古い映画『1900年』の感想文

全体主義を理解するための視聴覚教材として、『1900年』(1976年)をTSUTAYAで借りたことは書いた。

この5時間強に及ぶ大作の、現時点での感想文を書いておく。

さて、舞台はいまから124年前、西暦1900年(明治33年:皇紀2560年)だ。
原題は、『Novecento:20世紀』で、各国で『1900年』とされたことに、監督のベルトルッチは「えらく不満」だったという。

2000年生まれが、24歳になるいま、是非100年遅れで生まれたきたひとたちにも観てほしいものだけど、自分が何年遅れなのかを意識して、この物語を自己の経験と重ねる努力をすれば、似た風景とぜんぜんちがう風景に分けることができる。

もちろん、外国の事情の前に、自国の事情を事前に確認しておかないと、「基準」がわからなくなる。
そこで、賢明なる読者には、この年を検索されておくことをお勧めするし、自分の生まれた年も検索しておくとよいのである。

同時にまた、その前後の時代も確認しておきたい。

歴史家は、過去200年は遡っていまを見るという。
都会の人間は、祖父母まではしっていてもその前の曾祖父母になるとかなり怪しく、曾祖父母の生きた時代の生々しい記憶を失っているために、身近な200年を遡るのは意外と困難なのである。

この意味で、与党の一方がいう、「現世利益」だけの生き方、が現代のほとんどの日本人の根底にあるために、過去 ⇒ 現在 ⇒ 未来、における、現在とは、駅伝でいう過去から受け取ったタスキを未来に渡すためにいまの自分がある、という「役割」もすっかり忘れてしまって、「いまだけ」になったのだった。

これは、「保守思想」の基本であるから、「保守」が日本で絶えたのは、「いまだけ」の蔓延による当然ということなのである。

さて、1900年前後を大きな区分でいえば、日清戦争が1894年から95年、日露戦争は、1904年から5年、第一次世界大戦は、1914年から18年であった。

なお、日露戦争を、識者は「第0次世界大戦」だと評価している。

いわゆる、近代戦争の「総力戦」の史上初めてがあったからである。
しかし、いまもっと注目したいのは、この戦争の「ポンチ絵」が、英米にそそのかされてロシアと戦う日本人という構図だ。

まったく、地球の反対側のウクライナでおなじ構図がいま起きているのだ。

ちなみに、日露戦争の戦費調達で、ヨーロッパで起債に成功したのが、奴隷から身をおこし大学での人脈づくりに励んだ、高橋是清であったが、この債務を完済できたのは、なんと1986年のことであった。

さて、この映画の舞台は、イタリアである。

問題なのは、イタリアがいまのように統一国家となったのは、一応、「イタリア王国」ができた1861年(文久元年:安政と慶応の間)のことなのである。
それでもって、統一が完成するのが、なんと第一次大戦後(1918年:大正7年)で戦勝国となったことの「報酬」であった。

なので、古く見積もれば建国163年、新しく見積もれば106年しか、現代イタリアには歴史がないのだが、明治維新後の日本の近代史と妙に重なるのが、統一イタリアの近代史なのである。

イタリアが複雑なのは、幕府に相当する中央政府がないので、日本でいうなら、応仁の乱以降の戦国時代的な領主が各地にいて、それぞれが独立していたややこしさに、ローマ教会も領地をもっていた複雑で、日本人には理解が困難なのである。

それゆえに、本作の1900年からはじまる設定は、じつに微妙なバランスによる時代設定となっているし、統一前の分立していた当時の地方色(舞台は「エミリア・ロマーニャ地方」)もからめて、日本人にはたいへん難しい作品になっているのである。

なお、エミリア語、ロマーニャ語がそれぞれ標準イタリア語以外にあるのも、この地方の特徴になっている。

さて映画冒頭のタイトル背景画は、ジュゼッペ・ペリッツァ・ダ・ヴォルペードが1901年に発表した『第四階級 (Il Quarto Stato)』である。
貴族階級、聖職者階級、中産階級(市民層)に次ぐ第四の階級が労働者階級で、中央に描かている。

この映画の「左翼性:社会主義礼賛」を暗示させる。

ついでに音楽は、巨匠、エンリオ・モリコーネで、文句があるとすれば、その音楽が美しすぎることだろう。

社会背景に、スターリンか、黒シャツのファシスト(ムッソリーニ)か?という二択がある。

地主である主人公と、農奴である主人公のふたりの複雑な友情が、徹底的なファシストを悪として描かれるけれど、「廃頽」の極みは、日本人の経験値を超えている。

この意味で、「仇役」の迫力が、凄まじいのであり、農奴たちの日本にはない、悲惨は、日本における小作人とどうやっても比較するのが困難なのである。

次元がちがうのだ。

なのに、安易な(おそらく「わざと」)知識人たちは、イタリア(もっと拡大してヨーロッパ・ロシア)の農奴と、日本の小作人を同一視する。
残念ながら、わたしにはそんな単純な比較はできない。

劇中にある、塀と門が、農奴を逃がさせない仕組み(「農奴」は土地と分離されない)になっているけど、日本の場合はそこまでしていないから、江戸期の領主の悩みはむしろ「逃散」(農民が土地を棄てて別の領地へ逃亡する)だったのに、塀に閉じ込めることは考えもしなかったのである。

あたかも、「一揆」を強調するのもいかがかとおもうけど、全国各地で一揆も起きていたから、「逃散」の頻度はもっと注目されていい。

だが、日本の左翼はこれをあえてしないのである。

たとえば、白土三平の『カムイ伝』を礼賛した、法政大の田中優子、『カムイ伝講義』がそれで、このような浅はかな研究しかしないのに、「総長」になった噴飯がある。

そんなわけで、第二次大戦後まで、サラリと身を返して戦勝国になったイタリアの農奴はずっと悲惨だったのではないか?
もちろん、日本とちがって、農奴に学問をやらせないのは、だれであれ統治者に都合が悪くなるからである。

ところで、スターリンとムッソリーニのちがいが理解できない、この映画の表現はいかがなものなのか?

こたえは、「同じ穴のムジナ」なのに、である。

なにせ、ムッソリーニは、その過激思想(=極左)ゆえに、イタリア社会党を除名されて、なお、まだ極左のために、イタリア共産党からも相手にされなかったのだ。
いってみれば、法政大に拠点を置く、中核派のような存在がムッソリーニの「本籍」なのである。

血が濃すぎるための近親憎悪、これが、ムッソリーニを糾弾し赤旗を振る者たちの心理であった。

ゆえに、本作では、全体主義の恐怖に深く踏み込んでいないという「演出」がされている一方で、地方の支配者にすぎない地主たちの愚劣さが単純な二項対立として強調されているのである。

こうやってみると、わが国の戦後改革の大エポック、GHQによる「農地解放」とは、日本人小作人の「農奴化:土地と結合させる」であった。

「先祖代々耕してきた土地」という、大ウソがまかり通ったのも、農奴化のための精神的プロパガンダなのである。

それでもって、日本の農業は殺されて、とうとう食料自給率がカロリーベースで1割程度という、いつ飢餓がやってきてもおかしくない状況がつくられたのである。

イタリアの農奴には「解放」だったのかもしれないが、日本の小作人は逆に農奴に貶められた、このトリックに気づかないで、なにに気づけというのだろう?

20世紀の酷さは、より高度化して21世紀に続いているのである。

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