ポテチパンを食べてみた

昔ながらの町のパン屋さんも、とっくに絶滅危惧種になっている。

戦後日本経済史といえば、製造大企業を中心とした話ばかりだが、どうして商魂ゆたかで旺盛な職人や目利きがいる個人商店がかくも現れ、それがまたいかに商店街を形成したのか?についての話が埋まってしまっている。

ついでに、商店街の話となると、ぜったいに「復興」とかの話になるのが、ちょっとうざったいのである。
そこにまた、行政がからんできて、そうした話をするひとが、予算欲しさに行政に阿るからである。

ようは、商店街の復興なんてどうでもよくて、こんなふうに予算を使えば、なんかやっているように見えて、うまくすれば市会議員とかの政治家にも票になりますよ、という悪魔的な誘いにほかならない。

誤解をおそれずに何度も書くが、商店街の復興なんてわたしにはどうでもいいテーマなのである。
それよりもなによりも、個々の商店の魅力がなければ話にならないとかんがえているからである。

だから、商店街の入口アーチだけが、ここがその昔、商店街だった名残になっている人通りが絶えた道路に、ぽつねんと行列ができる店を見つけると、かならずチェックしたくなるのである。

たとえば、静岡県冨士市の吉原商店街は、かつての一大宿場町であったのが、商店街に発展し、いまは典型的シャッター街を形成しているのだが、ここにぽつねんとある、「フルーツ屋」さんは、全国に名を馳せた名店なのである。

八百屋さんではない。
果物専門だ。

あるいは、横浜駅から徒歩圏の、平沼橋商店街にも、常に行列ができる蕎麦屋がある。

最近になって、この蕎麦屋周辺にこじゃれた飲食店ができてきて、ほんの少しだけだが、商店街らしさを取り戻しているのはご同慶に堪えない。

蕎麦屋をあきらめた空腹需要に応えているのはコバンザメ型の出店なのだろうけど、こんどはその店を目指して来客がふえれば、もうそれは立派な飲食街になり得るのである。

つまるところ、行政の介入などぜんぜんひつようないのである。

これは、文学でいう、「古典」とおなじなのである。
名作はしぜんに読み継がれるものだし、たとえそこに意図があったとしても、読後感に共感がある本物ならば、やはり時間の風雪に耐えることができるからだ。

そうやって生き残ってこられた店には、もうそれだけで価値がある。

それが対象が、たとえコッペパンであろうが、コロッケであろうが、人間の舌の記憶になれば、「ソウルフード」となる。

横須賀市といっても、ほとんど横浜市金沢区に近い追浜の国道沿い商店街に、忽然と現れる「パン」の文字。

じつは金沢区総合庁舎の売店でも売られているのが、「ポテチパン」だ。

製造元が複数あるので、それぞれのバリエーションがある。
追浜駅から国道一六号を横浜方面に少し歩いた先に、その一軒、「北原製パン所」がある。
ここのは、御手洗団子風に独特の甘さがある。

発祥の地は、「中井パン店」で、こちらは米海軍基地よりずっと三浦半島の先にある。
どうやら、売れ残ったポテトチップスを大量に持ち込まれて、「発明」したそうな。

てっきり、アメリカ人の好みかとおもったら、ぜんぜんちがう理由だった。

「海軍カレー」とか、「横須賀バーガー」とかと、名物に美味いものなしの格言通りの名物が有名だけど、それとは一線も二線も画すのが、この「ポテチパン」なのである。

心して味わうべし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください