新宿人と浅草人

東京が「東京市」といわれていたのは1943(昭和18)年6月30日までで、それ以降は、いまとおなじ「東京都」になった。

江戸の範囲はいまよりずっとせまかったのは、1878(明治11)年にできた「15区」をみれば、それがわかる。
・麹町区・神田区・日本橋区・京橋区・芝区・麻布区・赤坂区・四谷区・牛込区・小石川区・本郷区・下谷区・浅草区・本所区・深川区。
これらをあわせて「市」になったのは、1889(明治22)年だ。

1932(昭和7)年になって、隣接する5郡82町村を編入して、あらたに20区ができたから、ここから1947(昭和22)年までは、「東京35区」の時代だった。

さいしょの15区は、いまのなに区かをみれば、おおよそ「江戸」の範囲がわかる。
千代田区(麹町区・神田区)、中央区(日本橋区・京橋区)、港区(芝区・麻布区・赤坂区)、新宿区(四谷区・牛込区)、文京区(小石川区・本郷区)、台東区(下谷区・浅草区)、墨田区(本所区)、江東区(深川区)。

新宿区、墨田区、江東区は、さいしょの15区のほかに近接の町をさらに編入してできている。
すると、もとの15区が8区になって、あとから郡部15区がくわわって、「東京23区」になったことがわかる。

それが、品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、練馬区、足立区、葛飾区、江戸川区である。
これらの「区」は、「江戸」ではなかった。

西の境界にあたる「新宿区」から先の「膨張」と、東の果ての「葛飾区」の「取り込み」という極端がある。

これが、メガシティー東京の「顔」である「新宿」の新宿たる「あたらしさ」だ。
西へ膨張する街の、始発でもあり終着なのは、そのまま鉄道路線がしめしている。

一方、なんだか「古い」イメージの「葛飾区」は、ギネス入りした最長シリーズ『男はつらいよ』の舞台「柴又」が象徴している。
南の江戸川区とならんで、東の境界はそのまま江戸川で、この先は千葉県になる。

いわば、さいしょの15区からみれば、渋谷さえも「郡部」で、「葛飾郡」が東京だという不思議すらあったのではないか?
新宿とならんで、渋谷がターミナル駅になっているのは、「膨張」のエネルギーがそうさせるのである。

いまさら「目黒のさんま」をもちださなくとも、いまではむかしの面影すらない街が、やっぱり「郡部」だったのは「落語」における「リアル」である。

会社の先輩のご母堂は、日本橋蛎殻町のうまれで、大森の農家に嫁ぐとき、近所のひとたちと「今生の別れ」をしたという。
「そんな遠くへ行っちゃうのかい。もう一生会えないね。」といって手を取りながら泣いて別れを惜しんだという。

このエピソードも、たかが戦中のことなのだ。

そんなわけで、街道の宿場町はことごとく「江戸の外」の扱いだ。
品川、板橋、千住。
新宿だって、「内藤新宿」は大正になって「四谷区」にやっと編入されている。

「新宿」や「渋谷」の「あたらしさ」は、その先に膨張する住人たちの「あたらしさ」がつくっている。

70年代のなかばになる「昭和50年代」、いまからすればシリーズのまだ半分にもなっていない新春の「最新作」案内もかねて、有名なインタービュー番組『徹子の部屋』に、渥美清と倍賞千恵子がそろって出演している。

このふたりは、できあがった作品を「かならず劇場で」一緒に観るという。
映画会社の「試写室」ではないのか?との質問を一蹴したのは、「お客様の反応を観るため」だとキッパリ言い切ったのが印象に残る。

映画の出来不出来なら、監督の責任で、現場でじぶんたちは監督の指示にしたがっている。
プロの俳優としては、なによりも観客の受け止め方を知ることなのだと。

それで、新宿と浅草の、両方の映画館に行って、その反応のちがいを観察するのだという。
それは、新宿と浅草とで、観客の「質」がちがうことが理由であった。

どんなふうにちがうのか?
食事のシーンで、帰りがおそい「寅」に腹を立てた「おいちゃん一家」が、「寅」の分の御馳走をたべてしまって、楽しみに帰ってきた「寅」と一悶着がはじまることを例にして、渥美清が解説していた。

新宿の映画館では、帰りがおそい「寅」がわるいのだから、怒りだした「寅」は、さらにわるい、となる。
ところが、浅草の映画館では逆で、どうして「寅」のためにすこしでも取り置きしないのか?「おいちゃん一家」は冷たい、という反応だと。

新宿は「あたらしい日本人」、浅草は「むかしの日本人」がいるからおもしろい。
こんなことを意識しながら演じ手をやっている、と淡々とかたっていた。

おおくの出演俳優たちが物故した『男はつらいよ』を、どうやら最新技術を駆使して、「新作」を制作するらしい。

なんだか「新宿」と「浅草」で観たくなってきた。

官営カジノ失敗の予感

どこにつくるのかまだ決まっていないが、「制度」だけは先行している。
1日、カジノで儲けたひとの課税逃れをさけるため、事業者に外国人客にも「源泉徴収」をさせるというニュースがきた。

日本の「官僚」が、かくも劣化してとはおどろきだ。
いまになって競馬などの「官営ギャンブル」と、すりあわせをしたのだろう。

入場に身分証の提示をもとめるのだから、カジノの敷地内は関(イミグレーション)外の「租界」であるとすれば、「免税地域」という「特区」になぜしないのか?しかも、入場料も徴収する。

もっとも近い「マカオ」とどう競合するのかをかんがえないのは、マーケット意識ゼロの「徴税役人」こそである。
わが国でもっとも「優秀」とされる法学部出が、こぞってなるのが「徴税役人」だから、かれらからみたら、一兆円もの大金を外国から投じる者が「バカ」にみえることだろう。

ましてや、そのうち社会問題になること必至の、大負けしたひとからの容赦ない「取り立て」も、人生をたかだか博打で棒に振る「愚か者」の自己責任にしかみえないはずだ。

大学で、じぶんより成績がわるかった同級生たちがなる「弁護士」に、「金利過払い金問題」でビジネスをつくってあげたが、まもなく時間切れになるから、カジノの取り立てというあたらしいビジネスをつくってあげるのは「友情」だけではない「憐愍」だろう。

それでいて、国と立地のある自治体とで、収益の3割を折半して、濡れ手に粟の不労所得をえようという魂胆で、カネの行き先は、国会に報告義務のない「特別会計」になっている。
どんな「豪遊」を目論んでいるのだろうか?

もちろん、カジノ会社の法人税だって、ふつうに徴収することになるのは「事業会社」として当然だ。
これが「二重課税」にならないのは、ヤクザも青くなる「ショバ代」徴収を合法として「着服」するからである。

どの自治体も、住民の「反対」を無視して誘致に走るのは、こんな天からお金が降ってくる「事業」は、かつてなかったからである。
それで、住民がどうなろうが、役所の予算が潤沢なら「ばら撒いてやる」からありがたくおもえ、と幕藩体制でもかんがえなかった発想をしている。

そもそも「経済特区(略して「特区」)」とは、中国の改革開放政策にあたって、ときの最高指導者、鄧小平が推進したものだ。
つまり、国中が「共産体制下」にあってにっちもさっちもいかない、ガチガチの統治制度だらけだから、特別に風穴をあけて、自由経済地域として「指定」したのである。

これはうまいやりかただと、日本でもまねっこしてはじめたのは、日本もおなじ「共産体制下」になっていたからである。
べつのいい方で「官僚社会主義体制」とマイルドにいいかえているのは「文学」センスである。

きっと、政府の「カジノ調査団」は、世界各地のカジノをあるいて、じっさいにいくらすったのかしらないが、大勝ちしなかったもんだから、大勝ちしたひとから「徴税する」と発想できるのだろう。

すると、カジノでのチップ代は領収書がもらえないので、官房機密費があてられたことだろう。
ならば、少額でも勝ったなら国庫に返還すべきだが、そんな細かいことをされたらこんどは「入金」が面倒だから、じぶんの財布にいれたはずでもある。

豪勢な建物や奇抜な運送手段(候補地の横浜では、港にロープウェイをかけるそうである)などを用意して、キラキラなエリアを演出したい。
そのために、はたまた税金を投入するというのは、カジノ投資者からしたら、笑っちゃうほどに脳が溶けているとおもうだろうから、きっとじぶんの脚をつねってこらえているはずである。

国民資産をひろく吸い取るためにやってくるひとたちを、国民資産をつかって歓迎するとは、ほとんど「原始人」である。

そんななか、先月29日(一昨日)、北海道知事が候補地で初の誘致断念を決めたのは、理由はどうあれ「まずまず」であろう。

さいきんはやりの野崎まど作『バビロン』には、神奈川県に第二の首都になる「地域」という意味で、「新域」というエリアがでてくる。
相模原市、八王子市、町田市などの、「神奈川県内」にまっさらな「特区」ができて、そこに日本国内のさらなる「国内」ができたという想定だ。

  

コミック版、さらに、現在放送中のアニメ版がある。
作品自体「有害小説」という分野になるとの評価があるのは、子どもには刺激が強すぎるし、大人にもあわないひとがいるからだろう。
ましてや、どうやら「3巻」で完結しないらしい。

ちなみに、八王子市、町田市をふくむ「三多摩(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)」は、1893(明治26)年3月31日まで「神奈川県」だった。

注目の一点は「新域」という発想である。
従来からの規制のなにもかもを取り除いてしまう。
選挙制度も、選挙権、被選挙権ともに「規制」がないから、小学生だって投票も立候補もできる。
乳幼児がいれば、親が二票以上を握っていることを「許す」のである。

ほんらい、カジノという「悪所」は、江戸の吉原がそうだったように、大門をくぐれば身分がひらたくなる特別な空間ですらあったのだから、幕府権力も及ばない場所だった。
それは、高度な「自治」があったからであったものを、1957(昭和32)年4月1日の「売春防止法」施行によって、1612年以来の灯が消えた。

約350年もつづいた「吉原」の最後の夜も、だれもが翌日に「廃止」されるとはおもえない盛況だったという。
しかし、翌晩は、全店閉店のあっとおどろく「消沈」だった。
かくも国家権力がおよぶと、「自由」がなくなるのである。

新吉原女子保険組合が編纂した『明るい谷間』(1973年、土曜美術社)は、1952(昭和27)年刊の翻刻で、当時の「遊女」たちによる「文集」である。
その中身の「文学性」の高さには、おどろくばかりである。
永井荷風を代表するように、「客」に「教養」があったからである。

現代のカジノは、開業する前から役人たちが「消沈」させているのは、はたしてなんのためなのか?
当の本人も気づいていないことだろう。

もちろん、「客」に「教養」も必要ない。
ただ、客のカネを吸い取るマシンなのである。

政治が死ぬと、こうなる。

歴史がうごく師走

令和元年の師走である。
そして、来年はオリンピック・イヤーということになっている。
高度成長下の前回と、衰退期の今回は、グラフにすると「正規分布図」のような「山型」の裾になっている。

富士山でいえば、本当の火口ともいえる「宝永山」にあたるのが、田中角栄内閣の絶頂で、それから頂点のバブル経済によって上り詰めたら、砂走のごとく落ち込んでいまにいたる。

東京オリンピックや、大阪万博をやると、あたかも日本経済がふたたび繁栄するのだ、というかんがえは、「因果」をさかさまに捉えた、勘違いをこえるバカバカしさがある。
原因と結果という順番を逆にするからである。

その発想の由来は、ケインズ理論による「有効需要の創出」だろう。
社会に「需要がない」のなら、政府がなんでもいいから「需要をつくれば」、景気はよくなるという「あれ」である。
このかんがえを採用して、世界大恐慌の大嵐を乗り切ったのが、ヒトラーのアウトバーン建設に代表される巨大公共事業であった。

第一次大戦の敗戦による賠償金で、ドイツは経済破綻寸前だった。
そこに、巨額な公共投資をしたら、たちまち財政破綻して、ドイツはヨーロッパ最貧国になるとおもわれた。

ところがどっこい、失業者たちに仕事と賃金がいきわたって、たちまち経済復興してしまった。
これが、国民が熱狂したナチス支持の経済的側面である。

スターリンのソ連での「五ヵ年計画」の「大成功(という嘘)」と、ヒトラーのドイツの「大成功(という本当)」とで、ほんとうはどちらも政府主導の「社会主義」なのだが、日本の軍・官エリートたちは、「これしかない」と思いこんだのである。

戦争に負けて、軍のエリートは一掃されたが、官のエリートは無傷だったから、わが国はアメリカの指導のもと、官も解体されるはずが「なぜか?」されないで、そのまま「社会主義体制」がつづいた。

一昨日の11月29日に亡くなった、大勲位の中曽根康弘氏は、その一掃された軍のエリートのひとりだ。つまり、本当は「社会主義者」で、もっといえば共産主義に近かったが、それでは選挙に勝てないから、「右をよそおう」ことにした「芸人」である。

ところがあいにく、悲願の「内閣総理大臣」になる前の、いまはない「行政管理庁長官」で、あろうことか「自由主義政策」である、国鉄や電電公社、専売公社などの「民営化」をするはめになった。
世界を、サッチャーとレーガンによる「新自由主義」を基本にる「自由主義革命」=「反共産革命」が、席巻していたからである。

成り行き上、レーガンと盟友関係になったのだけれど、果たして本気だったのか?「芸人」は素顔をなかなか明かさないが、たまにポロリと変なことを言った。
靖国参拝で「私人として」とわざわざ言って、閣僚の「公式参拝」が以来一度もできなくなったりしたから、高等な「芸当」をみせてくれた。

さて、ケインズ理論が対応できる「条件」がある。
それは、利子率(名目金利)が一定以下になると、「流動性の罠」にはまって「金融政策が効かなくなる」ことだ。
ヒックスは「2%以下」と言っている。

そんなわけで、わが国はとっくに「流動性の罠」にはまっていながら、アベノミクスは効くはずのない「金融政策」に依存して、さらにオリンピックと大阪万博をやるという。
「アホノミクス」と呼ばれるゆえんだ。

政府がかならず関与するケインズ理論は、広義の社会主義である、と批判したのはハイエクで、そのハイエクの「自由主義」が、ただいま現在の世界の主流であるけれど、これを「徹底的にきらう」のが、日本政府で、洗脳された日本人一般だ。

歴史がうごくとき、時代を象徴したひとが世を去るのは、譲位があったからなにも「天皇」だけではない。
戦後昭和の大歌手、美空ひばりが平成元年(昭和64年)になくなったのも因果をかんじる。

さてそれで、100歳をこえた中曽根康弘氏の死去は、昭和の前後と平成をみつめたひとの人生だった。

今月は、わが国にとってとんでもなく重要な期限が、大晦日に設定されている。
・北がいう米朝協議の期限
・在韓米軍経費負担の大幅増について韓国側の回答期限
である。

北・南とも、半島の情勢を左右する。
わが国の存続にとってきわめて重要な、太平洋戦争以来、朝鮮戦争後つづいた従来の「地図」がかわる可能性がある。

これはまさに、中曽根氏が持つ従来の常識の「廃棄」がひつようになっているという意味でもあるから、彼は彼とともに「かんがえ方」も一緒に葬られることになったのだともいえるだろう。

そんななか、花見の善し悪しをグダグダ議論しているわが国は「亡国」ということを忘れたようだ。
ずっとむかしからあるからと、未来永劫、ひとつの国家が、自動的に継続するようなことは、人類史にない。

アメリカがかつて許さなかった「日本の自主防衛」を、トランプ政権は「やれ」といっている、戦後初の政権である。
はたして、この一大チャンスを、わが国は活かせそうにないことが大問題なのだ。

この「存亡」を意識して、国民が意思表明する台湾の総統選挙も、新年の1月にあるのに、日本のマスコミは詳細を伝えない「自由」を、例によって発揮している。

オリンピック・イヤーが吹っ飛ぶような、不穏さが新年早々にやってくることが決まっている。

東海道新幹線のリアル英語放送

車掌さんによる案内放送だけでも、世界的にはめずらしい。
さいきんではヨーロッパでも、新型車両の特急だと車内放送があるが、旧型の客車だと特急でも「無言」がふつうだから、日本からの団体ツアーで新型に乗るだけだと、日本とのちがいをあまり感じないかもしれない。

いや、むしろポーランド国鉄の新型車両の特急は、各席に電源があるし、車内販売での飲み物が一乗車につき一杯だけソフトドリンクが無料で提供されるので、電源が窓側にしかない日本の新幹線よりも便利で、かつサービスだってわるくない。

もちろん、運賃の安さは、日本とくらべれば比較にならないほど安いので、うれしいかぎりだ。
片道2,000円も出せば、3時間程度の鉄道旅行ができる。
そうかんがえると、日本の新幹線の料金は、暴力的に高価である。

東京-京都の片道正規料金は、「のぞみ」指定席で14,000円ほどだ。なので、一家4人で往復すると、112,000もする。
LCCの国際線なら、一家でソウル往復がおなじ料金で可能だ。
もちろん、割引チケットもあるし、外国人なら特別パスもあるけれど。

そんな新幹線で、ちょうど昨年12月から、車掌さんの肉声による英語放送がはじまっている。

こんなことが「ニュース」になるのが「日本」だ。
従来からの、録音も併用して放送している。
車両端通路ドアの上には電光掲示板があって、こちらもバイリンガルだから、外国人がこまることはすくないだろう。

いま、駅は多言語対応になっていて、日本語、英語(アルファベット)、中国語、ハングルの4カ国語を目にするようになった。
動かない「看板」ならいいが、電光式だと中国語とハングルの時間分が、なにを示しているか表記がわからなくなる。

それに、構内の音声放送でも、中国語とハングルの時間分、なにをいっているのか見当がつかないのは電光式とおなじである。
「国際的」だということなのだろうが、はたしてここまでする必要があるのか?と、あえて苦言を呈したいのは、なにも中国語とハングルをディスるわけではなく、英語だけではダメなのかといいたいのだ。

もし、日本がほんとうに「国際的」になったのなら、ぜんぶ日本語で通す、というほどの「根性」があってもよさそうだが、フランスのシャルル・ド・ゴール空港でも英語放送をするくらいだから、「英語だけ」でなにがいけないのか?

これは、逆に、日本人の自信のなさ、を表現していないか?

その意味で、世界に冠たる「東海道新幹線」が、基本的に日本語と英語だけに絞っているのは「なかなかの根性」なのだと好感評価できるのだ。

けれども、やっぱり鉄道会社の「幹部」が鉄道の旅をしていない、とおもうのは、「ここぞ」というタイミングでの案内がないからだ。

たとえば、通過駅の表示、長いトンネルや鉄橋の表示がないのである。
通過駅の表示が、日本語だけなのはなぜか?

しらない国で、いまどこを走行しているのかをしるためのランドマーク的設備ぐらい、英語で電光掲示してもバチはあたらない。
それに、新聞各社が提供している「ニュース」だって、どうして英語版がないのか?話題がローカルすぎるからだろうか?

車内販売の案内放送も、日本語だけの不思議がある。
外国人観光客向けの「車内限定品」があったら、買いたくなるし、その体験が「観光」を形成するのである。

前に山陽新幹線の観光放送を書いた。
新大阪から西は、運行がJR西日本に交替する。
グリーン車だと、まずお手拭きが配付されて、ゴミの回収にも巡回してくれる。

だから、山陽新幹線から東海道新幹線になると、サービスのちがい、が歴然とする。
「会社」による「標準サービス」が、おなじ車両に乗っているだけで体験できるのは、あたかもヨーロッパ的だ。

IC(インター・シティ)特急は、国境をこえて主要都市を結ぶけれど、大陸内なら、いまはパスポートをみせるだけでほぼすむ。
ブレグジットのイギリスと大陸をむすぶ「ユーロスター」は、乗車時にパスポート・コントロールがあるから、これには時間の余裕が必要だ。

この意味で、東海道新幹線と山陽新幹線、それに九州新幹線は、全区間を乗車しようとすれば、「国境」ならぬ「会社がちがう」ということになって、国内なのに会社ごとのサービスがことなるという、世にも珍しい体験ができるようになっている。

東海道新幹線のリアル英語放送は、その中のひとつなのである。

それにしても、北海道会社と四国会社とをつくったのは、いまさらながらにどうするのか?が気になる。

「マネした電器」はすごかった

幸之助翁の「語録」は、いまでも「新刊」で購入できる。
さほどに示唆に富んでいるのは、さすが「経営の神様」である。

しかして、かれが創業・経営して、電球や二股ソケットをつくる「町工場」から、世界に冠たる巨大電器メーカーになっても、業界筋から「マネした電器」と陰口を叩かれたものだった。

けれども、ぜんぜんひるまなかった理由はなにか?

いいものを安く、大量に供給する、という信念があったからだ。
おなじ関西人どうし、ダイエーの創業者中内功氏と、根本では似ていた。
ちがうのは、「作り手」と「売り手」という立場だ。

まさに時代は、「大量生産・大量消費」をおう歌していたのだった。
だから、幸之助翁亡き後、ものが行き渡り、時代が「多様化」して、「多品種・少量生産」になると、たちまちにしてビジネス・モデルの再構築をしなければならなくなった。

これが、80年代後半のバブルがふくらむ前、つまり80年代の前半にさかんにいわれた「リストラクチャリング」の必要性だった。

中内氏がつくりあげた「流通革命」は、「作り手」と「売り手」の立場を逆転させて、「作れば売れる」から「売りやすいもを作る」に変えたのだ。

幸之助翁が構築した「直下のショップ」が、大手電器メーカーなら競って真似たビジネス・モデルだったのは、量販店など存在しない当時、商店街の電気屋さんを「囲い込む」ことが、最大の販路拡大手段だった。

なので、他社が「新発売」した機器を、おどろくほどのスピードでコピーし、さらに、機能を足し込んで「新発売」しないと、お客が「直下のショップ」から、他社の直下のショップに移ってしまうおそれが経営上もっとも重要なことだった。

そして、その主戦場は、テレビとラジオだった。
独自技術をもつソニーに対して、ソニー以外の陣営はソニー以外の技術を競うことになる。
しかし、「メカ」がインターフェースの主流だったから、かならずそこが「故障」した。

それは、いまはなき「回転式チャンネル」だ。
ガチャガチャと回して局を変える。
観たい番組が家族でちがうと「チャンネル争い」がおきたのは、テレビが一家に一台しかなかったからである。

リモコンのはしりは、回転式チャンネルがリモコンでまわる、という機構をつけたものだった。
電源と回転方向のボタンしかなかったが、座ったままでチャンネルが変わるのは画期的でもあった。しかし、よく故障した。

なので、各社の「直下のショップ」から修理にきてもらう必要があったから、テレビは近所の電気屋さんで買わないと、どこに修理をたのんだらいいかわからなかった。

それに、そもそも「電気屋さん」のおじさんは、ラジオ修理の技術者が本業だったので、店には「部品」があふれていた。
小中学生のころ、自作のラジオをつくりたくて電気屋さんに相談したら、ガタガタといろんな棚から部品をさがしてくれて、「これだけあればできるよ」といって、ただでくれた思い出がある。

そんなわけで、街の電気屋さんは、「すごいひと」だった。
トランジスター・ラジオを開発したのはアメリカ人だったけど、これを大量につくって売ったのはソニーだった。
だから、ソニーのラジオはいまでも「ブランド」である。

ところが、「感度」ということでいうと、「松下」はすごいから、こちらも負けずにいまでも「ブランド」である。
なのに、どちらもとっくに「日本製」ではない。いまどきどの国でつくろうがどうでもいいが、「こだわり」まで抜けていないか?

さらに、AMラジオ放送が終了してFMに統合されることになった。
これまでの「AMラジオ専用機」がゴミになる。
「電波」のつかいかたを効率化しないと、「5G」やら「6G」の時代に対応できないための犠牲である。

技術の進化と、消費者の選択肢の幅がひろがったことで、「直下のショップ」で買わないといけない理由が減衰するのは「修理の必要がない」ことからであった。
それで、「量販店」が台頭したが、いまは量販店も「展示場化」して、注文はネットになった。

ほとんどのものが普及して、なにが新製品なのかがわからない。
それで「検索」するのがネットだから、お店のひとよりも消費者のほうが詳しいときがある。
詳しくないひとがいるお店は、そのまま信用されないから、ネットで購入するのである。

「マネした電器」がすごかったのは、その「コピー力」だった。
コピーするための「分析力」を、そのまま「製品化」に応用して「販売」してしまうのは強力な「情報力」が根幹にないとできない。
いまは「中国メーカー」にビジネス・モデルごとコピーされた。

しかして、「マネした電器」の真骨頂は、いまやパソコンにある。
軽量にして強靱、そしてバッテリー駆動時間で他社を圧倒し、だんとつの「高単価」だ。
CPUはどのメーカーもおなじなので、同条件による「突出」に成功したのは「すごい」のである。

この「ビジネス・モデル」を他の製品に展開しないのが不思議である。

じつは、「作り手」も「売り手」も、「情報産業」になって、おなじ土俵で商売しているのである。

さっき買ってくれたひと

いまさっきのことが記憶できないと、集中力の欠如とか、加齢やもしやの病気をうたがうはめになる。

1971年にアメリカからやってきたので、まもなく半世紀になるハンバーガー・チェーンは、例によって日本的サービスを展開しているものの、それは、世界の店舗におけるサービスが、あまりにズサンだからの比較結果でもある。

高級な接客サービスを目論むひとたちからすれば、まるで悪の根源のようないいかたをされるけど、ファストフードというビジネスにおけるスタイルとして完成されているという評価をしないから、はなしがもつれるのである。

しかし、どんなに日本的な丁寧で迅速な対応をしようとも、そして、その結果として、アメリカ本国や他の先進国からの外国人客がその対応を「絶賛」しようとも、さっき買ってくれたひとを記憶しないふりをする、だから、やっぱり「記憶しない」ということにおいて、まったく世界共通なのである。

誤解しないでほしいのは、この会社のビジネス・モデルとして、「記憶しない」ということを前提としていて、それを世界で実行しているということをいいたいだけで、「良し悪し」をいいたいのではない。

つまり、さっき買ってくれたひとを記憶していても、記憶していないふりをする、あるいは、ほんとうに記憶しないとしても、ビジネスがなりたつように設計されている、ということだ。

おおむねどんなひとでも、従業員になれる、という特徴があって、客側からすれば「どうして覚えていないんだ?」ということが全世界で共通の話題になっても、これを「無視できる」強靱なモデルになっているのである。

これが、やっぱりアメリカからやってきた、「コンビニエンス・ストア」という業態でも採用されたのは、「便利さ」という「機能」を切り取って強調し、町内の知り合いがやっている個人商店と棲み分けるためだった。

阿部寛が好演する『結婚できない男』におけるコンビニでの買いものシーンの「おかしさ」は、いま放映中の続編『まだ結婚できない男』でも採用されて「定番シーン」になっているのは、視聴者の無意識の共感を得るための重要性があるからだろう。

阿部演じる「桑野」が異常者なのではなく、だれにも日常の「店の異常」をもって、じつは「桑野」は悲しき被害者にもなるのである。

すると、これら「さっき買ってくれたひと」を無視できるビジネス・モデルをもって、はたして「接客の理想」あるいは、「ファン作り」としての普遍性を見いだせるのか?と問えば、「真逆」こそに真実がある。

それは、かれらがもともと選んだ「棲み分け」を実現するための「機能」を、一般的な商売につかってはならない、ということである。
一般的な商売とは、「顧客創造」のことだ。

もちろん、ファストフード・ビジネスも、コンビニエンス・ストアも、「顧客創造」をしているが、そのプログラムの「特殊性」が一般的ではなく、またそれがこれらビジネスの成功要因になっているとしれば、かんたんにまねのできるものではない。

さっき買ってくれたひと、嵩じれば、昨日買ってくれたひとを、どうやって覚えるのか?
そして、なにを買ったのか?ということにまで遡及できれば、おどろくほどのビジネス・チャンスが、買ったくれたひとからやってくる。

それは、かつての新幹線の社内販売のカリスマ「斉藤泉」さんが体現したと前にも書いた

購買者である客の心理で、もっとも重要なことは、「じぶんのことをしっている」ということの「確認」ができた瞬間だ。
この瞬間に、客がかってに「全面的信頼」を開始していて、さらに、もっとじぶんをしってほしいという気持になるからである。

パーサー不足で、JR東日本は新幹線の社内販売を終了するとニュースになった。
これを決定したひとたちは、列車で旅をしたことがないらしい。
高級乗用車の後部座席に身を沈めて、鉄道管内を高速道路で移動しているにちがいない。

パーサーに情報を提供する方法をかんがえない。
パーサーの個人的記憶力や集中力に依存しながら、時給を「高い」と断定している。
それに、売れたときの「歩合」もあるのか?つまり、インセンティブのことだ。

こうした「欠如」をしているのに気づかないのが、「幹部」という「患部」なのだ。
はたして、「斉藤泉」さんを、教育指導員にしておきながら、こうしたことができるのは、ぜんぶ彼女に依存したからにちがいない。

この会社の「元国鉄」だった官僚主義のDNAが、民営化で消失したのではなく、確実に保存されたことがわかる。

ようやく支払方法に交通系ICカードが採用された。
検札にこなくなった理由は、電子的処理を車掌の端末でしているからだ。
ならば、せめて号車と席番号による購買記録をなぜとらぬのか?

駅の売店で乗車前購入しようが、足りないこともあるし、車内限定品だってある。
スマホから切符が買えて、どうして車内販売の物品(駅弁などの)予約ができないのか?

それを受け取るときに、別の商品だって購入できる。つまり、販売チャンスがふえる。

「駅ナカ」ばかりに夢中のようだが、「車ナカ」こそ価値がある。

さっき買ってくれたひとを覚えさせる方法ぐらいかんがえろ、というのはわがままなのか?

とかく鉄道会社は「私鉄」でも、客を「流体」としてしかみない傾向がある。鉄道管理局がそうさせるからである。
だから、子会社・関連会社での鉄道以外の事業における「客」も、たんなる「流体」として認識されてしまうのは、本社からくる3年交替のエリートたちが、「流体」だと訓練されているし、そうでなければ「社内」でエリートになれないからである。

この「応用力のなさ」は、自分たちの「事業構造」を客観的に分析できていないことの証拠だ。
客は、安全に流せばよい、とする国の管理に依存しているだけなのだ。

他のサービス業界のひとは、けっして真似てはいけないよ。

三重県の長島に行ってきた

市でいえば「桑名市」である。
といっても、2004年に「平成の大合併」という「文化破壊革命」で、かつての「長島町」が「多度町」とともに桑名市に吸収合併されたいきさつがある。

木曽三川という木曽川、長良川、揖斐川の河口部にある巨大な「中州」の「島」で、かつては七つの島があったから「ななしま」がなまって「ながしま」になった説と、濃尾平野をつくりだした三つの大河がつくる長大なことから「ながしま」になった説とがあるようだ。

どちらにせよ、「中州」であることにちがいない。
だから、この地に住むということは、「治水」あってのことになる。
海抜は「ゼロ」か「1m」、あるいは、「マイナス1m」という表記が電柱にある。

明治期に、四半世紀をかけて「木曽川三川分流工事」がおこなわれていまの「島」になった。
これを計画したのが、オランダ人技師だったというから、なるほどと「納得」する。

それにしても、よくもオランダ人を呼んできたものだが、島内のどこにも「オランダらしさ」が主張されていない。
長崎に「ハウステンボス」があるけれど、ほんらいならここが適地だったろう。

歴史上のエピソードでは、とにかく「伊勢長島一向一揆」として、織田信長を悩ませた「大乱」の舞台であり、皆殺しの激戦が繰り広がれた地であるが、「血の臭い」がするからか、このあたりも「淡泊」である。

織田軍は、どうやって「大河」をこえて攻めたのか?
守る一揆側はどうやってこれに抵抗したのか?
大河ドラマとは、このことだろう。

近年では、1959年の「伊勢湾台風」の被害地でしられる。
15箇所もの堤防が決壊して、街が水没しそのまま川となって、400名弱が亡くなっている。
このときの「水位」をしめすポールをみつけたが、はるか見あげる高さでおもわず背筋が凍った。

敷地を高くしている家もあるが、そうでない家がふつうに建っている。
スイス人なら、敷地を高くしないと建築許可をださないようにするのだろうけど、これは「オランダ式」か?はたまた「日本式」か?

