残り1日のパブリックコメント募集

こないだ書いた政府の、「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(案)に対する意見募集(パブリック・コメント)について、の締切りのことである。

開始されたのが、4月24日で、締切りが5月7日18時となっている。

ちょっと細かいが、ページ下の、「意見募集要領(提出先を含む)の全部を確認しました。」にあるチェックボックスに「レ」を入れてもはじかれることがあるのは、このページにある「意見募集要領(提出先を含む)」の中の、意見公募要領(PDF)と、その下段、意見提出様式(XLS)を開かないでいるからとなっている。

こういう仕組みだという説明が略されているところに、なにかを販売したい一般業者のHPとはことなる、今どきらしくない不親切さがあるけれど、製作した役人の発想からしたら、「意見公募要領」をクリックせずに(読まないで)意見を述べようとするとはもってのほかだという、江戸時代の「目安箱」とソックリな上から目線の精神がそのまま残っているのである。

この意味で、たいへんわかりやすいページ構成になっている。

さてそれで、以上のファイルを開ければ、晴れてコメントは書けるのだが、日本の優秀な役人のお仕事を、こんなファイルの開封だけで済ますのはずいぶん失礼にあたるかもしれない。
なにせ、肝心なのは、「命令などの案」にある、「新型インフルエンザ等対策政府行動計画(案)PDFと、「関連資料、その他」にある、「新型インフルエンザ等対策政府行動計画(案)の概要1PDF、と同2PDFという、「本丸、二の丸、三の丸」があるからだ。

とくに本丸にあたる、「行動計画(案)は、なんと223ページもある「大作」なのである。
まさに、近年最高峰の「官庁文学」作品となっている。

与党の「憲法草案」には、現憲法の柱の一つだと習った、基本的人権の「削除」がある。

なので、今回の「行動計画(案)」は、憲法が与党案通りに国民投票も通過した後に、「なんら問題なし」とされるものだから順番がちがうし、さらに、与党草案には、現憲法の第99条も無視されて、「国民全員がこの憲法をまもる義務がある」と、おそろしくトンチンカンなことが書いてある。

第99条は、「 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」なのである。

よって、一般国民は憲法をまもる義務の対象ではないけれど、これは「憲法」の意義からしたら当然で、民主国家の憲法とは、国民から政府への命令書だからである。
だから、公務から離れた(私人となった)大臣や公務員も、一般国民となるので、そのときはまもる義務から解放されるばかりか、憲法の番人となるのである。

あたかも、裁判官だけが憲法の番人ではなく、国民からの付託を受けて裁判官の業務を担っているだけだし、国会議員も同様であるから「代議士」というのである。

そんなわけで、わたしのパブリックコメント「応募作品」を以下に示す。

ゴールデンウィークは、たいがいの国民は、「国民の祝日に関する法律」によって、基本的には「休暇を取る」ことが立法措置されているから、ちゃんと休みを取らないといけないのである。

すると、平日は、4月24日(水)、25日(木)、26日(金)、だが、27日(土)、28日(日)は「週末」となって、ことしのカレンダーだと、おおくの国民は27日からゴールデンウィークの「前半」に突入する。

4月30日(火)、5月1日(水)、2日(木)は平日で、3日からは「後半」となるのである。
そして、7日(火)が、休み明けの平常出勤初日となる。

つまり、このパブリックコメント募集期間で、平日は、都合7日しかない。

それで、223ページの「行動計画(案)」を読破し、なお、二の丸と三の丸にあたる補助資料に目を通して、さらに、「6000字」まで書ける記入フォームに自由作文をして提出せよというのは、そもそも、国民の祝日に関する法律を無視した嫌がらせにもみえるのである。

これを、粛々として遂行する「行政事務」というのなら、重要情報が開示されていないことに気づく。
それが、223ページを書き上げるに要した、時間数なのである。

あんたらが、専門部隊で研究し数ヶ月を要したと推測できるものを、一般国民には、たったの数日で読み込んでコメントせよ、とは、ずいぶんな高圧的態度ではないか?
それで、アリバイはとれた、として、次の段階に進めるとは、これまたずいぶんな高圧的態度なのである。

お上なら「お上」、ご公儀なら「ご公儀」らしく、民のことをいくらかなりとも慮るのであれば、このような江戸幕府でも遠慮するようなことは、そもそもやってはならないし、無論「日本国憲法」にも違反しないか?

さらに、こないだの国会で判明した、本件周辺の「政府広報」にまつわる、インフルエンサーへの有償でのコンテンツ作成依頼の事実や、また、地上波を含めた既存メディアへの、本件募集の開始からその意義までも「報じさせない」努力がされているのではないかと疑いたくなるほどに、ほとんど放送にも活字にもなっていないのは、どうしたことか?

放送局や活字メディアの「編集方針」として、政府は一切関与していないといえる証拠はどこにあるのか?
すくなくとも、「予算」に計上されているのは、24億円あるのだから、その明細を国民に知らしめるべきを拒否しているのが政府である。

広報予算が国家機密になる不思議。
諜報活動や内閣官房機密費、あるいは各省庁の機密費をぜんぶ開示せよといっているのではない。

かくも基本的な一般会計予算の開示もしない政府が、「保健衛生」をたてにして国民監視のための方策を画策し、なお、強制力を伴うようにすることを「閣議決定」という行政権だけで済ますようなことを許したら、だれが今後、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン等を糾弾できようか?

むしろ、ハンナ・アーレントが指摘した、『エルサレムのアイヒマン』でいう「悪の陳腐さ」の通り、わが国官僚組織に、アイヒマンのごとき陳腐な輩が跋扈しているのではないか?それを、政権与党が煽るから、国会に報告の義務さえも必要なしとした制度設計がなされているとすれば、まさに戦前・戦中の比ではない暗黒社会がわが国に実現する。

これが近衛文麿の、「革新官僚」の理想郷なのか?

以上、反対のコメントを述べる次第である。

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