選挙制度は国民の「ため」になったか

誰がどんな観点から「二大政党制」を言い出したのか?
それが、「普通の国」になるための、近道だと思い込まされたきらいがある。

『妖怪人間 ベム』の目的は、「真性の人間になること(=真人間)」であった。
そのために課せられたことは、姿形がどんなに醜くても、「正義を貫くこと」しか方法がなかったのである。

しかし、どうしたことか日本人は、「真人間」であるにもかかわらず、自らを「妖怪」に変化させようと「努力」したのだ。

いわゆる「二大政党制」を採用している国は、「米・英」である。
これは、そもそも複雑なヨーロッパで、「珍しい」のである。
彼らが「二大政党」になったのは、それぞれの「歴史的背景」があってのことだ。

つまり、彼らの中では、他の複雑な国と同様「結果」に過ぎない。
これを歴史的背景も考えない我が国で「採用する」ことの「無理」は、火を見るよりも明らかなことだ。

すなわち、我が国に二大政党制を導入したかったのは、「普通の国」になるためではなく、政権与党が「永遠に政権にいられる」ことを狙ったものに過ぎなかったはずだ。
ところが、「政権交代」が現実になった。

その「政権与党」の腐敗臭に、国民が本気で嫌気をさしたのである。
しかしながら、選択肢が、社会主義の野党しかなかったのが不幸であった。

「悪夢の民主党政権」と言われるのは、「もうこりごり」という経験値がそうさせている。
しかして、この「実験」は、見事に失敗したようになっているけれど、「永久に与党が政権にいられる」ための今では「理由」ともなったのである。

それで、再度政権を得た与党は、政権を失ったことの「反省」として、社会主義を大幅に取り込んだのであった。
世に言う「アベノミクス」とは、今更に「成長と分配」を言うことが意味不明に聞こえるほどの「分配」を姑息に実施したものだった。

安倍政権発足直後の「株高」は、株式に投資している一部の国民に「富を分配」した。
日銀が、上場株の全体で30%も買い付ける、という前代未聞も、いまだに「出口」が見えないままである。

株価の暴落にもなりかねないから、日銀は日本株の保有を止める訳にはいかなくなってしまった。
それに円安も手伝って、国内に残った製造業(本当は「輸出業」:外国人利用が多い宿泊・小売業も「外貨獲得」という意味で含む)は一息ついた。

ただし、政権発足直前に「円安」になっていた。
これは「アベノミクス」とは無関係である。
ヨーロッパの「通貨危機(いわゆる「ギリシャ危機」)が、一息ついて、円売りユーロ買い(円安)の局面に勝手になったのである。

これが、「FX取引」で、またしても一部の投資家が利益の分配を得たのである。

そうやって、「格差拡大」と言う、他人を羨んだ後に嫉妬に駆られる「卑しい感情」が、マスコミによって煽られた。
まったくもって、「日本昔ばなし」とか、「イソップ物語」の逸話でいう「悪いおじいさん、や、お婆さん」が、そのまま自分に乗り移ったようである。

結局のところ、小選挙区制に「さえ」すれば、二大政党制が実現する、と言っていた「専門家たち」の言い分のようにはならず、一大政党制+その他、という構図になってしまった。

まことに、「政治学」と「政治学者」の貧弱な言動は、犯罪的なのである。
しかも誰も逮捕されないことをいいことに、自ら責任を取る者もいない。

この点だけは、「自由主義」でよかったと、ご同慶の至るところである。
しかし、このような無責任な言動を繰り返した輩こそが、「御用学者」なのであって、「学会」の見識を疑う。
せめて、学問的に「詰め腹」を切るように仕掛けるのが、学者団体としての良心であろう。

そんなわけで、「これぞ」というひとに投票するのではなくて、「消去法」をもって、より「まし」なひとを選ぶしかない。
さらに悪いことは、「比例復活」なる「裏技」が、あたかも「セーフティ・ネット」として考案された。

「まし」なひとを選ぶのは、中選挙区制でも同じだけれど、「比例復活」はいただけない。
こういう「当選」の仕方をしたひとは、やっぱり「国会では議決権がない」せめて「オブザーバー」とするべきだ。

「民意」は「落選」という現実を尊重する気概もない。

さて、選挙制度を変えて、国民は幸せになったのか?
残念ながらそうはなっていない。
こうした「実験」に、どうして「見直し」の期限をつけなかったのか?も疑問だ。

知恵がない。

国民が不幸になるのは、こうしたことが原因なのである。

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