島の西側から橋をわたれば「桑名宿」になる。
東海道五十三次のなかで唯一の船旅、「七里の渡し」(28Km)で熱田神宮がある「宮宿」とむすんだ。
東京湾アクアラインは15.1Kmだから、ざっと二倍の距離を「渡し」といっていいものか?

「桑名宿」と「宮宿」で行き先案内を、グーグルマップで検索すれば、伊勢湾の埋め立てと「長島」の関係がみえてくる。

「長島」のユニークさは、東西日本の境目、にある。
三川の西側を流れるのは揖斐川で、この川より西が「関西弁」で、「長島」は「尾張(名古屋)弁」になるから、橋をわたるだけでの変化がおもしろい。

カレーライスという国民食でみても、関西の牛肉、関東の豚肉という特徴があるけれど、なんと「長島カレー」は、中心のご飯をはさんで「牛肉カレー」と「豚肉カレー」の両方がかけてあるという贅沢さが特徴なのだ。

徳川四天王の本多家の居城が桑名城。
長島の対岸にあって、ほぼ島のまん中当たり、しかも、長良川と揖斐川の合流地点に位置している。
尾張徳川家の筆頭家老でもあったけど、「長島」を名古屋側からとで挟み撃ちできるようになっているのは、「一揆」の影響を無視できなかったからだろう。

桑名城のやや北側対岸に、「なばなの里」という植物園がある。
冬のシーズンは、イルミネーションで飾られることで有名だ。
近鉄長島駅からシャトルバスがでていて、乗客の半分とはいえ8人ほどが中国人だった。

かれらはバスチケットのクーポンを人数分もっていたから、グループ旅行だ。
もはや「団体旅行」から離脱したひとたちが、「珍しさ」をもとめてやってきている。

島の南端は「ナガシマスパーランド」。
周辺にはオリーブ園やスポーツランドもあって、アウトレットモールも隣接されている。
「なばなの里」もふくめ、おなじリゾート会社が所有している。

鉄道の乗り入れがないから、公共の交通手段はバス。
この「不便さ」が、「目的地」としての価値を、かえって高めているのは、施設内の温泉ホテルの宿泊料金をみればわかる。

名古屋からの高速バス運賃は片道1100円。
「泊まれない」ひとたちはどうする?
桑名のホテルが候補になるわけだ。
なぜなら、島内に宿泊施設が皆無だからである。

なるほど。

さてさて、帰路、交通渋滞に見舞われたのは、だれも気づかなかった「G20」が名古屋で開催されるための警備規制が原因だった。

このての国際会議を大都市でやる理由はなにか?
「地方再生」とか「創生」とかいうわりに、地方は無視されている。
はてさて、政府からみれば名古屋も地方都市扱いなのだろうか?

もしかしたら、芸術祭の意趣返しなのか?とうたがいたくなるのは、言い過ぎとしても、会議期間中の前後をふくめて、名古屋の交通は不便になること間違いない。

ならばと島や桑名にこもる人は、どれほどいるのだろうか?

『ラーメン食いてぇ!』のうんちく

原作は、林明輝のまんがで、昨年映画化された作品である。
舞台は林の実家であるラーメン店だから、こと、ラーメンについては、いわば「再現もの」といってもいい。

老舗の、むかしから変わらない「味」は、じつはたいてい「変化」している。
貧しかった「むかし」のままだと、豊かになった「いま」の「舌」では「貧相」になってしまうから、繁盛店ほど「味を変えている」ものだ。

「むかしのまま」だと、客に納得させることが、「プロ」の味付けなのだ。

それに、家庭料理とちがって、店での料理は、「いつもおなじ」が要求されている。
昨日より今日のほうが「うまい」では、商売にならない。
もしかしたら、あしたは「まずくなる」かもしれないような不安定では、常連客はつかない。

「安心のいつも」が「安定のいつも」になって、「いつもの客が来る」のである。

新規に料理店をはじめる、これは個人事業として典型的なはなしだった。
成功と不成功における「商売上手」と「商売下手」の分岐点は、開店したその日から勝負がはじまる。
全員が新規の客に「これは!」と思わせると同時に、さいしょから「安心のいつも」である必要があるからである。

これが、簡単ではない。
いわゆる「修行」を積んで、つまり、「基礎」が完全にマスターできた上での「独立開業」でないと、商売にならないからである。

ところが、料理店は料理だけでは成りたっていない。
サービスはもちろんだが、「経営」という問題がでてくる。
それに、夫婦ふたりで店を切り盛りするばあいの「リスク」もある。

むかし、わが家のちかくに、蕎麦やうどんなどの「自家製麺類」を、持ち帰り専門で販売する店があった。
ここで買えば、わざわざ蕎麦屋から出前をとらなくてもよいほどにうまかったのは、麺だけでなく汁がうまかったからである。

ところが、おばあさんが亡くなると、とたんに味が落ちてしまった。
汁の仕込みは、おばあさんがひとりでやっていて、家族のだれにも教えていなかったという。
「どうやってもあの味ができない」
しばらくして、店自体を廃業してしまった。

それは、常連だったわが家にも「甚大な被害」となって、蕎麦は出前をしてもなにをしても、めったに「うまい汁」にお目にかかれなくなったからである。

冒頭の作品では、自家製麺のラーメンが特徴になっている。
たしかに、ラーメンという食べ物では、自家製麺は珍しい。
いまでこそ見かけるが、むかしはめったになかった。

「かんすい」というアルカリ性の液体をくわえるのが中華麺の特徴だ。
内モンゴルの「塩湖」の水から小麦を練ったことをはじまりとする。
その意味では、うどんともパスタともちがうルーツの麺である。

わたしの祖父は、ラーメンが嫌いだった。
蕎麦をじぶんで打ったり、春になるとよもぎ摘みにでかけて、よもぎ餅をつくってくれるほどのまめさがあった。
田舎から送られてきた「こんにゃく芋」をすりおろして、こんにゃく作りを手伝わされたのが苦痛だったのは、手袋をしていても手がかぶれてかゆくなるからだ。

どうして「ラーメンが嫌いなの?」ときいたら、あれは「食いもんじゃない」といったのが、印象的だ。
食糧難のむかしは、かんすいの代用に「苛性ソーダ」を入れていたのをしっていたからだ。

「苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)」とは、むかし洗濯につかっていた。
いまは、食品への使用が制限されている。

もっとも、こんにゃくにだって「灰汁」をつかう。
いまなら買ってこないといけないが、掘り炬燵の練炭の燃えかすを入れていた。

まことに、化学反応が食品に応用されている、とは子どものころには思わなかった。

中華麺づくりの難しさは、かんすいをいかに少なくして腰をだすのか?にある。
この努力を、消費者がしる機会はあまりない。
なので、たしかに「どんな素性の麺なのか」についてはわからない。

むかしといっても20年ほどまえ、香港でたべたラーメンの麺が忘れられない。
どことなく、カップヌードルの麺のようで、よりきっちりした歯ごたえなのだが、「プツン」と切れる食感が新鮮だった。

あるとき、「麺」が忘れられないという友人がいたので、香港?ときいたらシンガポールのお店だという。
はなしで聴けば、ほとんどおなじだが、そこは店内で手打ちしているという。

あゝ、ラーメン食いてぇ、と思いだした。

共産党がただしいということ

みじかいニュースではあるが、共産党の志位委員長が14日、茂木外務大臣の参議院外交防衛委員会での答弁にかんして、ツイッターでのするどい批判をしたという。
外務大臣への質問と答弁は以下のとおり。

香港情勢に関する外務省としての情報発信の在り方について、佐藤正久参院議員(自民党)から質問を受けた。
茂木氏は「昨今の香港情勢につきまして、デモ隊と警察の衝突が長期化し、エスカレーションしています。多数の負傷者が出ていることを大変憂慮しております。時勢と平和的な話し合いを通じた解決を関係者に求めるとともに、事態が早期収拾され、香港の安定が保たれることを強く期待しております」

さらに、
「おそらく日本のハイレベルが、この問題に対して、たとえば香港であったり、デモ隊であったり、香港政府、中国、どちらかに偏った発言をすると、平和的な解決に向けて本当にプラスになるのだろうか。こういったことを考えながら対応する必要があると思っていますが、その上で我が国として、一国二制度のもと自由で開かれた香港が繁栄していくことが重要だと考えています。この旨は今月4日に実施された李克強国務院総理と安倍総理の日中首脳会談、さらにご指摘いただいたような6月のG20大阪サミット、さまざまな機会、レベルをとらえて中国側に伝達してきております」

というコンニャクのような答弁をした。
「冴え」も「切れ」もない「他人事」である。
「おそらく日本のハイレベルが」とは誰なのか?
経団連か?

これに、あの「共産党の志位委員長」が、
「今日の参院外交防衛委員会の質疑で、茂木外相は、香港問題への対応を問われ、『抗議デモ、香港政府、中国政府のいずれかに偏った発信はプラスにならない』と答弁した。人権侵害に対して抗議しないという表明にほかならない。こんなだらしのない態度でいいのか。言うべきことをきちんと言うべきです」

じつに歯切れがよい。
とうとう共産党が、安倍内閣の「左翼性」を暴露したのである。
さらに、めったにいかない共産党のHPではあるが、14日付けで「香港での弾圧の即時中止を求める」という声明を発表している。

以前にも、共産党がまともにみえると書いた。

アンチテーゼのベンチマークとしての存在が重要だったむかし、勉強ができすぎて頭の回転がズレてしまったひとたちの集団、の典型が共産党だったから、かれらの主張にまっこう反対の与党の「正しさ」がわかったものだ。

すると、共産党の主張が大ヒントになって、とにかくその正反対が正しいのだとおしえてくれる、社会のアンチ「灯台」のようだった。
こういう組織に、給料のおおくをささげるひとたちがたくさんいて、機関紙をひとりで何部も購入し、豊富な活動資金としていた。

ところが、とうとう機関紙の購入者が減ってきたのは、活きのよかった団塊世代が引退して、年金生活になってみたら、新聞も購読する生活費に困窮したのだろうか?
くわしくはしるところではないが、財界資金に依存する政権与党より豊富な資金力がかつてあったことが、いまはむかしになったことはまちがいない。

不思議なもので、ここに一般的経済原則(マルクスのそれではない)「需要と供給」がはたらいて、これまでとはちがうマーケット分野の開拓をしないと、倒産してしまうことに気がつくものである。

もちろん、気がつかないで従来どおりをつづけるからほんとうに倒産するのである。
あるいは、気がついても別の方法がわからないので、資金切れと時間切れが同時にやってきて倒産する。

この意味で、この「党」の本来の優秀性が発揮されたのか?
まさに、これまでとはちがう、という選択をしたのだろう。
それが、上述したように、選択せざるをえない、ということであったとしても、支持者と資金の確保という経済学(マルクスのそれではない)にしたがわざるをえないところが、新鮮なのである。

はたして、共産党が資本主義の洗礼をうけて、「資本主義政党」になれるのか?
ふつうはなれるはずもないのだが、もはや「ふつうではない」から、「もしや?」と期待したくなる。

わが国で唯一の「資本主義政党」が、とうとううまれるかもしれない。

委員長の指摘がするどいのは、カネより重要な価値がある、と直言したことである。
まさに、資本主義をささえる基盤の「自由の価値」のことである。

あちらにある同じ名前の党を、どうやら「社会帝国主義」と定義して、党名はおなじでも、中身がちがうということをいいたいにちがいない。
なるほど、そういえばこちらの書記長が「どんな党名がいいでしょう?」という発言をしたらしいから、共産党から「共産」が抜けてもいいというほどの大胆さだ。

経営再建にあたっての「ブランド戦略」的には、非の打ち所がない。
これも経済原則(マルクスのそれではない)にしたがっている。

一方の、財界からお金をもらっている政党は、財界が社会主義化してしまっているから、どうにもこうにもならないことになっている。
何度も書くが、わが国の「自由民主党」という政党は、とっくに社会主義政党になっていて、確固たる社会主義政策に邁進しているのだ。

