「読解力」がないから

もう常識になった、あたらしい表現に「K・Y(空気・読めない)」がある。

その場の「空気」が何事も、「決める」という日本人の特徴を分析したのが、山本七平の名著、『空気の研究』であった。
たしかに、外国人に「空気」は通じないけど、一概に「空気を読める」日本人が劣っているとはいえないこともある。

その外国人たち、とくに「欧米人」が重んじるのは、「論理」だ。
これには、言語的に「そうならざるを得ない」特徴があるために起きることがわかっている。
彼らの言語は、論理構成そのものが「文法」になっているからである。

だから、「空気を読める」ような訓練を幼少時より受けることは、「あり得ない」ので、何が何でも「論理」を追及することになっている。
これが、「個人主義」になるのだけれども、欧米人も「人間」なので、「自己」の都合が強くなると、「利己主義」という別物に「変化(へんげ)」する。

この「変化(へんげ)」は、たとえば、肉を焼くと色が変わって香りがたつ、「メイラード反応」のように、あんがいと「脳内化学変化」でもある。

なので、いったん「利己主義」に堕ちると、焼いた肉が生肉に戻らないように、もとの「個人主義」に戻れなくなる、「一方通行」なのだ。

これを、「せき止める」のは、強い道徳であり倫理で「しか」ない。
ゆえに、悪魔は「甘言」をもって誘惑し、道徳と倫理を貶める。

そうやって、ヨーロッパでは、「強者」は、「弱者」から奪い取ることを、なんと「権利」だという当然の「論理」に行き着いた。
これが、「絶対主義」の時代に、「絶対君主制」になったのだった。

もちろん、「重商主義」だって、なんのことはない、「掠奪」を合理化させたものだから、後に「帝国主義」に「変化(へんげ)」するのも「必然」なのであると、「論理」づけることができる。

そうかんがえると、帝国主義の「首都」だった、ロンドンに留学して、「神経を病んだ」夏目漱石の「まともさ」とは、日本人「ゆえ」の発病であって、当時の英国人が決して「発病」しなかったのは、全員がとっくに利己主義の「中毒状態」だったからである。

それが証拠に、大英帝国を成した最大の「商品」が、アヘンだったことだ。
国家がその危険性を熟知している、「麻薬」を他国人に売って、利益を貪り、被害国政府がこれを排除しようとしたら、武力で対抗した。

まさに「アヘン戦争」の「大義」とは、「利己主義の中毒」に堕ちた国家が編み出した「屁理屈」に過ぎないものだが、その「廃人」状態とは、阿片中毒の比ではない「害毒」を世界にもたらした。

これを、「喧伝」したのが、「共産主義・全体主義者たち」という「害毒」であったので、利己主義の害毒を「濃塩酸として」、共産主義・全体主義の害毒を「濃硝酸として」これらを「混合」させれば、「王水」のように、なんでも「溶かす」液体のごとくに、知識人の脳を溶かしてしまった。

すなわち、「利己主義から資本主義が生まれた」という「デマ」が、「信仰」にまでなってしまったのである。
マックス・ヴェーバーがいう、「激烈なる清貧の信仰」を、みごとに「すり替えた」のである。

ハイエクが指摘した、「資本主義」とは、共産主義・全体主義のアンチテーゼであって、先に共産主義・全体主義をかんがえたひとたちが「つくった架空」のものだ、と。

彼らは、存在していない「資本主義」を、あるものとして「批判」することで、共産主義・全体主義の到来を「歴史の必然」だと勝手に定義した。
このあたらしい「教義」をもって、あたらしい「一神教」を立ち上げたから、既存の宗教を否定して「無宗教」としたのであった。

まったくの「不寛容」なる、絶対的一神教が共産主義・全体主義だ。

これを、自然崇拝という原始が残る「八百万神」のわが国で、「たくさんある=限りなく透明にちかくて薄い=ゼロ」という「変化(へんげ)」をもって、日本人は「無宗教」だと植え付けた。

マックス・ヴェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表するはるか「前」に、わが国では「天皇」を、「現人神(あらひとがみ)」だと規定したのは、西洋のあるべき「精神」=「個人主義」を国民に植え付けて、天皇のもとに、「全員平等」を達成させるための「方便」とするのが目的だった。

神世の古くからの天皇をわざわざ、「現人神」だと言葉(言霊)にしたのは、「四民平等の絶対社会」を急いでつくるひつようがあったからだ。
江戸期までの「常識」だった、表面上は身分制の絶対社会を「壊す」ためであるけれど、もう一つの重大事は、「個人主義」の確立だった。

個人を尊重する主義だから、そこでようやく、「お互い様」の概念が生まれる。
これが、「自分だけ」の、利己主義との決定的なちがいだ。

おなじ「身分内」で通用していた日本人の常識、「お互い様」を、身分を超えてもっと強化するためなのである。

「四民平等」が必須だったのは、帝国主義に堕ちた西洋で、「完成するはずのない資本主義」を、世界で唯一完成させることができるのが日本「だけ」であることを、幕末の志士=明治人が、気づいたからである。

日本人にとっての、「アヘン戦争の衝撃」とは、利己主義がなす「弱肉強食」の理不尽がまかり通る、野蛮そのものの世界が「リアル」だったことだ。

これを、「橋本左内」が見抜いて、書き残している。

さては、戦後教育の「反日」は、日本人から「読解力を奪う」ことを目的にした。
それがまた、空気を読めない、劣化という意味の欧米化なのである。

ローマ教皇がゼレンスキー氏との面談を拒否しながらも、ロシア正教会の大主教との歴史的ズーム会談では、一方的に大主教がプーチン氏擁護を語って、「お手上げ」になったけど、なんだかモジモジとロシア擁護(=反NATO=反バイデン民主党政権)を表明している。

バイデン氏が、カソリックだからからなのか?
残念な欧米人たちは、この空気を読める読解力に欠けているのか?

6日、国連安保理事会非公式会合では、フランス人が、ウクライナ人を「人間の盾」にして虐殺しているのは、ウクライナ軍だと「証言」した。
なお、国連はすべての「会議」、「会合」を動画にして、ネット配信している。

9日、「対ドイツ戦の戦勝記念日」に、プーチン氏が何を語ったのか?
それでも、マスコミが「伝えない」から、読解力の範囲を超えている。

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