「イタリア人」は覚醒したのか?

逆神のマスコミが、「極右」と書いたら、どんなに割り引いても、「保守」が最適の表現になることがわかってきた。
逆に、「民主的な勢力」と書いたら、それは「極左」を指す。

最初に極右とされたのが、フランスの、マリオン・アンヌ・ペリーヌ・ル・ペン(Marion Anne Perrine Le Pen)で、通称「マリーヌ・ルペン」であった。

たしかに、このひとの実父、ジャン=マリー・ル・ペン(Jean-Marie Le Pen)は、これもマスコミが極右という、「国民戦線」の創設者で初代党首であった。

しかして、その「国民戦線」は、イタリアの「イタリア社会運動・国民右翼(MSI)」に影響をうけているから、本家は、イタリアにある。

3女にあたる、マリーヌ・ルペンが二代目党首になると、賢明にも「中道右派」へと転じて、党名も『国民連合』に変更し、さらに、過去からの過激主張をやめない父を除名処分にしたのである。

ちょっとだけ大塚家具の、父娘の確執を彷彿とさせるが、レベルがぜんぜんちがうし、なによりフランスの娘は優秀だ。

「国民戦線」であろうが、その後の「国民連合」であろうが、「極右」のレッテルが貼られているのには、フランス革命の、「自由・平等・博愛」(=グローバル全体主義)に公然と反逆するからである。

ここが、ねじれ、のはじまりで、そもそもフランス革命を肯定していいのか?という問題に行きつくのである。
もちろん、英国の保守主義の父と評される、エドマンド・バークの名著、『フランス革命の省察』におけるフランス革命の評価は、サイテーなのである。

すると、バークの立場からしたら、「国民戦線」とか、「国民連合」の主張が、正統になるのである。
昨今、これに気づいたフランス人が、「パリ祭:フランス革命記念日」の祭典を盛り上げないで静かにしていることの変化を、「ポピュリズム」だと批判している。

その批判者は、当然に、フランス革命賛美派であるマスコミなのだ。

そこで、面倒なのが、イタリアだ。
この国の歴史は、複雑で、日本人にはわかりにくい。

なにしろ、いまのイタリアになったのは、ローマ教皇領も併合して、首都をローマとした1870年(明治12年)なのである。

1776年7月4日を独立記念日とする、アメリカ合衆国と比べても、ざっと100年あたらしい。

それだけ、グダグダなのがイタリアだけど、フランス革命以降ずっと立ち位置が定まらないフランスと比べても、イタリアがフラフラ・グズグズしているのは、あまりにも異なる地域(かつての貴族領、いまの州)別の国民性にある。

はたして、「イタリア人」という一括りで語れるひとはあの国に存在するのか?と問えば、「いない」のが正答ではないか。

しかも、面倒なのが、「ファシズム」を掲げたムッソリーニの「ファシスト党」が、ドイツの「ナチズム」を掲げたヒトラーの「ナチス:国家社会主義ドイツ労働者党」とのちがいも曖昧になって、ただ、「極右」と評価されていることにある。

けれども残念ながら、ムッソリーニは、その過激さゆえに、「イタリア社会党」からも除名された、「極左」思想の持ち主だったのである。
ムッソリーニを評価していたレーニンは、この除名をした社会党を批判している。

「ファッショ=結束」をもって、全体主義に走るのではあるけれど、なんと、政治思想としての「ファシズムの定義」は、いまだに「学問的に」定まっていないのだ。

世の中とは、かくもテキトーなのである。

そんなわけで、統一イタリア初の女性首相、ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)氏は、日本ではかんがえられないキャリアから首相にまでなった人物である。
彼女自身が書いた自伝、『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』には、イタリア共産党支持者の父から棄てられた少女時代、保守派の母の影響と父への反動から右派になった旨の告白がある。

イタリア社会運動(MSI)を支持し、15歳の時にはMSIの党青年団「青年戦線」(Fronte della Gioventù)に入会したという。
それから、観光業・ホテル業の職業高校を主席で卒業し、ウェイトレスやベビーシッター、あるいは、バーテンダーをしながら、「党人」として活動してきたのであった。

まったく、わが国の社会が、いかに硬直的かがよくわかるのである。

それでフランスに再び目を向ければ、政党としても関係が深い、マリーヌ・ルペン氏からしたら、「同志」である、メローニ氏に先を越されたことになっているのである。

おそらく、イタリア人もフランス人も、上に書いたこの両者の事情はよくしっていることだろう。

このところの大変化は、得体のしれないふたりのグローバル全体主義の奴隷となっている女性、EU委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンと、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のラガルド総裁がしかけた、イタリア・イジメであったはずの、いうことをきかないとイタリア国債を買ってあげない、に、どういうわけかイタリア国民が反発して、なんと、自国の国債をイタリア人が購入するという「異変」がおきていることだ。

それでもって、ヨーロッパで超優良な、ドイツ国債との金利差が、わずか1.67%にまで縮小している(イタリア国債が低金利になって高騰している)ばかりか、今月、個人向けに発行予定だった新規4年もの国債の170億ユーロ分が、受付からすぐに完売したのである。

イタリア人が自国の国債を買うのに殺到した!のであるけれど、さっそくラガルド総裁は、ECBは過去から保有するイタリア国債の償還分にたいして、これまで同様買い換えをすることは「ない」、と発表した。

これにまた、イタリア人は、おおいに結構です、自分たちで買うから、と反応したという。

得体がしれないひとたちからの脅迫に、イタリア国民が「結束」して、いま「イタリア人」になろうとしているのを、メローニは「ファッショ」だといいたければいわせておけばいいのである。
それがまた、覚悟を決めた女性ならではの、一途になっているから、ここに登場した4人の女性が2対2で取っ組み合いをしているわけではない。

まともな政治をすると、イタリア人も目覚める「痛快」が起きたのである。

保守のベルルスコーニ氏も、これで安眠したのだろうとおもわれる。(合掌)

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