軍産複合体(軍事産業)の決算は絶好調だったアメリカで、28日、第1四半期(1~3月)の成長率は、マイナス1.4%と発表された。
軍産複合体の「代理人」としての、民主党(旧トロツキー派)政権にとって、軍産複合体以外の経済は目にないことのあらわれが、あからさまになったのである。
しかし、日本の経済紙による「解説記事」によると、貿易赤字が主たる原因で、これにインフレリスクが高まっている、とある。
つまり、FRBによる「利上げリスク」だ、と。
なんだかよくわからない「解説」になっているのは、わが国経済のリスクと、アメリカ経済のリスクが、ごっちゃ混ぜになっているからではないのか?
文章に「主語」を書かないから、ともいえるので、この記事を書いたひとは、作文能力が低い。
頭脳で描いた論理を、文章展開できないのは、優秀さの印ではあるけれど、それをふつうは「舌足らず」とか、「手抜き」とかというのである。
あるいは、読者に理解させようとする気持がなくて、自分で納得してしまえばそれでいい。
すると、新聞が、「ブログ」のような記事を印刷している、ということになる。
日本の経済紙であろうが一般紙であろうが、「マスコミ」による報道の劣化が、近年著しいものになったのは、記者それぞれの能力もあるけれど、「社の方針」という意味での「編集方針」が、劣化を促進させているとしかかんがえられない。
つまり、「わざと」だ。
すると、まともな読者は購買意欲をなくすので、宅配契約を解除するだろうから、発行部数が減る。
発行部数が減ると、広告料をとれなくなるので、本来ならダブルパンチになって、新聞社の経営を圧迫する。
だから、「経営」を優先させる経営者なら、売れる記事を出さないといけないから、そのための「編集方針」にするはずだけど、これを「しない」のは、売れなくともよい、という発想があるからとしか思えない。
どんな場合でも、経済原則が働くので、賃金をはじめとした労働条件が悪化するだろう新聞社に入社を希望する学生が減ってくるので、時間の問題として、コントール不能の劣化がやってくること「確実」になる。
28日には、ロシアの「エネルギー資源戦略の発動」に対して、被害を受けるヨーロッパが「脅迫」だと猛反発したことを「大見出し」にして、アメリカ大統領府は、「ロシア、エネを兵器化」と批難したと書いた。
まったくもって、一貫して、ロシア側の主張を「書かない」という、「偏向」ぶりは、情報として「学級新聞」にも劣ることが、「商業」として行われているのである。
すると、1973年の、「中東産油国による石油戦略の発動」とは、いったいどういうことだったのか?が「わかる」、というものだ。
それは、国際石油資本が産油国を焚きつけて、「大幅値上げに成功した」という意味にほかならない。
もし、ほんとうに「中東産油国だけの暴挙」ならば、西側世界への「脅迫」だとか、「石油を兵器化するな」と書いただろうからである。
ロシア側の事情がぜんぜんわかならないので、どうして「この時期」なのか?も推測になってしまう。
明らかに、ウクライナ情勢における、欧州のウクライナ支援に対抗した制裁、とはいえるけど、ならばもっと早い時期でもよかった。
「春」になってから、やった、ということの意味をかんがえるべきだろう。
すると、ロシアはヨーロッパを凍えさせる「最悪は避けた」という、ありがたいことになるのである。
大統領選挙には敗れたとはいえ、40%もの得票をした、マリーヌ・ルペン氏は、「ロシアと仲直りすべき」と主張したことの意味も、なへんにあるとみてよい。
しかして一方のヨーロッパの雄、ドイツの深刻さは、旧東ドイツ出身のメルケル氏による、「再生可能エネルギー・ファシズム」による一方的なロシア依存がほぼ完成していたからでもあるけれど、政権交代したとはいえ、現政権は「緑の党」と連立しているのである。
よって、にっちもさっちもいかない。
しかも、プーチン氏の過去の言動では、「地球温暖化は(事実であれば)、寒いロシアにとって好都合だ」という通り、このひとの「ロシア・ファースト」は本物なのである。
すると、「再生可能エネルギー」による「利権」を狙うヨーロッパ(EU)の邪悪に対する、ロシアの対抗とは、なんとわが国の産業界にも「都合がいい」ことになる。
その典型が、もはやわが国唯一の「稼ぎ」となった、「(内燃機関の)自動車産業」を、実質的に守ることになるからである。
「EV:電気自動車」とは、逆立ちしてもトヨタ(の省エネエンジン)に勝てないヨーロッパの自動車産業が仕掛けた「ルール変更」にすぎない。
それが、ドイツ車を中心として発覚した、「燃費の検査不正事件」だった。
日本人がしっている、ドイツの高級自動車から、国民車まで、ほぼ全部がこれをやったのは、トヨタ車のデータに歯が立たないからだった。
そんなわけで、ロシアの「石油戦略発動」とは、じつは、SDGsにも対抗している。
「SDGsバッジ」をスーツに付けているひとは、これが意味する「もの」と「こと」が、自然科学に合致しない「政治利用」だと気づいている「節」がない。
わたしはバカです、といっている「たわけ者」にしか、わたしには見えないのである。