ワクチン中止請求裁判で

ニュースにならない「事件」は、世の中で「起きていなかった」とする錯覚は、「知らない」から発生する当然である。
とはいえ、「本日の出来事」を全部ニュースにすることは不可能だ。
だから、「話題の選択」という「編集」が、ニュースにはつきものになるのである。

それだから、ニュース報道は活字になったものも、音声や映像付きのものも、「パブリッシング」として扱われて、「著作権」が付与される。
誰かが「ニュース原稿を書いた」ことでの著作権とは、区別しないといけない。

インターネットから生まれた、SNSという「サービス」は、「投稿をそのまま上げる」という意味で、これまでの「編集」とは違うからと区別して、さまざまな「特権」を付与したのは、「著作権」とは別のことである。

これを、「プラットフォーム」と認定して、「パブリッシング」とは別にした。
しかし、いまは、そのプラットフォームの提供者が、「投稿の削除」を行うようになって、事実上の「編集」をしている。

その「編集方針」が、前からあった報道機関と思想的な足並みを揃えているので、特定分野の情報が、漫然としている受け手には一切届かないことになって、「知らない」ことがこれらの企業によってつくられるようになった。

これを、「情報統制」というのだけれど、「知らない」ひとには、情報統制されていることすら「知らない」状態になる。

監禁状態にあれば、外部からの情報が遮断されるので、自分はいまなにも知りうることがない、という状態を認識することができる。
しかし、生半可な状態で、SNSのサービスを楽しんでいると思って、データ通信料金が高いと思っているひとの中には、あんがいと「自分が統制の対象になっている」ことを知らないでいられるのである。

これを上に書いた、「漫然としている」と分類できる。

また、このようなひとは、ちゃんと配信される無料の「ニュース記事」やテレビのニュース番組を観ていて、情報の「バランス」をとっていると自覚していたりする。

まさに、「パブリッシャー」からしたら、「予定通り」のことなのだ。
同じ「編集」をした記事を、違う出所だからと鵜呑みにしてくれる。

つまり、情報を全部出すのではなくて、小出しにすることでの水準が維持できれば、その小出しがいつかは全部に思えるようになる。
しかし、その小出しに疑問があって、これを自分からリサーチすると、思わぬ姿が浮かび上がってくることがある。

そうやって、漫然としている「多数」と、手間をかける「小数」が生まれるけれども、「パブリッシャー」は気にしていない。
「自由」で「民主主義」を基本にするなら、かならず「多数決の原理」が作動して、少数者を事実上無視できるからである。

そんなわけで、ニュースにならなければ、あるいは、ニュースにしなければ、漫然としている多数をコントロールできるのである。

ついでにいえば、漫然としている多数に、「憎悪の感情」を呼び起こさせるような「演出」は、特に効果的なコントロール法である。
この意味で、思想的に潔癖症で正義感の強い日本人の多数は、「白か黒かの二元論」的な誘導による情報統制が、特に「効く」ようになっている。

その一部が、「マスク警察」とか「他県ナンバーへの嫌がらせ」のような社会現象になるのである。
いまだに「マスク着用」を半強制的に行っているのは、まさに「情報統制」の「成果=洗脳」なのだ。

さてそれで、7月末に東京地方裁判所に提訴した、ワクチン中止請求裁判の第1回口頭弁論が12日にあった。
ちなみに、「ワクチン中止請求裁判_東京地裁」でググっても、検索に「ヒットしない」という、「編集」による「なかった」を確認できる。

それに、13日付け日経新聞では、「マスク着用せず東京地裁に数百人 ワクチン訴訟で騒然」と、あたかもマスクをしないことに「憎悪」を起こさせる「セオリー通り」をみることができて、「どんな訴訟なのかの原告の訴えを無視」していることも意図的だといえる。

裁判冒頭、開廷にあたって裁判長は傍聴席に向かって、「マスク着用」を要請した。
すかさず、原告側弁護人が「法的根拠」を質問すると、裁判長は「任意です」と答えたのだ。

にもかかわらず、再度裁判長がマスク着用を要請したのであった。
しかしながら、「任意」という「判断」を再び得たため、傍聴人たちは「安心して」マスク着用をしなかった。

「法の番人」は、いったい何をやっているのか?というお粗末を、弁護士は終了後の記者会見で、「マスク着用の法的根拠はない」と東京地裁が認めたことを「本日の成果」だと語った。
こんな会見しているのに、記事にならないことも注意したい。

さて、実はもっと重要なことは、「ワクチン接種」について、「裁判で係争中」という事実である。
従業員らに、ワクチン接種を推進した企業経営者は、「この事実」を「知らない」で済ませられるのか?

もちろん、「治験中」にすぎないという状態も含めて、のことである。

「編集」を旨とする報道機関が報道しない自由を行使しているけれど、原告勝訴となった場合、企業はどうするのか?労働組合は?
あるいは、「原告敗訴」となった場合、原告は控訴する可能性がある。
なぜなら、「強制」につながるからだ。

15日、政府の分科会で「動き」があった。
「心筋炎」の増大という事象を受けて、モデルナ製の接種をやめる方向での検討がはじまったのだ。

岸田内閣は、裁判や報道とは関係なく、「どうする?」という問題が突きつけられている。
「CHIPAN」にしたいのは山々だろうけど。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください