「配達保護法案」という、ジョージ・オーウェル『1984年』に登場する「用語」の定義集にあたれば、配達「迫害」法案なる本音があぶり出される。
つまり、「平和」とは「戦争」のことであり、「自由」とは「隷属」であり、「無知」は「力」である流れから、「保護」とは「迫害」なのである。
民主党が市長も市議会も支配するニューヨーク市で、いま、上記法案の審議がされていて、もはやいつ可決されるのか?時間の問題とみられている。
本法案は、事実上Amazonの配達員たちを解雇させる強制力をもつものであるために、当然ながら当のAmazon社は反発しており、また、Amazonから配送業務を委託された配送受託会社の労働者すなわち配送員たちも大反対しているのである。
しかして、ニューヨーク市長と議員たちのいい分は?といえば、配送受託業者の労働者は「大企業Amazonから搾取されている」との主張で、Amazonのような大企業は「配送員を直接雇用しなければならない」というものである。
まさに、「介入主義=社会主義・共産主義=全体主義」そのものなのである。
ミーゼスは、経済事象について物理事象のような「(社会)実験は不可能」と決めていた。これは、再現性が担保されない、ということからの常識を述べたものであるけれど、介入主義は平然として社会実験を行い、結果的に失敗することを意図している。
つまり、彼ら介入主義者たちにとっての「失敗」とは、はなからの「ねらい」である、既存社会秩序破壊すなわち、革命成就の道への「成功」を意味するのである。
これを、むかしは一般的に「破壊工作」といって警戒したものだ。
ところで、本法案に対抗してAmazon社は、配送拠点のニューヨーク市からの撤退を警告している。
これによって、30,000万人規模の雇用がなくなる、と。
興味深いことに、2025年初頭、トルドー自由党政権末期のカナダ・ケベック州で同様の事態となって、4,500人が解雇されたが、隣接するオンタリオ州への移転で利用者への配送業務自体の影響はなかったことになっている。
つまり、減ったのは雇用だけ、であった。
1980年の大ベストセラー、フリードマン夫妻の『選択の自由』は、わが国における自由主義紹介(反ケインズ=反介入主義)の嚆矢となった記念碑的な一冊であった。
だが、ハイエクが紹介される遅さと、ミーゼスの功績をぜんぜん広めない学会や出版の弱さにあって、介入主義はぜんぜん衰退していないばかりか、むしろ依存性を高めているのである。
むろん、介入主義者たちすなわち社会主義・共産主義=全体主義の者共は、巧言令色(甘い言葉)をもって、もっといえば、ハチャメチャな論理破たんの論理を、それっぽく語る、ことで民衆を騙す詐欺師たちなのであるけれども、最終目標は彼らによる「独裁による民衆支配」であることは、歴史が証明している。
何度も書くが、ニューヨーク市は、選挙によって自爆し、「ゴッサムシティ」になることを選んだのである。
これはこれで、じつはやってはいけない「社会実験場」となってくれたと思えば、ニューヨーク市民には気の毒だが、その末路の悲惨を眺めてみたい悪魔的な感覚にもなる。
資本主義から必然的に社会主義・共産主義=全体主義に移行する、という、マルクスの自己陶酔型一方的主張が、正しかった、としてみれば、まったくニューヨーク市は唯物史観通りの展開となっているから、その崩壊過程を確認できることは、マルクス否定の金字塔的な実験結果となるだろう。
だが、その痛みの代償は、ニューヨーク市民が負担することとなる。
市長や市会議員といった指導者たちは、かならず退散してしまうからである。
失礼ながら、いいぞ!やれやれ!なのである。

