ひとりあたりGDPの凋落

わが国がアジア最貧国になる可能性について言及するのは、心配事が絶えないからだけでなく、政府がわざとそうしているのではないか?と疑うからである。

もちろん、一部の論者がいう、「アルゼンチン化」までとはいえないのは、過去の外国投資のおかげで、貿易赤字国になっても、経常赤字にはなっていないからである。
資本移転等収支と金融収支とで、黒字になっているからで、かつての「金満」のおかげで食いつなぐ国に変化したのである。

団塊の世代が、後期高齢者になってきて、わが国が「貿易赤字国になった」ことをどうおもうのか?をかんがえると、「にわかに信じられない」ということになるはずだ。
この世代が現役だったころのわが国は、貿易黒字で苦しんだことになっているからである。

しかし、苦しんだのは政府・役人で、国民はそのおかげをもって、贅沢な暮らしを謳歌できたのである。
「内外価格差」がなければ、もっと謳歌できたとおもうが、「内外価格差」で暮らすひとがたくさんいたから、プラス・マイナスはどうなのか?統計学者に聞いてみたい。

ここで、経済学者でなくて統計学者というのは、経済学者には立場とかなにやらと多大なバイアスがかかるから、まともに聞くとわからなくなるおそれがあるからである。
それで、数字しかみない、統計学者が推奨できるのである。

さて、ひとりあたりGDPがどんどん減っている、ともいえるし、新興国の数字が伸びているともいえるので、両方の効果から、わが国の数字が落ち込んで、とうとう韓国に抜かれたとニュースになっている。

また、このブログで、観光がらみの変な盛り上がりを指摘しているのは、「サービス収支」が赤字だということも論拠にしている。

訪日外国人が使うお金はかならず円に換金するから、「外貨獲得」そのものだけど、この収支に含まれる、「知的財産権」での巨大な支払が、「赤字」になるほど大きいことぐらいはしっていていい。

かんたんにいえば、「ネット利用料=デジタルサービス料」のことである。

でも、昨年には台湾にも抜かれたので、かつての「宗主国」としてというよりも、70年代とかにいっていた、「ふつうの国になりたい」願望が叶ったともいえる。

このブログでは、前に、「アナログ・トランフォーメーション」というタイトルで書いたのだが、まさに、後期高齢者たちが活躍した時代は、コンピュータの「コの字」もなかったのである。

つまり、わが国経済は、「デジタル・トランフォーメーション」をやったら、衰退してしまった、という状態になっているのである。

それはただの偶然で、各国もデジタル・トランフォーメーションをやっているから、単純に競争に負けている、という意見もあるにちがいないし、そもそも製造業が円高によって海外移転したので、国内での産業空洞化が発生したのが原因だ、という意見もあるにちがいない。

これについては、わが国得意の「垂直分業」を進出先でにも持ち込んだことがあって、外国のように「水平分業」への転換ができなかったことも要因として大きいのだが、それはまた何故か?をかんがえるには、たとえば、文化勲章をもらった中根千枝の古典、『タテ社会の人間関係』(1967年)を参考にすることができる。

ところが、昨今の円安(100円⇒150円の5割も円安)なのに、製造業がぜんぜん国内回帰せず、あんがいと外国企業が日本に工場進出するという過去にない現象となっている。

この原因に、「消費税」の存在があるという意見もある。

消費税を負担するのは消費者だというウソに、消費者(国民)が完膚なまでに騙されているからだが、消費税の本質は「第二法人税」であることをしっている大企業は、これをうまく利用して、きっちり「還付」をうけている。

つまるところ、なんだかしらないが消費税分の値上げに文句をいわない、消費者が一方的に損をしてその分が貧乏になって消費を減らしているのである。
さらにまた、政府は、「社会保障費負担のため」なるウソをこいて労働組合を騙した。
消費税収を社会保障費負担の補填になんか回していない。

西暦2000年以来、わが国は人口減少国になったし、この三年ほどは、どんな理由か「しらない」が、年間死亡者数が激増し例年からの増加予想(高齢化との比率)分から思い切り乖離して、昨年は20万人以上(この三年ほどだけの累計では40万人以上)も「超過死亡」となっている。

いわば人口減少にブーストがかかっているのに、ひとりあたりGDPが減るとは、人口減少よりも速いスピードでGDPが外国よりも伸びない、というしか解釈のしようがないのである。

もちろん、台湾も特殊出生率ではわが国より深刻で、韓国にいたっては世界最小の「0.72(2月28日、韓国統計庁発表)」で、同時に発表した2023年第4四半期(10~12月)の数字は「0.65」という驚異的=絶望的となって、いまや国民がいなくなるのが確実の状態になっている。

すると、どんどん減る人口で、経済規模を維持するだけでも、ひとりあたりGDPは高くなる。

そこで問題になるのは、どうやったら経済規模を維持できるのか?という「アナログ問題」になるのである。
つまり、効率的な「働かせ方」が、上手いか下手かがこの問題解決の分岐点となっていて、個人が奮闘する効率的な「働き方」の問題とは意味が異なることがわかる。

すると、台湾や韓国は、わが国よりもずっと上手に、「働かせている」のである。

その実現には、「マネジメント力」が必須で、とくに「経営者」と「(中間)管理職」をあわせた、「マネジメント層」による、上手な働かせ方ができないと、できっこない、ということになるのは当然だ。

要は、わが国のマネジメント層によるマネジメント力が弱っているのではないか?という仮説がここに誕生する。
なぜなら、台湾と韓国こそ、むかしの日本的なやり方が「遺産」として残っているからである。

この視点からながめれば、日本人がマネジメントについて学ぶチャンスは、部活だけでなく、学校(クラス運営や校内の委員会活動も)や地域でのクラブ活動などを通じて子供時分からふんだんにあるので、はるかに外国よりも有利なはずだったのである。

しかし、残念ながら「経験」はしても、これを「体系」として学ぶチャンスはないし、教師もこれに気づかず、もちろん文科省の役人も、マネジメント力育成の重大さをしらないばかりか、教育審議会委員も教育委員会の役人も同様なのである。

気づいたのは、「制服組」の現実からの目線だった。

これは、「箱」があっても「活用できない」こと、すなわち、マネジメント力の欠如が、国家レベルで軽視あるいは無視されていることの、わかりやすい事例ばかりがあるというわが国の問題の本質的なことなのである。

さて、マネジメント力がないとどうなるか?は、簡単で、たちまち「烏合の衆」と化す。

ために、個人の尊重が変に社会常識化してしまっていることで、さらに意見調整が難航する必定となり、リーダーシップとは命令だと勘違いした声の大きい人物が独裁をはじめて、憤懣やるせない集団が完成する。

これで「一丸となって」ということができるはずがないのである。

そうやって、「パワハラ」とかの各種ハラスメントに対応する「ムダ(な時間と解決の手間)」があちこちにできれば、当然ながらひとりあたりのGDPが下がるのだ。

さては、新入社員たちがはやくも離職している現象も、マネジメント力の欠如を見抜かれたゆえだとすれば、見棄てられたのは企業組織の方なのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください