電力逼迫と食糧危機

電力会社は電気を売って生きている。
だから、電力逼迫とは、商店でいえば「欠品」のことをいう。

食糧危機は、農家がつくる食糧が足りなくなることをいう。
この場合の「農家」とは、国内・外国、それぞれを指すけれど、足りないのはやっぱり「需要」とのギャップで生じる「欠品」だ。

さてそれで、わが国のばあい、電気は経済産業省、食糧は農林水産省が「管轄」していて、どちらも「自由経済」での「自由経営」をさせていない。
いわば、「ソ連型」を踏襲している。

相変わらず「国家統制」の対象だからである。

わが国では、どうしてソ連が国家破たんしたのかの原因追及が国民に常識として普及していないのか?といえば、日本政府にとって「やぶ蛇」になるからである。

80年代に、「世界で最も成功した共産主義国」と評価されたのは、わが日本国であった。
これには、「世界一優秀な官僚」を輩出させる、という教育の成果もあったのだ。

いやむしろ、計画経済の実行には、「優秀な官僚」は不可欠だ。

すなわち、わが国は、「ソ連を支えたロシア人」より、数倍も優秀な官僚たちがいたことが重要な事実なのである。
だから、中国人がわが国で学んだのであって、いまの首相がいう「国家の宝」が中国人留学生だというのも、功績と貢献に対する本音の披露にすぎない。

このことはことのほか重要だ。
わが国の共産主義・全体主義「体制を輸出」していたら、政権与党が共産主義・全体主義に染まったのである。

これを支える教育機関が、東京大学などの「旧帝大」なのである。

しかしながら、計画経済は、理論的に「不可能」をとっくに証明されている。
わが国ではあまり有名ではないけれど、いまもある「オーストリア学派:ウィーン学派ともいう」のミーゼスが、1920年(大正9年)に発表している。

その要諦は、「価格」という「情報」にある、と。

すなわち、国家がする計画経済(=統制経済)では、「価格」が存在しない。
国家がなにをどれくらい生産するのかを決めるので、そこに「価格」が自由経済の「価格」として表現されることがないからだ。

つまるところ、「りんご」を今年は100万トン生産すると決めて、それを1個100円で消費者に販売する、と決めたら、「そうなる」経済なのだ。
なので、50万トンしかできなくても、消費者には100円で販売される。

ならば、欠品して需要が高まればどうなるのか?
価格は100円のままで、「欠品」するだけ、なのである。
だから、ソ連名物の光景は「行列」であった。
町を歩いていて「行列」があれば、とにかく自分も並んで待つ。

うまくすれば、順番通り何かを買うことができるからである。

すると、この行列に何時間か並んで待つということも、「生産性」のなかに含まれるので、あらゆる物資が「欠品」したソ連経済の不効率は、自由経済の比較になろうはずもない。

ちなみに「不効率」とか、「効率」をいうときは、投入資源と産出資源との割合をもっていうのである。
時給1000円のひとが、1時間行列に並んで、りんごが1個100円で買えたら、そのりんごを得るための効率は1100円になる。

1976年9月に、当時最新の戦闘機ミグ25で函館空港に亡命着陸した、ベレンコ中尉は、アメリカに行ってからの手記に、「故郷の駅に腐敗したりんごが山積みになっているのをみて、計画経済に絶望し亡命を決意した」とある。

計画経済の計画が困難で不可能なのは、生産にまつわる投下資源の種類や量に関する計画だけでなく、輸送などの流通に関する計画もしないといけないけれど、これらを官僚がすべてをまとめあげること自体、できっこない、のだ。

対して、自由経済では、「価格」によって「自動調整」される。
「需要と供給」を取り持つ唯一の「情報」が、「価格」だからである。

そんなわけで、電力逼迫の原因は、例の「想定外」も含めて、なんやかんやと理由探しに忙しいけど、経産省官僚による計画経済の失敗なのである。
昨今、わが国官僚の劣化が指摘されていることの表面化だが、ソ連崩壊からひと世代30年を経ての「破たん」は、それなりに立派だったと評価しようとおもえば評価できるものだ。

もちろん、「農水省」も同様である。
世界シェアにおけるウェートが高い、ウクライナとロシアの小麦に端を発したとはいえ、一方のロシアは肥料の原材料資源国でもある。

すなわち、生産計画を策定するうえで欠かせない「肥料」についての逼迫も「想定外」だというも同然なのである。
まことに、往年のソ連経済の状態がわが国にある。

しかして、こんなシステムにしたのが、近衛内閣以来の「革新官僚=計画経済を目論む官僚」が政治家になってつくった自民党の無様なのである。
その筆頭が、A級戦犯として死刑判決があったのに生きのびた、岸信介であった。

もちろん、「独立回復後」にすぐさま国会の全会一致で、「戦犯の名誉回復」をしているので、わが国に「戦犯」は存在しない。
その後ろにいる「革新官僚」が、一度も糾弾されたことがないこと自体、国民の無関心があるからだ。

