マネジメントで『眼下の敵』を観る

1957年度アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した作品である。
原作は、英国海軍中佐だった、D・A・レイナーによる同題の小説である。
原作の冒頭に、特に「著者覚え書き」として、「本作は完全な架空」と念押しされている。

第二次大戦を題材にした数ある戦争映画(小説)のなかでも、海戦モノ、しかも、駆逐艦と潜水艦の一騎打ちにおける「知略」を描いた傑作とされ、主役、ロバート・ミッチャムの代表作でもあり、また、ドイツの名優、クルト・ユルゲンスがハリウッドデビューした記念碑的作品でもある。

 

子どものころにテレビの映画劇場番組で、何回か放送された記憶があって映画館で観たことはない。
それが、なぜか突然思い出されたので観直した。

おとなになってこの作品を観る意味は、ストーリーではなく人間心理の「マネジメント」からの視点にある。
戦争における「殺し合い」という、究極の環境にあって、「将」たる人物のとる行動がはっきりと、象徴的に描かれている作品だからである。

勘違いをされては困るのは、「殺し合い」や「戦争」を美化したいのではないことだ。
あくまでも、そのマネジメントの「妙味」をいいたいのである。
こんな上司に出会いたい、こんな上司になってみたい、と思わせる「教科書」でもある。

映画での設定は、原作のイギリス海軍からアメリカ海軍の艦船になっている。
もちろん、「敵」はドイツのUボート。
けれども、よくあるアメリカが正義でドイツが悪だとする「勧善懲悪」の設定になっていない。

海上の米・海中の独どちらも、「板子一枚下は地獄」という、海の常識が前提にあるからリアルなのである。
「将の判断」が間違えば、沈没という全員が戦死の悲惨に見舞われるし、「兵」の担当業務が滞ったり機能不全になっても、それは同じなのである。

これが、「部分」である陸の闘いとはぜんぜんちがう「海」の世界だ。
ビジネスに於いて、会社を船に例えるのが常識なのは、正解である。

ロバート・ミッチャム扮する新米艦長は、自分たちが命を預けるにたる人物なのか?
戦時の人材不足から、なんと彼は商船の三等航海士だった。

対する、クルト・ユルゲンス扮する独軍は、職業軍人とナチスとの軋轢がある。
注目すべきセリフは、第一次大戦の「負けても名誉あり」とする、ドイツ魂の現実との葛藤の告白だ。

これらの条件をもっている両艦長が、どのようにマネジメントし、人心を把握するのか?
そして、人心を掌握した後の両組織が、いかほどの団結をするのか?
もちろん、これが、「戦果」に結集することはいうまでもない。

まったくもって、「現代」の「会社経営」における要諦である。

同じ職場条件で、同じメンバーで、成果が変わる。
これは、冷厳たる事実なのであって、どんな組織でも起きることなのである。

「実話」が元でも「作り話」でも、映画は映画である。
だから、これらの人物たちが、どのような教育を受けて、かくなる人格を得るに至ったのか?については、まったく表現がない。
観客が、想像するしかないのである。

しかし、一方で、そうした説明を要しない、という社会常識が、公開当時の社会にあったとすれば、いかなる変化を社会の方がしたのか?ということになる。

ロンドンの友人からこんな写真が届いた。

わが国なら、東条英機といまの首相を想像すればよいだろう。
いい悪いではなくて、この「軽さ」はなんだ?
ここでなにも懐古趣味をいうつもりはないけれど、大丈夫なのか?ともおもう。

人格を育てる教育が、学校教育に期待できなくなっている「わが国」で、どうするのか?という問題は、けっこう深刻だ。
それは、大学教育にも影響して、経営学が経営をおしえているとはいえない。

「テクニック」に走るからである。
あたかも、会社の数字をよくするには?ということの解答が、「経費削減」で済ませられているように、本質を欠くことにばかり注力して、結果的に目的を果たすことができないがごとくである。

それは、すでに、この映画でのクルト・ユルゲンスのボヤきにも表現されている。
むかしは、潜水艦の艦長は潜望鏡を覗きながら、自らの頭脳で計算し魚雷を発射し獲物を仕留めたものだったが、いまは、潜望鏡のなかの画面に諸元が表示されて、艦長はそれを読み上げるのが仕事になった、と。

第二次大戦中という時代でさえ、これなのだ。

しかし、彼の嘆きは、「マネジメント能力」にはまったく関係なく、むしろ、機械化・自動化の現場だからこそ、より重要度が増しているのである。
これは、現代企業の経営だっておなじである。

沈没直前の艦に残った二人の艦長を、先に退艦した兵がボートで救出する場面では、ドイツ兵と米兵が競って駆け上るのを、引いた画面で写しだしている。
いま、上司や経営者が困難な状況におかれたことをしったとき、自分の部下が命がけで助けてくれるかをかんがえればよい。

人間は、やはり人間なのである。

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