花冷えのなか江東区を歩く

5日は冬が戻ってきたような天気で、朝までの雨もあってかどこも人通りがすくなく、めったにない鈴かな「花見散歩」であった。

佃島から月島、越中島と「ウォータ・フロント」を行きながら、「川の街」である江東区を大横川沿いに歩けば木場に出る。
その途中、平久(へいきゅう)川にかかる「平久橋」たもとには、「波除碑」(「津波警告の碑」)がある。

「1791年(寛政三年)に襲来し、多くの死者と行方不明者を出した高潮」を記念している碑だが、この大災害を受けて幕府はこのあたりの土地約1万9千㎡の土地を買い上げて、空き地(居住禁止地区)とした」と説明板にあった。

さり気ない記述であるが、東日本大震災の記憶がある現代人には、「エッ?」と思う。

津波被害による震災復興に、25年間の「復興増税」を全国民で負担している現代、この幕府の対応は、じつに先進的ではないか?

いつまで「空き地」だったのかが書いていないので、そのうち江東区の資料でもみてみたくなった。
いわゆる「ゼロメートル地帯」として、このエリアがさかんに報じられたのは、わたしが子供のころで、『日本沈没』が流行った頃ではなかったか?

橋から見わたすこともできない、住宅街になっている。

それから「横十間川親水公園」を抜けて「仙台堀川」を渡ると、だんだんとインド人街の様相が醸し出される。
江戸川区は、群馬のブラジル街、埼玉川口の中国・クルド人街と並び称されるほどに有名な、新興のインド人街を形成しているのである。

そのため、区内には3箇所の「インド人インターナショナルスクール」がある。
ここでは「インディア インターナショナルスクール イン ジャパン」の新築・ピカピカの校舎がそびえ立ち、対岸の江東区立第二南砂中学校がなんだか貧弱にみえてしまうのである。

生徒たちは男女とも赤いブレザーを着用していて、男子はスラックス、女子はスカートを履いている。
ママチャリを脇に、インド系のお母さんたちが所々で三・四人が井戸端会議をしているのは、いったい何を話しているのか?

なお、この学校は、「ケンブリッジ式」の教育がおこなわているとのことで、あの赤いブレザーが、ロンドンの近衛兵の色かもしれないとおもった。
なにせ、インド系の人物が、英国首相になるご時世だから、かつての苛酷なインド支配も、インド人たちの記憶から薄れているのかもしれない。

そんなわけで、ぜんぜん英国の所業になんの興味も関心もない日本人にも入学が可能だから、「国際」とか、「授業は英語」、「ケンブリッジ」とか、「海外有名校への進学」とか、「国際バカロレア」とかに滅法弱いひとたちは、日本の学校を見下してこのような国際学校が人気なのも頷ける。

ただ、気になるのは、しっかり「文科省指定 認定インターナショナルスクール」となっている余計があることだ。

それに当然だが、「日本語力」をどのように「補完」するのか?という点では、諸刃の剣だという認識をどれほどの日本人の親(あえて「保護者」とはいわない)がかんがえているのか?も気になることではある。

じつは、日本人の定義は、日本に住んでいて日本語を母語としてを話すひと、なので、たとえ日本に暮らしていても、日本語が母語ではないとなれば、もう日本人の定義から外れてしまう。

けれども、いまやグローバル全体主義によって、「日本人であること」の意味を薄めてもよいという風潮ができているから、ただの「記号化」になっていると書いた。

このことが、どんな厄災を日本人にもたらすかは、あと何年かすればわかることだが、元には戻せないのが「移民問題」の「問題」たるゆえんなのである。

そんなわけで、何人であろうが、あるいは、外国にある日本人学校もしかりだが、インターナショナルスクールの本質とは、そこにある国においての「国民性」を、オリジナルとは相容れないと認識するためにあることが前提だということがミソなのである。

つまるところ、インド系であれば、インド人として教育する、という意味である。

こんなことをかんがえながら、まだ7分咲きほどの桜を曇り空の中でボンヤリと見ていたら、見えてきた別の光景なのであった。

これをいまさかんな、「東京15区衆議院議員補欠選挙」での争点にしている候補者は誰なのか?と気にかかったけれど、なんだかなぁの反応しかないだろうと、いわない方が「お得」になっているかもしれない。

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