マスク氏はWHOを買収する?

国際連盟も、国際連合も、腹黒くて野蛮な欧米人がつくった「隠れ蓑」のシステムである。

日本人は、敗戦での言論統制とその後の洗脳で、これらの「隠れ蓑」を、けっして「隠れ蓑」とは言えずに、「正義のシステム」だと信じ込まされてきた。

しかし、ここにきて世界を支配する「5大国=安保理常任理事国」のバランスが崩れて、ただの「簔」になって見えてきた。

「国際連合」が、安保理常任理事国の中華民国を棄てて、中華人民共和国に乗り換えたのは、1971年10月25日の総会決議2758号で決まった。
これからの「歴史」は、世界がしるところである。

しかし、この「決議」は、当然ながら当時の「共産諸国」と、「非同盟諸国」だけが賛成したのではなくて、常任理事国のイギリスとフランスも賛成したのである。
それで「本命」の、アメリカは翌72年に米中国交正常化をしたのだった。

つまり、露払いでお膳立てをしてから、横綱が土俵に上がるような手順になっていたことは、日本人は覚えておいたほうがいい。
これに慌てたわが国は、田中角栄首相の北京電撃訪問となったのである。
一連の「土俵入り」を、傍観していた外務省がそこにいた。

次の大変化は、「ソ連崩壊」による、「ロシア誕生」での「引き継ぎ」だ。
厳密には、「政権交代」だったので、国連での位置づけはロシアがそのまま正当な政府として引き継いだのだった。

さて、この二大変化についてかんがえれば、共通点がひとつ見えてくる。
それが、西側における「利権の確保」だ。

そもそも、西側が蒋介石・国民党を支援したのは、大陸利権の「独占」を図る日本に対抗するためであったのに、その腐敗ぶりから毛沢東に追い出されてしまったのである。

中華人民共和国建国後、毛沢東がすでに存在しない「日本帝国陸軍」に「感謝」を表明したのは、日本が戦った相手が国民党「だけ」だったことを表したのだった。

その日本帝国・陸海軍は、ベトナムからフランス人を追い出したので、戦勝国のアメリカは、「戦利品」としてのベトナムに触手を伸ばした。
これが、「ベトナム戦争」だった。

フィリピンを支配していたマッカーサーが言った、「アイシャルリターン」は現実にならず、日本軍がいなくなってもフィリピンは独立してしまって、マッカーサーは父が残した広大な農場に帰ることもできず、行き場を失っていたのだ。

ソ連とアメリカが世界を二分したように見えたので、そのソ連と敵対した毛沢東の中華人民共和国とアメリカが手を結んだのは、「敵の敵は味方」という論理からだといわれている。
北ベトナムの後ろ盾が、ソ連だったからでもある。

しかし、蒋介石・国民党のように、南ベトナムの腐敗ぶりから、結局ホー・チ・ミンに全土を取られたのは、まったく中国大陸とおなじパターンなのだ。

すなわち、アメリカはドジッたのである。
もっといえば、欲に駆られて見えなくなる、ということだろう。

それをまたまた繰り返したのが、「ソ連崩壊」のどさくさに紛れてやった「火事場泥棒」で、私欲にかられたエリツィンを騙くらかして、石油やガス利権を貪ったのだ。

これに気づいたプーチン氏が、「国営化」して、資源利権を独り占めしたかに見えたけど、利益を国民に還元したから話がこんがらがるのである。
あきらめきれない強欲なひとたちが、プーチン追い落としを図ってやったのが「ウクライナ」だ。

さてそれで、強欲なひとたちは、知らぬ間にWHOのオーナーになっていた。
アメリカがスポンサーのはずの国際機関であったものが、気がつけば「民間」が拠出する資金によって運営されている。

いまやWHOは、ビル・ゲイツ財団が筆頭の出資者なのである。

それでもって、ビル・ゲイツ氏が、WHOを世界政府にして、各国政府の上に君臨させると言っているから、「ちょっとまった!」となってきた。

「国民の健康」を最大優先政策事項としたのは、政権奪取前のナチスであった。
がん撲滅と禁煙、それに、ドイツ医学への重点的予算配分を謳い、ナチス党員のパン屋は、「黒パン」しか焼かなくなった。

「白いパン」は、食べたひとの健康を害するからである。

この「伝統」を、ビル・ゲイツ氏は、もっと「強権」をもって実現したい、と公言している。
世界人類は、あまねく漏れなく、WHOの命令に従わなければならない、と。

オーナー様のこの発言に、Twitterを買収して、ゲイツ氏と大バトルを展開中のマスク氏に、「あんたがWHOを買収したら?」とつぶやいた、アメリカでは有名という精神科医に、なんとマスク氏が直接につぶやいた。

その意味深な返信に、フォロワーたちが期待感を示している。

国家はどこへ行ったのか?
国家を超える超大富豪によるこうした動きは、完全に「中世」とかわらない。

人類社会は、中世に戻ったのではなくて、はじめから中世のままだったのではないのか?

まったくもって、民主主義もなにもない、お金持ち本人の資質と気分で左右される、「良い独裁」に期待する、すさまじい時代になったのである。

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