【大晦日】来年の高まる期待

【2021年大晦日】
先日、唖然とする演説をバイデン氏がやって、首をかしげるアメリカ人がさらに増えたというから、支持しない側からすればあながち非難することもできない。

それは、バイデン政権の1年を自画自賛した内容で、「過去のどんな大統領もなし得なかった、驚くほどの目覚ましい経済的成果を出した」だった。

トランプ政権が成し遂げた、空前の経済発展の成果ではなくて、その「破壊」を自ら賞賛したのである。
車社会のアメリカでは、この1年のガソリン価格の高騰は、ほぼ全部のアメリカ人の生活を直撃した。

国境に殺到して入国した「不法移民」は、200万人を超えたというが、生活のための奴隷的労働に就かざるを得ないため、従来からの「合法移民」がしていた仕事を奪うことになって、正直者が損をするように仕向ける政策が成功している。

また、コロナ禍をもって、生活保護家庭への「手厚い手当」をしたために、家族数にもよるけれど、月収で50~60万円を「もらえる」ことになったから、どちらさまも遊んで暮らすことを選択して、労働をやめた。
こうして、トラック・ドライバーが激減して、国内流通が停滞した。

エネルギー価格の高騰と流通の停滞による「物不足」が、需要と供給という大原則に直接働いて、既に年率で6%もの、石油ショック時以来の「インフレ」がアメリカを襲っている。

悠然とおっとりがたなでいたFRBも、「一時的」という言い分をあっさり捨てて、インフレ退治のための「金利上昇」を誘導しはじめた。
不況下のインフレをスタグフレーションと呼んで、70~80年代のアメリカを苦しめたけど、いまの政権は、この状態を自らすすんで作り出そうと「努力」している。

これを、正面から「破壊工作だ」というのが、「MAGA(MAKE AMERICA GREAT AGAIN)を標榜するトランプ氏が率いる共和党である。

ここにきてバイデン政権の「目玉政策」である、巨大な福祉政策に、民主党上院議員も離反して反対を表明したから、法案そのものが「頓挫」してしまった。
なお、この上院議員には、民主党内からの強烈な圧力がかかっているといわれていて、「党議拘束すべき」という話まで飛び出した。

これを言うのは「日本人ジャーナリスト」である。
なぜなら、そもそもアメリカ人に「党議拘束」という概念はない。
アメリカ人は、議員の「ひと」を選んでいる。
その「ひと」がどの政党に属するかは、後先で言えば「後」なのである。

これがわが国とアメリカ政治の「真逆」の構造だから、わが国の構造を基準にすると、「党議拘束」が発想される。

たとえば、リズ・チェイニー氏は、地元の共和党から事実上の「除名処分」を受けたけど、彼女自身は、来年の中間選挙のために「共和党予備選挙」に出馬するのは「自由」なのだ。

それが証拠は、昨年の大統領選挙で民主党予備選挙のトップにあった、バーニー・サンダース上院議員は、最後まで民主党員ではなかったし、いまでも民主党員ではない。
それに、大統領候補から突然辞退したのも、民主党から高級別荘を貰ったからと、本人が認めているのは、これも「自由」だからだ。

このあたり、日本人の発想にはないことが、アメリカ人の発想にはある。

さて、上述した重要法案に反対を表明しているのは、民主党「中間派」だという話もあるけど、「派」なのになぜか一人しかいない。
ただし、いまの連邦上院は、50対50と民主・共和のイーブンなので、このままなら議長を務めるカマラ・ハリス副大統領票で民主党が過半を占める。

だから、たった一人の造反でも、議案が通過しないのである。
ところが、アメリカの歴史では、上院はもっと「多数決にシビア」だった。
当初は、7割の賛成がないと議決できなかったものが、とうとう単純多数決になったのである。

一方で、トランプ氏の活動は、自身が「富豪」であることからも、「野に下る」から資金が尽きる、ということにはならなかった。
なによりも、カネではなくて「票」が欲しいひとたちが、トランプ氏の「推薦状」を手にいれるための「MAGA契約署名」に躊躇しない。

トランプ氏に忠誠を尽くすのではなくて、活字化されているMAGA理念に忠誠を尽くすという文書への署名なのである。

それに、わが国とはレベルのちがう「寄付文化」がある。
「キングメーカー」としての「独裁」を言う「反トランプ」のジャーナリストは多いけど、少なくとも田中角栄のようなカネで釣る方法ではない。

やっぱり、「富豪」は、貧乏でなくとも「カネ」を欲しがる凡人とは、考え方も行動様式も「ちがう」のである。

 

これが、良くも悪くも「富豪」がいなくなったわが国との違いだ。

そんなわけで、トランプ氏が掲げる「MAGA」が支持を拡大して、とうとう民主党員にもいる「保守派」に賛同者が出始めているという。
各州のみならず、市や郡といった選挙区でも、「MAGA」を支持するひとたちが予備選挙の準備をしていて、共和党内の「反トランプ派(主流派)」の排除が行われている。

また、連邦下院では、中間選挙に出馬しないと表明し「引退」する現職議員が現時点で23名もいる。
共和党候補に勝てない、という判断だろう。

残念ながらわが日本では、自国の政権や野党にもまったく期待ができなくなったから、「宗主国」たるアメリカに頑張って貰わないといけないという情けない事態になった。

その情けない組のリーダーである岸田氏が、あろうことかバイデン氏に謁見できないというのは、実は親中のバイデン氏からしたら、日本はレッドチームに先に行け、という指示なのかもしれない。

はたして、年初のオリンピックが終わって、11月の中間選挙でMAGAが勝利しようとも、その間にわが国の命運は尽きている可能性もある。

だから、ギリギリ、崖っぷちの「期待」なのである。
真剣に、「よい新年をお迎えください」と言いたい年の瀬である。

『2034 米中戦争』を読む前に

世界的ベストセラーになって話題の、『2034 米中戦争』(エリオット・アッカーマン、ジェイムズ・スタヴリディス、二見文庫)は、なんと言っても著者のひとり、ジェイムズ・スタヴリディス氏が、元「NATO最高司令官」(アメリカ海軍「提督」から初)だったことからの、「リアル」が売り、になっている。それに、現場目線の「リアル」は、元海兵隊特殊部隊で活躍した、エリオット・アッカーマン氏の執筆部分にちがいない。

ウクライナで緊張が高まる中、「NATOは米軍の下請け」と言ったプーチン大統領の今年最後の記者会見での指摘は、読書家の氏ゆえに、この小説を「当てつけ」にしたのだろう。
なお、氏は、日本が誇る『源氏物語』を酷評したことでも知られる。

「軍人」が書いた書物で、古典中の古典は、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)の『ガリア戦記』だろう。
彼が「現代作家」なら(ありえないけど)、その文章は「ノーベル文学賞」間違いなし、といわれるほどの名文である。

作家として古代のひとでよかったのは、もしも彼がこの作品で受賞してしまったら、翌年度からの選考結果が、「該当者なし」の連続となって、賞自体が1回で終わってしまうかもしれないからである。

 

そして、ヨーロッパの戦争は、とうとうカール・フォン クラウゼヴィッツによって、『戦争論』に至る。
この「大著」には、「公式ガイドブック」と評価されている、世界的権威マイケル・ハワードの解説本がある。

これを翻訳した、奥山真司氏は「地政学者」ということになっている。
わが国において地政学の普及に貢献したのは、『悪の論理』(日本工業新聞社、1977年)でベストセラー作家にもなった、亜細亜大学の倉前盛通教授であった。

「当時」は、米ソ冷戦の真っ只中であったから、読者は「ソ連の北海道侵攻」をイメージして読んでいた。
この本が出版された「翌年」の1978年に、中国で「改革・開放」がはじまったのである。

もちろん、さまざまな「学者」や「評論家」が、ソ連侵攻の「恐怖」を唱えていた時代であった。
その対象が自滅して消滅してから、人類は「新しい恐怖の対象」を求めて、コロナや地球環境を「創りだした」のである。

さて、当のソ連における1977年とは、「ブレジネフ憲法」が制定された年である。
この「憲法」は、建国から3度目のもので、いまでは「夢見る憲法」とも揶揄されている。

ちなみに、その前(2度目)のは、「スターリン憲法」と個人名で呼ばれているから、ブレジネフもこれを踏襲したのである。

なお、本稿の主旨から外れるけれど、「スターリン憲法」こそが、「日本国憲法」の下敷きだということは、条文を並べて読むとよくわかる。
ご興味のある向きは、是非お調べになって、その「コピー」の正確さに驚くだろうし、GHQの担当者が1週間で書いたという逸話の意味が、より理解できるであろう。

「夢見る憲法」とは、社会の現実を無視したことにある。
つまり、共産党の本質である「権威主義」の発露であった。
そこにあるのは、「ダブル・スタンダード(二重思考)」なのである。

それゆえに、現実の対策と理想がごちゃ混ぜになる、という当たり前の帰結がやってくる。
小学生でもわかるような間違いを、おとなたちが「まじめ」にやるから、社会が混乱してコントロール不能になるのである。

すると、まさに「革命」の準備をするのと同意となるので、なんとブレジネフは、革命後のソ連で革命の下準備をするという、驚くほどのトンチンカンをやった、ということだ。
しかも、ソ連は「憲法に忠実な近代官僚国家」であったともいえる。

これを、世人は「ブレジネフ時代の停滞」と呼んでいた。
対していまのわが国は、「憲法に不忠実な中世的官僚国家」に退化してしまった。

ソ連の「それから」を知っているいま、1991年にソ連国家は崩壊して、数日前の25日は「30年」というニュースになったのである。
ブレジネフ憲法から、たったの14年後のことだから、あのときの小学生はちゃんと「成人」していたのである。

さてそれで、今度は中国が相手になっている。

先ず、相手を知るためには、歴史をおさらいすることが基本だから、『中国の歴史』を読まないといけない。
たくさんあるけど、わたしは陳舜臣の作品が好きだ。
おそるべき「ワンパターン」が、何度も出てくる「退屈」は、一種の「デジャブ体験」を得ることができるのである。

いまの中国は、トップの個人崇拝という「デジャブ」をやろうとしていて、体制内の権力闘争がかなり激しくなってきていることが見てとれる。
なんといっても、党「機関紙」とか、軍「機関紙」で、双方の派のとんがった主張が繰り広げられているからである。

グローバリズムを基板に置く共産主義にあって、資本主義的グローバリズムを説いて成功した改革開放支持者に、毛沢東主義というナショナリズムを説く現在の指導者が、「決着がつく」まで文字どおりの「死闘」を繰り広げること確実な情勢になっている。

どちらも、負けたら肉体的にも一掃されることを承知しているから、ぜんぜん「論争」などという甘い物ではない。

しかし、一方で「世界」にも、「夢見る憲法」らしき、「SDGs」とか「脱炭素」とかいうダブル・スタンダードが蔓延している。
すなわち、あろうことか「ダブル・スタンダード」同士の戦いという様相をあらわすのが、「米ソ冷戦」とはちがった「新しさ」なのである。

中国側の事情に戻れば、改革開放側と指導者側における台湾をめぐる立場の違いは、おそらく「飲み込み方」にあるはずだ。

経済的利益を優先する改革開放側は、とっくに台湾を手中におさめていると認識しているはずで、軍事侵攻という経済リスクは「損」だから嫌うだろう。
しかし、自国経済力を落してでも「思想」という夢を優先させるなら、「現実」に軍事侵攻をして、思想の威力を見せつける必要が経済的損失をはるかに上回る価値なのである。

この闘争の谷間に、もっと気の毒なわが国がある。
「台湾有事が日本の有事」ではなくて、もうとっくに「有事」なのである。
戦闘がはじまってから戦争というのでは、遅すぎる。
外交が既に戦闘なのだ。

話し合いで決着しないから戦争になるのではなくて、話し合いという戦闘で負けたから、いよいよ軍を動かして戦争をするのである。
ただし、「口実」をつくるために、話し合いで負けることもある。
戦争は、一部のひとたちに莫大な利益をもたらすからだ。

それを、「誰だ?」と想像しながら「読む」ということが、どうやらこの小説の「読み方」なのではないか?と、作者の提督は教えてくれているような気がしてならない。

蛇足だが、本書の「解説」は、「朝日新聞」のひとが書いている。
これを、「まとも」とすれば、朝日新聞はいまの編集方針を変える「だけ」で読者を増やせるものを、あえて「しない」のは、ブレジネフや中国の現指導者と「同じ穴のムジナ」だからだろう。

「夢見る新聞」を読むひとはいないし、読む価値もない。
ならば、「紙ゴミ製造会社」という、反社的環境破壊をやっていることも自覚できないで、他人に地球環境の持続性を云々と押しつけるから、もっと読む価値がないのであった。

持続不可能なサスティナブル旅行

世の中に「ダブル・スタンダード(二重思考)」がはびこってきた。

これは、『1984年』を書いた、ジョージ・オーウェルが、全体主義の典型的思考方法として、作品内でたくさんの「事例」でもって説明してくれている。

たとえば、「戦争は平和だ」とか、「うそ」しか国民に伝えない役所(放送局)を「真理省」というとか。

しかし、いつの間にか「政府そのもの」(その集合体である「国連」も)が、「真理省」になったので、ほぼすべての「政府発表」(国際機関)が「うそ」だという世の中になってしまったのである。

つい先頃では、コロナに関する受験生の差別的決定をした文部科学省に、「苦情が殺到した」ことを根拠として、「首相」が再検討を命じる、というどちらに転んでもガッカリするような体たらくを演じた。
これぞ「ポピュリズム」ではないか。

ぜんぜん民主主義ではない。

むかしの自民党なら、文科大臣をすぐさま更迭して、ついでに事務次官が責任をとって辞任するという「けじめ」をしたはずだ。
日米首脳共同声明の「同盟関係」という言葉に「軍事的意味はない」と言った鈴木善幸首相を護るために、伊東正義外務大臣が辞任表明したら、高島益郎次官も辞表を出したのだった。

それでもって、ふつうは駐米大使になるものを、責任があるからと「駐ソ大使」になったのである。
おそらく、ソ連側がドキッとするほど「嫌」だったにちがいない。
このひとは、日中国交正常化交渉において、周恩来から名指しで「法匪(法の虫)」と罵られたことを、外交官の「勲章」に解した英傑である。

最後の「職業外交官」といわれたのは、本人には名誉ではなくて後続がいない、という意味では心が折れんばかりの苦悩もあったろう。
いまは、ただの「外務官僚」に墜ちて、復活のきざしもないのは「平均化」の悪い面がでているからだ。

彼の赴任で、当時のソ連駐在は「ツートップ」という、わが国には偶然にも国益に合致する人事となった。
ナンバー2の、特命全権公使は、将来の皇后陛下の御尊父で、「二枚刃」といわれた小和田恆氏であった。

ちなみに、この時期にモスクワの日本大使館は、「建て替え」という一大事をやっている。
これが、「一大事」なのは、盗聴装置の設置についての「覚悟」ということである。

「文科行政」という範疇でいえば、まったくこの「事例」にあてはまるほどの「不祥事」であるのに、けじめもとれない政府を運営している自民党の腐り方が半端じゃないのだ。
首相ひとりが単独で腐っているのではない。

その「腐敗」の原因と結果が、「社会主義」なのである。

社会主義とは、国家(地方も含む)が集めた国富(税以外の国民負担も:たとえば公的年金とか公的健康保険、あるいは赤い羽根募金なども)を、国家が「再配分」する制度を、ほとんどすべての分野で行う「主義」のことをいう。

放送や出版物で、わが国の体制を「社会主義」と断定すると、さまざまな軋轢を生むので、これを回避するために、「社会主義的」といって「的」をつけておとなはごまかすけれど、要は「社会主義」といいたいだけなのだ。

それで、「観光」という分野にも「業界」があるから、「すべての業界を支配する」社会主義政府は、かならず「業界向けの予算」をつくって、集めた「国富」を分配するのである。

だから、受け取りに徹する「業界企業」は、その予算の意図に応じた事業をしないと「お貰い」ができないので、自社事業の位置づけさえも変更して、とにかく「乞食」になることを率先して目指すようになるのである。

貨幣経済が発展すると、カネの亡者になるひとが出てくるけれど、こうしたひととの付き合いは、かならず「カネの切れ目が縁の切れ目」になるものだ。

だから、予算が尽きない限り「絶対安心」の「カネ蔓」となる。
社会主義のもっともまずいことは、「絶対安心」だから、事実上「国家と心中」するという覚悟がいるのだけれども、国家の存在はあたかも「永遠」に見えるので、「絶対安心」だけが先行する。

そうやって、民間企業の経営が「腐る」のである。
だれが社長をやっても、「絶対安心」なので、独自に考えることをやめる。
むしろ、余計なことはしない方が「得」だから、社員にも考えることを「禁止」するのだ。

この「行動原理」が作動すると、その企業は「ゾンビ化した」といえる。

しかし、ゾンビは自己評価として、自分がゾンビだと認識できないから、どんどん「増殖」して、とうとう国富を食い尽くすのである。
それが、「ソ連崩壊」という歴史事実の隠しきれないストーリーなのである。

そんなわけで、「観光庁」の来年度予算が決まった。

1本だと誰にでもわかってしまうので、わからないように「複雑」な建て付けにするのが、「撫育資金」をはじまりとする「萩藩」伝統のやり口で、国会に報告義務がないという、摩訶不思議な「特別会計」はもとより、とうとう「一般会計」にもこの手法を導入した。

「一般財源」は、141億円、「観光旅客税財源」は、81億円。
あわせても、たったの222億円だけど、「コロナ対策新・GoTo予算」は、1兆3240億円で、さらに経済対策関連予算で1200億円がくっつく。

これに加えて、「観光産業の付加価値向上支援」なる怪奇なバラマキで、5.5億円、「ポストコロナのコンテンツ形成支援」で5億円、「持続可能な観光モデル事業」に1.5億円があるのだ。

カネの切れ目が縁の切れ目を、「持続可能」というのは、日本語としてもいただけない。

安くなるからと喜々として自分が払った税金の「戻り」を期待する、乞食のようにされた国民が、シロアリのごとくに日本国を食い始めたのである。
都会人の自分が居住している「ふるさと」の税収を破壊する、「ふるさと納税」も同じだ。

これも、邪悪な日本政府が仕向けて、国民の奴隷化を図っていることだ。

ドン・キホーテの快挙

「安売りの殿堂」を自称する「ドン・キホーテ」が、かねてから「期待」されていた、チューナーのないテレビを発売して話題になっている。
フルHD42型で、税込み32,780円、同24型で21,780円だ。

この商品は、「テレビ」とはいうけれど、「チューナーがない」から、いわゆる「テレビ放送」を視聴することはできない。
つまり、放送法による「受信設備」にあたらない。
したがって、受信料を支払う義務がない。

この件については、最高裁判所の「判決内容」を含めて、おおいに議論すべきところだけれど、相変わらず「国会」が寝たふりをしていたら、そのまま「死んでいた」という、爆笑王のひとり、三波伸介氏の最期状態なので、手に負えない。

もちろん、かつてはテレビ製造で世界を席巻したわが国電器業界も、相変わらず「大赤字」をたれ流しながら、テレビを製造していて、決して「チューナー」を外さない。
これは、いまだに止まらない惰性で、「テレビ事業部」のひとが社内昇格して役員を輩出しているからであろう。

これを、わたしは、「慣性の法則」と呼んでいる。

ところが、すっかり「パネル」すら国産は衰退し、外国製のものが主流となったし、国内電器メーカー製だといっても、「MEDE IN ◯◯」と書いてあって、どこにも「JAPAN」の文字はない。

アメリカ人が、どこの国製のものであろうが、「いいものはいい」といって、日本製のテレビを買って品質に劣るアメリカ製のテレビを買わなかったけど、日本の「慣性の法則」は、アメリカ人のような「割り切り」ができないから、表看板の「日本メーカー製」にだけ拘っている。

なんだか、頭隠して尻隠さず、の状態なのである。

そこで登場した、販売店側がメーカーに製造依頼してものづくりをはじめる、という、「流通革命」をやった70年代の「ダイエー」のようなことを、ドン・キホーテがやったのだ。

しかしてダイエーがやったのは、とにかく「安く」て「そこそこ」の品質のものだったから、製造企業に「新しい価格競争」をもたらして、それがまた、ブランドがある製造企業に「多機能化」という方向をもって「高単価」とする対抗策をもたらした。

今回は、日本国内の工場だったら、いろんな「しがらみ」があってできないものを、外国のメーカーに依頼して実現した。
すると、「第二次流通革命」といえないか?

「チューナーなしテレビ」は、「安く」て「そこそこ」の品質だから「同じ」だということではない。
放送局やらとの「利権」という「しがらみ」を、「突破」してしまったのだ。

つまり、日本「社会の仕組み」に対する、正面からの「提案」となっているところが「新しい」のである。

これが、「デジタル」による破壊力なのである。

さてそれで、この「テレビ」を視聴するには、「ネット接続」という絶対条件が必要だ。
すなわち、ネット回線がない家庭には無用の「家具」となる。
逆に、ネット環境がある家庭なら、「買い替え需要」はあるにちがいない。

ちなみに、受信料契約を解約するには、受像機の「廃棄」を証する、家電リサイクル法に則った、廃棄券購入(郵便局で販売という「郵政行政利権」もある)の領収書を添付する。

その前に、地元放送局に解約書の送付を依頼するのだけれど、あっさりと、ワンセグ放送を受信できる携帯電話やカーナビを持っているかを質問される。

これに、「ある」と答えると、「解約できない旨」の丁寧な説明をしてもらえる。

このことに気づいたかどうかは知らないけれど、かなり流行して「多機能」の「余計な機能」にあった、ワンセグ放送を受信できる携帯電話とかカーナビが、もはや「見あたらない」ほどに販売されていない。
欲しくても売っていないのだ。

「大数の法則」というのは、「確率論」の話になるけど、きっと「欲しくない」というひとが多数になって、メーカーも「機能削除」しないと売れないということに気づいたのだろう。
この意味で、「多機能化」一直線だった話が、「曲がった」のだった。

10代の若者がテレビ放送をほとんど観ない、という現象が定着してニュースにもならなくなった。
テレビを視聴しているのは、「団塊の世代」(1947年~49年生まれ)とこれに近い高齢者層になった。

すると、あと10年もすれば「平均寿命」に達するから、テレビ放送は視聴者の「最大層」を失うことが確実となっている。
これは同時に、「選挙に行く層」でもあるから、テレビによる「洗脳」という手法も、いよいよ「終わり」が近づいていることを意味している。

その「焦り」が、むきだしの「偏向報道」なのだとすれば、これがテレビ離れのスパイラルを形成するので、「自滅の道」一直線となっている。
そこに、ドン・キホーテが着目して、「新発売」を決定しただろうから、なかなかの「マーケティング巧者」だといえるのである。

次のステージは、どんな業者が「追随」するのか?という興味に移る。
妥当なところでは、家電量販店になるのだろうけど、既存テレビ販売との「葛藤」が社内で激論を呼んでいることだろう。

それはそれで、テレビ販売の専門家(プロ)達の抵抗という、メーカー内と同じ構造の再現になっているのかもしれない。

結局、消費者が、「買う」か「買わない」かを決めることになっている。
そこに、宿泊業や賃貸住宅のオーナーサイドが「参戦」することもあるだろう。

ホテル・旅館の客室にテレビを設置する価値がどれほどあるのか?
独居世帯の賃貸住宅で、若い世代はパソコンを所持しないけど、ネット動画は観たいものだ。
ならば、オーナーが設置するエアコンのように、新規入居時にチューナーなしテレビのオーナー設置(あるいは寄贈)もあっていい。

攻防戦は、はじまったばかりなのである。

いつガソリンは300円になるか?

人災の「エネルギー・インフレ」である。

1970年代に起きた、石油ショックも「人災」である。
石油が地下からでなくなったのではない。
産油国が「意図的に価格を上げた」ということになっている。

「ということになっている」というのも意味がある。
当時、産油国に石油に関する権限はなかった。
なんと、「セブン・シスターズ」という欧米石油資本(「国際石油資本」ともいう)の、たった「7社」が世界の石油を独占していたからである。

人類には「戦略物資」というものがある。

最初の戦略物資は、「胡椒(コショウ)」だった。
この植物は、インドと東南アジアにあって、その「タネ」が金(ゴールド)と等価とされるほどの需要があった。
航海技術がなかった初期には、インドからペルシャ、アラブのラクダによる隊商が地中海まで運んで、そこから船でヨーロッパに持ち込まれた。

商人の手を経る度に手数料が加算されて、「末端価格」が金と等価になったのである。
それは、現代の「麻薬」とおなじだ。

胡椒の「習慣性」は、想像してみればすぐに理解できる。
高緯度のため作物が育たないヨーロッパでは、肉を中心とした食生活だった。
これを調理するにも、保存するにも、胡椒があるとないとでは話がちがうのは、味の話だけではない。

そんなわけで、胡椒を求めて、船と航海技術ができると、たちまちにインドと東南アジアが、ヨーロッパに侵略されたのである。

そして、次の戦略物資が石油になった。
同じように、中東の砂漠地帯がヨーロッパに侵略されたのである。
しかし、砂漠だから人口が少なくて、しかも遊牧民の部族社会で定住していない。

それで、適度に部族対立をさせて、石油だけを奪取していたのである。
「内部対立」させるという手法は、インドで大成功したやり方だ。

だから、わずかな地上の「土地利用料」だけしか払っていなかった。
このことの「損」に気づいたアラブ人達が、目覚めた、といえばそうでもなくて、大幅値上げを図って濡れ手に粟をたくらんだ欧米石油資本が結託してやった茶番劇が「石油戦略の発動」だった。

ところが、とんだ人物が現れて、その利益をよこせと主張したのが、サウジアラビアのファイサル国王だったのである。
日本人には、なんだか、平清盛と後白河法皇のような関係なのだ。
ヨーロッパ人はこれを知らないので、今度は欧米石油資本が翻弄されて、「OPEC」を創設させられたのである。

その背景には、中東戦争のための「武器商売」があって、全面的にアメリカ製のイスラエルと、各国ミックスのアラブへのセールスがあった。
ちなみに、当時のアラブの盟主は人口が最大のエジプトで、カイロ市内の地下鉄1号線と引き替えに、フランスはミラージュ戦闘機の売却に成功した。

こうして、わが国のエジプトへの鉄道輸出は、いったん頓挫したのだった。

それから半世紀。
誰が考えだしたのか、地球温暖化という詐欺に、なんだかみんなで欺されているのは、ダイオキシンの猛毒とかと同じで、コロナもそうだった。

アメリカが驚く技術で勝ち取った、シェールオイルとガスのお陰で「石油純輸出国」の栄光をつかんだのに、これを「人為」でやめさせて、一気に供給不足という状態を、政権が創りだしたのだった。

そのバイデン政権の前、民主党のヒラリー・クリントンが敗れトランプ氏が勝利したときから、「ロシアゲート疑惑」を仕掛けたけれど、トランプ政権が終了してからの今年、いよいよ「大ブーメラン」となって、今度は民主党に「ロシアゲート疑惑」が反ってきた。

