再現不能の傑作『雨月物語』

独立の翌年、1953年(昭和28年)の大映製作。
同年、ヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞(グランプリ)の受賞作である。
なにも賞をとったから凄い、といいたいのではなくて、予備知識なしで観ればよくわかることだとおもう。

「時代劇」というと、源平の平安時代、鎌倉・室町時代はほぼパスして、応仁の乱からの戦国時代、それから織田・豊臣から関ヶ原を超えたら、すっかりおなじみの「定番」となる。
『大魔神』がユニークなのは、その時代設定・生活視点で本作と通じるものがある。

なんだか無秩序な感じだけれど、妙に派手な安土桃山時代の堺を舞台にした異色の映画『がらくた』(東宝、1964年)をおもいだす。
主演は、市川染五郎 ⇒ 松本幸四郎(9代目)⇒ 松本白鸚(2代目)で、名前が変わるからややこしいけど、公開時22歳の若者の立派な演技は「さすが」だ。

けれども、すっかり現代劇的な映画なので、この点は注意がいる。
だから、若き歌舞伎役者の身のこなしが目立つのである。
残念だけど、探してみたがDVDなどの販売はされていないようである。

『雨月物語』の幽玄さは、不気味さをただよわせて、物語ほんらいの「奇譚」としての表現に成功している。
この映画には、大女優がたくさん出ていて、なにも京マチ子だけが看板ではない。

むしろ、京マチ子の妖麗さを一層引き立てるのは、いよいよ怪しい侍女右近役、毛利菊江の演技が光る。
このとき、ちょうど50歳。
すり足での自然な身のこなしは、謡曲と完全マッチしているのである。

実生活も「すり足」だったにちがいない。
撮影だからやれといわれて、はいとできるものではない。
この訓練が、足腰を鍛えて、97歳の長命だったにちがいないのだ。
京マチ子の長命(95歳)も、同様だと推察する。

次の大女優は、水戸光子だ。
このひとは、『男はつらいよ』の初代「おいちゃん」役だった、森川信の元妻で、結婚を機に引退するが、離婚を機に復活した。
本作でのエネルギッシュな役は、現実の「かかあ天下」の価値観を象徴している。

そして、いうまでもない大女優、田中絹代。
原作で二話の題材を組み合わせたのではあるけど、妖麗さとは別物の静的な凄みがある。
後の『ゴースト/ニューヨークの幻』にえらく影響をおよぼしたのではないか?

舞台となっているのは琵琶湖の北で、戦国武将、朽木氏の本拠地だ。
映画では、織田信長に滅ぼされた、とあるけれど史実は別で、織田配下から豊臣に、そして関ヶ原で東軍につき、旗本として明治まで続いているのである。

鯖街道(若狭街道:国道367号)の「朽木宿」が、いまでも残る。
京都からなら、出町柳 ⇒ 八瀬比叡山口 ⇒ 大原 となる一本道だ。
むかしは、小浜で塩漬けにした鯖を、一晩で京都に運んだそうだから、宿場ごとに担ぎ手を交替していたのだろう。

一晩でちょうどほどよく「漬かった」という。
いまは自動車で運んでいるにちがいないけど、朽木宿には鯖寿司(生鮨)をつくって販売するお店が数軒あって、その味が忘れられない。

関西方面に自動車でいくとき時間に余裕があれば、名神高速を米原から北陸道に乗り換えて長浜までいき、朽木宿経由で京都にはいる。
もちろん、前日までに「予約」は欠かせないのである。

道路からの風景で、映画の雰囲気は、マキノの湖畔をおもわせる。
いったいどこで撮影したのか?
詳しい方には是非ご教示願いたい。

とにかく、ふるい日本映画は、ロケ地の景色が素晴らしいのである。
いま観れば、いったいどこであるかがぜんぜんわからない。
そういえば、『青い山脈』の原節子版(1949年)では、伊豆下田がロケ地とあるが、街中の様子が彦根城だったかにみえた。

さてそれで、雨月物語である。
大女優のなかで奮闘するのは、森雅之と小沢栄(栄太郎)の二枚看板だ。
森の父は、小説家の有島武郎。
5歳のときに母を結核で祖父の武も暮れに失い、12歳のときに父が愛人と心中してしまう。

さらに母方の祖父、神尾光臣陸軍大将は16歳のときに亡くなるので、近しいひとたちがどんどんいなくなる。
ちなみに、神尾大将は第一次大戦での青島攻略軍の司令官で、わが国が最初の「物量戦」に挑戦し、その莫大な費用におののいたのであった。

森雅之の知的な演技という評価は、当時の上流階級にあってなかなかに厳しい環境からうまれたとおもわれる。

もうひとりは、本名の小沢栄太郎の方がなじみがあって、しかも晩年は知的な悪役がピッタリだったから、すこし軽めの役柄を観ることができるのは楽しいものだ。
印象深いのは、『白い巨塔』の鵜飼教授役だった。
それでも、伊丹十三監督『マルサの女』(1987年)で、気弱な税理士役をやって、翌年鬼籍に入った。

わたしは小沢栄太郎氏とはご縁があって、逗子のご自宅へ来るようにと何度か誘われたけど、おそれおおくてとうとうお邪魔することはなかった。
艶福家として有名だったのは、その素顔は驚くほどよく笑う、うそのように人懐っこい方だったからだろう。

「悪役は自分とはぜんぜんちがう人物だから、やっていてほんとうにおもしろいんだよ」と、たのしそうに語ってくれた。
なのに、「いいもんの役をみたい」とねだったことが、まさかの気弱な税理士役だとしたら、なんだかもう有難いと勝手に解釈しているのである。

享年79歳。
88年4月23日が命日なので、もう33年も前になる。

そして、この映画のスタッフも出演者たちも、ほとんどが物故されたことだろう。
未来に、二度と作れないものを作ったひとたちの凄みがある。

合掌。

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