A.I.「ジェミナイ」の安全性

Google が発表した、A.I.「Gemini(「ジェミナイ」と読む)」が、あの「チャットGPT4」を超えたとして話題になっている。

比較には、32の評価項目をつかって、30でジェミナイが勝利したという。

ここで、その評価項目を評価しないといけないのだが、これをやっているひとはいないようだ。

それでもって、開発元のGoogle は、ジェミナイの安全性をチェックしているから、来年春の予定だという、リリースされたときには安全に使える、ということにもなっている。

しかしながら、なんといっても言論統制をやっているのが、Google なので、なんの安全性なのか?というチェック項目がわからないで、どうしてそれが安全だといえるのか?についての議論もないのは、やっぱり危険なのではないか?とおもうのである。

つまり、言論統制のためのA.I.ではないのか?という疑問である。

人類が言論の自由を手にいれたのはいつか?をかんがえると、あんがいと最近のことなのである。

日本人が言論の自由を手にしたのは、戦後というお決まりになっているのは、戦前・戦中の治安維持法も国家総動員法もなくなった戦後でしかないことからの常識である。

もちろん、明治期だって大正期だって、ふつうに「発禁処分」ということはあった。
その一つの例が、宮武外骨である。

つまり、それが隠されたGHQの言論統制をなかったこととすれば、という条件付きでも、たかだか80年弱しかない歴史なのである。
なんと、それだけのものが、あたかも空気のように言論の自由があると信じるのも、ここにきて化けの皮がはげだしたのである。

これを、江藤淳が、『閉ざされた言語空間』として発表したのが、1989年のことだった。
平成元年である。
昭和の時代からこれを読まないままに平成を通じても、言論の自由はなったことをしらないで過ごしたのである。

なお、GHQの検閲が間に合わないで出版された、志賀哲郎『日本敗戦記』(1945年)は、最寄りの図書館を訪ねられたし。
ちなみに、横浜市立図書館にも神奈川県立図書館にも蔵書はなく、国会図書館か東京都中央図書館が、わが家からは最寄りになる。

ということで、厳密には、言論の自由を謳歌したことは、歴史上一度もない、というのが正しいのである。

通信が高速化されたことで、端末とサーバー間でのやりとりが人間の体感速度を超えてきたので、むかしだったら「なんかやってる」状態が、ほとんどわからなくなった。

なので、チャットGPTをつかうのも、端末とサーバー間のやりとりなので、ぜったいに「質問内容」をサーチされていることになる。

これを、Google は、Pixel端末に入れ込んで、「世界初のA.I.内蔵スマホ」だとして販売を目論んでいる。
端末内で質問と回答が完結される、という触れこみは、あたかもサーバーとは関係ないといった感をユーザーに持たせるだろう。

しかし、ほんとうに端末内だけで完結させて、通信はしない、ということなのだろうか?

一方で、EUは、世界初なる「A.I.規制ルール」を完成させようとしている。
わが国は、安逸の中のグローバル化が得意になって、もう、日本の出番はないようにして、他人が決めたルールに従うだけの道を選んでいるのは、防衛政策とおなじ理屈だ。

EUといえば、官僚独裁で民主主義を棄てた国際団体である。
ほんとうに大丈夫なのか?

アフリカのブルキナファソでは、30代の若き大統領が、とうとう公用語としてのフランス語使用を禁止した。
奴隷制や、戦後も続いた帝国主義・植民地からの脱却として注目されている。

それもこれも、今年の世界大転換点、BRICsに賛同する、いわゆる「グローバル・サウス」の国々の経済力が、G7を超えたことの潮目だからである。

さらにいま、これら、「グローバル・サウス」の守護神は、ウクライナで世界最強を証明したロシアであって、そのロシアがアフリカ諸国へのプレゼンスを高めていることで、フランス語の排除ともなったのだ。

わが国は、いつまでもアメリカのポチだから、衰退がとまらない。

政権与党は、とうとう言論の自由を守るともいわなくなったは、これは正直だからなのか?

CIAの手先、東京地検特捜部が仕掛けた、「令和の変」で、旧安倍派だけがお取り潰しになるだけで済むのか?
それなら、安倍氏暗殺の延長という意味となる。

やっぱりアメリカでトランプ派の台頭が、焦りを生んでいるとしかおもえない。

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