それが、「でっち上げ」の証拠であって、すでに民主党関係者の3人が逮捕されている。
まさかヒラリー・クリントン本人にまで司直の手が届くのかはわからないけど、「本命」であることに間違いないと、多くのアメリカ人が事件の行方を注視している。

それに、この半世紀で「産油国の構成」にも大きな変化があって、いまや世界最大の産油国はロシアになっていて、サウジアラビアではない。
それで、「OPEC+」の「+」がロシアやメキシコになったのである。

バイデン政権がやって社会問題になった不法移民の「国境」とは、メキシコとの境界線のことで、メキシコ大統領は自国が通過点になる「大迷惑」を表明している。
さらに、ウクライナでNATOを使ってロシアに圧力をかけているのもバイデン政権だ。

こうやって、トランプ氏が撤退しようとした中東依存から、見事に「中東回帰」をやっているのは、従来型の石油利権と武器商売の「両立」が目的だとすれば「わかりやすい」のである。

アメリカのインフレはすでに「歴史的」な水準にまでなったけど、日本は例外状態になっているように見える。
しかし、すでにわが国の「卸売り物価(今では「企業物価」という)」は、もう歴史的に「高騰」していて、日銀が発表した先月11月の指数は、昨年同期比で「9%」も上がっている。

消費者物価に転嫁できない、ということだろうけど、そろそろ限界だ。
なお、電気代とガス代の値上がりは、とっくに起きている。
ますます、原子力発電の「再開」という、国民の要望が強くなるようにもなっている。

それに、ガソリン価格が300円になったら、電気自動車へのシフトに加速がつくという「メリット」が政府にある。
「世界貧乏化」の実現が、アメリカ発信で世界を巻きこむことになったのである。

コンテナが来ないための「マックフライポテトの販売中止」も、その経過過程のひとつに過ぎない。

文科省にいる閑人の迷惑行為

受験生や受験生を持つ親にはショックだろうけど、命じられた大学当局も教授陣もショックだろう。

25日、オミクロン株感染者の「濃厚接触者」たる受験生は、大学受験を認めず、別途「追試」をしろと文科省が「命じた」と報道された。

この役所の名前から、即刻「科学」を取り上げて、二度と名乗ってはならないという「法律」を、新年早々の通常国会で可決するのが、絶対安定多数を単独で勝ち得た自民党の「初仕事」にしないといけない。
ついでに、「設置法」も改正して、省ごと「廃止」が望ましい。

言語道断とはこのことだ。

いったいどこにこんな権限があるものか?
法の拡大解釈を通り越したら、そのまま「憲法違反」に直行である。

受験の「厳密性」が病的な「潔癖主義」にまでなったので、大学側も出題・採点にかかわる教師を「缶詰」にする。
それは、ほんとうに「軟禁状態」におくので、関係者は自宅に帰ることも出来ないばかりか、勝手に外出できないように「施錠」されてしまうのである。

その関係者の多くは、「教授」なのだ。

そして、採点は「学科」ごとに行われるので、「学科長」になりたくない症候群という病もとっくに発病している。
これは企業における、管理職になりたくない症候群とおなじだ。

まさに、「弱いものイジメ」を、国家公務員がやっている。
ならば「大臣」はどうするのか?といえば、国家公務員の言いなりなのである。

どうしてそうなるのか?というと、「党」のトップである幹事長が、役所を優先にして、国会を後回しにすることに「正義」があると信じている御仁だからである。

たとえば、「党」の、総務会長や政調会長、それに外交部会長や外交調査会長が、こぞって進言した「国会決議案」の「決議」を、政府が決めるまでしてはならない、という「タイミング」を指示したことでわかる。

前外務大臣だったこのひとは、むかしアメリカ留学していて、その先がハーバード大学のケネディ・スクールだと、経歴に書いてある。
本当なのか?
にわかに信じがたいのは、三権分立の意味をとうてい解していない発言と行動にある。

まさかさいきん流行の「経歴詐称」ではあるまいかと疑いたくなる。
そんなはずはないから、「忘れた」か「元々知らなかった」かのどちらかで、元々知らなかったならば、留学前の東京大学法学部で教えてもらわなかったからか?

いや、そのもっと前の中学と高校で習ったことを「忘れた」か?
「三権分立」なんて当たり前すぎて、受験にでない、ということが原因なのかもしれない。
だとすると、ものすごく「要領のいい」ひとにちがいない。

なんだか、ご尊顔を拝すると、要領のいい感じがするのである。
でも、うっかり外相会談後の記者会見で、相手のわが国領土を自国領だという問題についての失言に「無反応」で、会見終了後に「謝謝」と言ってしまったのは、要領がいいゆえに、相手の発言を上の空で聞いていなかったからだろう。

すると、「ここ一番」で集中できない性格なのかもしれないし、自分が「偉くなった」ことに、自己陶酔するナルシストなのかもしれない。

そんなわけで、もしも、文部科学大臣が、「撤回せよ」と事務方に命じたら、選挙を司る(=資金を振り分ける)幹事長から、どんな嫌がらせをうけるかしれない。
なにしろ、現職の大臣は、5年前に3回目の当選をした参議院議員なのだ。

つまり、来年の「改選」が待っている。

失敗した「加藤の乱」で知られる、加藤紘一氏が幹事長だったとき、参院のドンは、村上正邦議員会長であったが、意見対立したとき、加藤は幹事長権限にない「会長交代」ではなく、次回選挙での「公認」に難色を示唆してこれ以上の異論を封鎖した。
そして、村上氏の凋落はここからはじまって、最後は「汚職」で収監されるにまでなったのである。

「幹事長」とは、そういう権力をもっている。

だから、オリンピックにまつわる「態度表明の決議」を推進する高市氏やらが、幹事長に一蹴されて、「悔しい」と表明したのは、まったくの「愚策」であり、むしろ「公」の話を「私情」に変えた、彼女の無能を曝露したも同然だ。

相手は、「謝謝」なのである。

まともに正面切って提案したところでどうなるかも予想できずに、あたかも被害者づらするところに、この女性の、正義は我に在りという「狡猾さ」こそ感じるのである。

そんなわけで、組織は有機的結合体だと言われるように、自民党政治の「オワコン」ぶりは深刻で、ありとあらゆる方面で断末魔の「痙攣」が発生している。
参院から鞍替えして、すぐさま新任外務大臣になったひとの選挙区における「不正問題」も同様だ。

そこで、「参政党」が出てきた。
こちらは、トランプ氏落選のゴタゴタが影響して、結党メンバーの分裂があったけど、むしろ発想を「近代政党」に基盤を置くから、ずっと「準備段階」で深く潜行していたものが、ようやく「浮上」したようだ。

来年の参院選に、ずいぶんな候補者を立てると表明した。
全国区に10名、地方区には全区で擁立を目指すというが、資金次第。
その中に、科学者の武田邦彦氏の名前があって驚いた。
レギュラーだった、「虎の門ニュース」も降板となったようだ。

「参議」としてふさわしいし、「上院」とすれば期待がふくらむ。
年末に、明るい希望を表明したのはいいことだ。

さて、受験生は風邪をひいたらいけないのはむかしからだが、PCR検査を受けないことが、閑人達の陰謀を粉砕するもっとも望ましいやり方である。
これに、「受験生プラン」で宿泊させるホテル(厚生労働省管轄)が「加担」しないように祈るばかりである。

キリスト教国化のクリスマス

戦勝国は敗戦国に対して、どこまでの権限が許されるのか?という問題は、敗戦国は「拒否できない」という状況から、「無限大」にエスカレートすることがある。

「国」同士という対等の関係でいえば、「一線を越える」ことは互いのメリットにならないので、やってはならない、という伝統的なヨーロッパでのルールにも抵触する。

なぜならば、狭い地域に多くの国や民族がいるヨーロッパの歴史が、血にまみれたもので、今日の勝者が明日の敗者になりかねない、という切実があったからだった。
それが、「ラグビー」における「ノーサイド」という概念にもなった。

時の権力者が、自分の権力を誇示するために作曲依頼したので、「祝典」としての意味をもつ、ベルディのオペラ『アイーダ』でも、アイーダの父で敗戦し捕虜となったエチオピア王が、自軍兵士達の命乞いに同様の「論」を訴えて熱唱するシーンがある。

ちなみに、この時の権力者とは、オスマン帝国のエジプト総督にして、国内ではムハンマド・アリー朝の5代目君主、イスマーイール・パシャのことである。

そんなわけだから、軍人同士は「明日は我が身」という立場を心得ていたものだけれど、GHQという存在は、これを無視して、敗戦国に対する「過去にない報復」を実行した。
それが、「占領時代」の出来事で、いまに続いているのだった。

だから、わが国は、明治維新で歪んで、敗戦で歪んだのだけれども、「通奏低音」的な伝統もあるから、三重構造で別々の音楽を奏でる「変な」国になっている。
もう偶然でしか「和音」もできない、それが今の状態だ。

アメリカ軍にはない「階級」の元帥を称号としていたマッカーサーは、米軍では「大将」だけど、フィリピン軍からもらった元帥を自称した。
民主主義のアメリカは、軍人をコントロールしないはずはないので、本当の「最高司令官」は、大統領である。

それに、「連合軍」なので、「連合国対日理事会」(米英ソ中の4ヵ国、ただし、「英」には、オーストラリア、ニュージーランド、インドを含むし、「中」とは中華民国で、中華人民共和国はまだ成立していない)があって、マッカーサーの意向から「諮問機関」に降格されたとはいえ、うるさい存在だったのである。

つまるところ、GHQは一枚岩ではぜんぜんなかったけど、内部での「抗争」をマッカーサーが抑えたのを、あたかも「日本のため」という欺瞞で覆い隠すという巧妙さも日本人なら意識しないといけない。
彼の本音は、アメリカの独り占めのためであって、それは大統領を目指す自分のためだった。

上述のように、武人としての「お互い様」を振り捨てて、あらゆる分野で「日本解体」を画策したから、端的にいえばおぞましいほどの国際法違反を実施した、いわば「不法集団」がGHQの真の姿である。

猫が瀕死のネズミをいたぶり殺すようなことを正当化するために、「屁」がつこうが何がつこうが、徹底的に「宣伝」しまくったので、「12歳児」の日本人は、コロッと欺されるひとが続出した。

さまざまな「解体」のなかでの、「宗教」を本稿では扱う。

日本人の宗教観で、もっともいわれている欺瞞は、「無宗教」というナンセンス話である。
じつは、日本人は世界に類をみない「カルト好き」の民族なのだ。

すなわち、自分の役に立つ「神」を信じる、という本質を持っている。
だから、自分に禍をもたらすかもしれない「唯一絶対神」を信仰しない。
この見事な「ご都合主義」は、「先祖崇拝」からやってくる。
いわゆる「背後霊」というやつだ。

両親や祖父母を中心とした、ご先祖様の霊が、自分を護ってくれている。

ここから、全ての「神仏からイエス様」まで、ぜんぶが「自分のため」にあると考えているのが、日本人なのである。
だから、その都度、「効きそうな」場所に行って「祈願」する。
受験なら天神様、安産なら水天宮、葬式仏教もこの延長だ。

こんな日本人をキリスト教徒に改造しようと、まじめに取り組んだのもGHQだ。
その手順の最初に「神道指令」をだした。
これが日本人には「廃仏毀釈」の逆に見えたのである。

それでもって、神棚がある「道場」がある稽古場(アメリカ人には「ジム」)をやめさせようと、剣道などの武道を禁止した。
武道は戦争のためだから、という理由は、GHQの「屁」がつく理屈で、本音は「神道の解体」だったのである。

次の手は、宣教師を大量移入(3000人超)させたし、「物量戦」として、聖書をホテルに無料配布したのである。
このときの「屁」がつく理屈は、自殺を考える宿泊客が聖書を読んで思いとどまるかもしれない、であった。

客室での自殺を迷惑として、この理屈を「真に受けた」ホテル経営者は、積極的に聖書を客室に設置したのである。
それでもって、客室備品のなかでも「自由に持ち去る」ことができるようにもなったのは、十分な在庫を無料で貰えるからである。

アメリカ人は、聖書を読めば、キリスト教に改宗すると信じて疑わず、今日もホテルに聖書があるのだ。
日本人は、論語を1000年読んでも「儒教徒」にはならなかったものを。

そんなわけで、最後の手が、クリスマスだった。
「本場」以上に飾り付けて、街中に聖歌が流れ、ケーキとプレゼントで浮かれるけれど、「何のお祝いか?」を気にする日本人がいないのである。

すべては、自分のため、という原則がなんら変化しない。
それは、マッカーサーが言うとおり、「12歳児」の知能だからか?
いや、それが日本人なのである。

メリークリスマス。

石油生成プランクトンの発見

神奈川県は横須賀にある、「国立研究開発法人 海洋研究開発機構」が、先週13日、北極海で採取した植物プランクトンに、石油を生成する「藻類」を世界で初めて発見したと発表した。

そもそも「石油」とは、主成分が「炭化水素」の物質のことをいう。
太古の昔の植物や動物の「死骸」が、地下にあって圧力や地熱によって変質したもの、という考えが主流だったけれど、樺太で見つかる油田の「新しさ」が不明だった。

ぜんぜん「太古」とはいえないのである。
もしや、今回発見されたプランクトンが原因の油田かもしれない。
「光合成」によって、炭化水素を作り出すのだ。

しかも、このプランクトンは、「飽和炭化水素」を造るという特色がある。
「炭素」には、電子を介した「共有結合」のための「手」が4本あって、2本が隣の炭素と、あとの2本が1本ずつ水素と結合して、ムダがない。
単結合だけを、「飽和」という。

構造図だと、ムカデのようにみえる。

胴体が炭素の結合で、対に出ている足にあたるのが水素である。
なお、頭やお尻にあたる場所にも、水素が1ずつ結合している。
これで、酸素などといった不純物がないために、燃焼させると、水素が外部の酸素と結合するから、高エネルギーを発するのである。

なので、炭素同士が二重結合(エチレン)したり三重結合(アセチレン)したりする「不飽和」とは分けるのだ。
また、酸素などといった不純物が結合しているものは、燃焼の邪魔になるから低エネルギーになって、上述したムカデの尾の先端(水素)の手前に酸素があるだけで、エタノールとなる。

ガソリンの燃焼力とエタノールの燃焼力が雲泥の差なのは、余分な酸素を内包しているからである。

さらに、このプランクトンが生成するのは、「ガソリン」と「重油」にあたる炭素数なのである。
炭素数が10個~15個までがガソリン、16~20が軽油、21~38が重油にあたる。

このプランクトンは、主に、10と11を生成することがわかった。
つまり、「ガソリン」を生成するから、あまりにも「画期的」な発見になったのだ。

太陽光パネルや水素といった、持続不可能ゆえに「金食い虫」とは違う。
パネルを作るときに要するエネルギーは、発電して回収するエネルギーの4倍もかかるし、交換後の廃棄処理をどうするのか?についての技術が確定していないから、ただ捨てるだけの環境破壊が容認されている。

つまり、いまは「作りっぱなし」のものを「持続可能」と言っている。

水素については、地球上に気体としての水素が持続的に存在できないのは、原子番号1番ゆえの「小ささ」から、地球の引力で保持できないからである。
水素を作るには、水を電気分解しないといけないけれど、その電気はどうやって発電するのか?

人工的に作った水素は、あらゆる物でつくった容器を通過して、宇宙へと飛んでいき、これを回収するすべを人類はもっていない。
永遠に地球からなくなるものを、やっぱり「持続可能」と呼んでいる。

そんな「インチキ」の数々からすれば、今回の「発見」は、人類史に残るほど重要なことだから、2021年最大のニュースだ。

さてそれで、このプランクトンが作りだしたガソリンを燃焼させても二酸化炭素は排出される。
けれども、「化石燃料とは違って」、もとが大気中の二酸化炭素を光合成によって体内に取り入れたのだから、燃焼させても「プラス・マイナス=ゼロ」だと説明されている。

だから、安心、だと。

ここで、「ずっこける」のである。
「化石燃料」だって、元は植物やらだったのだから、基本的に「プラスマイナス=ゼロ」である。

そもそも、今は「氷河期」で、地球の歴史でいうと「珍しい時期」にあたる。
前にも書いたが、「氷河期」の定義とは、地上のどこかに氷河がある、ということをもっていう。

南極大陸は言うに及ばず、ヒマラヤもスイス・アルプスしかりなのだ。
これらの氷河が、よしんば「溶ける」ことだって、地球の歴史では「ふつう」のことだから、なにが問題なのか?がわからない。

むしろ、たかだかの人間の歴史で以て、「あるはずの氷河がなくなること」へのノスタルジーではないのか?
それもそのはずで、人類は氷河期と共に発生して生存したきたから、ともいえる。

しかし、衣服をまとわない、植物や動物にとって、「寒い」ことはいいことではない。
だから、二酸化炭素濃度が10倍ほどもあった太古の時代の、温暖状態では、植物が巨大化し、それを餌とする恐竜も巨大化した。

その死骸が石油や石炭になったのである。

炭素こそが万能の物質メーカーなのである。
それをまた、「脱炭素」といっているのは、ただの「知識不足」か、「利権欲しさ」のどちらかか、その両方である。

北極海で発見されたとはいっても、太平洋にも大西洋にも棲息が確認されているのだから、人類の未来を支える「期待の星」だ。
核融合はエネルギー「だけ」だけど、このプランクトンは、プラスチックの原料にもなる「資源」なのである。

炭素バンザイ!

コロナは過越祭

旧約聖書モーゼ五書のなかの、「出エジプト記12章」にあるエピソードが「過越祭」のはじまりとされている。

2本の門柱の間をつなぐ「かもい」に、雄の子羊あるいはヤギの血を塗って備えた家の「初子」は助かるが、これをしなかった家の初子は人間でも家畜でも「撃つ」という神のお告げが、そのまま実行された、という話だ。

想像すれば、実に凄惨で残酷なことが本当に起こったというから、日本の神とはちがう。
そんな恐るべき神が、いう通りに用意した家を「過ぎ去って越して」行く。
以来、ユダヤ人(=ユダヤ教徒)に「過越祭」は、重要な「祭り」となったのである。

ときに、ユダヤ歴という「太陽太陰暦」では、正月14日からの1週間を祭りの期間としているので、現代の太陽暦では「春」の祭りとなっている。

なんとなく、日本の「節分」と似ている。
神を「鬼」に例えれば、ぴったりなのである。
しかも、2本の門柱の間に赤いかもいとは、なんだか「鳥居」のようなものを立てたことになる。

「日ユ(日本とユダヤ)同祖論」という怪しい論があるけれど、これはあんがいと「まじめな話」で、イスラエルでは公式に「失われたユダ族10部族」の行方を捜しに、わが国の遺跡などの調査を行っていた。

このところ、縄文人の遺伝子解析がはじまって、シュメール人との遺伝的つながりが確認された。
これまで出来なかったのは、「骨」しか発見されていなかったからで、新しくみつかった「歯髄」から採取したDNAが「決め手」となってきている。

「歯髄」とは、歯の神経のことで、歯科医がする「根治」でゴリゴリとやるのは、歯神経を除去するためである。
たまに、膿が破裂して、強烈な悪臭を発するのは、歯髄にある血管が腐敗したからだ。

よくも縄文人の「生肉」にちかい「歯髄」を見つけたものだけど、それゆえに信憑性は高いのである。
歴史好きならご存じの、不思議人類がシュメール人で、歴史上「突然登場」して、理由不明でいなくなったひとたちだ。

にもかかわらず、もちろん、有名な「シュメール文明」を築いていて、チグリス・ユーフラテス文明ともいわれる。
そこで発見されて解読もできた、「くさび形文字」の刻まれた粘土板は、その文明の高度な発達を示唆しているのでも有名だ。

「都市伝説」のような話だけれど、これが、わが国の古代遺跡でみつかる解読不能という文字との共通点をいうひとが出てきて、「カタカナ」との関係も議論されている。
なにせ、「血が繋がる」相手だからである。

ちなみに、「エデンの園」の考古学的存在も確定していて、それがシュメール文明の地にあったことは、もはや「定説」であるから、縄文人(日本人)とユダヤ人との「同祖論」も、荒唐無稽とはいえない。
現代日本人の血も、半分が縄文人のDNAを持っていることがわかっているので、嘘みたいだがシュメール人と「血縁」にあるのだ。

日本の縄文人が航海技術に優れていたこともわかっていて、中部太平洋の島々だけでなく、南米の遺跡からも「縄文式土器」が発見されている。
だとすると、ロマンを膨らませれば、縄文人がシュメール人になった、ということだって、「ありえる」ということになる。

さすれば、赤い鳥居の「稲荷神社」と「過越祭」とは、いったいどんな関係か?ということだって、まじめに考えてもバチはあたらないだろう。

さてそれで、過越祭は、第三者の命じるルールを理屈なく盲目的に従った者が生きのびて、疑ったり従わなかった者の「初子」は何者かに殺されるという、究極の選択の話ともとれるのである。

それで、長男を失ったエジプト王は、奴隷の王となったモーゼを討伐すべく自ら軍を率いて紅海に達したところ、海が割れている中に突撃して全滅の憂き目を見るのである。

まさに、「新型コロナ」による、政府の命令が「過越祭」と同じ構造になっている。
しかし、聖書の話と違うのは、「神」の役回りが「政府」になっていることである。

だからこそ、うさんくさい、のである。
それなら、聖書を熟読しているはずの欧米人が、このうさんくさい政府が創った物語に、まっ先に気づきそうなのに、どうしてそうならないのか?
かえって、詳しいだけに、物語の「恐怖」が迫ってくるのかもしれない。

ならば、日本人が小さな赤い鳥居を玄関先にぶら下げて、これを「コロナ除け」としたならば、たちまちにして誰も罹患しない、という「奇跡」が起きて、世界に「鳥居」を輸出することになるかもしれぬ。

はなから2年が経過しても、病原体としての新型コロナウィルスの存在が確認されていない(確認した研究論文がない)、という「事実」をもってすれば、鳥居の効力を無意味とも、おまじない、ともいえない、世界的詐欺事件を「撃つ」ということになるはずなのだ。

この際、「過越祭」を日本からはじめるがよい。
冬至を過ぎて、これから日が長くなる。

ライバルの「日経連」がなつかしい

「日経連」とは、日本経営者団体連盟の略称で、労働問題を専門的に扱う経営者団体のことだ。
昭和23年(1948年)に発足し、平成14年(2002年)に、経団連と統合して「消滅」した。

スポーツやら芸術でも「競技(芸術なら「コンクール」とか「オーディション」)の世界では、だいたい「同世代」にライバルがいて、いつもその相手と対戦を強いられるという「宿命」がある。

「現役」だと、最初は「憎き敵」ということになるけれど、互いに研鑽を積んで「一流」というレベルに達すると、ふしぎと「尊敬」の念が発生する。
自分の辛い努力を相手もやっていることに気づくからだろう。

それから、対戦相手となっても、「勝負」は別として、「楽しむ」という感覚が生まれ、たいていは「生涯の友」になるものだ。
それが、実際の交流はなくとも、「心の交流」という自意識になるのは、自分の価値を確認する方法にもなるからである。

だから、突然、ライバルがいなくなると、大きく心が乱れて、自分の心が折れてしまうことがある。
そうやって、「目標物」を見失うと、あたかも自分自身の目標を失った感じがするものだ。

それが、「かけがえのないライバル」という表現になる。

これは、一種の「ベンチマーク」なのである。
しかし、一心不乱に目標を設定して、「勝利」を目指してきたなら、もはや冷静ではなくなる。

こうしたことは、人間の心理の中に形成されるので、なにもスポーツとかの分野に限定されることではない。
むしろ、企業活動における「ライバル企業」という存在が、社内での共通認識となれば、社をあげて対抗することに異論はなくなる。

だから、これを、「煽る」経営トップが出てくるのも、そうしないと内部組織から突き上げを喰らう畏れがあるからだ。
「うちの社長はお公家さんか?」とかと批判されて、むき出しの敵意を示さないことに不満が出てきたりする。

そんな状態で、一度でも業績でライバルに負けたりしたら、それこそ「トップの責任」が、社内から問われて、統治能力を喪失してしまえば、株主の意向とは関係なく、「辞任」という事態にまでなるのである。
「人心一新」という言葉をつかうのは、このことだ。

気分一新も、景気も、「気」の字があるのは、どれもが「心理」が人間を支配しているからで、「その気」にならないと、ひとは「本気」を出さない。

さてそれで、日経連が出来た「時期」をみると、一つのメッセージがそこにある。
つまり、「占領期」という事実に、「裏」を感じさせるメッセージがあるということだ。

日本を完全支配していたGHQという組織目標は、当初「日本弱体化」の一点に尽きる。
また、アメリカ本国における「長大」ともいえる民主党政権によって、あろうことかわが国の「社会主義化」が実施された。

なるほど、社会主義国になれば、間違いなく国力を失うから、日本弱体化という目的に合致する、もっとも合理的方法ではある。
しかし、もしや「憧れ」の実践という一石二鳥だったかもしれないので、話がややこしくなるのである。

さらに、朝鮮戦争という「神風」によって、あるいは、アメリカ本国の共和党への政権交代で、「不沈空母化」という大方針転換があったから、一概に「占領期」を単純に評価することはできない。
もちろんここに、マッカーサー自身が共和党から大統領候補になるという「野望」も展開する複雑さがあった。

すると、共和党のマッカーサーをトップにしてはいるけれど、配下の将軍や佐官たち(管理職)が民主党左派だったから、GHQなる組織は、より一層なんなのか?が見えにくいのである。
だから、「歴史的偽装」という見方も出来る。

公職追放という荒技で、日本を支えた経営者を追い払ったのも、マネジメント能力に劣るひとたちを「昇格」させて、弱体化を図ったのだけれど、同時に労働組合とストライキを容認して、企業内部からの弱体化も図るという周到さをやってのけた。

ところが、昇格したひとたちがあまりにも「稚拙」なので、「経営者よ正しく強かれ」というスローガンをもって日経連を造ったのは、社会混乱が本物の革命を誘発する可能性にまで高まったからでもあった。

この当時の労組とのやり取りを見ると、幼児的ケンカを売っているのは経営側に見ることができる。

それでもって、日経連が、労組と対峙することになって、労組は日経連を論破する努力をするが、ことごとく「論破」されたのは労組の側であった。
ここに、分かりやすい「ライバル」関係ができたのだ。

しかしながら、いよいよわが国の「世界の工場」という役割を終えるために、日経連を消滅させたら、とうとう労組まで弱体化してしまった。
じつはライバルを失ったのは「経営者」の方で、それが「著しい劣化」となって、わが国の経済力は「落ち続ける」ということになったのである。

だから、労働組合の活動が「付加価値生産性」を向上させるために経営者と対峙するという、「新しい」活動しか、もはやわが国経済の復活を望めないところにまでなっている。
劣化した経営者を、労組が付加価値生産性向上で追いつめる、という構図だ。

実際、これしか、賃金を増やす方法がない、というところまできている。

すなわち、労働組合が「社会主義を棄てる」ということが、唯一の解決策になったのである。

これに、洗脳されっぱなしの経営者と労働組合の双方が気がつかない悲劇がある。