その意味で、岸を嫌った国民が起こした「60年安保」こそ、「中途半端」だったと、いまいちど見直す必要がある。

残念ながら、国民が酷い目にあうのも無関心の結果責任なのである。

シン・日本国憲法の「かたち」

明治77年が敗戦国になった年数で、敗戦国になったときから77年が「今年」にあたる。

ぜんぜん憲法改正のはなしが進まないのを、いまさら云々するのも飽きがくるけど、念のため書いておこうとおもう。

結論から書けば、わたしは「明文(成典)憲法」が日本に必要なのか?という疑問をもっている。
たとえば、「非成典憲法」といえば、イギリスが思い浮かぶ。
しかしながら、「マグナ・カルタ」も「権利章典」も「明文」なのだ。

わが国では、現代的意味とはちがう「17条憲法」がある。

これを、「近代国家」のなかでどう扱うのか?ということは、意外と議論されていない。
それよりも、むしろ「有効」だというかんがえ方がある。

それはまた、「マグナ・カルタ」とおなじだということもできるのだけれど、「非成文憲法」として「取り込む」という方がより妥当だとおもうのである。

さてそれで、「憲法」とはなにか?をかんがえると、二通りの選択になるようにおもう。
一つは、「近代」とくに、「アメリカ合衆国憲法」に観られる「国民権利の大典」だ。

この発想は、国家権力と国民の別を定めた「啓蒙主義」がはじまりで、言い出しっぺとしては、ホッブス、ロック、ルソーなどがあげられる。
とくに、ホッブスの『リヴァイアサン』(1651年)を嚆矢とする。

その1651年、日本では「由井正雪の乱」が起きている。

日欧とか、日英の歴史を並行して語ることをしない「作法」ができているけど、比較して評価するには、基準となる哲学が必要だ。
それで、欧州やら英国のことなら、当事者の哲学を基準にして、日本基準はいったん無視する。

ところが、「日本のこと」になると、欧州やら英国の哲学を基準にして語ることが多いのである。
それでたいがいが、「日本は遅れている」ということにしてしまう。

もちろん、「哲学」は、歴史や文化を背景にするので、いきなり外国の哲学をわが国にあてはめても、それは、「ナンセンス」というものだ。
だから、なにがどう「遅れている」のか?ということを無視したら、これを、「自虐」というのであり、また、「宣伝」ともいう。

一方でふつうひとは、権威ある言論を信じる。
それが、「権威」の権威たる理由だからだし、社会のなかでの役回りとして、ぜんぶ自分で調べる時間の節約になって、情報を手軽に受けとることが合理的だからである。

ここに「虚飾」と「宣伝」があるとバレだした。

つまり、「権威」すら造られたもので、それには一定の方向からの「演出」まで伴っていたのである。
だから、別の方向からの情報は、一方的に無視することで、圧殺し「なかったこと」にした。

こうした「宣伝」を、「プロパガンダ」という。
心理学者フロイトの甥、エドワード・バーネーズの歴史的著作が、『Propaganda』(1928年)で、わが国では2010年に「翻訳書」がでた。

この「時間差」も、味わい深いのである。

「人間万事塞翁が馬」。
なにが禍で、なにが幸福かはわからない。
もちろん、「禍転じて福と成す」ことができればいいけれど、人生には「取り返しのつかないこと」もある。

それが、「コロナ禍」だ。

これで、日本政府の本性がむき出しになって、日本国民と政府とは「相容れない」ことがわかったのである。
たとえば、「取り返しのつかないこと」でいえば、ワクチン後遺症である。

それがまた、中学生とかの若年層にも被害者をだした。

ひるがえれば、ハンセン氏病患者の隔離政策からずっと、政府は「間違いを冒し」続けている。
「薬害」を認めたところで、被害者が健康を取り戻すことはない。

いまや、データ捏造までもがバレて、複数回接種したひとより未接種者の方が「感染しない」ことまでわかっている。
ところが、そもそも「PCR検査陽性」のことを、「感染」といって決めつけたから、何が何だかわからなくなったのである。

ほとんど「宣伝」されていないことに、「今回の病原体としての新型コロナウイルス」は、いまだに「特定されていない」という、驚愕の事実がある。
すると、「PCR検査陽性」という意味すら、ほとんどないばかりか、最初から「幻想」にすぎない。

こうして、なんだかよくわからないで接種したひとが、「取り返しのつかないこと」になったのである。
しかも、あくまで「任意」であったものを、あたかも「義務」のごとくにしたのも政府であった。

それでも、「悪いうわさ」がたつのを怖れた医療機関や老人施設は、家族と面会させない「予防措置」をとって、最期を看取ることすら拒否することで、とうとう家族の分断までも成功させた。

こんな人権侵害があるものかと憤っても、だれも聴く耳すらなくなったので、憲法の一字一句に拘る無意味になっている。

日本の歴史で、日本人がどうして政府を信じて疑わなかったのか?といえば、こないだまでの「幕藩体制」における「武士」が、「農工商」を裏切らなかったからである。

明治政府には、その根幹に「裏切り」があったけど、表面上は繕った。
それが、戦後になって完全破壊されて、日本人から政府を分離させたのである。

世界最長2000年も継続する「王朝」をもってすれば、たかが数百年のイギリスが「非成典憲法」でやっているのに、わが国では「成典憲法」にしないといけなくなったのは、この「破壊」の成果なのである。

すなわちそれは、日本人が日本人とはなにか?を忘れたことの、「表現」なのであるけれど、「一字一句」の議論を永遠にやっていたい破壊者たちが、新しい憲法を阻止するという、「保守」の姿でもある。

ならば、「非成典憲法」にする、と決めてしまうことも、覚悟なのである。