ピカソ『ゲルニカ』と日本

349.3x776.6cmもある、巨大な壁画である。

いまはマドリードの「ソフィア王妃芸術センター」に所蔵されているけれど、紆余曲折があっていまの場所に落ち着いた。
「レプリカ」は、徳島県鳴門市の大塚国際美術館にあるし、東京駅丸の内オアゾ1階には、陶板製のものがある。

ずいぶん前だが、マドリードで実物を観た。
遠目からでないと、大きすぎてなにが描いてあるのか、「ピカソ」ゆえになおさらなのだ。

「この一枚」のために、ずいぶんな数のひとたちがいたけれど、その鑑賞には時間をかけていて、なかに、「涙する老婆」がいたことが印象的だった。
おそらく、バスク地方から観に来たか、姻戚関係者だったのかもしれない。

芸術鑑賞の奥深さは、作家の意志や意図をどこまで理解しているかという「予備知識」にかかってくる。
だから、インスピレーションだけに頼るものでもない。
といって、個々人それぞれに「好み」があるから、難しいのである。

1937年(昭和12年)年4月26日は、あんがいと日本人にはノーマークになっている「記念日」である。

この年の出来事一覧を見ると、わが国では悲喜こもごもが混在している。

2月に林銑十郎内閣が成立したかと思えば、6月に近衛文磨内閣が成立して、その中間にあたる4月に、ヘレン・ケラーが来日している。
5月に双葉山が横綱になって、7月には、浅草国際劇場ができて4日後、盧溝橋事件があって、9月に後楽園球場が開場した。

1914年から4年もやった、第一次世界大戦の「大戦景気」を知っている日本人は、いまなら「平成バブル」を思い出すまでの時間とおなじで、「戦争は儲かる」と擦り込まれていた。
これが、国民こぞって「戦争を望んだ」ことの背景である。

しかして、「第一次」世界大戦を「欧州大戦」といったのは、まだ「第二次」大戦が起きる「前」だったからで、はるか世界の裏側でやっている戦に、ほとんど他人事でいられたこともあって、この当時の「スペイン内戦」のことも、日本人が意識するまでもないことだった。

この4月26日が、「記念日」なのは、人類史上初となる「無差別攻撃(爆撃)」が行われた日として、その後の日本人にも多大なる影響があることになったからである。

すなわち、この日を境にして、軍人同士の戦いであるはずの戦争が、一般市民を犠牲にする「虐殺」を内包する事態になったのである。

この「ゲルニカ爆撃」の悲惨を描いたのが、ピカソ渾身の「ゲルニカ」なのだ。

この「空爆」をやったのは、反乱軍のフランコを支援した、ヒトラーのドイツ空軍であった。
これより、後の連合軍は、敵地の無差別攻撃を「戦略爆撃」と名前を変えた。

戦略爆撃とは、地上軍を支援するものでもない。
むしろ、一般人を大量殺戮することで、敵の「戦意喪失させる」ことを目的とする。
要は、「虐殺の方便」なのである。

そしてそれが、行き着いた「究極」が、「核」なのである。

「核」とって「核兵器」とはいわないのは、「兵器」とは「兵」を相手にする「武器」を指すからだ。
この意味でいえば、「戦術核」がギリギリで「兵器」の概念にとどまる。

この意味で、わが国はまさに「無差別攻撃」の前に屈したことになる。
そしてその「被害」の「甚大さ」が、戦争反対の重要な根拠になったのである。

一方で、日本帝国陸海軍による、「重慶爆撃」は、やった側の問題となっている。
当初は、無差別攻撃を避けるための「ピンポイント」を厳命していたものの、爆撃精度が伴わない技術的問題から、一般人に犠牲を出した。

そしてそれが、「絨毯爆撃」へと変容したことは、わが国側の汚点となっている。

そんなわけで、戦時国際法という戦争のルールは、無差別攻撃を禁止できない点で、無力化してしまった。
それはまた、世界が民主主義ではないことを示してもいるし、もし民主主義ならば、国民道徳の堕落が民主主義を無意味にすることの証左となる。

一般人への無差別攻撃こそが、邪悪な態度なのである。

ただし、技術をいったん得た人類は、これを放棄することができないという宿命も持っている。
なので、「核廃絶」とは、不可能なスローガンになることも認めないといけない。

すると、いかに「使わせないか」ということに絞られるのだ。

広島・長崎以来、実戦で使われなかった理由が、フクシマで確認できたのは、「核汚染」の意味を、核のボタンを押す権利をもったひとが理解したからだろう。

いったん核汚染をしたならば、その地を占領しても、なんの価値もないことになるし、それがどんな形で自国への世界からの報復となるかを「計算」すれば、「無価値」という結論に至るからだ。

ゆえに、「脅迫の手段」としてしか機能しない。

さてそれで、ピカソは「鳩」の絵をサイン代わりにしていた。
オリーブの葉を加えた、シンプルそのものの「絵」は、誰にでも描けそうなデザインだ。

ノアの箱舟伝説をモチーフにしたこの「絵」は、みごとなデッサン力を示したピカソらしく、真似して描いたらわかる難しさがある。
ちょっとやそっとの技倆では、決して描けない。
ピカソをして、万回単位の繰り返しの結果なのだ。

そうやって、『ゲルニカ』を眺めたら、涙がこみ上げてくるのである。

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