小田原にみかんを買いに行く

日本に生まれて、日本だけで育つと、日本のふつうが世界のふつうだと勘違いすることになって、それがときに島国根性だといってバカにされるものだけど、よくよくかんがえてみたら、どうしてかくも「日本だけ」があふれているのだろうか?

この意味で、SNSの発達は、日本に住む外国人の素直な驚きを伝えてくれて、なかなかに「教育的」なのである。
だから、自ら、「Eテレ」とかと抜かす、偏向テレビ局の教育を装った洗脳番組よりか、数倍も数段も有意義なこととなっている。

これを、「個人の感想でしょ?」といえば、その通りだが、外国人が外国人として個人の感想を述べる際、なぜか?とか、ちがい、をちゃんと説明してくれているので、ただの個人の感想とはいえないのである。

「論理学」を学校で習うからだとおもわれるが、これはこれで、デカルト的な「理性の絶対」というものだとすると、全面的に感心はできないのではある。

さてその「日本だけ」の中に、みかん、もある。
もちろん、豆腐屋とか和菓子屋だって、ぜったいに外国には存在しなかった。

日本茶(緑茶)のブームがヨーロッパに広がって、豆を砂糖で煮るという発想も文化もなかったところに和菓子も注目されているのは、バターやクリームでギトギトの菓子よりもヘルシーなんてことではなくて、お茶と合う、これだとおもうのである。

平等院から宇治川を挟んで向かいにある、『宇治茶道場「匠の館」』では、煎茶の淹れ方を日本茶インストラクターが教えてくれて、最後にはお茶っ葉をポン酢で食べるところまで経験できる。
高級なお茶は、出がらしを食べてもうまいのである。

ただし、飲み過ぎると、眠れなくなる。

みかんの不思議は、きれいに手でむける薄皮の柑橘類が、外国にないことに尽きる。
それに、夏みかんやら八朔やらと、やたら種類が豊富なのも、外国人には摩訶不思議にみえることだろう。

かんたんにいえば、彼らには、「オレンジ」と「グレープフルーツ」ぐらいしかないからである。
レモンやライムは、そのまま食すイメージではなく、やはり絞り汁を使うことがふつうだ。

冬至に欠かせない「柚」にいたっては、皮だけを用いるけれど、やっぱり外国だと、オレンジやレモンの皮がつかわれて、皮専門の柑橘類を別途栽培なんかしていない。

わたしは、柚の香りをかぐと、やっぱりお正月を思い出す。
真夏でも、柚七味をかけると、お正月気分になるのである。

気候が温暖なら、どこでも栽培されているのがみかんだ。

神奈川県だと県の西側が、みかんの産地になっている。
「甘いがうまい」を追及しすぎて、「甘すぎる」のをもって、「高級」とする悪い風習ができて、タダ甘いだけのシャインマスカット葡萄が人気になっている不思議がある。

甘酸っぱくて、皮にえぐみがあるのが葡萄だった。
山葡萄の蔓も、葡萄の味がする。

むかしはみかんも、甘いだけではなくて、適度な酸味があったのである。
しかして、小田原のみかんは酸っぱいと有名だったが、いまではずいぶんと余計な世話をしているらしく、甘いみかんになっている。

ご進物で、果物の缶詰が籠に詰められて売られていたが、いつも残るのはみかんの缶詰だった。
シロップに漬かっていた皮のない実はどうやって剥いたのか?
薬品処理だったことを想うと、なんだかみかんが気の毒になる。

冬至を過ぎれば、とにかくあとは春に向かって日が伸び出す。
今日がその冬至である。

それを察知して、梅の木は花をつけて、初夏の頃には実ができる。
そんな梅の里山は、一方でみかんの里でもあるのだ。

正月を越せるほどの量を買っても、千円しない。
ゆず湯用の柚は、100円でたっぷりの量を売っている。

冬は家族で、こたつでみかんを食べたのは、良い時代であった。
そういえば、みかん箱とか、りんご箱が木でできていて、これを机にしていた苦学生もいた。

わが家では、これを練炭コンロの焚きつけにして燃やしていた。
掘りこたつが練炭コンロだったのである。
電気こたつになったのは、いつの頃だったのか?

そういえば、ご近所では薪で風呂を沸かす家がチラホラあった。

手が黄色くなるまで食べたのは、それだけうまかったからでもある。
みかんには、ノスタルジーまでついている。

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