ソ連とロシアの区別ができない

「ソ連」がひどかった.

冷戦だから、ではなくて、絶対悪としての共産国家だったからである.
革命前のロマノフ王朝は、ヨーロッパに馴染もうとして見栄をはって、ポーランドやバルト三国やらの隣国にちょっかいをだしていたけど、ソ連はこれらの国々を呑み込んだ。

とはいえ、人類史にある「革命」の悲惨は、なにもロシア革命だけが問題なのではない.
たとえば、英国の「清教徒革命:ピューリタン革命」だって、あんがいと通貨支配という経済戦を誤魔化すための方便だった.
もちろん、フランス革命の悲惨は、フランス政治のグダグダがいまに続く原因になっている.

「自由・平等・博愛」の嘘は、その後のロシア革命に継続された.

ソ連が崩壊したら、誰も知らない自由主義がやってきて、国の資産がズタズタに盗まれた。
塗炭の苦しみから、共産主義時代に戻りたい、という国民も現れたから、周辺国もソ連とロシアの区別がつかないでいるし、いまのロシアの情報を西側諸国で流さない努力をマスコミがしているから、やっぱりソ連とロシアの区別がつかないのである。

 

このブログのコンセプトのひとつに、資本主義は成立していない、という主張がある.
人類の経済体制は、詐欺、略奪、冒険をもってふつうとしていた、ヨーロッパ中世からなんにも変わっていないといいたいからだ.

すると、ヨーロッパから隔絶されてきた、「日本文明」の先進性に気づくのである.
もちろん、日本にも「山賊」はいたし、小賢しい詐欺師はいた.
それに、紀国屋文左衛門のごとき冒険野郎もいた.

しかし、基本的に日本の経済社会は、道徳的だった、のである。

これが、ひとのものを盗んではいけない、という規範として、現代にも伝わっているから、外国人が落とした貴重品の戻ることに驚嘆するのである.
外国において、その可能性ははじめから「皆無」だからである.
ただ、地下鉄サリン事件以来、落ちているものにむやみに触らない、という別の規範が日本人にできたこともある.

ロシアとはなんなのか?

わたしも含めて、おおくの日本人には皆目見当がつかないひとたちの国である.
なにしろ、ひとくちにロシア人といっても、中国人というのとおなじで、国籍と民族が一致しない大問題がある.
広大なロシア国内には、200ほどの言語を話すひとたち(民族)が暮らしているのだ.

その分布がまた、広大な面積に対して人口が「薄い」ために、とうてい「同一民族による国家形成」にまでいたらない.

隣の家まで数キロあるような地域が、村を形成するために、村が国家のように思えるが、そうはいかないのは、ここにまた別の言語を話すひとたちが混ざっているのである.
つまり、日本人には理解不能な生活環境なのである.

だから、白人系のロシア人は、全体からすれば少数派だけど、ウラル山脈のヨーロッパ側に密度をもって住んでいるだけなのに、ロシア人といえば白人系だと連想するようになっている.
彼らが、全土に分散しているので、また目立つのである.

とはいえ、もともとは「奴隷:slave」の語源になったのは、スラヴ人(Slavs)だ。
あまりにも従順なために、本当の奴隷になった.
それが定着したら、こんどは封建領主から「農奴:serf」にされた.
農奴は、奴隷とちがって土地ごと取引される存在だ.

そんなわけで、ロシア革命のときのロシアは、ぜんぜん高度に発達した資本主義社会ではなく、むしろ封建・農奴制社会だった.
マルクスのいう、「歴史の必然」とはぜんぜんちがうのに、御用学者によって「必然」とされた滑稽がある.
70年以上も滑稽を続けたら、やっぱり無理でした、になっただけだった.

なにをいおうが、共産主義とは全体主義のことなので、個人の自由な思考は否定される.
すべては、「党」が指導するという建前になるから、党を支配する人物が「神同然」になるのは必然なのだ.
残念ながら、人間はまちがえる動物なので、神同然になる悲劇は、まちがえを認めないことからはじまる.

そのための「道徳」が、「利他主義」なのである.

党に支配される一般人は、自分よりも党(しょせん他人)を優先するように教育される.
そうやって、他人のために死んでもいい、という架空の人物像が完成して、生贄が現実化されるのである.

共産主義が、自ら「科学的社会主義」の結露だというほど、それは「空想」にすぎず、やがて「宗教(カルト)」として完成する.

ソ連共産体制の崩壊課程と、その後いまに至る課程とを、同時代で見てきたはずなのに、じつはなにもしらされていない.
ために、「ソ連」と「ロシア」の区別がつかないでいる.

「反体制」でノーベル文学賞を受賞した、ソルジェニーツィン氏は、体制転換を目撃したときに、心から喜んだものの、すぐさま新しい自由社会の問題点に気づいた.
それは、ロシアの自然資源を略奪にやってきた、アメリカ人やらの自由主義圏の人びとのあまりの貪欲さだったのである.

自由を夢見る乙女が、驚くべき強引さで裏切られる体験は、共産主義時代の辛酸よりも悲惨だったかもしれない.
しかし、それこそが資本主義をしらない人類のありのままの姿だった.
ソルジェニーツィン氏が資本主義をしらなかったのではなくて、アメリカ人やらの西側自由主義圏の人たちのことだ.

わたしはこれを、「拝金主義:マネー主義」と呼びたい.

とにかく自分以外のひとがどんな目にあおうがしったことではなく、カネさえ儲かればいいという主義である.
これを、資本主義というひとがいるけれど、資本主義はそんなものではないし、中世からどこがどう進化したというのか?
儲け方が、よりえげつなくエグくなったのを、果たして進化というのか?

ソ連とロシアの区別がつくように、ちゃんと教えてもらいたいものだ.

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