国会図書館での唖然

英語の方がわかりやすいというものに、「National Library」 がある。

失われた古代図書館で有名なのは、エジプト・アレキサンドリアにあった、いわゆる、プトレマイオス朝時代からローマ帝国時代にかけて実存した、「アレキサンドリア図書館」である。
当時の世界最大かつ最重要な知的文化施設であった。

しかし、ローマのカエサル(シーザー)が自船に火を放ったことが原因で、この図書館も焼失したという話が残っている。
実際は、たしかに被害はあったものの、館としては継続していたが、紀元3世紀にやはり戦乱によって破壊され廃墟と化してしまったのだった。

わたしは40年弱のむかし、この図書館の「遺跡」を見学したことがあるが、それが「図書館である」としらなければ、よくわからない遺構にしかみえなかった。
残っているのは、増設された「別館」とのことなので、はたして本館をあわせると、どれほどの巨大さだったか?想像もつかない。

紙がまだ世の中に存在しなかった時代の図書館は、羊皮紙の「巻物」であった。

ずっと時代は新しくなるが、図書館を舞台にした物語で、迫力があったのは、イタリア・ボローニャ大学の記号学の権威、ウンベルト・エーコが書いた『薔薇の名前』(1980年)であろう。

  

日本では、鎌倉中期にできた、「金沢文庫」(横浜市金沢区)が、武家文庫の最古とされている。

なお、横浜市にあって、かつて「藩」であったのは、ここ武蔵金沢藩だけであるから、広いが歴史がない横浜でも、金沢区には独特の雰囲気があると個人的におもっている。

「国際機関」といえば、水戸黄門の印籠のような権威を感じるのが戦後日本人だ。

しかし、戦前、良くも悪くも「国際連盟」を脱退したのは、独立国家が優先する常識があったからでもある。

安政の大獄で、わずか25才で処刑された橋本左内が、「この先50年もしたら腹黒い白人たちがあたかも美辞麗句のもとに国家組合をつくって、世界支配を試みるであろう」と予言したのは、驚愕の事実なのである。

ここにも、国家が先で国際機関はその下にあると、常識的に位置付けられている。

それが証拠に、たとえば、国連本部があるニューヨークや、ヨーロッパ本部があるスイス・ジュネーブに駐箚(ちゅうさつ)する、「国連大使」(ジュネーブなら、「国連軍縮大使」)の序列は、ワシントン駐箚大使やスイス大使よりも格下になるのである。

それでもって、国際機関で最初の「お困り」で有名になったのが、「UNESCO(ユネスコ)」であった。

アフリカ出身の、当時のムボウ事務局長が、私物化した。
まったくもって、「無謀」な組織なので、余計なことばかりをやっていたのである。
その流れに、いまも、「世界遺産」なる無謀をやっている。

しかしながら、たまには仕事をしていて、「National Library」の定義づけをしているのである。

それが、1970年の「図書館統計の国際的な標準化に関する勧告」で、法律によって「納本」をさせる図書館で、「書誌(全国出版目録)」をつくる業務があること、になっている。

すると、わが国では、「国会法」に定める、「国立国会図書館」がこれにあたる、唯一の図書館となるのである。

わが国は一応のところ三権分立が建前にあるので、地元の行政がやっている「図書館」とはちがって、国会図書館は文字どおり、行政が関与しない、国会が運営しているので、職員もみな、国会職員としてふつうにいう公務員試験とは別の採用システムをパスしたひとたちということになる。

横浜市にいるメリットは、日本最大規模の行政図書館があることで、いまの蔵書は150万冊という触れこみになっている。
いざとなれば、近くの神奈川県立図書館もチェックすると、たいていの本が閲覧できるのである。

しかし、どう検索してもない本があって、国会図書館でしかヒットしない。
それで、学生時代以来40年ぶりとなる、直接、国会図書館を訪問した。

当時とシステムが更新されているから、新規利用者登録をしないと入館できない。
そうやって入館したら、検索用のPC端末がズラリと並んでいるのは、壮観であった。

しかるに、お目当ての本を検索しヒットさせるまではよかったが、「デジタル化作業中」と注にでてきた。
ここから先の、閲覧申込みもなにもできないのである。

窓口で確認すると、閲覧不可状態とのこと。
いつまでか?と質問したら、来年の4月だという。

当該図書の総ページ数は22ページの小冊子なのである。

もちろん、個別でみればたかが22ページのデジタル化で、なぜにそんなに時間がかかるのか?ということになるが、外部からは想像もできない数量のロットの中に入り込んでしまったのだろうと推測できる。

なんだか、東京中央郵便局の、世界最速自動仕訳機を思い出した。

トヨタの現場管理者がコンサルに入って、まっ先にスクラップになった逸話がある代物だ。
この機械の仕訳能力がすさまじいスピードなので、稼働させるには何万通ものストックができるまで、動かせない。

すると、手紙が溜まるまで、ずっと放置されるから、局から配送に回るまでの時間ロスが半端ではなかったのだ。
ポストから回収された郵便物を、処理能力は遅いが、ダラダラと動かしてさえいれば、はるかに早く目的地行きの配送トラックに乗せられる。

どうやら、国会職員さんも、この罠にはまったようではあるけれど、皇居を挟んで反対側の中央郵便局でのカイゼンをリサーチできていないのは、とても残念だ。

あるいは、業務委託先の都合にあわせて、まさかの「経費削減」を優先させたのか?
ちんけな発想が、国会をも支配しているかもしれないことに、国家の衰退とアレキサンドリア図書館の遺跡を重ねた。

それにしても、22ページになにが書いてあるのか?が、気になって仕方がないのである。

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