランスだった。
高級官僚は、薄給だけど国家権力を行使できた。
ところが、行政の肥大化が国富の蓄積と共に発生したら、薄給を取り返す貪欲さが芽ばえて、これを制度化した。

こうして、「役人天国」の国になったのである。

旧社会主義国では、優秀な学生をリクルートし、また、学生も望んだのは、「並」なら公務員であって、「優」なら党員資格であった。
そして、党本部における「官僚」になれば、確実に特権階級になれる。
この特権階級を、「ノーメンクラツーラ」というのである。

なお、同時期のアメリカには、「WASP:ワスプ:白人 (White) ,アングロ・サクソン系民族 (Anglo-Saxon) ,プロテスタント (Protestant) の3条件を満たすエリート特権階級たち」がいた。
この反動が、「反白人」になっているとTVのコメンテーターはいうけど、そんな単純なことではないので念のため。

そんなわけで、わが国の高貴なオリジナル文明においては、権力と財力の分離を図ることが、もっとも国民に理解と支持がされやすい「政策」なのである。

ならば、「サラリー:塩」で給与を払うとか、「扶持米」に戻すとかするとどうなるか?
「産業の米」である、「ICチップ」にしたら、もっとまともな半導体をつくるために、民間まかせが一番だと気づくかもしれない。

すると、優秀な官僚がいなくなる、という「心配」をするひとが出てくるのだろうけど、ぜんぜん心配の必要はない。
むしろ、役人は優秀でなくて良い。
それが、国民と国民経済のためなのだ。

優秀な人材は民間こそに必要なのである。
なぜなら、民間しか国富を増やせないからだ。
公共部門とは、巨大な消費機関でしかなく、新たな価値を決して作れない。

公共部門に国民が欲するのは、優秀な役人ではなくて、優秀な政治家なのである。
これら政治家にも、財力を与えない、とすれば、よほどの私財と決心がないと立候補できない。
組織をもった政党の出番になるから、ようやく近代政党が生まれる可能性も高くなる。

ついでに、議員は一代限り、とすればもっといい。
財力を失えば、世襲もできなくなる。