「二権分立」の発明

「破壊」をもって宗とする、ヨーロッパ大陸での厳しい生存競争は、「三権分立(立法・行政・司法)」というアイデアをうみだした。

そうやって、支配者たる「王」やらの権利を、貴族たちがよってたかって抑制して、貴族たちの「権利の章典」を王に武力で認めさせ、署名もさせたのである。
だから、本来、ここには、一般人は蚊帳の外で存在せず、あくまでも上からの「統治」の原則にしたのだった。

しかし、「造り変える」ことを宗とする、地球上で一カ所しかない、温帯の島国(=「日本列島」以外で温帯の島国は存在しない)では、協調(=「和」)を根本としたので、「二権分立(権威、権力)」を発明したのであった。

「三権と二権」とをいい比べれば、なんだかひとつ多いか欠けているようにみえるけど、内容のレベルが哲学でみればぜんぜんちがう。
この「二権分立」というものが、世界に類をみないから、自分たちだけが世界標準だと勘違いしてはばからない、傲慢な欧米人には、日本が「不思議の国」に写るのである。

古来、天皇の権威と世俗的政治権力は分立してきたから、歴代の武力でする為政者も自ら天皇になることはひとりもできなかった。

このことだけでも、ヨーロッパ大陸の破壊する力を信奉するひとたちからしたら、きっと「バカ」にみえるのだろう。
彼らがどこまで日本史にくわしいかしらないが、源頼朝も、足利尊氏や絶頂を極めた義満も、徳川家康も、全員が天皇に仕える征夷大将軍の身で納得したのである。

平清盛に織田信長、豊臣秀吉の例外は、清盛の一家の興隆は藤原を真似た一族独占だったし、信長はその野望(「天下布武」)実現の前に倒れたことになり、秀吉はその出自から、関白・太政大臣「止まり」という、変な言い訳でお茶を濁している。

朝廷の序列からしたら、征夷大将軍をずっと超えて、もっとも天皇の地位に近づいたのは、清盛、秀吉だったのに。
秀吉の直属の上司たる、また、鎌倉幕府以来の「弾正」の家柄を自慢した、織田信長でさえ、「右大臣」までだった。

なお、「彈正」とは、律令制でいう「弾正台」の職員のことで、天皇直属の監察官であって、左大臣以下の行政官を監察し、ときに討ち取ることも許された重要職である。

しかしながら、やっぱり天皇にはなれなかったという、結論ではおなじなのである。

日本独自の二権分立の根本にある、ヨーロッパ大陸との決定的ちがいとは、一般人の扱いを「大御宝(おおみたから)」といって、国家の宝と位置付けていることにある。
これをまた、「百姓(ひゃくせい)」とも書いて「おおみたから」と読ませていた。

それは、「米作り」を土台とした生活基盤の、基盤そのものだったからである。

この発想が、日本企業の、従業員との一体感を重視する、どんなに組織人員数が巨大化しても、「家族的経営」が行われたことの背景にある。

なので、「人材の材は財産の財という」ことになっている。

いまでも、日本企業に就職して、「雇用契約書」にサインもしないし、その雇用契約書をみることもないのは、「一家の一員になる」からということで解されている。
これを、書面がなくとも「双方同意による雇用契約の成立」となっているから、日本人同士で問題になることはなかった。

ようは、従業員名簿に記載があれば、「武鑑」のように、身分保障がされたのである。

けれども、グローバル化で、外国人を雇用するばあいに、「誤解」されるようになったのは、ヨーロッパ大陸のやり方が、アジア人も含めて常識化しているからである。

そんなわけで、二権分立とは、ヨーロッパ大陸のひとたちからみたら、自分たちの歴史があまりに残念で否定されたように感じるのである。

なぜならば、大御宝の国民がこぞって、天皇に権威を与えているから、天皇から任命される為政者は、かならず「大御宝のため」になる施策をしないと、権威から叱咤されて大恥となることが、システム化されていることの「先進性」に気づくからである。

しかして、萬世一系の天皇とは、日本人全員の「家長」なのである。

なので、大御宝である国民は、自分の「家」を守ってきたのである。
これが、グローバル全体主義(共産主義)からもっとも初めに攻撃されることの理由である。
「家族の破壊」こそが、人間のアトム化(原子化=浮き草化)のはじめの一歩なのである。

「天皇制」という共産主義用語がここからできて、天皇家を攻撃し、一方で、大御宝たる個人の生活における家の破壊のために、とにかく「LGBT法案」を通すのは、こうした「破壊」の意味でぜんぜんブレずに一貫性があることだ。

ユダヤ人(グローバリスト側の)が書いた、『日本人に謝りたい』は、このことを赤裸々に綴っている。
あの、美濃部達吉の有名な、「天皇機関説」も、初期のグローバル全体主義からの指示による「天皇攻撃」だったけど、「翻訳に失敗した」ので、普及にも失敗したとあるがはたしてそうか?

大正デモクラシーの、怪しさがここにも見え隠れするのである。

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