アメリカの民主党も、中国の政権政党も、自民党モデルをベンチマークしているはずだ。アメリカ大統領選挙における民主党候補者の社会主義性は、自民党の主張と比較すれば、まだまだ「甘い」のである。
日本における左翼陣営の衰退は、自民党が左翼だから論点がボケて、モリカケをはじめに観桜会まで、批判の矛先がないための現象だ。

わが国には、アメリカ共和党、あるいは英国保守党にあたる政党がない。
これが、わが国衰退の原因、官僚社会主義の成立理由になっている。

昨年自裁した西部邁氏は、全共闘の指導者から「保守」に転向したものの、わが国「保守業界」の腰抜けに絶望していた。
その西部氏がいきていたら、資本主義をしりつくした共産党こそ、ただしき純粋資本主義を貫くのだという希望に目を輝かせたかもしれない。

長生きはしてみるものだ。

富士山ごうりきうどんのコシ

静岡県小山町には二箇所の「道の駅」がある。
そのうちのひとつ、「道の駅すばしり」は静岡県と山梨県をむすぶ有料道路の東富士五湖道路と国道138号線の両方からアクセスできる。

ことしの台風19号は、多大な被害をもたらしたが、内陸の山梨県も東京とむすぶ甲州街道や中央高速が通行できなくなって孤立しかかった。静岡県からのルートが確保できたのは不幸中の幸いであった。
けれども、静岡ルートだって、そんなにたくさんあるわけではない。

山中湖から138号線で籠坂峠をこえれば、静岡県になって、しばらくすると「藤原光親卿の墓」という看板が飛びこんでくるものの、坂道にうっかり停車できないから、そのままやりすごしてしまうのが気にかかる。

小山町のHPにてしらべると、「永久の変(永久3年)」とある。
これは西暦にすると1113年で、「後鳥羽上皇」による「北条氏の討伐の企て」と解説がつづく。これが漏れて連座したのが藤原光親で、鎌倉護送中にこの地で斬首されたための墓となっている。

はて?
「永久の変」とは「鳥羽天皇暗殺未遂事件」だし、「北条氏討伐」とは、第二代執権北条義時討伐のことで、院宣をだしたのは「後鳥羽上皇」だから、この事件は「承久の乱」(承久3年:1221年)である。

世代がわかる年号のおぼえ方「いいくにつくろう鎌倉幕府」にあてはめれば、1113年では百年ちがう。

なんと、「承久の乱」が「永久の変」になっている。
登場人物が「鳥羽天皇」と「後鳥羽上皇」で、「永久3年」と「承久3年」だから、ややこしいのはわかるけど、「町の公式HP」としてはまずいものを見つけてしまった。

「お問い合わせフォーム」から連絡すべきか?
やっぱり「お墓」にまつわることだから、一報ぐらいしてもバチはあたらないだろう。

このまま下れば、「道の駅すばしり」がみえてくる。
駐車場からはわかりにくいし、建物1階売店は山裾にあるためじっさいは半地下のようなものだ。
気持ち的に面倒だが、急で圧迫感がある階段を2階に登ると富士山の絶景が目の当たりにあらわれる。

なかなか粋な設計といいたいが、はじめてのひとがどれほど2階にあがるものか?
案内が「足湯」と「レストラン」では、気がつかないままのひとがいるだろう。

売店では、お土産ランキングが10位まで棚に展示されていた。
栄光の1位に食指がうごいたが、店内のどこで販売しているのか?家内と3周したがわからなかった。
どうしてこうなるのか?

2階のレストランは、そういうわけだから期待値は低かったが、先の旅程に記憶ある食堂が思い出せないので、やや昼には早いがメニュー・チェックをかねてのぞいてみることにした。

「ご当地」を主張しているのが、「富士山ごうりきうどん」だ。
「富士山ごうりきおむすび」というのもあるが、店内飲食の選択肢としては厳しい。
あとはカレーにラーメン、豚丼とカツ定食。

人気ドラマ『孤独のグルメ』のセリフではないが、「ここでなにを食するべきなのか?」
どうでもいいが、ナポリタンがないのはどうしてか?が浮かんだのは、麺類に米粉をいれるのが特徴だとかいてあるからだ。

妙に広大にみえる店内空間は、これぞ公共の店という風情で、いまどきの大学の学生食堂のようでもあるが、よりシンプルかつ殺風景が特徴だ。
席数は60。バスがくれば別だが、はたして埋まるのか?

注文は券売機だ。
千円以外の紙幣は、なぜか90度隣の両替機をとおさないといけない。
しかも、一台ずつしかないから、すぐに列ができるのは「公共の店」ならではである。給湯器も一台というのも、一貫性がある。

しかし、ここでハイテクをみた。
券売機で購入した注文は、自動的に厨房につたわり、大画面モニターに受け付けた券番号が表示され、できあがると別画面・音声にて知らせてくれるのだ。

そして、厨房の広さは驚きで、営業面積と遜色ないスペースだから、調理担当者がやたら遠くにいる。
歩数計をつけてみたくなる。
開業当初、どんなメニューを提供するレストランだったのだろうか?

けっきょく、「ごうりきうどん」にした。
家内は「強力」をイメージしたようだが、富士山といえば荷物をかつぎあげる「剛力さん」で有名だった。

「ごうりき」は、漢字にすれば「強力」でも「剛力」でも「あり」のようだから、コシの強いうどんと掛けたのだろう。
そのコシは、コシヒカリの粉を配合するために、ただ歯ごたえがあるのではなくてモチモチした感じが強い。

意外だったのは「出汁」のうまさで、これは駿河湾のおかげだったのだろうか?
事前期待値が低かったけれど、予想外にうまかった。
しかし、なぜかナポリタンがあたまをよぎる不思議がある。

売店で、「富士山ごうりきうどん」の麺を購入。この「道の駅」でしか売っていないようだ。
やれやれ、限定品のご当地みやげができたとおもったら、製造元は山梨県の富士吉田だった。
おっと、今回通過した富士吉田市の名物「吉田うどん」の変形ではないか?

ちょっとコシがくだけたが、まぁいいか。
県境には県境なりの「名物」があっても、うらまれることはないだろうし、ましてやここは天下の霊峰、富士山つながりではないか。

いつか、「吉田のうどん」を食べたくなった。